第19話 その者、天より堕とされて4
今日も今日とて無無明探偵事務所は閑古鳥が鳴いていた。
依頼の類が一切こないのである。
いつも通りではあるが看過できる事態でもない。
無無明はもはやシンボルでさえある漆黒のレザーコートを着てタバコを吸っている。
手に持っているのはトレミー……先日のドミニという決定機関の使者を撃った際に壊れた代物だが、カオスが完璧に修復してのけた。
正確には修復ではないが、ともあれ無事機能を取り戻したため無無明としてはこれに勝るは無い。
カオスはメイド服姿のままパソコンを操作してイリーガルなことをしていた。
実はこれが事務所の依頼とは別に収入源となっているが無無明は恐くて聞く気にならない。
「勝手にやれ」と黙認している状況だ。
ラーラはカジュアルな服装でソファに寝っ転がり情報端末から立体映像の新聞を読んでいる。
どうやらシネマレコードは読破してしまったらしい。
新聞程度の情報なら無料でネットの海を漂っている。
暇つぶしとして読むにはもってこいな代物だ。
三人が三人ともに暇を持て余しノスタルジックに時間を過ごしていた。
事務所の掛札は「オープン」にしているが、客が直接事務所に足を運んだ例は数えるほどである。
そしてまた一本……指を折る必要が生じた。
カランカランと事務所の原始的玄関ベルが鳴り、ボルサリーノを被ってトレンチコートを着た成人男性が入ってきたからである。
「失礼する」
聞き覚えのある声とともに男は一礼した。
「こちらは無無明探偵事務所でよいか?」
下げた頭を上げると同時にボルサリーノを脱ぎトレンチコートを脱ぐ男。
「カオス……人数分コーヒーを用意しろ。ラーラ……お客様の帽子とコートを預かってさしあげろ」
男を見ても無無明はまったく頓着せず助手二人に命令を下す。
「にゃはは。はぁい」
カオスも頓着せずコーヒーの準備をする。
とは言っても既に準備そのものは終えているのだが。
「…………」
ラーラは眉間にしわを寄せて寝っ転がっていたソファから立ち上がり客を睨み付けた。
その白い瞳に浮かぶのは敵意と困惑が半分ずつ。
それも当然と言えた。
帽子を脱いだ男の露わになった髪は蒼色。
瞳も蒼色。
何よりその顔を忘れるにはあまりに時間が足りていない。
所長命令を忘れて蒼色の男……ドミニを睨む。
ドミニはラーラの視線を受け止めて、
「構わん。自分で出来る」
なお飄々とし、フックに帽子とコートをかけるのだった。
ドッカと来客用のソファに座り、それから所長机に座する無無明に視線を向けた。
「どうぞっす」
メイド服姿のカオスがドミニにコーヒーをふるまう。
砂糖とミルクも忘れない。
それから所長である無無明と自身とラーラの前にコーヒーの入ったカップを置き、我先にと飲みだす。
先日のドミニとのやりとりは当然カオスの耳にも入っているが、別段気にしているようには見えなかった。
それがある種の奇形的な信頼の証であることを無無明は良く理解していたが、ラーラはそうではなかった。
「何故生きてるんです……?」
根本的なことをラーラは問うた。
哲学的な命題ではなく死者の蘇生に対する質疑であることは此処にいる全員が理解している。
「客じゃねえな」
無無明はそう判断するとタバコを吸って紫煙を吐いた。
煙が部屋の中に撹拌されるのを見届けた後、問う。
「何故生きてる?」
疑問はラーラのソレと同義だった。
ドミニが無無明によって殺されたのは近い過去の話だ。
無無明がトレミーを壊し、銃弾の通じないサイボーグの体と悟るや異能で蒸発させた相手である。
細胞から金属の一片に至るまで焼失させたはずの相手が全身健全に無無明たちの前に現れたのである。
警戒しない方がどうかしている。
もっとも警戒しているのはラーラだけで、無無明とカオスはどうかしているため、まるで気負いを覚えていないのだが。
ドミニは無無明とラーラの質問には答えずホットコーヒーを一口飲み、
「美味い」
とカオスに賞賛を送った。
「にゃはは。どうもっす」
メイド服のカオスはその美貌を損なわず照れ笑いをしてのけた。
