第10話 聖人ラーラ6

「にゃはは。じゃあ収穫なしっすか?」

「だな。無為な時間を過ごした」

「ラーラ……だっけ? 一層にいないとみていいんすか?」

「さぁて。なにせアオンの層は無駄に広いからな。少女だから孤児院あたりを探すのも有りか、なんて思ってるよ」

「孤児院……」

「仮にだが個人で隠れ潜んでいるならこっちとしてもお手上げだ」

「一回、帰ってきてほしいっす。無無明パワーが不足してるっす」

「わはは」

「にゃはは」

 互いに笑い合って通信を終える。

 情報端末をポケットにしまうと無無明はタバコをくわえて火をつける。

 紫煙を吐いた後、

「言われた通りいったん帰るか」

 思案を言葉にした。

 タバコを吸う。

 無無明としては別に抱くならカオスでなくその辺の娼婦でもいいのだが、それは無無明側の理屈であってカオスの意見とは異にする。

「だがご機嫌伺いも大切か」

 と割り切って無無明はアオンの層を貫くエレベータの一つに乗った。

 五層まで直通だ。

 そして五層までが限界だ。

 当然だが治安維持の効いている六層以上に掃き溜めの人間が上るにはそれ相応の資格がいる。

 つまりそうでないかぎりにおいては制限が無いということでもあるのだった。

 と、そこで事件が起きた。

「っ」

 無無明は絶句する。

 美少女が無無明の乗っているアオンエレベータ内に飛び込んできたからだ。

 それだけなら、

「ああ、どうも」

 で済むのだが、飛び込んできた少女はあらゆる意味でインパクトが強烈だった。

 全身黒尽めの無無明と対照的な存在だった。

 白く長い髪に白い瞳、白い肌に白いローブ。

 全身白尽めと云った有様だ。

 それはまるでこの世のモノとも思えない完成度と圧迫感を持ち……崇拝することさえ躊躇いを覚えないほどの神秘性を辺りに放っていた。

 白い髪。

 白い瞳。

 白い肌。

 そして不世出の美貌。

「アルビノ」

 と定義できはするが現在の人間にとってソレはアルビノと定義するより先にもっと別の……驚異的な危機感を誘発させる。

 即ち、

「聖人……!」

 と。

 聖人。

 唯一神の観測によって迎えた人類の黄昏……名をアポカリプス。

 そのアポカリプスによって神の代行として人類の殲滅を担当したのが何を隠そう聖人なのである。

 その姿は白尽めだ。

 皮肉にも現在無無明が見ている少女と同じく白い髪と瞳と肌を持っている。

 例外は無い。

 故に白い髪と瞳と肌を持っている少女を聖人と定義づけた無無明の観測はある意味では当然。

 ただし有り得ないことでもある。

 聖人は地面からエネルギーを供給せねば生きていられない存在だ。

 地面から乖離している最終人類都市アオンにいるはずが……いられるはずがないのだ。

「となれば単純にアルビノか」

 無無明がそう結論付けることは必然ですらあった。

 大陸を席巻した聖人だが、海洋上に逃げた人類を追うことはできない。

 それはアオンと云う存在が証明している。

 もしも聖人が独立して動けるならアオンに逃げ込んだ人類なぞ鏖殺されて然るべきだ。

 それが無いということはアオンが安全圏内と云う証拠である。


 閑話休題。


「扉を閉めて!」

 白い少女は激昂して叫んだ。

 無無明はそんな少女の声が届いていなかった。

 白い髪に白い瞳に白い肌。

 どこから見ても聖人に似たアルビノ。

 だというのに、

「既視感?」

 を覚える無無明だった。

「何処かで見た……」

「だが何処だ……」

 態度は沈思黙考。

 意思は五里霧中。

 現実を現実と捉えられず事実から幽離する無無明ではあったが、それは真実を捉えたが故の躊躇いだった。

 パチリと思考のピースがパズルのように当てはめられる。

「ラーラ?」

 そう。

 そうだった。

 それが正解だった。

 無無明が受けた二つの依頼。

 少女の探索と麻薬の調査。

