第1話   アヴアイロスの召喚術師

青年――キール・ダンタリオンは考える。これはどうしたものかと。


 耳が隠れる程無造作に伸びた黒髪を指先でこねくり回しながら、その同じく黒い双眸でその手に持つ紙を見つけていた。


 一室。白を基調とした清潔感に溢れる部屋で、微かに開けた窓からは涼し気な風が入り込み薄黄色の薄いカーテンを揺らしている。


 部屋にはキチンと整頓された書類が収められている棚。ベッドメイクがされた白一色のベッド。部屋の隅に白いドアが一つ。もう一つ外に続くドアも別の壁に存在した。少年が座っている椅子には小さな背もたれがついていて、青年の背中を支えている。


 青年は嘆息し、紙を目の前の机に投げ置いた。机の上には小さなペン立てが置いており、十本あるペンの中から少年は一本抜き取る。


 青年が着ている白衣が揺れる。所々汚れているのが、清潔感溢れる部屋とは真逆に見えた。


 右手に持ったペンで紙に何かを書き込む。患者のカルテである紙には、不可。と書かれていた。


(原因不明の難病、ね。確かに一般的に見ればそうだろうな。俺に治せないことはないが、残念ながら素材が足りん。取りに行くのも面倒だし諦めてもらうとしよう)


 青年は胸中で独りごちる。そのカルテには、お下げ髪の少女の写真が貼り付けてある。名前はよくある名前ではあるが、年端もいかない少女にぴったりの明るそうな名前であった。


 余命は数ヶ月とない。そう彼は判断する。むしろそうだからこそ、彼は自分を頼ってきたのだと思っていた。


「せんせー。棚の整理終わりましたけどー」


 部屋の一角にある白いドアが開き、中から少年が出てくる。キールの黒ずんだような髪とは異なり、キラキラと光るような金髪。柔らかめなその髪は三つ編みにしており、肩より下まで続いていた。


 少しだけ開いたドアからまだ汚れもついていない小さめの白衣を覗かせ、彼はその少女の様な童顔をキールに見せる。白衣の下は青いパーカーと半ズボン。その下からは元気そうな足が姿を現していた。


「クリス。ありがとう。お茶を淹れてくれないか」


 幼い顔つきだが歳は十五ほどだったか。十八になるキールとは少し差がある程度だが、少年は彼の指示に文句の一つもなく頷いて元居た部屋へ戻り茶を淹れ始める。


 ドアの先は狭いながらも就寝用のベッドや資料、台所などが所狭しと設置されている。最近、手狭になってきたとキールはぼやいていた。


「また難病患者さんですか? ……救ってあげないんですか?」


 ドアが少し開いている。その隙間から、向こうで茶を淹れている少年の声が聞こえた。彼の言いたいことはキールも分かる。救ってあげたい。当然であろう。


 年端もいかない少女だ。まだまだ遊びたい盛りで、これから恋もして子も産むことだろう。それがこの若さで余命数ヶ月。本人はどれほどの絶望に苛まれていることか、キールは想像に難くない。


 しかし、キールの心の中では冷たい気持ちが流れている。彼がこの仕事・・・・をしているのは人の命を救うためではないからだ。彼にとって、患者の感情など値段交渉の為の情報にしかすぎない。


(モグリの医者なんてやってりゃ、こんな患者は巨万といる。大体の人間は素材や金を大盤振る舞いしてくれるが、彼女の家は貧乏だからな。無理だろう)


 彼の胸中で呟かれた言葉を、冷たい。と言えば彼はそうだが。と答えるだろう。彼は過去の経験から人の命には無関心な所があった。それは助手であるクリスも知る所で、助手の頭を悩ませる種でもある。


「どうぞ、お茶です」


 コト、と机の上に熱い茶が入った器が置かれる。緑と茶色が混ぜ合わさったような茶碗はキールのお気に入りだった。クリスにはジジくさいなどと言われたりもしたが。


 一言礼を返すとキールは茶をすする。それと横目に、クリスは患者のカルテを確認していた。それを見て察したのか、それなりに助手を長く勤めていた彼は目を伏せる。キールが動くと思える案件ではないと思ったのだろう。


「そういうことだ。俺は免許のない医者だが慈善者じゃあない。見返りがないと治療はしない。そういう男だ」


「じゃあ、僕が払います! 素材も取ってきます! 今日中に!」


「――無理だろ」


 その言葉にキールは呆れる。こういった事情の患者の時は大体そうだった。クリスの優しい性格は美点ではあるが、時として突っ走ってしまうのが瑕だった。


 払うと言っても彼には貯蓄はないし、素材を取りに行くのも、大陸の南東に位置するこの町――アフディ市から遠く離れた中央のヘルメェス市まで行かなければならない。片道何週間もかかる遠出だ。今日中なんて無理だし、そんな危ないことはさせられなかった。


 クリスは頬を膨らませ自分の白衣を両手で力強く掴む。昔からの、子供ながらの悪い癖ではあるが、これは大体諦める時に見せることが多かった。


「悪いが諦めろ。どう考えてもこの少女は――」


「キールいるか! 急いでこの娘を見てくれ!」


 キールがクリスを説得しようとしていた所に、外へと続くドアが勢いよく開け放たれる。築ウン十年を誇るこの集合住宅のドアは立て付けが悪く、勢いよく開けられたために蝶番がキィッと悲鳴を上げた。


「おい、近所迷惑だろう。もう少し静かにしろ」


 集合住宅、アパートの一室。角部屋なのは良いが安い料金で借りられるため周りの治安は良いとは言えない。その一室の主は、急いで入ってきた一人の男を見て顔色を変えた。


 変えたのはその男が筋肉質だったからでも、作業の途中で飛び出してきたであろう汚れた汗臭いタンクトップのまま部屋に入ってきたからでもない。その小脇には、一人の少女が抱えられていた。


