第2話
改札前で手を振って、皆の姿がエスカレーターに吸い込まれて行ってしまうと急に静かになった。窓架はひとつ深呼吸して、気持ちを切り替える。
ここからは俺のターン。
バックポケットから愛機を取り出し、自分の頭の色と同じ、漫画の吹き出しの形のアイコンをタップした。
某大手コーヒーチェーンの登録商標によく似たプロフィール画像から、やたら長く続く会話を読み返していると、ちょっと不安になってくる。
どういう訳か、窓架は正体の分からない「MDO」と名乗る人物(?)とリアルで会う約束をしてしまった。SNSでの単なるやり取り、そんな
しかし。
窓架は実際に自分の目で見たもの以外は信用しない
それでも、やはり少し怖かったので、山下公園で和二郎に相談して、一緒に残ってもらう約束をした。和二郎が用足しに行っている間に、窓架は深呼吸を繰り返した。
「おう、お待たせ。君は見つけ易くていいな。待ち合わせ、16時だっけか。」
「16時。抹茶クリームフラペチーノV・・・ぶい?」
「ヴェンティ、じゃないか?一番デカイやつ。それが目印か?」
「うん。あと10分だよ、急ごう。」
帰宅する人たちが増えて来る時間帯、二人は人の流れに逆らうように地下道を抜けて、セイレーンのマークを目指して元町へ入った。
窓架と和二郎は、約束の時間に少し遅れて到着した。
石畳の道に広い出入り口を構えた、大手コーヒーショップの元町店の、グリーンのセイレーンが微笑むテラス席には、ボルゾイとシェパードを連れた散歩の途中、優雅にお茶をしている欧米人のカップルが、隙のないセレブリティなオーラを発している。窓架が自分より大きい頭の、賢そうな犬の横顔に見とれていると、和二郎の携帯の着信音がなった。
「お、すまん。」
入り口を目の前にして、和次郎のプライベート携帯には仕事柄、休日にも仕事の連絡が入る。何事にも面倒くさがりな和二郎は、未だに契約変更を行っておらず旧機種のガラケーを開いた。
「えっ、早和が?」
不意に声が大きくなる。仕事の連絡じゃなさそうだと、窓架がじっと見つめると、和二郎は拝むような仕草で手の平を立てた。
「そうかー。ごめんなあ、有くん。・・・うん、うん、わかった。すぐ行くから、ありがとう。仕事がんばれよ。」
携帯を切ると、叔父は鼻から深く息を吐いた。怒っているような表情の、眼鏡の奥の目は悲しそうな色をしていた。正一郎もよく同じ目をする、大人はよく難しい顔をするものだと窓架は思った。
和二郎は表情を切り替えて、窓架に向き直って言った。
「窓くんごめん。ここまで来て申し訳ないんだが、俺戻るわ。」
「聞こえた。さわっち、なんかあった?」
「電車の中で倒れたって。」
「マジ?」
和二郎は頷くと、
「有くんが介抱してくれてる。駅長室で休ませてもらってんだと。有くんこれから仕事戻らなきゃだから、俺が迎えに行ってそのまま帰るわ。」
と頭をかいた。
「うんわかった。倒れたって、どうしたの?」
聞くと、和二郎は嘔吐のジェスチャーをして眉根を寄せた。
「エビチリにあたった、とか?」
「いやあ、あたったんなら今頃俺たちもタイヘンだよ。」
窓架は苦笑で答える。
「まあ、あいつのは今に始まったことじゃない・・・とにかく、ごめんな。」
和二郎は携帯を握りしめて、頭を下げた。
「いいよ。でも俺は、抹茶フラペチーノに会っていく。」
そう迷いなく答える窓架に、和次郎の眼鏡の奥の目に迷いが浮かぶ。
「そうか・・・窓くん独りにしたら晴にどやされそうだな。」
「でも、わじさんも気になるでしょ?兄ちゃんの夢。俺は気になる。」
「その、フラペチノッペがどれだけ信用できる人間か確かめてやろうと思ったんだけどな・・・危ない奴ならすぐ帰れよ?」
「うん。俺、人を見る目はあるよ。」
自信を持って答える末の甥っ子は頼もしく見える。和二郎は連れて帰るべきか迷ったが、そっと目を閉じて、やがて”しょうがない”と言う様子で頷いた。
「一時間な。一時間したら俺から連絡する。それで君の無事を確認するから。もし繋がらなかったり、様子がおかしかったりしたら、その時は晴に連絡するぞ。いいね?」
