第11話 エンジェルダスト1

 無無明が無無明探偵事務所に帰ってくると金髪碧眼の美少年……カオスがメイド服姿で大いに歓迎した。

 それから事前に指定したとおり大量の夕餉を用意してくれていた。

 米、パン、麺、エトセトラそれぞれがそれぞれのバリエーションを豊富に並べて食する者を待っていた。

「食べていいんですか?」

「いくらでもどうぞ」

 そんなカオスの言葉を聞いたラーラは食事を開始した。

 まず真っ先に台湾ラーメンに手を出す。

 具と麺をかきこみスープの一滴まで飲み干すと、次はピッツァだ。

 アツアツのそれをさも平然と口に入れる。

 ブーファラを使った深い味のチーズがラーラの舌を楽しませる。

 次はリゾット。

 芯の残った玄人技でつくられた海鮮リゾットを胃に流し込む。

 さらにホットドッグ、チリコンカン、ペペロンチーノ、おにぎり、フカヒレスープ、ステーキ、サラダ、焼き鳥、オイルフォンデュ、エトセトラ以下略を食べきって、食後のコーヒーを飲みながら、

「ご馳走様でした」

 とラーラは言った。

「にゃはは。エンゲル係数が心配っす」

 カオスは苦笑する他なかった。

 大量に用意した食事が矮小な少女の体のどこに入ったのかさえ理解不能なほどの食べっぷりだったのだ。

 ちなみに無無明とカオスはラーラの暴食の隅でちまちまと食事をとって満腹になっていた。

 無論、食後のコーヒーを用意したのはカオスで、三人ともに現在コーヒーを嗜んでいる。

「美味しかったっすか?」

「ですです」

 これはカオスとラーラの会話。

 微笑ましいが状況にはそぐわない。

「落ち着いたか?」

 コーヒーを飲みながら問う無無明に、

「ご馳走様でした」

 ラーラが飄々と返す。

 そしてコーヒーを飲む。

 カオスは食べ千切られた痕跡である空き皿をキッチンの水場に持っていき後片付けを開始した。

 もっとも耳はダイニングに残してあるが。

「で」

 と無無明が口火を切る。

「お前はラーラであってるか?」

「それは確かに私の名前です」

「間違いじゃない……か」

 無無明はコーヒーを飲む。

「じゃあまず状況を整理しよう」

「如何様にも」

 カオスも会話には参加してないが一語一句聞き逃さないように結界を張っていた。

 カチャカチャと皿同士の打ち合う音がダイニングまで聞こえてきたが、それらを並行できることを無無明自身が一番良く知っていた。

「なんで追われてた?」

「人身売買業者に目を付けられたからです」

「それまで何処にいた?」

「名も無いさびれた孤児院です。孤児院というか……正確には単に恵まれない者の集合体と言った方が現実に即していますが」

「何故こんな状況になった?」

「だから業者に狙われたからです。私はアルビノですから偏に珍しかったんでしょう。幼い少女というのも商品価値があります。院長先生は私を差し出したりはしませんでしたが相手はヤクザ者。虐殺が起こりました。警察力による牽制もありませんですしね」

「…………」

「孤児院の院長および職員は私を逃がしてくれました。ほんの紙一重でしたが。孤児院は火を点けられ炎上し、抵抗する職員や子供たちは銃殺されました。私はその全てを振り切って逃げました。孤児院から聞こえた悲鳴や銃声は今でも耳に残っています」

