蜻蛉少女

伊集院田吾作

第1話

カーテンの隙間から朝日が差し込む

その眩さに僕は思わず目を細めた

窓の外ではセミが鳴いている

1週間しか生きられない、決められたその短い一生に抗っているようにも聞こえる


白いベッドに白い壁、白い天井

生活感の全くない真っ白な病室に僕はいた

何のことないただの骨折だ

サッカー部に入っている僕は高校でクラスメイトと遊んでいる時に階段から転落し腕の骨を折ってしまった

医師の話によると僕は3週間は入院しなければならないらしいこの調子ではこの夏の大会には間に合わないだろう

そして今日は最後の1週間の月曜日だ

来週の退院が待ち遠しい


ただ一つ気がかりなのは最初の2週間の記憶が無いのだ

いや、正確に言うとなにかぽっかり穴が空いたような感覚に見舞われるのだ

母はこれから部活真っ盛りの時に怪我をしたのでかなり絶望していたらしいのでそのせいだと言うがそうなのだろうか

確かに試合に間に合わないと分かった時には絶望もしたし、その時の記憶も曖昧だった

でも、本当にそれだけなのだろうか


そんな事を考えながら外を眺めてみると病院付近に住んでいるのだろうだろう、小さな子どもたちが無邪気に遊んでいる、この暑い中よくもまぁあんなに走り回れるものだ

いったい、なにが彼らをつき動かしているのだろう


病室に目を戻すとさっきまで閉まっていた向かいのベッドのカーテンが開いていたことに気が付いた

僕は思わず目を奪われた

そこに居たのは少女だったのだが

その少女の髪が真っ白だった

見たところ僕と同じ高校生くらいだろうか

白く美しく伸びた彼女の髪が窓から吹く風になびいた

その時に見えた彼女の目が印象的だった

憂いを含んで悲しみに満ち、どこか遠くを見ているような

何かを諦めているかのような、そんな目だった


「やぁ、僕は優人、今野優人(こんの ゆうと)

君は?」


聞こえてないのか、反応がない


「ねぇねぇ!」


すると彼女はベッドから降りこちらに向かって歩いてきた

僕は驚き思わずどきっとした

しかし、この後すぐにさらに驚くことになった

僕の隣まで歩いてきた彼女は

手を振りあげ僕にビンタしたのだ


「……え?」


痛い、と言うより驚きが勝って僕は理解出来ないでいた


「な、なんで叩いた?」


なんとか言葉を絞り出し彼女に尋ねた


「君って本当にしつこいのね」


彼女は少し笑ってそう言った

その笑顔はやはり悲しい目をしていたが

どこか嬉しそうに見えた


「…自分の胸に手を当てて考えてみて、思い出せるとは思えないけど」


少し間を開けて彼女は答えた

冷たく、なにかを訴えかけるような声だった


彼女の言葉を受け、考えてみたが心当たることがない

突然名前を聞いたのがそんなに嫌だったのだろうか


「今野さーん、体調はいかがですか?

なにか困ったことはありませんか?」


看護婦さんがやってきたので僕は考えるのを止め、看護婦さんの質問に答えていた


看護婦さんの質問が終わって彼女のベッドを見ると再びカーテンが閉められていた


特にやることもなかったのて僕は学校から出された課題に取り組んだ

課題が終わる頃には夜になっていた

彼女のベッドには依然としてカーテンが閉められていた

また明日にでも今日のことを聞いてみよう

そう決め、僕は眠りについた



次の日の朝僕はセミの鳴き声で目が覚めた


「うるさいなぁ」


じっとりと寝汗をかいていて気持ちが悪く、思わずそう口にしていた


「でも、短い命を一生懸命に生きててすごいじゃない、羨ましいわ」


僕は驚いた、まさか彼女の方から話しかけてくるなんて


「君は…」


なぜ入院しているんだい?

そう聞きそうになったがやめておいた

見たところ大きな怪我をしている様子はなかったのでなんらかの病気なのだろう

それを聞いてしまったら辛い思いをさせるかもしれない


「確かに、1週間で死んでしまうのはかわいそうだな」


僕は答えた


「本当に可愛そうなのは死んだ方じゃなくて死なれた周りの方だと思うよ、私はね。」


彼女は言った


「死なれた、方?」


よく意味がわからず聞き返した


「例えばね、貴方が今ここで突然死んだとする。そうすると貴方は何も苦しくない、だって死んでるんだもの。けど、貴方の親や友達達は?きっと悲しみ苦しむでしょう?そういうこと」


「なるほど」


確かにそういう風に考えれば残された方が辛いのかもしれない

存外死ぬこと自体は苦しくないのかもしれない

僕は納得して返す言葉がなかったのだが彼女はけどね、と続けた


「さっき死んだ方は苦しくないって言ったけどもっと言えば死んだらその事をみんなに覚えててもらえる、これって苦しいどころか素晴らしい事だと思うの、だって“生きていた”って事だから