碧眼は「光栄だ」と語っている。
「で、だ」
無無明はフーッと煙を吐く。
「どうやって彷徨っている?」
「人を幽霊のように言わないでもらいたい」
「殺したはずだが?」
「然り」
ドミニは否定しない。
蒼色の瞳には重く濃いプレッシャーが映っている。
「我はサイボーグ。体の替えなぞいくらでもある」
「なるほどな」
納得してタバコを吸う。
別に現代科学においては珍しい事例でもない。
クローンもサイボーグもロボットも高精度で再現できる世の中である。
形而上および形而下のどちらともにおいてパーソナルデータのバックアップを取るのはさほど難しい技術ではないのだ。
無無明もそれはわかっている。
だから納得は出来た。
その上で挑発する。
「また殺されに来たのか?」
「違う」
端的にドミニ。
無無明は紫煙を吐く。
「それじゃあ何ゆえヘルクラネウムファミリーを決定機関権限で操って俺を銃殺しようとしたんだ?」
「必要だったからだ」
まるで揺るがぬ言い様。
コーヒーを味わう仕草にも隙はない。
「俺を殺すことが、か?」
「無無明が高度な防御能力を持っているという事実を確認することが、だ」
「ふむ」
無無明はタバコを灰皿に押し付けて鎮火させるとコーヒーを飲みだした。
苦みと旨みが口内に広がり一種の高揚感を覚えさせる。
カオスの淹れるコーヒーは紛れもなく絶品であった。
「零距離の弾丸さえ防ぐ防御能力。あれは異能であろう?」
「まともな人間が出来ることでは……少なくともないな」
「で、あろうな」
納得とばかりに言ってカップを傾けるドミニ。
無無明もそれに習った。
カチンと受け皿とカップがぶつかって陶器の音を鳴らす。
「何と契約した?」
「言うわけないだろうが」
即答。
「アホか」
と言わんばかりである……無無明の言は。
そして実際に契約者は自身の契約した超常存在について口を封ずる傾向にある。
知られれば特性を見抜かれ弱点を暴かれるに等しい。
故に契約者にとって契約先は墓場まで持っていくものなのだ。
まして敵対するかもしれない相手に堂々と名乗る筋合いはさらさらない。
だがドミニは怯んだ様子も無かった。
「…………」
冷静にコーヒーを飲んで吟味すると切り口を変えてきた。
「我は決定機関直属の使者である」
虎の威を借る狐。
「はあ」
無気力に相槌がうたれる。
無無明のものだ。
「だからどうした」
という言葉が透けて見える。
無無明にとって決定機関という看板は無意味に過ぎた。
「軍の関係者か?」
「否」
ドミニの否定は簡潔極まった。
「我々は決定機関直属にて組織された委員会である。軍とは関係ない」
「委員会ね……」
コーヒーを飲んだ後ほっと吐息をつく。
「で、決定機関直属の委員会が何で俺の命を狙う? というかバックアップが何で別個体の死ぬ間際のことを覚えてやがる?」
「前者の質問については先にも言ったが銃弾すら効かぬ汝の異能を確認するためだ。後者の質問については我の脳はブレインユビキタスネットワークに繋がっていて常時バックアップをとっているためである」
「まさに言葉通りの手先だな」
「否定はしない」
蒼色の瞳に負の感情は映っていなかった。
「それで? 俺の防御力を試してどうだというんだ?」
「問う」
「聞こう」
「その防御力で以て聖人の攻撃能力……神之御手を防げるか?」
「知らん」
端的だが事実だ。
ドミニの意図する所とは「多少ずれる」のだが本当に試しようがないのである。
しかしてその理由についてまで丁寧に解説するほど無無明は人間が出来てはいないのだが。
「仮に防げてなんだというんだ?」
「そが本物であればそれは人類にとっての光明である」
コーヒーを飲む。
「さて、言っていなかったな。我および我々は決定機関直属にて組織されたレコンキスタ委員会である」
「レコンキスタ委員会……」
コーヒーの苦みではなく顔をしかめる無無明。
「我々委員会が組織された理由は偏に大陸の住居権の奪還を目指すためである」
「…………」
「聖人および唯一神の排斥および排除。それによる人類の救済および繁栄。人類の千年の安寧を実現するために我々委員会は立ち上がった」
