第14話 エンジェルダスト4

 結論から言えば一層のデザイナーの言は手掛かりとなった。

「ああ、エンジェルダストね。五層のブイヨンって奴の作品だよ」

 ちなみにこれは麻薬に限らないがモノを大量に作るにあたって巨大な施設を利用するという常識は量子指向性アクチュエータの存在によって死文化している。

 現在の生産能力とは量子にどういった変数を与えるかによって決まるのだ。

 故に麻薬工場などと云うものも存在しない。

 閑話休題。

 ドラッグデザイナーたちの相互情報網は知識の共有であり技術の共有であり危険の共有であり保護の共有でもあった。

 その口から吐き出された言葉の真偽は正確に判別することが出来ないとしても無無明に疑うということをしなかった。

 性根が真っ直ぐだからでは無論ない。

 ちょっとした永世中立的交渉によって信頼に足ると確信したからである。

「じゃあそのブイヨンにナシつけにいくんすか?」

 五層は無無明たちのホームグラウンドでもある。

 五層のブイヨンと云うドラッグデザイナーを訪ねるにあたってカオスの情報網を使うのは自然な流れといえた。

 ちなみにラーラは五杯目の豚骨ラーメン替え玉をカオスに請求していた。

 この時代においても金銭は無尽蔵ではない。

 もしも無尽蔵ならば経済は破綻し暴動が起きるだろう。

 故に労働とそれに対する報酬というのは文明の運営において必然で、必然であるが故に零細探偵事務所にとってラーラの食欲は脅威とも言えた。

 最低限の衣食住は割り当てられても第三次産業の享受を得るにも金がかかるのだ。

「ともあれ」

 フーッと吸っているタバコの灰にたまった紫煙を吐き出して、

「よろしく」

 と簡潔に無無明はカオスに頼むのだった。

 カオスもカオスで勝手知ったるものでブイヨンの住処を当てて無無明の情報端末に送る。

 それを確認した後、

「ほら行くぞラーラ」

 六杯目の替え玉を請求しようとしたラーラを、黒髪ウィッグに黒色コンタクトで変装させて引っ張り……無無明は再びラーラとともに事務所を出た。

 行先はドラッグデザイナーの住居。

 途中、食事処に寄ってラーラの食欲と財布の中身を少なくしながら歩く……が、その道は平坦ではなかった。

 なんといっても無無明とラーラには懸賞金がかかっているのだ。

 カオスがいる以上事務所については問題にしなくていいが、外に出れば話は別である。

 ラーラは変装しているため殺意の対象にならなかったが美少女であるため下卑たチンピラの感情を発露させること疑いなかった。

 だが問題としては無無明を狙ってくるヒットマンが後を絶たなかったことをこそ言うべきだろう。

 金銭と生命とを賭けて金銭をとっても無常だろうと無無明は思うのだが、強襲者は浅い皮算用によって無無明を襲うのだった。

「むしろ一撃も許さないのが問題か?」

 そんな風に思う無無明。

 襲ってくる人間は片っ端から無無明の愛銃トレミーによって先手を取られ銃殺される。

 それに脅威を感じても、

「一発でも当たれば無力化できる」

 という概念からは解放されない。

 つまり、

「先手を取られなければいける」

 と誤解を招くだろうと無無明は悟ったのである。

 そしてそれが現実となる。

 無無明の熱探知……結界の外から銃弾が浴びせられる。

 長距離射撃用のスナイパーライフルから放たれた弾丸が無無明の頭部を打ち付けたのだ。

 カツンと軽い音がして弾丸はドラゴンスケイルによって弾かれて無無明の足元に転がる。

「鱗……」

 ラーラが呆然と呟く。

「ドラゴンスケイル」

 その一端を「鱗」と見抜いたのはさすがというべきか。

 しかして無無明と契約した超常存在を、

「蛇に関する悪魔」

 と信じ切っているラーラは蛇の鱗による防御と勘違いしていた。

 それを正そうなどとは無無明は露ほどにも感じていないのだが。

 むしろ疑惑を感じたのはスナイパーライフルを撃った人間だろう。

 無無明の結界の外からの不意打ちによる射撃。

 そを痛痒しないことに狼狽しているのではないか。

 他人事に思うのだった。

 無論だからといって見逃す無無明ではなかったが。

「ラーラ」

「何ですか?」

「さっきのスナイパーライフルの射線軸を逆算できるか?」

「それくらいなら」

「なら殺せ」

「むう……」

 不満げなラーラ。

 無無明は言葉を繰り返した。

「泣き寝入りは弱者のソレだ。ここで一歩でも引けば付け狙われるぞ」

「……わかりましたよ」

 観念したというより自棄的にラーラは言った。

 そして唯一神の祝福たる神之御手が発動する。

 超音速で蛇のように伸びた腕が七百メートル先のスナイパーライフルの撃ち手を消し去った。

 神之御手はラーラの意思によって動き執拗かつ迅速かつ正確に射手を殺害してのけるのだ。

 ライフルの射線軸にいるということは射手に対して直線的な空白があることを意味する。

 ある意味で神之御手の餌食としてこれ以上は無い。

「殺すなってのが教えなんですが」

「言ったろ? それは弱者の理論だ」

 飄々と無無明は言いタバコを吸う。

 殺し殺されに対して一方通行。

 それを無無明とラーラが体現しているのは言うまでもない。

 故に金銭と生命を賭けて金銭に傾く人間は一気に少なくなった。

