第17話 その者、天より堕とされて2

「ラーラ」

「何です?」

「デートするか」

 まことあっさりとした無無明に、

「なにゆえ?」

 と問わざるを得ないラーラ。

 白い瞳が、

「何の冗談だ」

 と言っている。

「まぁ建前なんだがな」

「建前……?」

「ちょっと膿を吐き出そうかと思ってな」

「どゆこと?」

 心底わからないとラーラ。

「とにかく」

 フーッと紫煙を吐く。

「出掛けないか? 美味しいパスタ屋があるんだが……」

「行きます!」

 チョロかった。

「にゃはは」

 とカオスが笑う。

 カオス自身は嫉妬することもなかった。

 そもそも無無明の本来の目的を悟っているのだ。

「カオスは一緒じゃないの?」

「まぁそれにも色々と事情があってな」

 不明に誤魔化す。

「ふーん?」

 ラーラは納得したようだ。

 理由なぞ後付けでも構わないのだろう。

「こういうところは聡いな」

 と無無明は評価する。

「変装した方がいいかな?」

「どうかな」

 ぶっきらぼう。

「不必要にアオンの住人を怯えさせることもないと思うっすけど」

「だね」

 首肯してラーラは黒いロングのウィッグを被り瞳に黒いカラコンをつける。

 無無明は黒髪黒眼に漆黒のレザーコートと黒いパンツという黒尽めだ。

 そしてラーラもウィッグの黒髪ロングにカラコンの黒眼で漆黒のゴスロリドレスという黒尽めだった。

 さて、

「土産は何がいい?」

「にゃはは。無無明がいいっす」

「了解」

 タバコを吸いながら苦笑する。

 その意味するところを無無明は正確に捉えていたからだ。

「いってきますねー」

 ラーラは無邪気だった。

 そして黒尽めの二人は無無明探偵事務所の玄関口から外に出て、

「っ!」

「…………!」

 爆撃を受けた。

 焼夷弾である。

 着弾。

 同時に燃焼。

 炎が炎を呼び無無明とラーラを襲う。

 ラーラは爆散する炎の中で平然と立っていた。

 自身のみならずゴスロリドレスさえ燃えることはない。

「聖人の絶対防御能力の前に焼夷弾なぞ何ほどのものぞ」

 といった様子だ。

 そしてもう一人……無無明は既に炎から逃れていた。

 こちらもまた絶対自動防御能力を持っているが、わざわざ焼夷弾の威力をくらってやるほどお人よしではない。

 炎と煙で視界を塞がれたランチャーの所持者は確実に二人を殺したと確信したに違いない。

 そしてその確信をもったまま死んだ。

 一発の弾丸によって。

「やれやれ」

 タンと銃殺死体の近くに着地する無無明。

 手にはプトレマイオス社ブランドのフルオート拳銃……名をトレミー。

 無無明の愛銃だ。

 結界にて既に殺意とその手段を探知していた無無明は焼夷弾の炎の届かぬ高みまで一瞬で跳躍。

 懐からトレミーを抜いてクイックドロウ。

 襲撃者の頭部を銃弾で撃ち貫いた。

 その後、重力につかまって着地したという経緯である。

「はなからこれか」

 ぼやいてタバコを吸う。

「殺す必要まであったんですか?」

 炎の渦から煤埃一つない姿で現れたラーラの非難めいた言に、

「右の頬を打たれたら」

「一片の容赦もなく殺し尽くす」

「そういうことだ」

 ニヤリと笑う無無明だった。

 ラーラは反論の無益さを知っているが故にそれ以上の言葉は紡がなかった。

 実際に愛と徳による世界平和など人類史において一瞬たりとも実現したことがないのだ。

 別に無無明は誰彼殺しているわけではない。

 こちらに敵対する襲撃者のみに選別してはいる。

 殺人の罪と責任については十二分に承知していて、なおかつ、

「だからどうした」

 と言っているのだ。

「ヒエラルキーは存在する」

 を前提に、無無明は自身を高位に設定していた。

 先にも綴ったが無無明は、

「憎しみの連鎖」

 というプロパガンダを嫌悪しているし同時に嘲弄もしている。

「もし本当に憎悪が連鎖するならば泣き寝入りする人間なぞいるわけがない。それは強者にとって都合のいい空想だ」

 と。

 故に、