1番辛いのは忘れられること、生も死もない“生きていた”という事すら忘れられてしまう私はそれが何よりも悲しい」


それだけ言って彼女はまたカーテンを閉めた


とても高校生から発せられる言葉とは思えない事を言われ僕はさらに言葉に詰まり、彼女の言葉を反復していた


「忘れられること、か」


ーーー忘れないでねーーー


その時、ふと脳裏にこの言葉がよぎった

しかしそれ以上何も思い出せない

いったい何を忘れてはいけなかったのか、そもそもこれは誰に言われた事なのだろうか…

忘れてしまっているが僕にとってこれが大切な事である、なんとなくそんな気がしてしょうがない




窓から射す朝日に目が眩み目が覚めた

どうやら昨日は思い出そうと記憶をたどってそのまま寝てしまっていたようだ

彼女もちょうど目を覚ましたらしく

まだ眠そうな目を擦りながらおはよう、と声をかけてきた


「やぁ、おはよう。所で聞いて欲しいんだが

あの後僕は大切な何かを忘れてしまっている事を思い出したんだそれがなんだかわからないかい?」


すると彼女は驚いた表情を見せたがすぐにいつもの顔に戻った


「忘れていることを思い出したって変な言葉だね」


確かに、言われてみればおかしな言葉だ


それはいいとして、と彼女は続けた


「そもそもその事を私が分かると思う?」


それもそうだ、出会ってまもない彼女に聞くのはそもそもがおかしな話だ

だが何故か僕は彼女に聞くべきだと思ったのだ


「確かにそうだね、出会って3日しか経ってない君に聞くのはおかしいね」


僕は照れくさくて笑いながらそう答えた

すると彼女は

そうでしょ?

と笑った、僕にはその笑顔がいつもより悲しそうに見えた

結局僕はその日思い出すことが出来ず1日を終えた

その夜に僕は夢を見た

僕の知っている人が皆僕を忘れてしまった

友人だけでなく、親までも

その中には何故か僕もいた




次の日の朝、僕は彼女に夢の事を話した


「昨夜、僕は夢を見たんだ

皆が僕の事を忘れてしまっていたんだ

前に君の言っていた忘れられることが辛いって事を実感したよ

でも、その夢で一つだけおかしな事があるんだ」


「おかしなこと?」


彼女はいつもよりも食いついて来た


「あぁ、僕を忘れてしまった人の中に何故か僕までいたんだ

あれは一体誰の目線だったのだろうか」


うーん、と彼女は考える素振りを見せてから答えた


「よく分からないけど変な夢ね」


それで、と続けた


「前に言ってた思い出せないことは思い出したの?」


「それが全く思い出せないんだ」


「そう、早く思い出してね

待ってるわよ」


「あぁ、出来るだけ頑張るよ」


なぜ気にするのか気になったが彼女の事だ

ただの気まぐれだろう


「…てるから」


「ん?なにか言ったかい?」


「いいえ、何も言ってないわ」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

忘れないさ!約束する!


ど……わす…ちゃう…せに


ん?何か言ったかい?


いいえ、何も言ってないわ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


その時、僕はふと思い出した

この会話をした事があるのだ

でも、僕が?彼女と?

僕は彼女に会ったことがあるのだろうか

だとして僕はなにを忘れない約束をしたのだろうか




翌朝、僕は思い出した事を彼女に伝えようと思ったがどうやら彼女はいないようだし伝えたところで気味の悪いやつだと思われるだけだと思って止めておいた


そして今わかっていることをまとめておこうとなにか書くものがないか探した

現段階で分かっているのは


僕は大切ななにかを忘れてしまっている

そして、それを忘れない、と彼女と約束していた

僕は以前に彼女と出会っていた?


