第16話 その者、天より堕とされて1

 最終人類都市アオン……の六層。

 そこにある薄暗いバーの中で、心地よいジャズ音楽の演奏にて気持ちを落ち着け、無無明は特務士官アルベルトと酒を呑んでいた。

 無無明はウィスキーとたこわさ。

 アルベルトはカクテルとチーズ。

「……というわけ。とっぴんぱらりのぷう」

 依頼内容を全てぶちまけてオチをつけると無無明はクイとウィスキーを飲んだ。

 カッと口内が刺激される。

 チェイサーで鎮める。

「エンジェルダストによる人工聖人の量産……」

「あくまで可能性の話だ」

 無無明は断じた。

 誤解はしてほしくなかったのだ。

「ラーラと福音教会とエンジェルダストとその効能とが因果関係を持つという証拠もない。あくまで最悪の可能性を考え得るならば、だ」

「しかし放任はできませんよ先生」

「こっから先は軍の仕事だろ?」

 ウィスキーを飲んでくつくつと笑う。

「もっとも……あの決定機関が能動的に動くかというと怪しいものがあるがな」

「黙認すると?」

「少なくとも聖人の原理を解明するには手っ取り早いんじゃないか? その対価として掃き溜めの人間が何人死のうが決定機関の知るところじゃないだろう? いざとなれば下層をパージして無かったことに出来るしな」

