第22話 その者、天より堕とされて7
「自分は何をしているのだろう?」
ドミニはそう自問する。
自答は出来なかった。
「…………」
蒼色の瞳はスコープを覗き、対象を捉える。
「…………」
蒼髪蒼眼の男……ドミニは今、大型の銃器であるハイパワーレールガンを持っていた。
ドミニは契約者である。
それもソロモン七十二柱の一柱……火炎公アイムとの契約を履行している人間だ。
さて、
「自分は何をしているのだろう?」
やはり自問する。
たしか見たことの無いシスターが、
「手伝ってくれませんか?」
と「お願い」をしてきたのが発端だったように思う。
ランと輝く紅い瞳を見つめると、
「是」
と答える他なかった。
「自分は無無明のニューロンマップを手に入れる必要がある」
はずだ。
「だが」
実際にはハイパワーレールガンを構えて目標に銃口をポイントしている。
「本当に何をしているのだろう?」
自問。
答えは無い。
ハイパワーレールガンは弾丸を音速の百倍で撃ちだす戦術級の兵器だ。
使われる弾丸は衝撃波を発生させない空力技術の粋と空気抵抗による摩擦熱に耐えうる熱対抗の粋とを合わせ持つ特別仕様のソレである。
人を殺すことに特化した歪な殺人兵器。
「だが」
そんなものに頼るドミニではなかった。
重ね重ねドミニは契約者である。
相手を害したいのならハイパワーレールガンになぞ頼らなくとも異能がある。
だがしかして話しかけてきたシスターの紅い瞳を見て「お願い」をされた時、
「そを叶えねば」
と思った。
目標と自身との距離は千メートル。
空力科学を極め音速の百倍の速度で撃ち出される弾丸を用いれば外しようのない距離だ。
仮にコンクリートの壁が間にあっても目標を的確に打ち抜くことが出来るだろう。
まして彼我の間に障害物は無い。
空気抵抗のみが難物だが、弾丸と銃器の性能の前には沈黙せざるを得ない。
「…………」
後は引き金を引くだけだ。
「何なんだろうな……」
ポツリと独白に近いぼやきを呟いて、ドミニは紅い瞳のシスターのお願いの通りに目標目掛けて引き金を引いた。
凶弾が目標を襲う。
*
「ウェイターさんお代わりをお願いします!」
元気溌剌……というより元気爆発と表現した方がまだしも「らしい」だろう。
「…………なんだかな」
無常を覚えて無無明はアイスコーヒーを飲む。
「よく食べますねラーラは」
マリアはニコニコ。
文言自体は皮肉めいた内容だが、優しさと穏やかさにて湛えた笑みがマイナス要素を完全に排除している。
あえて言うならば、
「子どものわがままを聞き入れることに喜びを覚える母」
のような印象だ……無無明の見立てでは。
血が繋がっていないという点を除けばあながち間違いとも言えないのだが。
ここはアオン五層のとある喫茶店。
そのテラス席。
アオンには天気という概念は無いが、昼の時間は太陽光を再現した明かりが各層を照らす。
利休鼠の雨が降る……などということはない故情緒に欠けるが「気にしても仕方ない」で趨勢は一致している。
そんな明かりを浴びながらテラス席でお茶をする三人だった。
いつものごとくカオスはお留守番。
「とりあえずこのメニューにあるケーキを一つずつ持ってきてください!」
生憎とツッコミは不在だった。
「自分が金を出さない分には好きにしろ」
というのが無無明の立場で、
「子どもは元気が一番」
といった様子なのがマリアで、
「うまうま」
と一心不乱にケーキを食べ漁ることに全力を尽くしているのがラーラであった。
「少しは遠慮しろよ」
と思いつつも実際には何も言う気になれない無無明。
もっとも……仮に口にしたところでラーラが止まるとも思えなかったが。
「…………」
無無明はストローでアイスコーヒーを飲み干すと、新たなアイスコーヒーをウェイターに注文する。
無論お代を持つのはマリアである。
ウェイターを引き下がらせると無無明はテラス席のテーブルに肘をついた。
「さて……」
この一言は閑話休題の儀式だ。
「何の目的だ? 福音教会……」
手っ取り早く状況を切り裂く。
「あら? ばれてます?」
マリアはとぼけるつもりは無いようだった。
仮にとぼけたところで無無明の(正確にはカオスの情報なのだが)手持ちのカードは順次それを追い詰めるだろう。
そこまで意識してぶっちゃけたのかは無無明としても「知ったこっちゃない」のだが、ともあれマリアが福音教会に所属していることは明らかだった。
そもそうでなければラーラを探そうなどとは言いもしないだろう。
人の原罪を洗い流す……即ちクオリアを破壊する薬。
名をエンジェルダスト。
それは人間を聖人に変貌させる業の深い麻薬だ。
実際一層で突発的に発生した聖人はドミニに焼き殺されるまで視界内の人間を殺してまわり被害者数は五十をくだらない。
無無明の迅速かつ強引な移動手段をもって一気に一層まで辿り着いたからこそその程度の人数で済んだのだ。
仮に呑気にアオンエレベータを使って一層を目指していたらその五倍から十倍の被害者が出てもおかしくはなかった。