「おい、誘拐か? アジトにするなら別の所に――」


「冗談言ってる場合じゃねぇんだってキール! この子突然空から降ってきたんだ!」


「空から女の子が――!?」


 そう珍しく叫んだクリスは少女へ駆け寄る。白い布を服と言われ着させられているような少女はそれだけで、下着も履いていなかった。


「俺らの目の前に落ちてきて地面に激突してよぉ。でも傷も何もねぇだろ? 怖かったけど近づいたら、起きなくてよぉ」


 男はあたふたと状況を説明してくれる。その説明を聞きながらクリスと男で少女をベッドまで運ぶ。キールは立ち上がってベッドの傍まで寄ると、彼女の身体を観察した。


 傷は確かに少ない。空から落下してきたと言うには骨折もなく、切り傷もない。多少の打撲と痣があるだけだ。白く見えるセミロングほどの髪も土埃が多少付着しているだけで血は出ていないのが分かる。


 しかしそれにしては服はボロボロで、人間が着る物とは思えない。面倒な事情があるのかもしれないとキールは警戒した。恐らくここで起こしても金は持っていないだろうし、彼には得がない。


 だが、この運んできた男。コイツはこの町で数少ない顔見知りだった。この男に借りを作っておくのは今後役立つだろうとキールは考えた。


「クリス。隣からオーダル石を」


「――! はい!」


 彼から指名を受けた助手はこの上なく嬉しそうな表情で先ほどまで整理していた部屋に入る。棚から磨いたばかりの、親指ほどの大きさを持つ石を手に取ると、ベッドまで戻りキールへ渡した。


 男は口を挟まない。彼の"召喚魔術"を知る者は、彼の集中を途切れさせてはいけないと知っている。


 この大陸――アヴアイロスでも数えるほどしか扱える者が存在しない召喚魔術。習得方法は秘匿とされており、これを扱える者は一流の人間とも言えた。


 辺境とも言えるヘルメェス市でモグリの医者を隠れながら営む青年――キールはその青白い石を右手に持ち胸に当てると、口早に詠唱した。


「ダンタリオンの名に於いて、我に汝の力、知恵を貸し与え給え。召喚オーダー! メディア――!」


 彼の胸に白い光が収束する。その光は石へ溜まり、力強く弾けた。石は形を変えずに、そこから漏れ出た光は人の形を映し出す。彼の隣に、フワフワと白い女性が浮いていた。


「お呼びか、召喚者マスター。そこな娘を起こせば良いのか?」


 ウェーブがかった淡い桃色の髪をなびかせて、女性は艶やかに問う。白い羽衣は宙に浮いているため止まることなく揺らめいていた。


 精霊。彼女はそう呼ばれている世界の意思の一つである。精霊とは大地に宿る、神々が遣わせたシモベ達であり、人々を助ける役目を担っている。


 その精霊を直接召喚し使役出来る魔術が召喚魔術。使う者によっては世界を滅ぼしかねない力であった。それをグレードダウンさせ、一般人にも使えるようにした霊石魔術と言うものが基本的には扱われている。


「そうだ。それとこの少女の正体だな。傷や外傷が少なすぎる。彼女は何者だ」


「――分からぬな。内臓も無事の様だ。運が良いのだな」


 少女の胸、腹に手を添え、精霊は半ばぶっきらぼうにそう答える。


「相変わらずテキトーだな。分からないなら本人から聞くしかないか。起こしてくれ」


「承知した」


 精霊――メディアが手に魔力を込める。少女の服の上から心臓の辺りに指を這わせる。少女が微かに喘いだ。魔力は指を伝い、少女の身体を包んでいく。それが白く見えるほど可視化されたのは大量の魔力が注がれているからだ。


 これがキールが医者を営む理由の一つ。精霊に依る治療行為。一般的な医療では治療出来ない病気でも、万物を司る精霊にならば治せないモノは少ない。


 尤も、稀にあるあの少女のような特殊な病状ではとある素材が無ければ治せないモノもある。だからこそ彼は法外な治療費を取るのだ。しかし大体の患者は彼を頼る他ない。


 精霊に依る治療行為など、少なくともこのアヴアイロス大陸での前例は知らない。そもそもが珍しい魔術なのだ。目にする機会がない人間がほとんどだろう。


 やがて光が収まると、精霊はキールへ向き直る。キールは一言礼を言うと、精霊は満足気に口角を上げて煙のように消えていった。


 キールの命令を果たすか、キールの体内に宿る魔力が切れると自動的に精霊は消える。消えると言っても元の場所へ戻るだけで再び呼び出すことは可能だが、その度多く魔力を消費するため、乱発は出来ない。


 実際、先ほどの精霊を呼ぶだけでもキールの額には珠の様な汗が滲んでいた。精霊の使役には魔力を使い、精霊が放つ魔術にも召喚者の魔力を使用する。


 強力な魔術ではあるが、使用する対価が大きすぎるためあまり使いたくないのがキールの本音だった。


「ん――ぅ」


 小さな声。少女の物だというのはこの場にいる三人全てが分かっていた。幼いその顔は瞼を開く。と、綺麗な琥珀色の双眸がキールの目と合った。少しタレ目で、眉も下がっている、自信なさげな遠慮しているような表情で、少女はかろうじて呟いた。


「ありがとう――ございます」


 と。

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暁のキール!~アヴアイロスの召喚術師~ @mataka

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