「わかった。」
自分はまだ中学生だから、大人が心配するのは当然だと思う。だからと言って有無を言わさず帰れだとか、父親に連絡したりしないところが、この叔父の好ましいところだ。窓架が和二郎に相談したのは、そういう理由からだった。
親戚のうちで一番最後に生まれた窓架は、まるでシロップ追加のキャラメルマキアートのように甘やかされてきた。母親が亡くなって、遺族皆で一緒に暮らし始めてからの末っ子の扱いは、更にホイップ増量で甘々だった。彼らは自分を可愛がることで、癒されていたのかもしれない。
当時、窓架はまだ十歳にもなってなかったから、母に会えないことが悲しくて泣くだけだった。今思えば、末っ子があんなに泣いたら、上の子たちは泣き辛かったんじゃないかと思う。長男の有馬でさえまだ学生だった。みんな泣かないわけがない。あの時、気の済むまで泣かせてくれたんだから、俺を甘やかすみんなの気持ちを汲むことぐらい何でもない。むしろそおゆうのは末っ子の役目なんだと思う。ペットセラピーとでも言うべきか。
「わじさん、俺よりさわっちが心配だよ。すぐ行ってあげて。」
「ありがとう。君は心配しなくていいよ。」
和二郎はそう言いながら、窓架の頭に手を置いて、来た道を帰っていった。後姿は次第に早足になり、最後の方は駆け出していた。息子が心配で堪らないのだろう。
(さて。)
窓架も、くるりと叔父に背を向けて、両の拳を振りながら、いざ店内へ入っていった。自分の中にさっきまでの不安を押しのけ、好奇心がむくむくと膨れていく感覚が堪らなくて震えた。これがムシャブルイか。
ひんやりとした店内は別世界のようで、窓架はしばしその涼感に酔いしれた。汗が引いたので、店内を見渡す。
若いカップルや、PCを開いて作業している人、女性ばかりのグループはおしゃべりに夢中だ。窓架は目印の最大サイズの抹茶クリームフラペチーノを探した。
やがて、窓架はひときわ異彩を放つ物体に目を奪われてしまった。右手奥のソファ席に、この暑さの中、黒い長袖のゴシック調な衣装に身を包み、黒いマスクを身に着けた、全身真っ黒い人間が鎮座していた。
そしてテーブルには不運にも、巨大な抹茶クリームフラペチーノが据え置かれ、黒と緑のハイライトが強烈に映えていた。
モダンな店内からコーナーを切り取ったようなその空間は、コンテンポラリーアートのパフォーマンスといっても過言ではない異様さを醸している。
窓架は人を見る目とともに、引き際も心得ていた。あの黒いものに存在を気取られる前に退散しなくてはヤバい、そう咄嗟に180度回転し、入り口へ引き返そうとした矢先、
「みどりくん!?」
アニメのキャラクターみたいな舌足らずな声に、店内の視線が音を立てて押し寄せる。確かに自分の特徴として髪の色を伝えてはいた。いたが、彼は初めて髪を染めたことを激しく後悔した。
腹をくくって、顔面に再構築したセイレーンの様な笑顔で振り返る。
「こんにちは。えむ、でぃ、おー、さんですか?」
「そう言う君は《マッド・グリーン》。」
彼女は、窓架の頭を指差して言った。昭和の漫画に出てくるお姫様の様な黒髪縦ロールのツインテール。頭に乗せた小さなシルクハットから広がるレースのプリーツで顔の上半分が隠れている。大きく膨らんだスカート、編タイツと底の厚い編み上げブーツを履いている。。窓架、14歳にして初めてのゴスロリとの邂逅であった。
「随分、若いのね。」
いったい何処から声を出しているのか、どんな声帯しているのであろうか。ダックボイスかなんか吸ってんのか。もっとヤバいもん吸ってんのか。
「ハイ、一応中学二年生デス。」
「義務教育!」
「ハア。」
「・・・なんかあったら、こっちが不利だな。」
「ハア?」
騒がしい店内から切り取られた
「みどりくんって、呼んでもいい?」
「え、あ、ハイ。」
「それで早速だけど、その同じ夢を見るんだって話、詳しく聞かせてくれない?」
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