「…………」
無無明は黙々と話を聞きながらコーヒーを飲んでいた。
あまりにつっこみどころが多すぎるため、
「とりあえず喋らせるだけ喋らそう」
という当然の帰結になるのだった。
「人類が再び地面を踏みしめる。そのための我々である」
「…………」
「レコンキスタ。即ち再征服。我々レコンキスタ委員会は聖人から大陸を取り戻し人類に当たり前の幸せを享受させるために存在する」
「…………」
「聖人は強大で、唯一神はなお強大である。そのため神および使徒と戦える戦力を求めているのだ」
さすがにつっこまずにはいられなかった。
「それと俺の銃殺に何の関係がある?」
「聖人の持つ絶対殺害能力……神之御手に対抗できる防御能力を我々は欲している。無無明はそに該当するかもしれぬのだ」
「買いかぶりすぎだ」
苦々しくコーヒーを飲む。
「それで俺にどうしろと?」
「ニューロンマップを提供してほしい」
「なにゆえ?」
「契約者を量産するためだ」
ドミニの瞳は真剣だった。
冗談を言う人間にはまるで見えないが、それでも冗談にしか聞こえないことを堂々とのたまう。
「契約者の……量産……?」
「然り」
首肯される。
「聖人を滅ぼす手段は契約者の異能をおいて他にない。故に聖人に対抗するために強力な契約者を見繕い……協力をあおいでいる」
「…………」
今度の無無明の沈黙は多少の驚愕ゆえだった。
契約者の量産。
少なくとも……その成功例として『無無明が存在する』のだから。
「我々レコンキスタ委員会は聖人に打ち克つ異能を求め欲している。そのために無無明のニューロンマップを提供し……」
「断る」
最後まで言わせずけんもほろろ。
無無明にしてみればドミニの提案は看過できるものではなかった。
少なくとも自分自身のレゾンデートルにおいて。
無無明にとって無無明の契約先は一種の遺産だ。
安易にふれまわったり量産されたりしていい物ではない。
それを人は感傷と呼ぶのだが、それ故にままならぬのもまた事実。
「どうしてもか?」
「どうしてもだ」
よどみなく。
「…………」
「…………」
無無明とドミニの間にて気迫がぶつかり合う。
カオスは我関せずとコーヒーを飲んでおり、ラーラは「いざ」という時のために服の外に出ないように神之御手を展開していた。
もっともラーラのソレは杞憂だが。
「ふ」
とドミニが吐息をつく。
それから思案し、提案する。
「金で解決できる問題であるか?」
「無理だ」
簡潔にして明快。
「では交渉といこう」
「手札はあるのか?」
「例えば助手のお二方の命を天秤にかけられるか?」
「…………」
無無明は沈黙する。
それは静謐なる激情の予兆だった。
それにドミニは気づかない。
「我はレコンキスタ委員会の構成員。契約者として量産されたサイボーグ。故に我はサイボーグとしての性能と契約者としての異能を併せ持つ。そから二人を守れるか?」
「…………」
コーヒーカップを傾ける無無明。
焦りは無かった。
淡々としていた。
表面上は。
「お前も契約者か」
出てきた言葉はそれである。
「然り」
無無明の底深い激情なぞ知らぬドミニが首肯する。
「我はアイムと契約した……正確にはアイムと契約した者のニューロンマップをコピーされたサイボーグである。故にアイムの異能を扱える」
「アイム……火炎公か?」
「然り。ソロモン七十二柱の一柱……手に持つ松明で全てを燃やし尽くすが故に付いた名が火炎公。アイムが我の異能なり」
「…………」
無無明は言葉を選んでいた。
ドミニは手の平にボッと炎を生み出す。
何の火種も燃料もなく……である。
火炎公アイム。
その異能の本質だ。
「我の具申を却下するならば無無明、汝はともあれ汝の大切な人間は地獄を見るぞ」
「灼熱地獄……か」
「然りだな」
グッと手を握って炎を潰すドミニ。
「何時でも事務所内を焼き払える」
と言外に示しているのである。
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