第19話

「全く、どうなることかと。ヒヤヒヤさせられました。」

沖崎は、眼鏡を外して目頭を押さえた。

「俺もです。」

「いやあ、氷川さんも中々人がおワルい。」

正一郎と沖崎は互いに肩を叩き合い、大声で笑った。

「私は、長い間医療の現場に居りますが、こんな奇跡は初めてです。」

改めて、正一郎に向き直り真摯に言う沖崎に、

「先生の、今日までのご尽力があってこその奇跡です。本当に、心から感謝します。」

そう言って、正一郎は「ありがとうございます。」と、沖崎の手を固く握りしめ、何度も何度も沖崎に頭を下げた。


***


 聖名が目を覚ました代わりに、今度は晴三郎がぶっ倒れてしまった。

窓架などは、

「ホント、いい加減にして欲しい。兄ちゃんもお父さんもマジで手がかかる。」

とボヤいていた。

結局、晴三郎は薬が効きすぎて起き上がれなかったので、そのまま聖名の病室に泊まることになった。折りたたみ式のベッドを入れてもらい、入院扱いではなく、あくまでも「付き添い」ってことにしてもらった。

この場合、付き添っているのは聖名ということになるのだろうか。

窓架に言わせれば「あにゅい」だそうだ。


晴三郎の車は有馬が運転して帰ることになった。

正一郎と激しくぶつかった襟人は、当然有馬の運転する車に乗ると思われたが、なぜか進んで正一郎の方に乗車した。


窓架は有馬の隣に座って、シートベルトを締めた。

「寝ちゃってもいいぞ。」

いつになく有馬が気を使うので、逆に気になって眠くならない。窓架はボケっと流れる景色を眺めていた。


(MDOさんに報告・・・しなきゃな。)

ロザリオの話を彼女に持ちかけなかったら、聖名の夢は夢のままだった。そのせいで、理紀と早和はあんなケンカになって、早和を追い詰める結果になった。結局、聖名の思惑通り(?)に事が進んだかのように思える。

やっぱり俺たちはエンカクソウサされていたってことなのかな。

そんなことを考えながら、窓架はチラリと有馬の横顔を見た。

失踪した早和を見つけたのはこの男だ。それはMDOの予想と同じだった。自分には早和が、どんな気持ちでいたかなんて分からなかったのに。

有ちゃんはいつから分かっていたの?

「お前って、エライよな。」

有馬に話しかけようとしていたのに、先を越された窓架は少し怯んだ。

「なに、急に。」

「いやあ、お前寂しかったんじゃないかって。」

窓架は顔を正面に戻してシートに頭をうずめた。

「俺が泣いたら、お父さんが泣けないじゃん。まぁ結局、どうしたって泣かなかったんだろうけどさ…。」

これは本音だった。

「お前カッコイイなー。フツー末っ子は、お父さんはお兄ちゃんばっかりってなるとこだろ。」

有馬は心から感心したように嘆息した。

「違うよ。お母さんが死んだとき、俺も兄ちゃんも、お母さんばっかりだったもん。お父さんがいるのに、頭ん中お母さんばっかりだったもん。」

それでも父は、自分たちのことばかり考えてくれた。

自分だって悲しいのに。

「だから分かるんだ、別にお父さんが、俺より兄ちゃんが大事とか、そんなんじゃないってことは。」

窓架がそう言うと、有ちゃんは少し黙った。

「俺が言いたいこと伝わった?」

「まいった。お前って、強いんだな。」

有馬が、そんなこと言うなんて。襟人がいたらどう思うだろう。

「・・・強いよ。多分、兄ちゃんより、お父さんより。俺、自覚あるんだ、そこらへん。」

窓架が腕を伸ばして、そういって見せると

「恐ろしい子!」

と、有馬はいつもの調子でニヤッと歯を見せた。

「俺も、襟人みたく背伸びしたことあったなあ。早く大人にならなきゃって。」

「へええ、意外。でも、えりりんのアレは、背伸びってだけじゃない気がするケド・・・。」

「何だよ、ソレ?」

「まあ、いいじゃん。で、有ちゃんはいつ背伸びしたのさ?」

「母ちゃんが死んだとき。」

あ。

そうだよね、そうだった。

有ちゃんは長男なのだ。

俺がふわふわぽよぽよしていた時には、もうとっくにオトナだったのだ。

あーあ、やっぱり敵わない。この差は縮まらない。

くやしいなあ。有ちゃんに追いつくにはどうしたらいいのかなあ。

早く大人になるしかないのかなあ。


***


「グルだろ、あんたたち。」

開口一番、後部座席の襟人は、正一郎と助手席の和二郎の頚動脈に、ヒヤリと冷たい言葉を押し当てた。

和二郎は眼鏡の奥から、横目で運転席の長兄の様子を窺がう。火をつけない煙草を噛みながら、正一郎はこれ以上ないほど面倒くさそうな顔をした。

「襟君?何言って・・・」

「和二郎さん、どうせあなたは父に言われた通りしただけなんでしょう。」

「んー・・・まあ。」

「大体、いつからなんです?沖崎先生は承知してらしたんですか?」

「いやぁ~俺からは何とも。」

「和二郎さんは?いつから?まさか最初から!?」

「いや、この人何か企んでんな~くらいだよ?後はまあ、テキトーに調子合わせて・・・」

「腹黒兄弟。」

返す言葉が見つからないので、和二郎は黙ることにした。実際、今回自分の出る幕はあまり無かったわけだし。

「全く、方向転換するなら、事前に打ち合わせしてもらわないと。」

「バッカ、それじゃサプライズになんないだろが。」

「僕たちにまで、サプライズ仕掛ける必要はないだろ!」

「敵を欺くには先ず味方からって、基本じゃねえか。」

「よくもそんな使い古された方法を・・・《聖名を》、驚かせるって話だったじゃないか!」

「結果オーライだったんだからいいだろう。大体お前らに芝居なんかできねえだろ。」

「オーライ?晴三郎さんをあんなにしておいて、オーライ!?」

「まあまあ・・・」

シートベルトを限界にまで伸ばして乗り出す襟人を、和二郎は必死に宥める。さすがに運転手に手を挙げては自分の命も危ないと気づいたのか、渋々シートにもたれ腕を組んだ襟人は鼻息を荒くして言った。

「言っとくけど、僕は本気だから。」

正一郎は聞いているのかいないのか黙ったままだ。

「大学は辞めないにしても、本気でバイトして家にお金入れる。」

「ふーん。」

「反対しても、やるからね。」

「・・・別に反対はしねーよ。」

しねーの?

てっきり兄の性格なら「学生の分際で家計なんか気にしてんじゃねえ!」とか言うと思っていた和二郎は拍子抜けた。

「でも晴はやらねえぞ。」

「はあ!?」

何の話だ、いったい。

和二郎はそっと振り返って、襟人の様子を覗き見た。

さすが将来弁護士を目指すだけあって、どんな口撃にもうろたえず冷静だ。眉ひとつ動かさない。

ただ、物凄い眼光を放って正さんの後頭部をロックオンしていた。和二郎は関わりたくないので、寝たふりをすることにする。

あー、めんどくさい。

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