「…………」

 思案しながらカクテルを飲む特務士官アルベルト。

「もし下層で聖人が生まれたら……」

「地獄絵図だろうな」

「福音教会の狙いはそれでしょうか?」

「どうだかなぁ」

 クイとウィスキーをあおる。

「仮に唯一神の代行者である聖人が侵攻してきても抵抗する力がある。それを決定機関は十分に確保しているし、それと知らない福音教会でもなさそうだがなぁ」

「契約者……」

「然り」

 たこわさコリコリ。

 ありとあらゆる武器火器兵器が聖人には通用しないことは先述した。

 そしてそれに例外があろうことも。

 その例外と云うのが契約者による異能なのである。

 唯一神は観測されることによって姿を現した。

 それは契約者によって観測された超常存在と同列ということだ。

 過去に魔術師と呼ばれた人種。

 それらの異能こそが唯一人間が聖人に抗することのできる能力なのだった。

 それ故、契約者はアオンで優遇される。

 無無明はその恩恵にあずかっていないが、元より決定機関に従属する気がさらさら無いのだからしょうがないことではあった。

「ん」

 無無明は書類をアルベルトに差し出す。

「何ですか先生?」

「請求書」

「わかりました。振り込んでおきます」

「よろしくな。ちょっと台所事情が厳しいから」

 本音だった。

 頭を抱えはしないものの、そんな気分にはなる。

「先生ほどの契約者ならいくらでも優遇されるでしょうに」

「まぁこっちにも色々あってな」

 ぼやくように無無明。

 カランと氷の崩れる音がグラスから聞こえる。

「人工聖人の成功体……たしかラーラさんでしたっけ? その方にも是非お会いしたいのですが」

「無理」

 断ずる。

「六層以上に出せば福音教会が黙ってないだろ?」

「軍で保護するというのは無しですか?」

「本人次第だが俺が見るにうんとは言いそうにないな」

「ですか」

 アルベルトの答えはサッパリしたものだった。

「仮に理性的な聖人が味方になってくれるのならこれ以上ない戦力なんですが……」

「殺めず偽らず謀らず……だそうだ」

「純真な女の子なのですね」

「洗脳された結果だ」

 にべもない無無明の言。

 暴力は蹂躙と抵抗の二種類がある……と無無明は思っている。

 一方的な暴力を蹂躙と呼び、そから身を守る暴力を抵抗と呼ぶ。

 少なくとも無無明は抵抗としての暴力を否定していない……というより推奨すらしている。

 そうでなければ軍や警察の意義なぞ存在しえないだろう。

 まして正義は体現できないだろうことも。

 正義。

 綺麗な言葉である。

 しかして世論に迎合した暴力であることに疑う余地はない。

 必要な暴力でもあるのだが。

「それがラーラには足りない」

 と無無明は思う。

 暴力そのものは害悪としてもその結果までをも否定することはない。

 政略レベルで問えば蹂躙と蹂躙の抗し合いもあるだろう。

 それを指して人は戦争と呼ぶのだが。

 人が戦争を放棄したのは精神的に過去から成長したからではない。

 唯一神……そしてその代行である聖人と敵対しているからだ。

 とあるスペースオペラにはこういう言葉がある。

「集団に必要なのは敵である」

 と。

 なるほど。

 至極合理的だと言える。

 聖人という敵がいるから人類は一致団結できる。

 そうでもなければ人類は今でも大陸の上で殺し合いを続けていただろう。

 その流れる血の尊さを理解せずに。

 しかして聖人に対する暴力は抵抗に分類される。

 個人レベルで見てもラーラが狙われるのは必然で、ソレに抗うための殺人は賞賛されて然るべきだ。

「その辺がなぁ……」

 良かれ悪しかれだ。

 少なくとも無無明にとっては。

「先生には受け入れがたいですか?」

「まぁな」

 ウィスキーをあおる。

「博愛主義が世界を支配したことはない」

 無無明はそう認識する。

 そしてそれは否定できない事実だ。

 人類と宗教は切っても切り離せない関係だ。

 宗教がニアリーイコールで文明と云うことさえ出来るだろう。

 そして宗教の原則は……例えそれがどんなモノであれ、

「殺めず偽らず謀らず」

 を基本とする。

 愛と徳による精神支配。

 それこそ宗教であるはずなのだ。

 しかして聖人が現れるまで人類から戦争が無くなることはなかった。

 むしろ愛と徳を建前として他の文明を犯すことこそ戦争といえる。

 つまり暴力の一つの形……蹂躙だ。

 故に博愛主義は欺瞞で、それに準ずるラーラの道徳心もまた欺瞞である。

「その辺わかってるのかね?」

 故にぼやくのだった。

「道徳的人間としては及第点でしょう」

 アルベルトは気休めを口にした。

 まさしく気休めだったが。

「その気になれば横柄に物事を揃えられるんだがな」

「それではマフィアと変わりありませんよ先生」

 苦笑される。

 無無明も苦笑した。

「なんだかな」

 苦笑したまま無無明は酒の入ったグラスを揺らす。

「それ相応の能力を持っているんだから、もうちょっと傲慢になってもバチはあたらないと思うんだが」

「先生の様に……ですか?」

「まぁな」

 苦笑が苦笑いに変わる。

 それが無無明の答えだった。


    *


「この雪よ、天の一部の、結晶よ、愛する人に、いと降り注げ……なぁんてね」

 カオスは私服にエプロン姿でフライパンを握っていた。

 三人分の朝食を作るためだ。

 一人異常に燃費の悪い(本人曰く神之御手を使うかららしい)人間がいるため準備も大変である。

 だがカオスの金髪は輝かしく、その碧眼は神々しく、一切の憂いと云うものが見つからない。

 他者に愛を注ぐことに情熱を燃やす性質である。

 燃費の悪い人間には質より量でざっくばらんだが愛しい人には、

「僕の作った料理が愛しい人の血肉になるのが僕には嬉しい事なのさ」

 などと嘯くのだった。

 無無明探偵事務所は今日も今日とて平常運転。

 ちなみに事務所の助手一号が三人分の朝食を用意しているカオスであり、助手二号が朝飯前に黒パンを取り出してもふもふ食べ続けている白髪白眼のラーラだった。

 絶世と言って言い過ぎることのない美少年と美少女。

 そんな助手二人を持つ所長はいまだ夢の中。