それならそれで無無明は一向に構わないのだが、だからといってその原因を作った……つまりエンジェルダストを頒布している福音教会をどう思うかは別問題だ。
正直なところ本拠の情報さえ押さえれば、目標に向かってドラゴンブレスを吐いてもいいくらいだ。
しかしてそんなことを察せられるマリアでもなかったが。
「アポカリプスで満足してないのか?」
無無明の言葉は皮肉というには辛みが強かった。
「まいりましたね」
マリアは苦笑する。
そこに負の感情は見受けられない。
このまま日曜学校を始めても違和感なく通るだろう。
「破滅主義も結構だが他人を巻き込むなよ。天国に行きたいなら旧教信者揃ってアオンを出てから陸地に戻れ。聖人がここぞとばかりに押し寄せて迎え入れてくれるだろうよ」
「それでは我々しか救えません。我々は人類を救いたいのです」
「おこがましいな」
「否定はしません」
「人造聖人の祝福でも唯一神は歓迎してくれるのか?」
「わかりません」
「おいおいどうした神の使徒? 神様の声は聞こえないのか?」
「福音を聞けるのは……こう言っては因果逆転ですが……枢機卿以上の選ばれた人間だけです。我々はその意思を行動に移すのみ」
「それで聖人を乱造してアオンの住人を鏖殺しようと?」
結局のところ結論はそこに行く着く……かと思ったが、
「いいえ」
意外にもマリアは否定した。
紅い瞳に映るのは使命感と覚悟の類。
決してアポカリプスの続きを行ない聖人による人類の鏖殺などと云う狂気をはらんだ感情ではなかった。
「主は人命を何より尊重なさっています」
「破滅主義者の言葉じゃねえな」
ぼやきながら二杯目のアイスコーヒーをウェイターから受けとる。
無論ブラックだ。
黒い髪と瞳に、漆黒のレザーコートとパンツ……そして鈍く光る黒い革靴。
全身黒一色の無無明には「らしい」注文である。
「人は原罪を背負いましたが神の愛はいまだ惜しみなく降り注いでいます」
「一層に大手の人身売買業者があるんだが……そこで奴隷として売買される人間に同じことが言えるか?」
「それは人の罪です。主の行いではありません」
「お前は気楽でいいな」
悪い意味で心底感心する無無明だった。
神の名の下の責任転嫁。
それが一神教の負の側面だが、今更それを責めたところで説得するのは難しいだろうし、何より無駄な説得に労力を使う気は無無明には無い。
「それで? 聖人を乱造して秩序を乱す福音教会が何ゆえ人命を尊重する?」
「人を……人類を真の意味で救済するためです」
「余計な御世話だ」
と思ったが口にはしなかった。
チューとストローでアイスコーヒーを飲む。
「アオン……ノアの方舟に乗った五億人を新天地に導いてくれるとでも言うのか?」
「それを叶えるためのプロジェクトゴスペルであり、その成功体としてラーラを教会が引き受けたいのです」
ここで……漸くラーラの名が出た。
当人はケーキの征服に邁進していたが。
「聖人を使って何をする気だ?」
牽制の一言。
だがマリアは話題を変えた。
「今日もいい天気ですね」
「雨が降ってもしょうがないしな」
とりあえず乗る無無明。
「大陸に戻れば天気を楽しめると思いませんか?」
「天気を楽しむ前に聖人に殺されるだろ」
「仮にそうでないとしたら?」
「仮にそうでないとしたら……」
少なくとも現実的とは言えない青写真ではある。
無無明にしてみれば唯一神の牙から逃れて安楽した生活を送れるだけでも御の字なのだ。
「人類が聖人と共存する社会は素晴らしいと思いませんか?」
「殺されるだけだろ」
「現段階ではそうですね」
「要点を言え」
「ラーラを引き渡してほしいんです」
「断る」
即決だった。
迷う暇もなく理由もない。
「金で都合がつくなら幾らでも相談させてください」
「お前らみたいなテロリストに対して幼い女の子を捧げてたまるか」
「無無明様たちで保護すると?」
「他にアテは無いしな」
チューとコーヒーを飲む。
「仮にラーラを引き渡したとして、それでどうなるよ?」
「ラーラを再現できる技術を追求します」
「ん?」
言っている意味がよくわからなかった。
「ラーラの再現?」
「量産と言ってもこの際構いませんが……」
「ただでさえエンジェルダストで聖人を乱造している上にさらに別口で聖人を量産しようというのかお前らは」
「相応の目的があったればこそです」
「どういう意図がある?」
「ラーラは成功体なんです」
「当人もそんなことを言っていたな。何を以て成功と為す?」
「原罪を洗い流し人間から聖人に昇華されて尚自我を持つ存在。我々プロジェクトゴスペルの最終目標がここにあるのです」
無無明から視線を外してチラリとラーラを見つめ、また無無明に視線を戻す。
ラーラはケーキを食べるので精いっぱいだ。
言葉の選び方はともかく。
「自我する聖人……」
「然りです」
「その量産……」
「然りです」
「…………」
チューとコーヒーを飲む。
