第9話 聖人ラーラ5

「あんたがそうか」

 人身売買業者の一人が無無明を出迎えてくれた。

 裏口から。

 卑屈そうに背中の曲がった男であった。

「マスターが話を通してくれているはずだが……」

 タバコをフーッと吐いて無無明が確認する。

「ああ、受けてるぜ。帳簿を覗きたいんだろ? 黒いレザーコートの男。こんな黒尽めは一発でわかりやがる」

 皮肉ではないと信じたかった。

「早速だが……」

 催促しようとする無無明の言を、

「おっと」

 職員が遮った。

「なんだ?」

「先に取引と行こう。帳簿を見た後無銭で逃げられたらたまったものじゃない」

「なるほどな」

 言葉にはせず思念だけでそう納得する無無明。

 タバコを吸って紫煙を吐く。

「いくらだ? 言っておくがそんなに持ってきちゃいねえぞ?」

 顔色も変えず虚偽を口にする無無明。

 典型的な交渉手段だから別段珍しくもないが。

「千ドルから交渉しようじゃないか」

「千ドルだな。口座を教えてくれ」

「は?」

 職員はポカンとした。

 値切られることに対する覚悟を持っていたのだろう。

 まさか無無明が千ドルを受け入れるとは思っていなかったという顔だ。

「口座を教えてくれ」

「あ、ああ、いや……いいのか?」

「それくらいなら必要経費だ」

「本当にいいのか?」

「もっとふっかけられると思ったほどだ」

「金持ちなんだな。なんの職業だ?」

「うだつのあがらねえ零細探偵さ」

 フーッと吸った煙を空に向かって吐き出す。

「零細探偵が千ドルをポンと出せるのか?」

「ちょっと前払いで……な」

「なるほど」

 納得はしていないだろうが納得の言葉を吐く職員。

 そして無無明が職員の口座に千ドルを振り込む。

「むしろそっちは千ドルでいいのか?」

「一層じゃ十ドルが大金だ。俺っちみたいな下っ端には特にな。量子指向性アクチュエータで飢え死にはしないにしても贅沢するには金が要る。こりゃ一層に限った話じゃないが……」

