ぼっこんぼっこんうんこがでる

うんこ

第1話 将軍様のうんこ

形あるものに美が見出されるというのはよくある話である。

名人が生み出した茶器のごとくはその機能を超えて、人を殺める刀のごとくは時に血を美で覆い隠す。こうした様式はある種鑑賞的なものであって、実体的なものではない。美というなにか曖昧としたものを各人が様々に探求し、得てして そこに名を見出すのである。


「へえ、これがあの将軍様が拵えたうんこですか」

そう嘯いたのは時の名評家、大便遅漏衛門である。

「なるほど美しい、弥陀の心の顕れですな。さすがは"黒富士"と謳われる名器。

それだけのことはある。彩は漆のごとく艶やか、体はさしずめ要塞、御仏の加護に曝された世の安泰を象徴するかのようだ」


大便遅漏衛門の見立てはなかなかの評判であった。それが彼の得意でもあったし、彼が人々に評価されるゆえんでもあった。名評家が好まれるのは、時として彼が美の受け手でありながら表現者でもあるからだ。遅漏衛門の雄弁は多くを凌駕するが、いつの時代にも嫉妬深い者がいるもので、孟運子出相にとっては彼に向けられる羨望がやはり気に入らなかった。


「あの男は美を何もわかっていない。奴は心地よい音韻によって大衆を酔わしめているだけだ。愚蒙な奴らめ、雄弁の美を名器の美とはき違えている」

孟運子出相は冷笑的な顔を大衆に見せつけるようにしてつづけた。

「"黒富士"の美など、奴らに理解できるはずがない。乱世を平らげ、世に安泰をもたらし、何代脈略たる礎を築いた下痢家の将軍、下痢脱多畜糞の苦悩を凡夫たる賤民どもがいかにして知り得ようか?奴らの関心など所詮名ばかり、"黒富士"の名を冠さねば誰も見ようするまいに」

孟運子家の出相の嘆きは大衆の熱狂にかき消されたが一理あった。しかしそれを知りえたところで何になろう。名声の前には無力なこのひねくれ者は、陰で細々と浅はかな世を嘆くばかりであった。


出相がその出土の歴史的背景をぶつぶつと語る中、糞下尻布の金井は哀れに思いいくらかの慰めに入った。

「まあ、そんなもんじゃないかね、人間というものは」

「金井もあの馬鹿どもと同類か」

「嫌味のつもりじゃあないよ、ただね、遅漏の得意も、出相の得意も、大衆の得意も、結局はたいして変わらないんじゃないかね、え、俺はそう思うんだが」

「無難な相対主義はやめておけよ金井、俺は無知な者どもの感ずる"いわれなき喜び"とやらを聞くと虫唾が走るんだ。そんなものに"黒富士"をけがされたくはない」

出相が頑なに高慢になるので金井は仕方なく退いた。出相は友人に対してその無意味な論駁を成功させたことにしばらく悦を感じたが、急に虚しくなったようで、表情をゆがませながらまた一人"黒富士"の史的意義をぶつぶつとひとりで唱え始めたのだった。


金井が遅漏衛門に出相のことを話すと、遅漏衛門は笑ってみせた。

「あの日陰者が日下に出られないのは、人を知らないからであろうな。

なるほど史学に長けようとて、所詮は人の心を知らぬ者、無知を暴く資格などなかろう」

遅漏衛門は知識に得意だった彼の無知を暴き哄笑した。

「肝心なのは無知に満足できることじゃないかね、金井

大衆は無知かもしれないが、さもなくばなんだというのだ

知ったところで満足できるものなど、世に出相くらいのものだろう

俺は人に名器を語ることについて何ら悪く思わないし、思う方が馬鹿じゃないかね」


金井は遅漏衛門の雄弁に感銘されたが、しかし同意できぬなにかがまだあった。

名評家は2人に限らず、しかし様々な美に対する見識というものを金井に見せつけた。便秘出小松田は幽玄美を"黒富士"に見るのはおこがましいと語り、かの名器は実に「触れてみて、嗅いで、舐めて、はじめて理解されうる」と説き伏せ金井を驚愕させた。良家の名門 草井運地はその極端な衒学趣味を"黒富士"の美に見出し「英華発外、柳緑花紅、かかる窈窕凛然たるは、類を沮む豪放磊落」などと、わざわざ中学生が辞書で調べ上げたような御託を並べ、金井は出相以上の哀れみを確かに感ずるのだった。尻毛茫坊、切痔痛杉、雲飛などの論調も、先の論評家とたいして変わらず、金井の「同意できぬ何か」はいよいよわからずじまいだった。