見えてくるものがあった。
「つまりクオリアを持った聖人を量産することで大陸の聖人と共存できるように人類を創り変える……と。そういうわけか?」
「然りです」
マリアに躊躇は無かった。
「ありえない」
とも言ってられない。
聖人は全体論にて動き個々の人格を持っていない。
しかしてラーラは聖人としての能力を持ちながら笑い、泣き、ぼやく。
たしかに人格が形成されている。
その再現。
即ち自我ある聖人の量産技術が出来上がれば人は意識を持ったまま聖人に成れ、その能力は聖人との共存に大いに役立つだろう。
「……っく」
無無明は苦笑した。
それもとびっきりの皮肉を含めて。
「どうしてどいつもこいつも……」
他に言い様がない。
「この状況がそんなに不満か?」
そう思う。
ドミニを末端とするレコンキスタ委員会は契約者を量産し聖人を滅ぼして人を大地に帰そうと画策している。
マリアを末端とする福音教会は人類を自我を持った聖人に変え量産して大地に帰そうと画策している。
まったく両極端な手法でありながら結果は同じ。
極めつけにタチの悪い喜劇だ。
無無明としても笑う以外の選択肢は無かった。
そして何より厄介なことにレコンキスタ委員会も福音教会も、
「そのためならば犠牲を厭わない」
という点でまったく一致しているのだ。
再度思えば、
「タチが悪い」
に終始する。
チューとコーヒーを飲む無無明。
「これがどれだけ素晴らしい事か……聡明な無無明様にはわからないはずがないと確信しています」
「さいか」
勝手に心中を決めつけられても困るだけである。
「ラーラを引き渡してくれますね? 相応の手切れ金は用意します故」
「ラーラはどうしたい?」
無無明はここで初めてラーラに水を向けた。
「……んぐ?」
ケーキを食べる手を止めて口の中のケーキを嚥下すると、
「無無明と一緒にいたいです」
あっさりと言ってのけた。
「だとよ」
無無明はマリアに視線を戻す。
マリアは瞳を閉じて一つ嘆息した。
それは覚悟と決意に対する儀式。
「しょうがありません」
「何が?」
とは無無明は聞かない。
「ここからは力に任せます」
「ですかー」
無無明に気負いは無い。
マリアは懐から拳銃を取り出すと無無明の額をポイントした。
無無明は全く気にせずチューとコーヒーを飲む。
「無無明」
「なんだラーラ?」
「無力化しようか?」
「必要ないだろ」
銃を突きつけられていながら無無明とラーラはほんわか空気を崩しはしなかった。
「無無明様とは個人的にも仲良く付き合いたかったのですが……」
「こっちは願い下げだ」
次の瞬間、銃弾が無無明を襲った。
マリアの突きつけた銃口から弾かれたモノ……ではない。
テラス席が爆砕するほどの威力を持つ銃弾が無無明の探知機能の圏外から襲い掛かったのだ。
ハイパワーレールガン。
そう呼ばれる兵器であることを安穏と悟れる無無明ではなかった。
ましてその銃撃がレコンキスタ委員会の会員であるドミニのソレとは思いもよらない。
無無明のドラゴンスケイルは完璧に対応した。
おかげで音速の百倍で撃ち出される弾丸は無無明に外傷を与えなかった。
だが着弾における衝撃は別問題だ。
「げほ……っ!」
爆砕したテラス席の一角で吐血する無無明。
外傷こそ無いものの、相殺できなかった衝撃は無無明の内臓を滅茶苦茶にした。
致死に値する威力。
感知外からの一撃。
自身の能力を無敵と勘違いした無無明の意識の隙をつくソレであった。
「がは……! げえ……!」
無無明は傷つき、しかして『本来の能力』故に即死には至らなかったが、むしろそれこそが不幸とも言える。
「感知外からのハイパワーレールガンでも即死しないなんて……。どれだけ規格外なんですか無無明様は……」
むしろ感心したようにマリア。
そこには慈悲の光さえある。
「こういうところは教徒らしい……」
と思う暇もない無無明ではあったが。
「っ」
ラーラが状況を把握すると神之御手を発動させようとして、
「落ち着きなさい」
マリアの瞳と視線を合わせると脱力した。
「私に身を委ねなさい」
マリアはさらに言葉を紡ぐ。
それだけでラーラはマリアの傘下に入った。
契約者としての異能。
以前マリアは自らを破戒者だと述べた。
唯一神を肯定しながら悪魔と契約した契約者。
それ故だ。
契約したのは夢魔。
性交と催眠を行使する悪魔。
催眠……暗示を用いて人間を意のままに操る。
その能力にて、ドミニを操り無無明をハイパワーレールガンで狙撃させ、そして今まさにラーラを支配下に置く。
契約した超常存在こそ低位ではあるものの使い道によっては高位の契約者に勝る。
まさにそれを実演という形で示してみせたのだった。
「が……! げぇ……!」
血を吐きながら悶える無無明。
そに頓着せずマリアはラーラを下僕として上層階を目指すのだった。
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