第15話 エンジェルダスト5

「拷問は人類の生み出した文化的諜報だ。人体のスペシャリストが行なう高度に知性的な知識と技術の集合体だぞ?」

「何でも話すからやめてください」

「つまらんなぁ」

「とりあえずお茶を用意するから待ってて。大丈夫。逃げたりしないから」

「まぁ逃げられても簡単に追い詰められるしな」

 当然とばかりな無無明にブイヨンは冷や汗をかいた。

 いっそ静かな自信が確定的能力によって支えられていることを認識したからである。

 それからブイヨンはキッチンへと消えて三つのコップにアイスティーを注いで再度現れた。

 ストロー付き。

 振る舞われたアイスティーをストローで吸う三人。

 一口飲んで無無明が口を開いた。

「で、とある麻薬について何だが……」

「何の麻薬?」

「エンジェルダスト。まさか知らないとは言わないよな?」

 チューとアイスティーを吸って無無明。

 タバコを吸いたい気分だったがお茶の席でもそれもなかろうと自重している。

「あー……あれね……」

「お前が調合したって聞いたが」

「誰に?」

「ここで言うわけないだろ」

 自身は情報を聞き出そうとしているのに自身の手札は見せないというのは、ある種の不条理ではあるが、ベラベラ喋っては探偵業に支障をきたすためしょうがないことでもあった。

 言わずもがな無無明がそんな殊勝な理由から沈黙しているかは別として。

「なにか問題でも?」

 今度はブイヨンが聞いた。

「無償かつ無料かつ無銭でアオン……特に掃き溜めにばらまかれている。正直その頒布状況は異常だ」

「でも麻薬に手を出すのは自己責任でしょ?」

「お前が言うのか」

「んー」

 チューとアイスティーをすするブイヨン。

 それから、

「あーだこーだ」

 と考えて、

「これはオフレコにしてほしいんだけど……」

 欺瞞は通じないと悟ったのかブイヨンは口を開いた。

「エンジェルダストっていう薬は本来麻薬じゃないの」

「は?」

「っ?」

 無無明とラーラはポカンとした。

 アイスティーを飲む程度の判断は残していたが。

「麻薬じゃない?」

「そう言ったよ」

「…………ふむ」

 しばし考えた後、

「もっと深く突っ込んでいいか?」

「無理って言ったら」

「…………」

「わかったって。話せばいいんでしょう?」

 無無明は何も言っていないのだがブイヨンはそのことこそが恐ろしかった。

「元々エンジェルダストっていうのは麻薬じゃなくて、とある薬品のことなの」

「薬品?」

「そ。私が依頼されたのは……そのエンジェルダストっていう薬品に麻薬の依存症を付与してくれってこと」

「つまり今ばらまかれているエンジェルダストは二次製品ってわけか……」

「ま、ね」

 アイスティーを飲むブイヨン。

「これでも苦労したんだよ? 効能をそのままに麻薬に変えろって言われたんだから。結局麻薬としては大成しなかったけどね」

「十分広まってる気がするが……」

「それは無償でばらまいているからだよ。私のデザインしたエンジェルダストは効能も依存性も中途半端。結果として初心者用にしかなっていないし……」

「…………」

 沈思黙考。

 ブイヨンが自身の仕事に不満を覚えているのはわかった。

 だが無無明はそれより聞かねばならないことがある。

「元々のエンジェルダストはいったいどういう薬品なんだ?」

「どういう理屈かはさておいて」

 チューとストローを吸う。

「クオリアを破壊する薬品だって」

 黙考……後の結論。

「クオリアの破壊?」

「そ」

 淡白にブイヨン。

「つまり哲学的ゾンビを造る薬品だね」

「事実か?」

「リスクある嘘ついてどうするのさ」

「…………」

 もっともだった。

「なんつー無茶苦茶な……」

 他に言い様が無かったのだろう。

 今度は無無明が冷や汗をかいた。

 アイスティーを飲んでいたラーラがここでやっと口を開いた。

「哲学的ゾンビって何です?」

「外面上は一般的な人間と変わらないが実質的に自我を持たない人間のことだ。赤色を赤いと感じないが赤いと言うことが出来る機能的な人間といえばわかりやすいか?」

「自我は持たないけど判断は人間と寸分違わないってこと?」

「ああ」

 閑話休題。

「それを麻薬にしたのか?」

「それが依頼だったからねぇ」

「クオリアを破壊する薬に常習性を持たせる。そして大量の頒布。つまり掃き溜めを実験場にして哲学的ゾンビを量産することが狙い……か」

「そゆこと」

「それでどうなる?」

「んーと……」

 淀みながら発端者は語る。

「私にはよくわからないけど依頼主は原罪を洗い流す薬だって言ってたね」

「原罪を?」

「原罪を」

 そこで漸く無無明はピンときた。

 あらゆる状況が最悪の結論を指し示している。


 はるか昔の伝説となる。唯一神によって獣を律するために神のレプリカ……アダムがエデンの園に創られた。そして対となるイブが。二人は蛇に誘われるまま《知恵の実》を口にする。それは同時に善悪を理解することであり自疑を理解することでもある。善悪を知るが故にモラルが生まれ、自疑を知るが故に裸を恥じたのだから。この知恵の実を食べるという行為は神に禁じられており、それを破戒したことこそを旧教および新教では原罪と呼ぶ。善悪や自疑を得るということは自己判断を得ることに等しい。つまりアダムとイブは自意識を……唯一神の一端たるクオリアを得たのだ。


 エンジェルダスト。


 そは人類を過去の伝説に遡行する薬。

 それは間違いない。

 ではその意味とは?