「自分に喧嘩を売ってくる奴はどいつもこいつも泣き寝入りすればいい」

 という結論に至る。

 事実今までがそうであったしこれからもそうだろう。

「じゃ、パスタ屋まで行くか」

 無無明の思考には殺人への罪悪感も死人への祈りも存在しない。

「放っておけば誰かが処理してくれるだろ」

 そんなことすら思っている。

「さ、行くぞ」

「……はーい」

 ラーラは自身の心との折り合いを付けられず、とりあえず現実を直視しないと云う安全策を取った。

 行われる殺人や量産される死人を見ないふり。

 心の安寧を得るためには防衛機制に頼るのがもっとも効果的であることを無意識に感じ取っているのだった。

 抑圧。

 あるいは合理化。

 そう呼ばれる心の動きである。

「罪悪感を忘れよう」

 抑圧。

「相手から手を出してきたから反撃するのが当たり前だ」

 合理化。

 そんな意識だった。

 ちなみに無無明にしてみれば、

「防衛する理由がわからん」

 以外の感情は無いのだが。

「改めて行くぞ」

 催促する。

「うん」

 答える。

 そして二人はパスタ屋まで歩くのだった。

 無法地帯であるため交通機関は設置されていない。

 基本的に歩きだ。

 もっとも賞金首の身であるため交通機関なぞ使おうものなら丸ごと纏めて爆殺させられるだろうが。

 そこまで遠い場所にあるわけではないし、あくまで掃き溜めであることを前提としても治安の良い個所である。

「問題は……」

 無無明は新しいタバコに火を点ける。

 そして結界にて発生した他者の殺害行動を鋭敏に察知してのけるのだった。

 タバコを口にくわえたままクイックドロウ。

 建物の陰から躍りだしてきた襲撃者をトレミーで射殺する。

 悲鳴が上がった。

 当たり前だ。

 警察は干渉しないにしてもモラルは存在する。

 不文律ではあるが。

 そをあっさりとねじ伏せる無無明からクモの子を散らすように五層の住人は逃げ去る。

 残ったのは無無明とラーラと銃殺体と無無明を狙う襲撃予備軍のみであった。

 襲撃予備軍は無無明を虎視眈々と狙っていたが、その全ては無無明の結界に囚われていた。

 姿を現して刃物や銃器をもって襲い掛かってくる襲撃者は例外なくトレミーによって殺害された。

 元より弾切れという概念の無い銃である。

 そこに無無明の能力が加われば白洲三百人力とも言える。

 襲撃者が引き金を引くより早く、結界でそれを察知している無無明のクイックドロウの方が圧倒的だったのだ。

 五層の無無明探偵事務所からパスタ屋までの道のりに計七名の死者が出た。

「それが他殺であれ自殺であれ……死ぬということは泣き寝入りだな」

 くつくつと笑って無無明はタバコを吸う。

「人を殺すくらいなら自分が殺される」

 などという殊勝な気持ちは無い。

「強きが生きて弱きが死ぬ」

 あるいは、

「強者が横柄に振る舞って弱者が泣き寝入りする」

 そう提唱してやまない。

 そして無無明はまず間違いなく強者だった。

 自身を強者と勘違いして襲ってくる弱者に相応の対処をすることに責任感も罪悪感も覚えようがない。

「もっとも……」

 タバコを吸いながら嘲笑する。

 フーッと紫煙を吐く。

「そろそろ対応を考えないといけないのも事実だがな」

「…………」

 ジト目のラーラ。

 無言のプレッシャーを放つが無無明は飄々と。

「無無明はそもそも良心の呵責というものが設定されてないのでは?」

 ラーラにはそうとさえ思えた。

 半分あたりで半分はずれだったが。

 そんなラーラの心中知らず、

「ついたぞ」

 無無明はパスタ屋を指差した。

『ペスカトーレ』

 そんな看板を掲げるパスタ問屋。

 イタリア風の一軒家。

 無無明とラーラは扉を開いて店内に入る。

 カランカランと原始的な玄関ベルが鳴る。

「いらっしゃ……っ!」

 営業スマイルで迎えようとした店員の表情が引き攣った。

 無理もない。

 漆黒のレザーコートを着ている人間なぞそうはいない。

