第24話 その者、天より堕とされて9
「自分は何をしているのでしょう?」
そう自問するラーラ。
自答は出来なかった。
「…………」
ただシスターマリアに命じられるまま上層を目指して上昇している。
とはいってもアオンエレベータを使っているわけではない。
ラーラの神之御手によるものだ。
アオンは多層構造体であり、層ごとが高度百メートルの空間があり、層と層の間には二十メートルの多重金属層の隔たりがある。
ラーラとマリアの上層への移動は力技という意味ではシンプルだった。
ラーラの神之御手たる幼い手の平で、それこそ核兵器でも壊しようのない多重金属層を消滅へと導く。
そして穴が開くのと同時に一本の神之御手を上層まで送りとっかかりに掴まると、今度はラーラとマリアをその神之御手が吊り上げる。
「自分は何をしているのでしょう?」
やはり自問する。
「自分は哀惜せねばならない」
「何故?」
「無無明が死んだから」
「ですです」
「殺したのはマリアによるもの」
「否定はしない」
「復讐せねばならない」
「それも正しい」
「けど……」
「そのマリアの指示に唯々諾々と従っている自分は何なのだろう……と?」
「慟哭をあげねば」
「無駄なことです」
「カオスには何と」
「無駄なことです」
「無無明が死んだ」
「無駄なことです」
自身が暗示にかかっていることにさえ気づかぬ干渉力。
それがマリアのもつ催眠能力だった。
現在十層。
軍が動いていたが、ラーラの機動力がソレに勝った。
多重金属層を消失させ上層へ上層へと昇っていく。
十一層への足掛かりとして神之御手を伸ばすラーラ。
マリアの指示通りに神之御手を伸ばしたが、
「っ!」
その手が別のソレで止められた。
一人の存在の手によって。
バサリと黒い帳が広がる。
「天使……」
ラーラはソレを天使と認識した。
黒い髪。
黒い瞳。
黒いレザーコート。
黒いパンツ。
黒い革靴。
そして……何より……その背中から生え出た三対六枚の黒い翼。
漆黒の羽毛が空間に飛び散って、その一つがラーラの頭上に降ってくる。
「堕天使……?」
ラーラは印象を少し変えた。
真黒な身体的特徴と服装と翼を持つが故に、白い翼を持つ神の使徒たる天使とは相反する存在に見えたのだ。
ラーラのソレは単なる予測だが、事実を正確に捉えてもいた。
堕天使。
死んだはずの無無明が三対六枚という熾天使の特徴である翼を黒く塗りつぶして中空に浮いているのだった。
*
「大したもんだな神之御手ってのは……」
無無明の第一声がソレだった。
チラと目をやったのは九層と十層の間に空いた穴。
核爆発にも耐えうる多重金属層を鮮やかに消滅させた能力について言っていることは明白だ。
「さて……」
無無明は翼を背中に収納した。
正確には翼が縮んで「まるで背中に収納されているかの様」と言った方が正しいのだが、そんな重箱の隅をほじくる必要もないだろう。
漆黒の翼を失った無無明は、重力に捕まってタンと十層の地面に足を付ける。
「やってくれたな」
ただ文言をこそ見やれば憎悪に満ちていたが口調は爽やかだ。
表情も嘲弄としての笑みさえ浮かべている。
「知覚外からの超威力衝撃……つくづく非才の身だと思い知らされたよ」
全ての元凶であるマリアに向けて皮肉る。
マリアは無無明の皮肉なぞ聞いてはいなかった。
「何故……何故あなたが生きているのです!」
「失礼な奴だな」
フンスと怒ったふり。
「俺にだって生きる権利くらいあるわ」
「無無明様は死んだはずでしょう……?」
「死んだな」
否定することでもない。
たしかにハイパワーレールガンの一撃にて無無明は死んだ。
それはどうしようもない事実である。
ミュータントとしての強度があったから即死しなかっただけで結局のところ死に至るのは必然と言えよう。
無無明はタバコを取り出すと火を点けて、紫煙を吸って吐く。
「で? それがどうした?」
まさに、
「何とも思っていない」
とでも言いたげだ。
「では何故生きて私たちの前にいるのです!」
「保険をかけてたからな」
「保険……?」
「そ、保険」
タバコを吸って吐く。
「命にセーフなど……!」
「あるんだなぁこれが」
「どうやって……!」
「手品は種も仕掛けもないから成立するだろう?」
つまり、
「そこまで解説してやる必要はない」
と言っているのだ。
無無明はくつくつと笑うと紫煙をフーッと吐いた。
マリアは狼狽する他ない。
紅い瞳は、
「ありえない」
と語っていた。
無無明にしてみれば、
「好きにしろよ」
と言った具合だが。
「さて、お礼参りと行こうか」
コートの懐に手を潜り込ませる無無明を悟って、
「ラーラ!」
とマリアは傀儡を呼んだ。
「何でしょう?」