頭の中で整理しながら探していると引き出しの中にノートを見つけた

病院の備品だと思ったが表紙に書いてある文字は紛れもない僕の字だ

だがこんなノートに見覚えはないしここにしまった覚えもない

不思議に思いながら中を見てみるとそこには日記のような物が書いてあった

日付を見るとつい先週のようだが当然書いた記憶などない


僕はすぐにこれが僕の入院した最初の2週間の、そして僕が忘れてしまった大切な事の記憶に結びつくものだと理解した


僕はこれを読んで目を疑った

そこに書いてあったのは


僕は彼女と2週間前に出会っていてある程度親しくなっていたということ


先週、彼女と過ごした楽しかった日々

そして、些細なことを話し合ったこと



そして、彼女と関わった人は1週間で彼女に関する記憶を失ってしまうこと



「そうか、そういう事だったんだ」


僕は入院してからの2週間の記憶が抜け落ちていた事を思い出した

彼女の事を忘れてしまっていたのだ


そこには2週間目の僕、つまり先週の“僕”が彼女と交わした約束が書かれていた



僕は彼女の事を絶対に忘れないこと


もしも忘れてしまって、再び名を聞くような事があったら僕を叩いてもよいとすること


たった2つの、これだけの約束だったのだがそこに全てを悟った

僕が初め彼女に名前を聞いた時叩かれた理由も

出会って少ししか経ってないと言った時の彼女の悲しい笑顔の理由も全て合点がいった


しかし記憶が戻った、という訳では無いようだ

そこに書いてあることは事実なのだろうがどうも他人事のようにしか感じられない


だが、僕は“僕”がこのノートに書き残した、という事はそれだけ彼女の事か大切な人だったという事だとすぐに分かったので彼女の事は大切な人だと思えた


僕はすぐにでも彼女に伝えたかったがその日

彼女が病室に戻ってくることはなかった




翌日、目を覚ますと彼女は部屋にいた


僕は彼女に昨日思い出したことを伝えた


「やぁ、おはよう

君との約束を思い出したよ」


彼女は目を見開いて驚いた


「え、じゃ、じゃあ」


「あぁ、でも記憶が戻った訳じゃあないから君とのことを思い出してはない

けど、このノートには君と過ごした楽しかった日々が綴られていた、だから僕は“僕”を信じることにしたんだ」


「そ、そうなのちょっと残念

ううん、やっぱり嬉しい

こうなってから私は皆と仲良くするのを辞めてたの、諦めていたの

けど、君と過ごした先週の1週間はとても楽しくて、幸せで、忘れられたく、なかった、のに

やっぱり忘れられてたから、悲しくて、辛かった」


彼女は泣きながらそう言った


「実は言うと一目見た時から君に魅入っていたんだ

きっと先週の僕の思いがそれほど強かったんだね

いや、違う今の僕の思いも入っている

僕は君が好きだ、僕と付き合ってください」


すると彼女はまだ涙を流しているが


「それ、先週の君にも言われた、けど私は卑怯者だからまた来週ね、って言ったの」


と笑った


「え、でもそんなことノートには…」


「うん、私が書かないでって言ったのどうせ忘れられると思って。

ほんと、卑怯者でしょ

けど君はまた私に告白してくれた

こんなに嬉しいことはないよ」


「じゃあ…!」


「うん!こんな卑怯者の私でよければよろしくおねがいします」


と言って笑った

その時の彼女の笑顔は今まで見たどの笑顔より輝いていた


僕は、あ、と思い出すように言った


「けど僕は明日で退院することになっているんだ、でも心配しないで

来週になっても再来週になってもこのノートを見て僕は君のことを思い出し、またここにくるよ

そのためにこんなものを作ったんだ」


と言って彼女に“ノートをみること!”

と書かれた紙を見せた


「これを僕の部屋の至る所に貼ってやるんだ」


と得意げに笑った


「君、ほんと変わってるね」



僕らはその日1晩中語り合った

まるで失われた記憶を取り戻すかのように


そして次の日の朝僕は退院した

最後に彼女と再び約束を交わして


「私のこと、忘れないでね」


「…あぁ、忘れないさ!約束する!」


「ど……わす…ちゃう…せに」


「ん?何か言ったかい?」


「ふふ、どうせわすれちゃうくせに

って言ったんだよーだ!」


「はは、間違いない

きっと僕は忘れてしまうだろう

けどそのためにこれがある

忘れる度にまた何度でも思い出してみせるよ」


といってノートを見せた


「うん!待ってるね!!」


家に着いてから翌日からの学校の用意でバタバタしたが例の紙を貼ることだけは決して怠らなかった


そして次の日


「…“ノートを見ること!”

ノートって、これか?」


僕は紙に書いてある通りそれらしきノートを見た


「ふ、そういう事か」


それを読んだ僕はいてもたってもいられなくなりすぐに走り出した


「母さん!病院に“忘れたもの”があるから学校の前に寄って行くね!!」


病院までは割と近く走ればすぐに着いた

病院の外では子どもたちが遊んでいた

この暑い中よくもまぁあんなに走り回れるものだ

…それは僕もか

と思わず笑みをこぼした


病院に入り“彼女”の病室まで行った

そこに彼女はいた


「ふふ、来たわね」


彼女は笑っている


「やぁ、僕は優人

今野優人、君は?」


僕は息を切らしながらそういって

来るであろう衝撃に備えて目をつぶった


パシッ


想定よりもかなり弱い衝撃に目を開けると彼女は抱きついてきた

彼女は泣いているようだ

そして泣きながら言った


「私は雪、近江 雪

あなたの、優人君の彼女です!」

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