 その内、少女の探索にて探し求めていたのがラーラと呼ばれる少女だった。

 データでは茶髪のロングの少女だったはずだが目鼻立ちの整った美少女であることに寸分の狂いもない。

 白い髪に白い瞳のせいで初見では思い出す事が出来なかったが、顔立ちはまさに求めていた少女のそれであったのだ。

 名前を言い当てられ動揺こそしたものの、

「早くエレベータの扉を閉めて!」

 ラーラは一貫してそう主張した。

「ああ、はいはい」

 無無明はエレベータの扉の閉めるボタンを押す。

 こういうインタフェースは昔さながらだった。

 結局それは徒労に終わったが。

 新たな人物が閉まろうとしている扉の隙間に爪先をストッパー代わりにして閉じるのを防いだ。

 こうなると人命第一のエレベータの扉は再度開かざるを得ない。

「……っ!」

 絶望と云うには烈火の如き感情を白い瞳に乗せるラーラ。

「面倒事だ」

 と言わんばかりの表情だった。

「捕まえたぞ……」

 エレベータの扉が閉まるのを阻害した人間は悪寒のする声でそう言った。

 チンピラという言葉が良く似合う男だった。

「この人非人!」

「今更だろ」

 ラーラの非難に飄々としたチンピラの言。

「…………」

 一人置いてけぼりの無無明。

 なんとなく、

「ラーラがチンピラに追われて逃げている」

 ということだろうだけは理解する。

 しかしてそれが何に起因するかはまるでわかってはいなかった。

「ええと……」

 無無明は人差し指でこめかみを押さえる。

「そこの人」

 とチンピラに話しかける無無明。

「何だ?」

 といった視線を向けるチンピラ。

 手に持つは拳銃。

 その銃口がラーラから無無明に向けられた。

 無無明は両手を挙げて降参の意思表示。

「殺されたいのか?」

「そんなつもりは毛頭」

 両手を挙げたまま苦笑する。

「……っ」

 白い美少女……ラーラはギシリと歯を噛んだ。

 無無明を巻き込んだことに罪悪感を覚えているのだ。

 結論としては、

「余計なお世話」

 に相違なかったが。

 チンピラが一歩エレベータ内に入る。

 エレベータの扉が閉じる。

 それから少しの重圧感の後、エレベータは五層まで上昇するのだった。

 拳銃を持つチンピラ。

 無手のラーラ。

 両手を挙げている無無明。

 つまりイニシアチブはチンピラが握っていた。

 事実はどうあれ。

「お前はこの商品の関係者か?」

 チンピラが無無明に問うた。

 商品というのがラーラを指すのは自明の理だ。

「あんたとは関係ない所でな」

 正直に答える無無明。

 元より拳銃程度では牽制にもなりはしない。

 ドラゴンスケイルの前には全てが無意味だ。

 だから無無明は冷静に答えられたのだった。

「なめてんのか……」

「そんなつもりはないがな」

 くわえたタバコを吸ってフーッと紫煙を吐く無無明。

 それは本人の意図はどうあれ挑発にも等しい行為ではあった。

「死ねよ」

 チンピラは気安く引き金を引いた。

 弾丸が発射される。

 交錯する二つの弾道。

 一つは無無明の手の中に封じられ、もう一つはチンピラの額を貫いた。

 ポイントしていたチンピラが銃の引き金を引くのと同時に、無無明は懐からトレミーを取り出すことをあまりに速い……疾速のクイックドロウを以て成し遂げたのだ。

 さらに跳弾を恐れた無無明は自身に撃たれた弾丸を拳に封じ込め、即死したチンピラの死体を見下ろした。

 瞳に生気は無い。

 確実に殺したことを認識して、

「やれやれ」

 と呟く。

 それから血臭の充満するエレベータ内でタバコを吸って吐き、ピンと掴んだ弾丸を指ではじいて捨てると、

「大丈夫か?」

 真白の少女……ラーラへと問いかける。

「ショックだろう」

 無無明は思う。

 少なくとも目の前で死体が生産されて平気でいられる年齢には見えない。