 スナイパーライフルによる狙撃すら無無明にとっては、

「小さな力で殴られた」

 程度の衝撃しか受けないのだ。

 自らの持つ銃の威力と比較して慢心を覚えることが出来ないのも当然だった。

 銃撃が効かない。

 おそらく刃撃も、爆撃も効かない。

 賞金首の賞金首たる理由を今更ながらに狙っている人間たちは思い知っているのだろう。

 無論それは無無明の知ったことではないが。

「…………」

 吸ったタバコの紫煙を吐く。

 漆黒のレザーコートによる黒尽めの姿。

 そはあらゆる色を塗りつぶす絶対色だ。

 喪服であると同時に死に神の衣装としても機能した。

 結界が複数人の人間の躊躇いを感知する。

 無無明が契約者であることなぞ既に推測くらいは出来ているのだろう。

 そしてその防御能力も。

「なんだかなぁ」

 フーッと煙を吐く無無明。

「本当に殺さねばならないのですか……?」

 常識論を振りかざすラーラに、

「今更何を」

 苦笑する。

 そも無無明にしてみれば、

「殺そうとするなら殺されても文句言うな」

 が前提だ。

 そを犯すことこそ侮辱にあたる。

「お前の罪悪感に付き合うつもりはないな。俺もお前も傷害者だ」

「それは……!」

 そこまで言って反論の言葉を呑みこむラーラ。

 実際ラーラも襲ってくる人間に対して反撃をしているのだ。

 無無明のドライな死生観に否定を織り交ぜることはできなかった。

 それを成長と捉える無無明もどうかと思うが。

「ま、折り合いはお前自身に任せるとして……」

 無無明はフーッと紫煙を吐く。

「着いたぞ」

 無無明とラーラはエンジェルダストのデザイナーであるブイヨンの居場所に辿り着いたのだった。

 無無明はコンコンとノックする……こともなく扉を開く。

 鍵はかかっていなかった。

 不思議な香りが屋内に漂う。

 何の香りかもわからないが目標が住んでいる以上毒物の類じゃないだろうと当たりを付ける。

 だからといって刺激物でないという保証はどこにもないのだが。

 無無明はトレミーを片手に警戒しながら、蛇の感覚を用いて熱のする方へと無許可に侵入し歩いていく。

 ラーラもそれに続く。

 片付けられていない屋内だったが、散らかっているのは段ボールの箱や薬物や試験管や注射器等々……とても「らしい」ものだった。

「だぁれ? お客さん?」

 ポヤッとした声が聞こえてくる。

 五層の治安の悪い個所にある一軒家。

 その家主が不法侵入者に声をかけてくる。

 無無明がノックをしなかったのはそれを境に逃げられないように……であったが無用な心配だったらしい。

 無無明はトレミーを持っている方の腕をダラリと弛緩させて無害を気取ると、

「ブイヨンだな?」

 そう問うた。

 ブイヨンの情報はカオスから受け取っている。

 黒いボサボサの髪に白い肌で唇に黒いルージュを引いている。

 顔は男の作りだが、黒いルージュとはいているスカートは女性的だ。

「オカマさんか」

 という思念は言葉にはならなかった。

 対するブイヨンは、

「然り」

 と頷いた。

「そっちは? 不法侵入者さん?」

 ブイヨンは苦笑した。

 対して無無明も苦笑いをする。

 どうやらブイヨンは礼を失した無無明とラーラに悪感情を持っていないらしかった。

 無無明は漆黒のレザーコートの懐にトレミーをしまって代わりに名刺を取り出すと、器用に指で弾いてブイヨンの胸元にぶつける。

 重力に引かれてハラリと宙を舞う名刺が床に落ちるより早くブイヨンが拾い上げた。

「無無明探偵事務所所長……無無明……探偵さん?」

「然り」

 今度は無無明が頷いた。

「もしかして警察関係?」

 そんなドラッグデザイナーたるブイヨンの危機感は当然のモノだったろう。

 一層から五層……俗に掃き溜めと呼ばれる空間では警察力が発揮されない。

 探偵が警察から依頼されて業務を代行するのは珍しくもない。

 が、

「警察は関係ない」

 無無明は安心させるように言った。

 嘘ではない。

 が、真実は時に残酷だ。

 無無明の後ろにいるのは警察力ではなく軍事力……軍の関係者なのである。

 無論、それを告げる気はさらさらなかったが。

「そっちの可愛らしい子は……もしかして助手?」

「可愛らしい女の子がハードボイルド探偵の助手なんて娯楽作品なら鉄板だろ?」

 謙虚な無無明の言では、

「さぁてねぇ」

 ブイヨンの疑惑は払拭できなかった。

「で? 探偵さんがこんな辺鄙な場所に何の用?」

「麻薬について」

「そんなもん掃き溜めには数えきれないほど溢れかえっているでしょ? わざわざここに来るまでのことなの?」

「お前の調合した麻薬だからな。当人に直接聞くのが手っ取り早い」

「話せることと話せないことがあるよ?」

「なら話したくなるようにするまでだ」

「ウェイト」

 ブイヨンは両手をあげた。

 降参の意思表示だ。

「穏便に行こうよ」

「何だ。文化的に良心に則って説得しようかと思ってたんだが……」

「別名は?」

「拷問とか呼ばれてるな」

 あっけらかん。

「…………」

 ブイヨンが沈黙したのも無理なからぬことだろう。

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