「違いは金銭感覚だけってか」

「違いない」

 職員は苦笑いをし、無無明はタバコを吸った。

 それから無無明は帳簿をデータに落とし込んで閲覧する。

「…………ふむ」

 金と商品の流れが綺麗に明細されている。

 生憎と画像データは無かったがラーラの名前もまた無かった。

 商品番号の後に固有名詞が綴ってあることに不快感を覚えたが表情はまったくの平静を保つ。

「はずれか」

 それが無無明の結論だった。

 それからしばし沈思黙考。

 思案を巡らせた後、無無明は職員に尋ねた。

「ラーラって名前の少女を知らないか? 茶髪のロングストレートでドロレス系の美少女なんだが……」

「聞いたことないな……」

「そうか」

 と思念でのみ頷いてタバコを吸う。

「アルバイトしてみないか?」

 突飛な提案をする無無明だった。

 職員は目を白黒させる。

「どんな?」

「一層の人身……人材派遣会社の帳簿を記録して俺の端末に送ってくれ。同業者ならライバルではあろうが火中の栗拾いだけじゃあないだろう?」

「いくらもらえる?」

「さっき千ドル振り込んだから、四千ドルを追加で振り込もう。悪い話じゃないはずだ」

 紫煙をフーッと吐いて人の悪い笑みを浮かべる無無明。

 これくらいの芸当はお茶の子さいさいだ。

「合計五千ドル……」

「そういうことだ。ただし必要経費も混みだから手元にいくら残るかはお前の手腕しだいだがな」

「請け合おう。前払いだろう?」

「当然」

 コクリと頷く。

「それからもう一つ」

「なんだ? 今なら何でも喋りそうだぜ」

 五千ドルの金銭に小躍りしている職員だった。

「大口の顧客の情報をくれ」

「さすがにソレは……俺っちが殺されちまうよ」

「別に紹介しろとも仲介しろとも言ってない。どうせ有名どころだから一層の何処でも耳に入るだろう? 単に住所だけ教えてもらえればそれでいい」

「つまり帳簿の方は俺っちに任せて、あんたは大口の顧客を探るってことか?」

「平たく言えばな」

 言ってタバコを吸う。

「まぁさすがにお得意様ともなれば一層でも有力者が多いけどさ……」

 躊躇いがちな職員に、

「五千ドル払ったんだ。そのくらいの情報はサービスしてくれてもいいんじゃないか?」

「わかったよ。ただし殺されても俺っちを恨んでくれるなよ?」

「死人に口無しってな」

 タバコを吸いながらくつくつと無無明は笑う。

「大口の顧客なら……」

 ぽつぽつと職員は顧客の名前と所属する犯罪組織の名前を羅列した。

 それを情報端末に打ち込んでアルベルトに送り詳細を知る無無明。

「ところで話は変わるんだが……」

「なんだ?」

「エンジェルダストって麻薬知ってるか?」

「掃き溜めじゃ珍しくないだろ?」

「そうなのか?」

「タダで配布されてる謎の麻薬だ。ヘルクラネウムファミリーも探っているらしいが詳細は不明。試したことはあるが俺っちの性に合わないからすぐ止めちまったよ」

「試しはしたんだな」

「なんというか……麻薬と呼ぶのも正確じゃない感じだったな。効果も薄いし効能時間も短いし。麻薬を楽しむと云う行為に対してはえらく淡白な代物だったよ」

「なるほどね」

 フーッと紫煙を吐く。

「いや助かった。じゃあ帳簿の件、よろしくな」

 無無明はポンポンと職員の肩を叩くとスーッとタバコの煙を吸った。


    *


 何処まで役に立つかは別として、無無明は名も知らぬ人身売買業者の職員に一層の人身売買の流れの明細を任せ、一層の犯罪結社の総本山であるヘルクラネウムファミリーの豪邸に足を運んだ。

 豪邸。

 まさにそう呼んでいい屋敷であった。

 大理石を削り取った高い壁に取り囲まれた屋敷で、無無明の結界では中の様子も成金丸出しの西洋風建築物を捉えている。

「なんだかな。悪い事をすれば儲かるというが……」

 五千ドルで喜んでいる先の職員が哀れになるほど金のかかった豪邸だった。

 ともあれ無無明は玄関に立ちインターフォンを鳴らした。

 しばらくしてインターフォンから声が聞こえた。

「どちら様でしょう?」

 控えめな声だった。

 しかも女性。

 てっきり下衆丸出しの男の声が挑発とともに送られると思っていて肩透かしをくらった気分。

「特務士官代行の者です。ドン・ベルと交渉の座につきたいと思いまして」

「少々お待ちください」

 言葉通りしばし待つ。

「お入りください」

 そんな言葉とともに門が開かれる。

 無無明は遠慮なく入った。

 ヘルクラネウムファミリーへの畏れなぞ最初から持っていない。

 その気になれば最終人類都市アオンと戦争しても勝ちきれる契約者であるのだ。

「たかだか一犯罪組織に何が出来よう?」

 そんな不遜な考えさえ持っている。

 無無明。

 それからカオス。

 この二人は絶対的な《力》を所持しているのだった。

 閑話休題。

 エプロンドレスを着た女性の使用人に導かれて無無明は豪邸の中を歩いた。

 金のかかった調度品や天井に描かれた聖画など……唯一神への崇拝と成金趣味の発露が窺えた。

 広い豪邸だ。

 案内の場まで三分ほど歩いただろう。

 そして使用人が入室の許可を室内の人間からもらい扉を開ける。

 食堂だった。

 縦に長いテーブルの上座に無無明の知るヘルクラネウムファミリーのゴッドファーザー……ベルがいた。

 情報通りの老齢の人物だが、この場においてにこやかにリラックスしているのは自身のテリトリーだからか……年の功か……あるいは……。

「どうぞ。お座りください」

 ベルはしわがれた声で下座を示した。

「では遠慮なく」

 特に不満も無く下座に腰かける無無明。

 無無明とベルの距離は縦に長いテーブルの距離。

 目算で五メートル。

 そして食堂は無無明とベルの二人だけではなかった。

 上座と下座の間には武装したファミリーの構成員が威嚇するようにピリピリとした殺気を放っていた。

 無論のこと気圧される無無明でもないが。

 ベルが皺の刻まれた表情を崩して笑った。

「特務士官代理どの。初めてお目見えしますね」

「縁が無かったんだろう」

 無無明は簡潔に切って捨てた。

 その不遜さに構成員が殺気立つがベルが手振りでさしとどめる。

「食事……という時間でもありませんね……。何かお飲みになられますか?」

「…………」

 無無明はポケットから何も得ずに手を出した。

 結果としてタバコを取り出すことを諦めたのだ。

「じゃあアイスコーヒーを。ブラックで」

「黒がお好きですかな?」

 黒いレザーコートに黒いパンツ。

 革もなめしも上等の黒い靴。

 黒い髪に黒い双眸。

 ついでに注文もコーヒーのブラックとくれば苦笑を誘う他ない。

 本人の意図はどうあれ。

「ハードボイルドなもので」

 肩をすくめてみせる。

 気後れという言葉に縁のない無無明だった。

 しばしの無言。

 使用人が無無明にコーヒーを、ベルにココアを差し出して食堂から消えた。

 ストローでコーヒーを飲む無無明と、カップを傾けてココアを楽しむベル。

 どちらともタイミングを計っていた。

 先に器物を置いたのは無無明の方だった。

「ドン・ベル」

 機先を制す。

 ベルもカップを置いた。

「ベルで構いませんよ」

「ではベル」

「何でしょうか?」

「エンジェルダストという麻薬についての認識はあるか」

 完全なタメ口に、

「気安いぞ貴様」

 構成員の一人が銃を抜いて無無明にポイントする。

「撃つのは構わんが……」

 無無明はコーヒーを飲みながら言う。

「俺を博愛主義者だと思うなよ」

 本人は警告のつもりだろうが挑発としてしか取れない文言だった。

 構成員たちが殺気立つがあくまで平静にコーヒーを飲む。

「で、再度になるがエンジェルダストを知ってるか?」

「それはもう」

「一層の麻薬の流れはあんたに筒抜けなんだろうな」

「それはもう」

「知ってることを教えてくれ」

「出所不明です」

「ほう?」

 皮肉気に無無明は言った。

「何しろ誰が頒布しているかもわからない代物です。しかもタダで手に入る。効能や維持時間が矮小なため麻薬を嗜む人間にとっては不満の多いソレですが密かに流行っているのも事実ですね」