しばらくして、下痢脱多畜糞が城から出でてくるのを金井は見かけた。

金井はこの品定めの交流会の意義を問いただそうと後を追った。

「将軍、先の品定めの会をご覧になりましたか。」

「はて、なんのことだか」

「貴殿のばば糞を民が賛ずる催しでございます」

「ん、ああ、うむ、なるほどあれか」

「あれはいったいどういうおつもりで」

脱多畜糞はなにやら黙って考え込んでいたが、しばらくして口を開き、次のようなことを言った。


先日のことだった。戯れに屋敷で屁をこいてみたところ、興ずるや否やそのまま糞が躍り出てしまった。家臣が何事かと思い入るとそこにはわしと、わしの汚れた袴と、くそだけがあった。家臣がわしに「いったいこれはなにか」と迫ってきたので、咄嗟にわしは「名を黒富士、四方八海何れになき下痢家の宝なり」と答えてしまった。家臣はそれを糞と悟ったかはわからぬ。否、わかっていたであろう。しかし家臣は長考の末、身分をわきまえたのであろう、そのばば糞をやさしく包みで覆い手に持ち、ひっそりと事なきを終えた。


しかし次の日から、そうはいかなくなった。屋敷中がわしの脱糞事件で持ち切りだった。困ったことにそれは「好意的な」評判であった。わしの家臣は精励恪勤、みな優秀な者たちだ。またわしに対しての忠義もある。それゆえ、わしが「なぜ脱糞をしたのか」という俄かに信じられない現象を「どうにか好意的に解釈しよう」と懸命に努力した。彼らはその結果、耐えるという実感を欠いてすら、耐えられない臭いにも耐え、あらゆる価値観をそこに詰め込んだ。ついには"見立て"という風習まで生み出し、わしの糞を器用大事に馬車に乗せ、万里に参じては評判をあやかることになってしまったのだ。


しかしそれが悪いということでもあるまい。なぜならわし以外の誰も、汚い初老のばば糞なんぞを"黒富士"と見立てることに反対しないのだから。わしだけが醜き糞を嘆き、しかし多くはその"黒富士"の魔力に魅入られている。いったい、このままで何がいけないのだろう。世は糞によりて泰平をもたらし、我が下痢家を盤石なものにした。脱糞するまでは考えもよらぬことだった。いいかね、金井、人の美醜など所詮は浅はかなものよ、わしとてもはや脱糞に気に留めることはあるまい。人は変わるのだ。また美も醜きも時代によって変わるだろう。それに抗ったところで何になる。少なくとも今は、誰もが糞を愛することで平和なのだ。金井、お前も糞を愛しなさい。その方がお前にとっても、お前の家族にとっても、わしにとっても楽なのだからね。一つの時代というものをうけいれることだ。


金井は悄然とした。この男は確信犯だったのだ。彼はやはり納得できぬもやもやを残しながら品定めの会をあとにした。しかし変わったことといえば、彼が心に"納得できぬ何か"を残しながら、今まで通り"黒富士"の栄華に貢献するよう将軍に奉公するという義務感を抱かせたことであった。彼の如き態度は多くの就労者と同じくするもので、"納得できぬ何か"を言い出せぬというのも、また彼らに共通していた。



下痢脱多畜糞の名器"黒富士"はその名を天下に轟かせ、人々に感嘆をもたらした。

しかし栄華極まる脱多畜糞の晩年には、ついにその糞の所在を明かさず、末代の家臣を奔走させるに至った。そして存命中に名器を見出せぬ焦りから、権力争いの中、末期の彼は曖昧の中で下剤を飲まされ、ついに晩作"下痢まみれ"を産み落とし、この世を去った。享年71歳、糞に生きた人生であった。

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