第11話

 正一郎らが、早和を休ませた和室へ急行すると、窓が開け放たれ、雨が吹き込んでいた。

 布団の枕元に残された吸入器を拾い上げ、和二郎は青ざめた顔で言う。

「あいつ、発作起こしたばかりなのに・・・!」

 二階から騒ぎを聞きつけて、襟人と窓架も下りてきた。

「俺が追い詰めたから・・・。」

 頭を抱えてしゃがみこんだ理紀の肩をそっと襟人が支え、落ち着いた声で言う。

「とにかく、早和が行きそうなところを探そう。雨に打たれたら、また倒れちゃうかもしれない。」

 そう言って、布団に手を滑り込ませ探った。

「まだ暖かい。そう遠くへは行けないよ。」

 その言葉に、皆直ぐに動き出す。襟人は、二階のクローゼットから大きなビニール製のバッグを引っ張り出し、いろいろ詰め込み始める。晴三郎は仕舞い込んでいたレインコートや懐中電灯を用意した。正一郎と和二郎は、早くも長靴を履いて、早和が行きそうな場所の目処をたてている。

 その様子を見ていた有馬が、いつから話を聞いていたのか、

「俺、ちょっと行ってくるから。見つけたら、襟人の携帯に連絡入れる。」

「えっえっ、ちょっと有?探すって、何処・・・!」

 呼び止めるのも聞かず、玄関ドアはバタンと閉まった。

「全くあいつは!」

 襟人がレインコートを羽織ってバックを背負い、有馬の後を追おうとすると、正一郎が静止した。

「お前は窓架と家で待機。」

 と正一郎は車のキーを渡して、

「有馬から連絡あったら、使え。俺たちへの連絡は、家の電話から窓架にさせろ。」

「・・・はい。」

 襟人が脱いだレインコートを、正一郎は理紀の胸に叩きつけた。

「しっかりしろ!誰もお前のせいだって言ってない。探すか、残るか、決めろ。」

「探す。」

 理紀は即答して顔を上げ、レインコートを掴み取った。

「よし、俺と一緒に来い。和二郎と晴三郎は駅の方、俺と理紀は裏の方から回る。」

「寝間着に裸足で、傘も差してないんでしょ。かなり目立つよね。」

「通行人にも当たって情報収集してくれ。」

「深夜だし、ここら辺は駅に出る道だって人気は無いよ。」

「まだ、開いてるコンビニとかあるだろ。」


 ***


 残された襟人は、腕を組んで溜め息を吐いた。用意した荷物を降ろして、そのまま玄関に腰を下ろす。窓架も隣に膝を抱えて座り、同じように溜め息を吐いた。

「早和にも困ったもんだな。」

「うん・・・。でも一番困ったもんは兄ちゃんだよ。」

 二人は、今日この玄関先で起こった大喧嘩のことを思い出していた。お互い気恥ずかしくて話す気になれない。だが、襟人の空気を読む能力は、ここでも遺憾なく発揮される。

「浴衣な、僕も今日知ったんだ。」

「あれ、二年前皆で採寸しに行ったやつだよね。」

「そうだよ。やっぱり窓架は覚えてるんだな。有なんて全然だよ。」

 気恥ずかしい空気は紛れたが、襟人は目を閉じて切なそうに首を傾ける。

 晴三郎が、聖名との約束を守るため、コツコツ自分で縫っていたこと。仕上げは知人の職人に頼み、今日がその出来上がり期日だったこと。氷川丸の前のバラ園で、そっと教えられたこと。それを二人で、秘密で取りに行ったこと。ポツリ、ポツリ、話す襟人の声が心地よくて、窓架はついウトウトしそうになった。

「さわちゃん、早く見つかるといいねえ。」

「そうだな。」

 二人はまた黙って、玄関先でしばらく雨の音を聞いていた。


『また何か起こったらここに連絡してね。』

 唐突に、昼間聞いたキャラクターボイスが、窓架の耳に蘇った。

 窓架はスマートフォンを取り出して、MDOのURLをまじまじと見つめた。タップしたが最後、高額な金額を要求されたり、アダルトサイトにアクセスしてしまったり(それはちょっと興味ある)しないだろうか。液晶画面の上に、またも小さな晴三郎が現れて、窓架の人差し指を懸命に押し戻している。

「おとーさん、ゴメンナサイっ。」窓架の人差指は、晴三郎をプチっとつぶしてURLをタップした。


『ようこそ Machida Ditective Offece へ』


「えりりん・・・ゴメン、ちょっとトイレ。」

 窓架は難しい顔で画面を凝視したまま、フラリと立ち上がった。

 トイレのドアを背に、尚も食い入るように見つめ続ける。

 画面はオフィスの一室で、中央にテーブルとソファ、奥と手前にドアが一つずつ。ホンモノをそのままミニサイズにしたみたいなアニメーションで、少し待つと奥のドアから、ゴシックなベビードールに身を包み、枕を抱えたMDOのアバターが入室してきた。至極機嫌の悪そうな顔をしている。


『おこだよ!』


 アバターから吹き出しが飛び出してが言う。音声は無い。窓架は自分側にある吹き出しの中に文字を打っていった。どうやらこれでチャットができるらしい。


「こんばんわ。みどりです。」

『営業時間外ナンダケド。』

「えー知らないし・・・ごめんなさい。」

『チッ。』

 アバターに舌打ちされた窓架はちょっとブルーになった。

「ええと・・・さわちゃんが、ロザリオもってて、それで・・・家出した。」

『はあ?意味不。何で?』

「どこに行ったかわかる?」

『何その無茶振り!』

「りっくんと、ええと・・・早和ちゃんが、お兄さんとロザリオのことで大喧嘩して、夜中飛び出した?みたいな。」

『何それ、単なるガキのかまってちゃんじゃねーの?』

「そんな。そうかもしれないけど、喘息の発作起こしたばっかりなのに、雨の中傘もささないで、裸足でだよ?」

『はぁ?そいつ頭オカシーんじゃね?』

「そうなんだよ!ヤバいんだよ!だから連絡したんじゃん!」

『逆ギレかよ!』

「だってっ・・・!早和ちゃん、そんな自己アピールするタイプじゃないし。」

『内向的な奴のパターンっつったら、①自暴自棄➡自己嫌悪➡自虐。②自己犠牲➡自己満足➡自滅。の、どっちかだろ。』

「自虐か自滅!?ヤバいよ、それ!」


 その時玄関から、襟人の携帯の着信音が聞こえた。

「はいっ・・・えっ、おいッ!有?有!?~って、だから切んなよ!」

 慌てて窓架がトイレのドアをあけると、襟人が玄関から大きな声で呼び掛けてくる。

「窓架!有が今、早和らしい人影を見つけて後を追ってるらしい。全く、一方的に切りやがって、その後出やしない。」

「ど、どこ?」

 急いで廊下を駆け戻ってきた窓架が、襟人の背中に尋ねると、

「早和の通ってた中学校だ。・・・いや、事故現場か。」

「!」

 襟人は車のキーを握りしめ、

「窓架は、直ぐに正さんと晴さんに連絡して。僕、行ってくる。」

 玄関ドアを開けると、雨脚はますます強く、生暖かい強風が吹きこんでくる。襟人は用意しておいたスポーツバッグと懐中電灯を持って出て行った。

 遠ざかる車のエンジン音は、雨風の音で瞬く間にかき消された。家の中にポツンと立ち尽くした窓架が、スマートフォンの中のチャットルームを見るとMDOの姿は無く、

『本人が一番行きたくないところ探してみ。』

 と、吹き出しだけが残っていた。





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