第20話 その者、天より堕とされて5

「火炙りを受ける人間の末路は知っているか? あまりの痛みを明確に感じ、しかして狂うこと叶わず、死ぬ瞬間まで悶え苦しむ羽目になる。素直に即死させた方がまだ人道的とも言えるのだ」

「ふーん」

 ドミニの脅しは無無明には通じなかった。

「こっちの手札を見せようか」

「存在するのか?」

「俺の異能は知ってるな?」

「零距離の銃弾をも防ぐ防御力。およびサイボーグさえ蒸発しうる攻撃力。違うか?」

「違わねえな」

「それをこそ我々レコンキスタ委員会は望んでいる」

「脅迫するお前に向けられないとでも思ったか?」

「我を殺してもバックアップがある限り無尽蔵に我は無無明を訪ねるぞ?」

「だからといって泣き寝入りするのは主義じゃないんでな」

「ふむ……」

 沈思黙考。

「さて……お前は敵か?」

「我々委員会は人類の味方である」

「お前と俺との関係性を問うているんだがな」

「敵対する他ないと?」

「お前がそう思うのならそうなんだろうよ」

 無無明は憂い無く言った。

「…………」

「…………」

 緊張が奔りプレッシャーが充満する。

 ドミニ……レコンキスタ委員会は無無明の契約……つまり超常存在を観測する能力……そのためのニューロンマップを求めている。

 その判断が「正しい」ことを正確に知っているのは無無明とカオスのみである。

 そこまでは至らなくともドミニとて無無明の契約している超常存在が高位のソレであることは悟っているのだろう。

 無無明は何かあればドラゴンブレスの開放を躊躇いなどしないし、ラーラは神之御手を服の内に待機させている。

 ドミニは炎を握りつぶした手をゆらゆらと挑発的に揺らしている。

「にゃはは」

 一人カオスのみが全く気負わず自身の淹れたコーヒーを嗜んでいた。

 カオスの無関心は事務所の清涼剤とはなりえなかったが、無無明にとって多少の心の安寧には繋がった。

 カオスの異能は保険として強力な意味を持つ。

 カオスを除く事務所内の人間の一触即発の空気を打ち破ったのは無無明の情報端末の着信だった。

 発信元は決定機関直属組織……軍の特務士官たるアルベルトだ。

「なんだ?」

 不機嫌というより殺気立って無無明は通信に出た。

「先生に頼みごとがあります」

「だからそれがなんだ?」

「一層で聖人が現れました」

 端的に告げたアルベルトの言葉に、

「っ!」

 無無明は絶句する。

 しかしそれも当然だ。

 一層はエンジェルダストが最も頒布されている地域だ。

 麻薬たるエンジェルダストによって原罪を洗い流す……即ちクオリアを破壊されて善悪を知らぬ唯一神の下僕と成り果てた人間が現れても不思議はない。

 無無明はこの事態を覚悟していた。

 故に動揺は少なく済んだ。

「暴れてるのか?」

「確認したわけではありませんが暴れているそうです。おそらく唯一神の全体論に取り込まれたかと……。故に原罪を持つ人類の殲滅を至上とし、神之御手という絶対殺害能力をもって有視界内の人間を殺してまわっているのでは?」