 事務所二階の寝室にて全裸で寝ていた。

 一応下半身は布で隠しているため見苦しくはない。

 昨晩の情事で体力を消耗し回復に努めている……というほどのことでもなく単純に寝起きが悪いだけである。

「むーむーみょー?」

 朝食を作り終えたカオスがエプロンを外して所長……無無明を起こさんと寝室に入る。

 いつも通り呼ばれて起きるほど可愛い寝起きの悪さではない。

「…………」

 カオスはツイーと筋肉のついた無無明の体に指を這わせた。

 それだけでゾクゾクとした快感がカオスを襲う。

「はぁ……やっぱりいいなぁ」

 うっとりとする。

 変態ではあったが今更でもある。

 それからカオスはミントの錠剤を口に含み無無明とフレンチキス。

 無無明の口内を凌辱してミントの錠剤を送り込む。

 現象の発露は急激だった。

 無無明が咳き込んで覚醒する。

「あー……」

 黒眼と碧眼が交錯する。

「おはようカオス」

「にゃはは。おはようっす無無明」

 いつものやりとり。

「朝食っすよ」

「ん。先に行っててくれ」

「あいあいさー」

 寝室を出てダイニングへと向かうカオス。

 それを見届けた後、

「けほ」

 とミントの香りの咳を吐き出して、無無明は全裸であるが故に服を着用した。

 白いワイシャツに黒いパンツ。

 かっちりしてはいないがそれが無無明の部屋着だった。

 カオスとラーラの待つダイニングに顔を出す。

「おはようございます無無明」

「はいおはようラーラ」

 柔和に目を細めてラーラの挨拶に応える。

 それからダイニングテーブルの席に着く。

 三人そろって朝食を開始する。

 今日の朝食は黒パンとスクランブルエッグとウィンナーとレタスサラダだった。

 無論ラーラの分は大盛り。

 とはいえ手ずから作ったものであるが故にそに込められた愛情は本物である。

「無無明、美味しい?」

「ああ」

 阿吽の呼吸。

 たった二文字の無無明の肯定の言葉にカオスは達したような喜びさえ覚えるのだった。

 無無明はテキパキと朝食を胃に押し込めていく。

 事実「美味しい」と感じながら。

 朝食が終わるとカオスが豆から挽いたコーヒーを無無明に差し出した。

 カオス自身もコーヒーを飲む。

 両人共にブラックである。

 ちなみにラーラは大量の朝食を小さな口に押し込めながらもふもふと朝食中だった。

 そんなラーラにはミルクと砂糖たっぷりのコーヒーが置かれた。

 朝食とコーヒーを胃に押し込めて、

「けぷ」

 と満足の吐息をつくと、

「ご馳走様でした」

 ラーラは仏と犠牲に感謝した。

「にゃはは。コーヒーのお替りは?」

「いります」

「俺にも」

「あいさー」

 そして無無明とラーラがカオスの淹れたコーヒーを飲んで、その間にカオスが朝食の食器を洗って片付ける。

 とはいえ八割方の過程は自動機械によるものだが。

 それからそれぞれがそれぞれに着替える。

 無無明はトレードマークともなっている漆黒のレザーコートを身に纏う。

 カオスはメイド服……カチューシャも完備だ。

 ラーラはカオスに買い与えられたゴスロリドレスを着た。

 三人そろって二階から一階へと降りる。

 無無明は所長椅子にどっかと座ってタバコを取り出すと火を点ける。

 カオスはパソコンのある助手用の席に座った。

 ラーラは事務所の玄関の掛札を「クローズド」から「オープン」にひっくり返す。

 その後、客用の革張りのソファに寝っ転がって映画フリーク必須の雑誌「シネマレコード」を読み始める。

 三人が三人ともダラダラしていた。

 無無明はタバコを吸いながらボーっとしているだけであったし、カオスはパソコンでイリーガルなことをしながら(当人曰く「業務」とのことらしい)時に思い出したようにコーヒーを淹れては無無明とラーラに振る舞う。

 ラーラは「シネマレコード」を細部まで丁寧に読み尽くす。

 客は来ない。

 依頼も無い。

 その上で一人、食い手が増えた。

 さしあたり兵糧はあるが永久を約束するものではない。

「暇だね」

「言うな」

 真実を捉えたラーラの言葉に無無明は心を傷つける。

 六層の姉の眠る教会にて教徒をしているシスターマリアからの依頼……、

「ラーラを探し出すこと」

 はある意味で達成したが完結が出来る類のモノではない。

 軍からの依頼である、

「エンジェルダストの捜査」

 も達成した。

 つまり現時点を以て無無明探偵事務所には依頼も客も存在しないのだった。

 わかってはいるが零細事務所の悲しさよ……無無明はタバコを吸って紫煙をフーッと吐くと空中に散り散りに消える煙に無常を覚えた。

 何の意味もないことではあったが。

「にゃはは。なんなら僕と良い事する?」

「昨夜散々したろうが」

「ぶれないですね……お二方」

 あだっぽい光を瞳に宿すカオスに無気力に答える無無明に第三者としてつっこむラーラ。

 どこまで平常運転だった。

「広告宣伝とかしないの?」

「金がかかるからなぁ」

「でもお客が来ないことには意味ないでしょ?」

「それはその通りだが……」

 スーッと紫煙を吸う。

 ニコチン摂取ニコチン摂取。

 そしてフーッと紫煙を吐く。

 そもそもにしてラーラも知っての通り無無明探偵事務所は零細事務所である。

 依頼は上層からのピンハネ仕事か軍や警察や犯罪組織関係のイリーガルな仕事に終始する。

 前者は手間がかからないが収入は少なく、後者はある程度の報酬はあるが命がいくつあっても足りない。

 時に甘い言葉と偽りの文面によって「大丈夫か」と短絡的に思い……その実、命の危うい仕事をしたことも二度や三度ではない。

 無無明でもなければとっくに太平洋の魚の餌になっているところだろう。

 太平洋上に建設されたアオンにおいて「太平洋の魚の餌」はいわゆる制裁の代名詞である。

 ある種、人間から乖離しているが故に無無明は掃き溜めにおける探偵という仕事をやっていけるのだ。

 毒にも薬にもならないがアオン上層の人間にとって無無明が掃き溜めの捜査に使いやすい存在であることを本人自身が認識している。

 だからどうだというわけでもないのだが。

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