「重いな」

「重いです」

「神之御手は使わなかったのか? 聖人としての絶対殺害能力を持っているのなら逃げる必要もないじゃないか。相手を鏖殺すれば済む話だ」

「殺すべからず。偽るべからず。謀るべからず。そう教えられたもので……」

「じゃあ俺に対する脅しも……」

「ええ、一時的なモノです。私は誰も傷つけたくない」

「なんだかなぁ……」

 コーヒーを飲む無無明だった。

「無無明~」

 カオスの声が聞こえた。

「なんだ?」

「コーヒーのお替りいるっすか?」

「お願いする」

「カオスさん。私にもお願いします」

「にゃはは。任せてよ」

 そしてカオスは皿洗いを終えてコーヒー片手にダイニングに姿を現す。

 そして自身と無無明とラーラのカップにコーヒーを注いで、

「うまうま」

 とコーヒーを飲みだす。

 気負いは無いらしい。

 カオスの異能を知ればその自信にも根拠はあるのだが、ここで言うべきことでもないのも確かである。

「で、根本的なことを聞くが……」

 スッと目を細める無無明に、

「でしょうね」

 剽軽なラーラ。

「何を問われてもしょうがない」

 そんな骨子が確かに有った。

「なんで神之御手を使える?」

「そりゃ聖人だからですよ」

「…………」

 質問そのものを間違えたらしいと無無明は意識を新たにした。

「お前は人間か?」

「さて、過去の記憶が無いもので」

「記憶喪失?」

「というより記憶を弄られたっぽいんですよ」

「にゃはは」

 最後のはカオスの笑いだ。

 決して嘲弄したわけではなく緊迫した空気をほどこうとした結果である。

 事実上は無益だったが、その心配りは無無明もラーラもしかと受け止めた。

「気づけば掃き溜めにいました。知識としての記憶や教養は存在するんですが現実がそれに追いついていないといいますか……」

「今一つわからないことがある」

「何でしょ? 無無明さん?」

「さんはいらん。呼び捨ててくれ」

「にゃはは。僕のこともカオスでいいっすよ?」

「では無無明、カオス、わからないこととは?」

「何で聖人がアオンにいるんだ?」

「一般的な聖人と成り立ちが違うからでしょうか?」

 白い瞳が不思議を宿す。

「具体的には?」

「一般的な聖人は地面からエネルギーを供給して動きます。しかして私はエネルギーの補給方法が違うんです」

「どう違う?」

「私は燃料を取り込んで酸素を吸収し、燃料を酸化させることでエネルギーを得ています」

「にゃは? 無無明。どゆことっすか?」

「つまり食事と呼吸だろ」

 無無明の答えは簡潔を極めた。

「つまり人間としての側面も持っている……と?」

「食事をして燃料を取り込み、呼吸をして酸素を取り込み、燃料を酸素で燃焼させるというのは人間の基本でしょう?」

「新しいタイプの聖人ってわけだ」

「というより人造聖人ですね」

「…………」

 無無明はラーラの言っている言の葉がしばしわからず沈黙した。

 コーヒーを飲みほし、タバコをくわえると火を点ける。

 煙を吸ってフーッと吐いてから漸く疑問が浮かんだ。

「人造聖人?」

 質疑としては赤点だ。

「つまり人工的に作られた聖人ですね」

「可能か?」

「食事と神之御手。両方をこなす私が確固としてここにいます」

 ラーラの白い瞳には事実認識以上の感情は浮かんでいない。

「……ややこしいことになってきやがった」

 紫煙を吐きながら無無明は状況を整理する。

「人工的に聖人を作る……そんなバカげた研究がアオンで為されてるってのか」

「そう不思議なものではないでしょう。旧教の急進派の中には聖人によって天に召されることこそ救いの道だと説く破滅願望者もいるのですから」

「そういう連中がいるのは認める。だがなぁ……」

「信じられませんか?」

「事実は事実として受け止めるとしても……」

 とここでタバコを吸う。

 フーッと紫煙を吐いて言を紡ぐ。

「研究対象はどうやって確保したんだ?」

「にゃは? つまり?」

 自分とラーラの分のコーヒーのお替りを注ぎながらカオスが問う。

「人造聖人の存在は認めよう。そういう研究をしているガイキチがいるのもこの際しょうがない。だが聖人を作るなら聖人を研究する必要があるだろ。武器火器兵器が通じない聖人をどうやってサンプル化して研究したのかがわからない」

「にゃるほどっす」

「記憶では私は《成功体》と呼ばれていました」

「成功体ね……」

 煙を吐く無無明。

「いちおうのところラーラは確保したし、後は依頼主に引き渡せば俺の依頼は完了するんだが……」

「勘弁」

 ラーラの即断だった。

「まぁな」

 無無明にとっても予想の範疇だ。

「人造聖人のラーラを探せと云う旧教のシスターが単なる迷子探しを探偵に依頼するわけもないか」

「ですです」

 コクコクとラーラが頷く。

 無無明はタバコを吸って煙を吐く。

「で?」

「とは?」

「お前これからどうすんの?」

「…………」

 一層にはいられないだろう。

 人身売買業者に狙われている。

 かといって六層以上に行けば防犯カメラが至る所に設置されているため「見つけてくれ」と言っているようなものだ。

 加えて言えばラーラはあまりに燃費が悪い。

 食事のカロリーと運動のジュールが決定的につり合っていない。

 本人の体質か聖人としての消耗か神之御手の行使のためなのかはわからないが多量の食事をラーラは必要としているのだった。

 結果、

「助手にしてください」

「それしかないか」

 ラーラの提案もわからない無無明ではなかった。

 ラーラの捜索を依頼したシスターマリアの意図や心理はどうあれ、掃き溜めからラーラを出すわけにもいかない。

 かといって無責任に放り出したら後味が悪い。

 結論として無無明とカオスとで保護するのが最善なのは言わずともわかるものだ。

「ん~」

 と唸ったのはカオス。

「なにか……問題が?」

 無無明が問う。

「寝室一つしかないっすよ?」

「三人で寝ればいいだろ。都合よくキングサイズのベッドを持っているんだからな」

「僕と無無明の情事の際はどうするっすか?」

「あ……」

 タバコを灰皿に押し付けながら今更その問題に直面する無無明だった。

「え? 男色?」

 ラーラの疑問も当然だろう。

「にゃはは。っす」

「俺は付き合ってるだけだが」

「うわぁ」

 白い瞳に映るのは軽蔑のソレだ。

 もっともそれに怯むほど胆の小さい人間では無無明もカオスもないのだが。

「じゃあラーラが無無明探偵事務所の助手になったんっすから、ラーラ用のベッドを買いに行くっす。ついでに歯ブラシと服とコーヒーカップも!」

「ベッドは何処に置くんだ?」

「ダイニングでいいっすよね? とにかく隔離すれば僕と無無明の性交を見られずに済むわけっすし」

「モーテルに行くって選択肢は無いんですか?」

 当然と言えば当然のラーラの提案に、

「色々と理由があってカオスは事務所を離れられないんだよ。無論必要があれば出掛けるが基本的に事務所に待機がこいつの仕事だ」

「にゃはは。そういうことっす」

「さて、じゃあ前言を廃棄するようで心苦しいが三人でラーラの生活空間を作るところから始めるか」

 そういうことなのだった。

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