「で、それをどうにかしろと」

「そういうことです」

「報酬は?」

「相談させてください。エンジェルダストがある以上これからも似たような面倒事は起こりうるはずですから」

 アルベルトの言は正しかった。

 故に無無明は苦笑する。

「わかったよ。鎮圧すればいいんだろ?」

「理解が早くて助かります」

 それ以上は言葉が要らず無無明は情報端末の通信を切った。

「どうするのだ?」

 これはドミニ。

 蒼い瞳には試すような色が宿っている。

 ドミニもまた契約者である。

 そうである以上、聖人に対して一定のアドバンテージを持った存在だ。

 少なくとも看過できるはずもなかったし、ブレインユビキタスネットワークを通じて聖人の駆除を命令されてもいた。

「ラーラ」

「何?」

「害虫駆除にいくぞ」

「聖人を滅ぼすの?」

「俺は別にどうでもいいんだが放置していいものでもないしな」

 フーッと紫煙を吐く。

「では我と共闘しないか」

 ドミニがそんな提案をしてきた。

「お前も使い走りか?」

「然り」

「まぁ戦力はあればあるほどいいしな」

 ホケッとそう言って無無明はドミニを受け入れた。

「一層への直通のエレベータで一番近いのは?」

「エレベータなんか使うかよ。行くぞ」

 ドミニの言葉を切って捨てて、無無明は漆黒のレザーコートを翻し事務所を出る。

 ラーラとドミニが後に続く。

 カオスは念のためにお留守番である。

「いってらっしゃーい」

 なんとも呑気に送り出すのだった。

「エレベータを使わずどうやって一層まで?」

 ドミニの至極当然の疑問に、

「自然落下」

 反論の余地も無く当意即妙に無無明は答える。

 それから、

「ふむ」

 と思案し無無明は地面を見た。

 ムーンサルト気味に跳躍して最高位点で真下目掛けてアギトを開きドラゴンブレスを放つ。

 直径五メートルの穴が五層から一層までの障害物を蒸発させて開いた。

 それが何を意味するのか……ラーラとドミニは理解しかねた。

 が、無無明は頓着しない。

 開いた穴の傍に着地して、ドミニの背後をとると、

「よし。行け」

 ドミニの背中を蹴って虚空の穴へと突き飛ばした。

「ちょ! ま! ああああああぁぁぁぁぁぁぁ!」

 五層から一層まで開いた穴に捕まって重力落下を開始したドミニの悲鳴が遠ざかる。

「無無明……まさか……」

 ラーラの疑問は真実だった。

「俺たちも行くぞ」

 そう言うと無無明はラーラをわきに抱えてドラゴンブレスで出来た穴に飛び降りた。

 重力落下。

 ラーラが悲鳴を上げたのも仕方ない事だったろう。

 五層から四層……三層……二層を通過して一層へと辿り着く。

 エレベータなどとまどろっこしい手段を使わず、五層から一層までの穴をあけて自然落下で直通だ。

 賢明といえば賢明である。

 当然対策はあった。

 そうでもなければ血肉を使った落下死体のフリカッセが出来上がるだけだ。

 ラーラをわきに抱えている無無明の背中からドラゴンの翼が生え出たのである。

 その翼は空を打ち落下速度を中和した。

「翼……!」

 ラーラが驚愕する。

 さもあらん。

 無無明の契約した超常存在を蛇と認識しているラーラである。

 翼に疑問を持つのは当然だ。

 が、無無明は飄々としていた。

「蛇神ククルカンだって翼を持つだろう?」

 大嘘をぶっこく無無明だったがラーラとしてはそれで納得せざるを得ない。

 それ以上の情報が無いのだから。

 そして自然落下で一層に辿り着くと無無明は翼を背中に収納して、

「さて聖人は……と……」

 まるで罪悪感も無く状況の把握に終始する。

「よくもまぁ」

 他に言い様がないのだろう。

 ラーラは呆れ果てて言を紡いだ。

 そこに言葉がかかった。

「我を殺す気か?」

 ドミニである。

 無無明とラーラより先に五層から一層までの直通自然落下を体験したドミニの言には棘があった。

 さもあろう。

 サイボーグでなければ……あるいはアイムとの契約者でなければ死んでいて当然だ。

「よく生きてたな」

 心からの賞賛を送る無無明。

 ドミニの生死に執着はないようだった。

 ある種の当然ではあるのだが。

「どうやって落下の衝撃を中和した?」