 そんな言葉の裏に隠されたベルの制限に無無明は聡く気付いた。

「これは根深い問題だ」

 と。

「あんたでも出所はわからんのか?」

 ひたすら構成員の機嫌を逆撫でする無無明の言に、

「それはご無理というものです」

 ベルは飄々と返す。

「今度はこちらから問うてもよいでしょうか?」

「俺が知ってる範囲ならな」

 チューとストローでアイスコーヒーを飲みながら無無明。

「今日の昼頃、うちの末端の構成員が殺害されたそうです」

「ご愁傷様」

「犯人は黒尽めの青年とのことでしたが何か心当たりは?」

「それを聞いてどうする?」

「ファミリーの顔に泥を塗った輩にはそれ相応の報復を」

 パチンと指を鳴らすゴッドファーザー……ベル。

 同時に食堂にいる構成員が銃を抜いて無無明にポイントする。

「物騒だな」

 あくまで平静な無無明。

「何か言い残すことは?」

「それはこっちのセリフだな」

「胆の座ったお方だ」

 くつくつとベルは笑うのだった。

「で? どうする? このまま戦争するか?」

「勝てるとお思いで?」

「契約者だしな」

「っ!」

 さすがにゴッドファーザーとて絶句する他なかった。

 契約者。

 そは「力」の象徴。

 圧倒的戦力。

 契約した超常存在の格にも依るが超常的な力を振るう……限りなく人間を逸脱した存在である。

 まして無無明の契約したソレは「最悪」と言って言い過ぎることの無い霊格である。

 当然ヘルクラネウムファミリーには知りえないことだが。

「で?」

 コーヒーを飲み終えてタバコを取り出すと、火をつけフーッと紫煙を吐いてから無無明は皮肉を瞳にたたえて確認する。

「本当に俺と戦争するのか?」

 それは有無を言わさぬ口調だった。

 絶対的自信と圧倒的自負が無無明の精神的骨子を支えている。

 まるで、

「やるならどうぞ」

 とさえも聞こえる。

 そんな確認だった。

「兄弟をやられて見逃せと?」

「ここで死に腐るよりマシだろ?」

 次の瞬間、タァンと銃声が響いた。

 構成員の一人が引き金を引いたのだ。

 結果、

「ぐぅ……!」

 呻き声があがった。

 無無明のもの……では当然ない。

 自動絶対防御たる「ドラゴンスケイル」を持つ無無明に銃弾なぞは十把一絡げに相違ない。

 問題は跳弾して跳ね返った銃弾を受けた構成員の一人の呻きだった。

「なんだかねぇ……」

 無無明は呟いてタバコを吸う。

「なるほど。それが契約者としての異能……ということですか」

「まぁな。で、攻撃を受けた以上こっちからも攻撃していいのか?」

 ベルは諸手を挙げた。

 積極的降参の意思表示だ。

「勘弁してください」

「しかして兄弟を殺されたんだろ?」

 無無明の言はいっそ皮肉的だ。

 口の端が吊り上っている。

「だからといって銃弾も効かないような相手と敵対するつもりはありませんよ」

「殊勝だな」

 場は完全に無無明の独壇場だった。

 さもあろう。

 銃弾でさえ何事もない無無明であったのだから。

「それで?」

 これはベル。

「エンジェルダストについては話しましたが、それを聞くためだけにこちらにお越しになったと?」

「もう一つ聞いていいか?」

「何でも」

 もはやヘルクラネウムファミリーは狼狽してとどまるところを知らなかった。

 異端を見るような視線を感じながらスルーする無無明。

 異端には違いないのだが。

「ラーラって少女を知らないか? ロングストレートで茶髪の美少女なんだが」

「人材派遣会社に尋ねた方が有益かと思いますが……」

「そっちには手を出してる。ここは大口の顧客だろうから聞いただけだ」

「残念ながら知りません」

「そうか」

 無無明の態度はいっそ淡白だった。

 少なくとも、

「信用に足る」

 そう思える回答だったからだ。

「じゃ」

 無無明は言う。

「世話になったな。俺は帰ることにするよ。コーヒーごっそさん」

 席を立つ。

 不遜でありながら飄々とする。

 そんな態度で無無明はヘルクラネウムファミリーの総本山を後にするのだった。

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