 無無明を「あの無無明」と認識するのに記憶を掘り返す必要もないだろう。

 が、そんなことを勘定にいれず無無明とラーラは席に着いた。

 無無明はカルボナーラを、ラーラはペペロンチーノとカルボナーラとボンゴレと海鮮リゾットを全部大盛りで頼むのだった。

 伝票に注文を記すと店員は逃げるように店の奥へと姿を消した。

「大人気です」

 ラーラが皮肉気に笑う。

「だな」

 無無明も負けてない。

「でもですよ」

「なんだ?」

「私の変装はともかく無無明は確実にばれているよね」

 いまどき漆黒のレザーコートを着ている人間なぞそうはいるまい。

 無無明には手放し難い一品だとしても知らぬ人間から見れば髑髏顔に鎌を持った死に神の纏うローブだと錯覚するのも無理はない。

「客が減るのは痛手ではあるな」

「毒を盛られたりしますかね?」

「それはこの店のパスタについて言ってるのか?」

「うん……まぁ……です」

「大丈夫だろ」

「そりゃ私も無無明も毒は効きませんけど……」

「そういう意味じゃない。含んでないかと言われればややも微妙なラインだが……そうじゃないんだよ」

「?」

「飲食店に限らず客商売ってのは客の信頼と評価が何よりの財産だ。こればっかりは金では買えないからな。仮にこの店で毒殺が起きたなんて風聞が流れてみろ。店としては致命的だ。むしろここのシェフは俺たちが食中毒になるかもしれないことに戦々恐々していると思うぞ?」

「過程がどうあれ……ですか?」

「そもそも俺たちを待ち受けて前もって毒を用意する労力すら業務には必要ないだろう? 素直に馳走になろうぜ。金は払うんだが」

「ですね」

 納得してラーラは大量のパスタとリゾットを胃に押し込めた。

 無無明は素直に一人前のカルボナーラを胃に収める。

「どうだ?」

 これは味の感想だ。

「美味しかったです!」

 ラーラは満面の笑みだ。

「イタリア料理……ことパスタならば五層で多分ここが一番美味いと俺は思ってる」

「実際に美味しかったですし」

「なら良かったよ」

 そして無無明は伝票を握りしめると会計をした。

 それから無無明とラーラ、二人肩を並べて店外に出ると、

「無無明様。ラーラ様。お待ちしておりました」

 漆黒のスーツを着た男性に出迎えられた。

 男はパスタ問屋『ペスカトーレ』から出てきた無無明とラーラに慇懃に一礼したのである。

 男の後ろにはリムジンがあった。

 自動車。

 無法地帯である五層以下のいわゆる掃き溜めで車を利用している。

 それだけで男の身分がわかろうというものだ。

「…………」

 店内禁煙であったため外に出て漸くタバコをくわえて火を点けた無無明が無言で状況を観測し紫煙を吸った。

「無無明」

「なんだ」

「誰?」

「知らん」

 フーッと煙を吐く。

「で、お前誰?」

 無無明の誰何。

 漆黒のスーツの男は名を名乗らず身分を名乗った。

「ヘルクラネウムファミリーのドン・ベルの使いにございます」

 アオンの最下層という魔窟において一定の支配力を持つマフィア……ヘルクラネウムファミリー。

 その使いだと言ったのだ。

「…………」

 無無明は言葉を探しながらタバコを吸う。

 紫煙を吐いて問う。

「ベルが俺に用事か?」

「わたくしはただ無無明様とラーラ様をドンの元へお連れするよう申し付かっているだけでございます」

 要件を聞くだけ無駄。

 少なくとも目の前のスーツの男が知っているはずもない。

 本当にお使いなのだろうと無無明は認識してタバコを吸う。

 男はリムジンの扉を開くと、

「どうぞお乗りください。ご案内いたします」

 営業スマイルでそう言った。

「どうする?」

 ラーラが無無明を見上げて問う。

「別に構わんだろ」

 返ってきた言は飄々としていた。

「お招きにあずかるとしよう。どうせ向こうに害意があろうと勝ちきれる戦力だ」

 いけしゃあしゃあと言ってのける。

 そして無無明とラーラは車上の人となった。

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