「最悪だ」

 答えは傍にいた。

 楽観的にアイスティーを飲んでいるラーラである。

 ラーラはクオリアを持ちながら聖人としての能力を持っている。

 そしてラーラは成功体と呼ばれた。

「つまりエンジェルダストとは……」

 理解は最適解を導き出す。

「聖人を量産させる薬……!」

 正解だった。

 そしてそれ以上に驚異的でさえあった。

 金が無くとも手に入れることのできる麻薬……エンジェルダスト。

 そを何回と服用することで徐々にクオリアが破壊されていく。

 無論麻薬であるが故に耐性も付き、エンジェルダストの薬能が効かなくなっていくこともあるだろう。

 だが金の無い掃き溜めの住人には高い金を払って相応の麻薬を手に入れることが難しい人間もいる。

 なら慰み程度にエンジェルダストを服用し続ける中毒者もいるはずだ。

 アオンは層ごとに海中へのパージ……切り離しが出来る構成になっている。

 仮にクオリアを失い人間をやめて聖人へと変貌した中毒者がいたとしても問題となればパージすればいいだけなのだ。

 そしてその実例としてラーラは絶好の証拠能力を持っている。

 ラーラに自意識があるかどうかは問題ではない。

 仮にあるとしても聖人になっている以上、問題は解決されない。

「ありえない……って言ってる場合でもないな……」

 状況が切羽詰っていることを嫌でも理解する。

 せざるを得ない。

「わかってて麻薬にしたのか?」

 これは確認と云うより非難に近い。

 しかして、

「そんなわけないでしょ」

 ブイヨン……エンジェルダストの調合者であるドラッグデザイナーは肩をすくめるのみだった。

「どこからの依頼だ?」

 本質を切り出す。

「福音教会って言ってたね」

「あいつらか……!」

 無無明も聞いたことのある宗教団体だ。

 旧教の中でも過激派に属する一大派閥である。

 表面上は旧教のシンパの集団だが盲目的であるが故に時に破滅主義者を生み出すこともある……と噂されている。

 無無明には当然の事実ではあったが。

「ところで」

 これはドラッグデザイナーたるブイヨン。

 冷や汗をかいていた。

「なんであなたたち死なないの?」

 それは意味の分からない言葉だった。

「どういう意味だ?」

 無無明が問うと、

「致死性の毒を盛ったつもりなんだけどね……」

 無無明はブイヨンから手元のアイスティーへと視線を下げる。

「盛ったのか?」

「盛りました」

「道理で……」

 ペラペラ喋るもんだ、と思うに留める。

 無無明とラーラを毒によって殺すつもりだったからこうまでブイヨンは口を軽くしたのだと……今更ながらに無無明は悟っていた。

 が、

「根本的な前提が間違っている」

 と思わざるを得ない。

 無無明にしてもラーラにしても一般人と云う範囲から逸脱しているのだ。

 ラーラは聖人……白い髪に白い瞳に白い肌を持つ神代の存在だ。

 その造りにエンジェルダストが関わっているだろうことは無無明の思考の範囲内だが、それ故にABC兵器すら受け付けない絶対防御能力を持つ。

 毒なぞ些事に過ぎない。

 そして理論は違うが結果として無無明も同様だった。

 無無明のドラゴンスケイルは害性情報に対して自動防御を為す。

 それは細菌兵器や化学兵器であっても例外ではない。

 体内にさえもドラゴンスケイルは発動し、害性因子をフィルターのように除外する。

 毒が効くはずもなかった。

「あー……」

 何というべきか迷った後、

「今年の年始に無病息災を神様に願ったからな」

 毒にも薬にもならない戯言を放つ無無明。

 無病息災を願ったくらいで致死性の毒が封ぜられるのなら苦労は無いが契約者としての能力なぞそうそう開かせるものでもないのも事実だ。

 故に無無明は毒の入ったアイスティーをチューとストローで飲みながら、

「ご愁傷様」

 とだけブイヨンに告げたのだった。

 それは漆黒の外見と合わせて死に神の宣告にも等しかった。

「逃げる準備……しないとなぁ……」

 血の気を失せさせながら今後の身の振り方を突き詰めるブイヨンに、

「悪いことしたかな?」

 などと安直にそう思う無無明である。

 ラーラは致死毒入りのアイスティーを美味しそうに飲んでいた。

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