 こんな狭い空間で形而上かつ形而下の死という概念と痕跡を見せられては嘔吐しても不思議ではない……のだが、ラーラの表情はホッとしたソレだった。

「どうも。ありがとうございます……ええと……」

 殺害現場ではなく殺人者の名前を知らないことにこそ困惑するラーラに、

「無無明だ」

 自己紹介。

 そして、

「ラーラだな?」

 確認するように問う。

「さっきも思いましたが何故私の名前を?」

「探してたからだな」

 無無明の態度はいっそそっけない。

 がそのアクションに対するリアクションはあまりに強烈かつ苛烈なモノだった。

 有り得ないことが起きたのだ。

「っ!」

 少なくとも無無明はタバコを吸うことも忘れて硬直した。

 有り得ないことにラーラの腕が伸びたのである。

 ラーラは真白のゆったりとしたローブを着ていたが、その袖から隠れた腕が勢いよく伸びてきたのだ。

 例えるなら蛇が適当だろう。

 ラーラの腕が蛇のようにニュルリと伸びてミズキの体を締め付けると、その手の平がミズキの眼前にて警戒するようにゆらゆら揺れた。

 長く伸びた腕が蛇の胴体に例えられるならば、伸びた腕の末端である手の平は蛇のアギトに相違ない。

神之御手かみのみて……?」

 呆然と呟くしかない。

 神之御手。

 それは聖人の持つ旧人類に対する直接殺害能力を指す。

 二本の腕が超音速で地平線の果てまで伸びて、手の平にて握ったものを質量や硬度や耐性の有無を介さず消滅させうる絶対的な攻撃性を持つ聖人特有の武器である。

「人を殺すことにだけ特化した能力」

 であるのだった。

 射程は有視界内。

 その威力は、ある種の例外を除き、いかな防御さえも消滅させる。

 核シェルターに逃げ込んだ人間すら例外ではないというのだから、その威力は推して知るべきだろう。

 即ちラーラが聖人である証でもあった。

「…………」

「…………」

 沈黙が場を支配する。

 相も変わらずエレベータは五層に向けて上昇中で、チンピラの死体は転がっており、無無明はラーラの神之御手の脅威に晒されている。

 無無明の目の前で揺れるラーラの手の平……即ち神之御手は術者であるラーラがゴーサインを出せばすぐにでも無無明を消し去ろうとするだろう。

 そしてそれは無無明には《面白くない結果》を生むことになる。

 そこまで思考すると対処は簡単だった。

 無無明は両手を挙げて降参した。

「まいった」

 淡白に呟く。

「質問に答えなさい」

「お前を探すように依頼を受けた。で……」

 無無明は挙げていた両手の片方を落とし情報端末を取り出す。

 ラーラの情報を表示。

 ラーラ自身に見せつける。

 茶髪ロングの美少女の立体映像とプロフィールが表示されて、

「この子を探すように言われたんだ」

「依頼者は?」

「教会のシスター。何やら掃き溜めに落ちたお前を心配しているようだったぜ?」

「教会? 旧教の?」

「ああ。旧教だ」

「…………」

 ラーラは黙りこんだ。

 術者の困惑を表現するかのように神之御手が震える。

「少なくとも害意は無いから神之御手を引っ込めてくれんか?」

 少なくとも攻撃されれば無無明にとって不都合が生じる。

 それ故の言葉だったが、案外あっさりとラーラは神之御手を引っ込めた。

 意思を持つように……実質的にラーラの意思に従って……縮むとローブに隠れて見えなくなる神之御手。

 ホッと無無明は吐息をつく。

 くわえたタバコを床に落とし靴で踏みにじって鎮火させる。

「なぁ」

「何です?」

「色々と聞きたいことがあるんだが……」

「私も色々と言わねばならないことがあります」

 そんなやりとりの最中にグギュルゥとラーラのお腹が鳴った。

「腹減ってんのか?」

「聞いての通りです」

「じゃあとりあえず五層についたら飯にするか」

 それは健全な提案だった。

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