ラーラは虚ろな瞳でマリアの命令を待った。
ことここに及んでなおラーラは無無明が生きていた事実よりマリアの命令を重視する。
それがマリアの異能たる催眠暗示であるから仕方ないと言えばそうなのだが。
「無無明様を殺しなさい」
理不尽極まりない命令に、
「はい」
即答するラーラ。
神之御手が発動する。
無無明目掛けてラーラの腕が全てをまったき消滅させうる手の平をアギトとして襲い掛かる。
核兵器さえものともしない多重金属層を易々と消し去る神之御手がその脅威を威力に変えて無無明へと。
その速度は音速を軽く超えた。
たとえドラゴンスケイルで外傷は防いでも衝撃力は相殺できないだろう速度である。
そもそうでなくとも神之御手の消滅現象を防ぐ術は無いわけだが。
「…………」
無無明は呑気にタバコを吸うのみだ。
そして、
「馬鹿な……!」
唖然としてマリアが呟いた。
神之御手は完全に無力化された。
躱されたわけではない。
防がれたわけでもない。
回避でも拒絶でもなく《効果を発揮しなかった》のだ。
全てを消し去る神之御手が無無明にとっては十把一絡げの現象でしかなかった。
「馬鹿な馬鹿な馬鹿な!」
事実を事実として受け入れられないマリア。
無論、そんなことを気にする無無明でもなかったが。
タバコを吸って紫煙を吐いて、ニコチンを堪能しながらラーラとマリアに歩み寄って行った。
「気は済んだか?」
嘲笑する無無明に、
「っ!」
マリアは拳銃で害する。
しかして弾丸はドラゴンスケイルに弾かれ意味をなさない。
「ラーラ!」
マリアがラーラに命じる。
ラーラは命令通りに神之御手の威力を無無明に放つが……やはり接触と同時に無意味になる他なかった。
「無駄だ」
無無明は断定した。
「神之御手は俺には通じんよ」
「……っ?」
意味不明とマリアの紅い瞳が言っていた。
「熾天使としての三対六枚の翼。ドラゴンとしての能力。蛇としての能力。ここまで揃えば定義は容易いと思うがな……」
マリアは無無明の蛇としての能力を知らないのだが、それはこの際関係ないだろう。
熾天使。
ドラゴン。
蛇。
この特徴を備えた超常存在は一つしかありえなかった。
「まさか……っ!」
そのまさかである。
「魔王……サタン……!」
正解だった。
神に反逆した堕天使であり、レッドドラゴンとしての側面を持ち、アダムとイブを誘惑した蛇でもある。
地獄の王……サタン。
それが無無明の契約した超常存在なのである。
「それが何故……! 神之御手を無効化するんです……!」
「セフィロトやクリフォトって知ってるか?」
「ユダヤによるカバラ学の考えですね」
「そ」
フーッと紫煙を吐く無無明。
「クリフォトにおけるサタンの象徴は無神論。即ち神の否定。ひいては神の奇跡の否定。よってサタンの契約者である俺に神の奇跡は通じない。ましてや神之御手なぞまさに《ソレ》だろう?」
「そんなことが……!」
「あるんだよ」
無無明は気楽にタバコを楽しむ。
もうチェックメイトだ。
マリアの暗示は一人にしか適応できない。
万に一つもあり得ないのだが……無無明を支配下に置いても今度は聖人ラーラと敵対することになる。
仮に高位存在を支配したとしてもその命令によってなるドラゴンブレスより早くラーラはマリアを殺すだろう。
かといって無無明に対する決定打を現在のマリアは持っていない。
先ほどからラーラに神之御手を強制して無無明を襲ってはいるが……無無明の言うとおり《無神論》の象徴であり神を否定する超常存在にとって神の奇跡である神之御手は効果を発揮しない。
無無明の近づく速度は散歩程度のソレである。
が、一歩進むごとに死に神の鎌が振りかざされることをマリアは明確に意識した。
結論としてマリアに出来たのは交渉だった。
「待ってください」
「何を?」
「なんならラーラを研究し一定の効果を得た暁には第一号としてあなたを自我ある聖人にして差し上げます。それならいいでしょう?」
「別に陸地にロマンを感じる性質でもないんでな」
無無明は全くブレない。
その間にもラーラが無無明目掛けて神之御手を行使しているのだが全くの徒労だった。
超超音速の神之御手とて《無神論》の属性には意味をなさない。
「…………」
フーッと紫煙を吐く。
そしてマリアの前に立つと無無明はフルオートの自動拳銃……トレミーをマリアの額にポイントした。
「死にたくない! 死にたくない! 嫌あああぁぁぁぁぁぁぁ!」
失禁しながらマリアは助命を乞うた。
が、そんなことを気にする無無明でもない。
タァンと銃声が響く。
マリアは無無明によって銃殺された。
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