「ジェット噴射の要領をアイムの炎で再現して」

「なぁる」

 仮にドミニが死んでも罪悪感など欠片も覚えようがないが、異能の知的な使い方には一切の濁りなく感嘆するのだった。

 その評価が純粋であるが故にドミニの生死について思考が向いていない確かな証拠でもあるのだが。

「…………」

 睨むドミニの視線を平然と受け止めて無無明はタバコを吸い始める。

 悲鳴が聞こえてきた。

 それは無無明の耳だけでなくラーラとドミニもそうだったろう。

 一層で悲鳴が上がるのは日常茶飯事だが、此度の場合は状況が違う。

 それを確認するには悲鳴という川の流れを遡ればいいだけの話だ。

 少なくとも三人にとっては他にやりようが無かった。

 究極的には聖人を排除するのが目的であるのだから。

「じゃあオフェンスがドミニ。ディフェンスがラーラ。俺は傍観ってところで」

 大いに偏った配置であった。

 だが理由が無いでもない。

 無無明は『聖人の神之御手を受けることが出来ない』のだ。

 有視界内の人間を殺戮する聖人を忌避するのは道理だが、だからといって黙ってるドミニでもなかった。

「汝のドラゴンブレスで焼き払えんのか?」

「そりゃまぁ被害状況を気にしなくていいならそうするが……その代り延長線上の全てを焼き払う責任をお前がとってくれるのか?」

「…………」

 無理に決まっている。

「私は? ディフェンスって?」

「相手の神之御手を同じく神之御手で防いでくれ。出来るだろ?」

「うん。わかりました」

 納得するラーラだった。

 そんなこんなで場当たり的に対処法を論議しながら無無明とラーラとドミニは聖人を視界に収めた。

 白い髪に白い肌に白い瞳。

 遠くからなら瞳孔が白いため、まるで瞳が無いようにさえ見える。

 着ている服はシャツにジャケットにジーパン。

 あまりにカジュアル。

 エンジェルダストを服用し続けた一般市民がクオリアを失って……つまり原罪を洗い流して聖人になったらしいことは当然の帰結だった。

 三人が聖人を視界に収めるということは聖人が三人を視界に収めることに等しい。

 反応は過敏にして激烈。

 聖人の突き出した手。

 そこから繋がる腕が伸びたかと思うと、それは神の奇跡の片鱗たる蛇となり変幻自在の凶器となって三人を襲った。

 その速度は音速を優に超える。

 神之御手の恐ろしさはその射程と速度と威力にある。

 遥か地平線まで届く超射程。

 人間の反応では躱せない超速度。

 どんなに硬い防御すら消滅させる超威力。

 人間の範疇では対抗手段というものが存在しないのである。

 が、この三人については例外だった。

 正確にはその一人……ラーラが。

 超音速の神之御手を超音速の神之御手で防ぐ。

「…………!」

「っ!」

 聖人同士視線を交わす。

 唯一神の全体論に取り込まれ人類の鏖殺を至上とする聖人と、聖人でありながら確固とした意思を持つラーラ。

 二人の能力は同等にして同義だった。

 蛇のようにのたくって視界に入る人間を殺そうと襲い掛かる聖人の神之御手。

 対してラーラの神之御手はそれを防ぐためにこそ行使される。

 神之御手同士がぶつかり拮抗し合う。

 互角……ではない。

 ラーラと聖人だけなら互角と言ってよかったが、そもそもラーラはディフェンスでオフェンスは他にいる。

「……っ」

 ドミニが火炎公の異名を持つ魔神……アイムの異能をこの世界に投射する。

 それは神さえ焼き殺す神聖に対するアンチテーゼ。

 圧倒的熱量が炎の塊となって聖人に襲い掛かる。

 ラーラと同じように神之御手にて防ごうとした聖人であったが、その神之御手ごと焼き尽くされる。

「…………!」

 声にならない悲鳴を上げる聖人。

 人間が唯一聖人に抗することのできる手段。

 それが契約者としての異能であり……古くは魔術師の魔術と呼ばれた能力なのである。

「…………!」

 炎にまみれながら聖人は神之御手を放ってくるが悉くがラーラの神之御手に防がれる。

 である以上ディフェンスのラーラにオフェンスのドミニという効果的な役割分担が結果を出した。

 聖人が灰になるまでそれほどの時間はかからなかった。

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