鬼との契約

流維

第1話 始まりの夢

『カノカッ、カノカ!』


 誰かが呼んでる。


 懐かしい声。


 貴方は、誰…。


 でも、もう目が開かない。


 息もできない。


 苦しい。



『カノカッ、目を、開けてくれ…』



 あぁ、そうよ。


 この人、は…大切な、人。



『次、は…幸せな、世界で…待ってる、わ。……アレク…』



 目は開かなくても。


 思い出せる。


 走馬灯のように、貴方と過ごした日々が目の前をよぎるから。


 次は、争いの無い世の中でアレクと。


 呼吸が、止まるわ。


 またね、アレク…───。






「ッ、はぁっ、はぁっ」


 オレは布団からガバッと勢いよく起き上がった。


 なんだ?


 何なんだ、今の夢は…。


 心臓の鼓動が鳴り止まない。


 窓からは朝の眩しい光が差し込んでいる。それを見て少し落ち着いてきた。


 時刻は6:30。


 いつもより30分も早いけど、このまま布団に入って二度寝したら寝坊してしまう。


 布団から出たオレは、制服を身につけた。


 階段を降りれば、ちょうどばったり兄貴と出くわし、兄貴はオレの格好を見てうんうんと頷いている。



まなはやっぱりスカート似合うなぁ。親父たちもきっと喜んでるぞ」



 感動の吐息まで零されて一つため息をつく。


 高校生になる事にオレ自身はためらっていた。


 父さんや母さんが交通事故で死んで、それからはずっと兄貴に育てられてきた。


 その兄貴も半年前、オレが高校に上がるタイミングで結婚し、今や一家の大黒柱。


 それなのに、今も兄貴に高校の学費を払ってもらっている。


 高校は行かずに働くと言っても『ダメだ』と否定する兄貴に食ってかかったけど、頭がいいから大学まで行かせるとか、わけのわからない事を言われたんだ。


「…兄貴、そのセリフ毎日のように聞いてるけどいい加減飽きない? オレは聞き飽きたんだけど」


 呆れた声で返せば、兄貴はニコリと微笑んだ。


「愛こそいい加減男言葉直しなさい? 年頃の女の子がそんな言葉を使ってるから彼氏も出来ないんだろう?」


「…彼氏いらねぇもん」


 彼氏なんか作るものでは無い。


 大体、男に言い寄られないようにと兄貴がオレをこんな言葉遣いにさせといてよく言えたものだ。


「高校生になったんだ。もう恋愛してもいいんだぞ、ん? いい男はいないのか」


「…いねぇよ、しつこいなぁ」


「兄さんに向かってそんな言葉はよく無いんじゃないか」


「兄貴だから言えるんだろ。メシ作るから退いて」


 兄貴の身体を少し押して廊下の壁と兄貴の身体の隙間からスルリと抜け、キッチンの方へ足を運んだ。


 後ろから兄貴がついてくる。


「愛は料理も上手いし掃除も完璧だし、頭は良いし、顔だって美人なんだから…一回くらい告白されたことはあるんだろう?」


 その言葉にピタリと足を止めて、兄貴に振り向いた。


「うざい」


 笑顔の兄貴はそのまま固まって動かなかった。


「まぁた兄妹喧嘩してるの? …あら?パパはまた愛華まなかちゃんに嫌われちゃったね〜、奏ちゃん」


 キッチンにはすでに義姉ねえさんがいる。


 その胸の中で、ミルクを飲んでいるのは兄貴と義姉さんの子供で、奏希そうき。生まれて4ヶ月の赤ん坊だ。


 奏希の頭をそっと撫でてから、オレはご飯を作った。


 固まっていた兄貴に皿を頼むと、ハッとしたように体を動かすのを見て苦笑いした。


 しっかりしてくれよ、お父さん。


「オレ、今日図書館行くから帰るの少し遅れる。帰りにスーパーにも行きたいし」


「あぁわかった。何かあったらすぐに電話しろよ」


 本当に過保護だと思う。


 学校から直帰すれば40分の道のり。だけど寄り道をして遅くなると、すぐに電話がかかってくる。


 寄り道って言っても、参考書を買いに本屋へ行ったり、買い忘れた食材を思い出してスーパーに行ったりするだけだ。


 いちいち連絡などしていられない。


「…兄貴ってさ」


「ん?」


 オレは口から出そうになる言葉を飲み込んだ。


「奏希にも大きくなったらこんな感じにするのか?」


「奏希は男だからな〜。でも絵里香に似て美形なら考えなくもない」


「だから、そういう事を言うから愛華なまかちゃんに引かれるんだからね〜里夢さとむくん」


 呆れた顔をするオレの気持ちを一番よくわかっているのは義姉さんかも知れないと思った。


 家の事を済ませて仕事に出掛ける兄貴を見送り、オレも学校へ向かう。


 周りには同じ制服を着た女子や、こっちをチラチラ見ている男子もいる。


「まーなーか! おはよう」


 後ろからへばりついてくる腕からスルリと抜け出し、振り向いた。


たつ、おまえもうざい」


「そんなイケズな愛華も好きだぜ〜」


「…はぁ…」


 ため息をつくしかなかった。


 こいつは神谷竜也みたにたつや。高校の入学式で声をかけられ、それから毎日のように口説いてくる変わったやつだ。


 オレのこの口調もなんのその。


 冷たい態度を取ろうが全く気にしないらしい。


 竜を無視して校門をくぐれば、これも毎回のようにやってくる部活の勧誘にうんざりになった。


「秋田さん、是非陸上部にっ」


「いや、うちの水泳部に!」


「何言ってるの、我がバレー部に決まってるわ!」


 そんな言い合いを無視して、下駄箱を開け上履きを取る。


「相変わらずすごい人気だな〜。愛華はどうして部活入らないんだ?」


「興味ないから」


 本当は家事をしなきゃいけないし遊んでいる暇は無いと思っているが、それを理由にはしたくなかった。


 部活をやる事に兄貴は反対していなかったからだ。それでも部活をしないと決めたのはオレ自身。


 中学までは水泳に陸上を掛け持ちでやってそれなりの成績も残した。


 それで満足したのだ。


 後は早く自立出来るように、兄貴に迷惑かけないようにするのが今の目標なんだ。


「興味無いって…確か中学で中学部門の女子マラソン、優勝してたよな」


「だからもう興味無いんだ」


「その記録抜かれるかもしれないんだぜ?」


「是非抜いて欲しいね。それに今抜かれなくてもいずれは抜かれる事だし」


 ため息をついたところで、突然耳鳴りがする。

 立ち止まって耳の上を押さえて目を閉じた。


 オレの異変に気付いた竜が、声をかけてくる。


「だい、じょうぶ。…少し耳鳴りがするだけ…だ」


 一歩足を前に出した所で、カクンと膝が折れる。


 何だ…? クラクラする…。


 強烈な眩暈に襲われて、そのまま視界が真っ暗になった。

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