第8話 聖人ラーラ4

「しっかし……なんだかなぁ……」

 憮然とする無無明だった。

 時間は正午。

 いつも乱暴な起こし方をするカオスはおらずホテルで爆睡した無無明はチェックアウトの時間を優に過ぎ追加料金をとられたのだった。

 ちょっぴり不幸な気分に浸って……それから昨夜のうちに仕入れたデータをもとに人身売買業者を訪問しようとして、またちょっとした不幸に立ち会うのだった。

 無無明は漆黒のレザーコートに黒いパンツと云う全身黒尽めだ。

 しかしてレザーコートは気品ある光の反射を表し、それが決して安くない代物だと素人目にもわかる一品だった。

 当然治安の悪いアオン一層で注目に値しないわけがない。

 人身売買業者を訪ねようと一層を歩いているところで、

「景気良いな兄ちゃん」

 そんな風に他人に声をかけられるのだった。

 控えめに言っても非友好的な口調である。

 無無明が歩いていたのは一層の大通りであり、そこかしこで人の気配を感じ取れるが、それとは別に四人の男が無無明の東西南北を囲んだ。

 その全員が中央の無無明の頭部に手に持った拳銃の銃口をポイントしている。

 要約すれば、

「絡まれた」

 といったところだろう。

 警察は来ない。

 正義感溢れる他者の介入も無い。

 どころか大通りを歩く誰も彼もが厄介ごとから身を離そうとせこせこ逃げ回っていた。

「治安が悪くなれば心も狭くなるものか?」

 そんなことを無無明は思ったが今更である。

「いやはや……やれやれ……」

 無無明は四方から向けられる四つの銃口を正しく認識しながらコートのポケットに手を入れようとした。

 が、

「動くな!」

 制される。

「タバコくらい好きに吸わせてくれよ……」

 動じた様子も無く愚痴る無無明に、絶対的優位のはずの男たちが憎々しげに表情を歪めるのだった。

「金とコートを置いていきな」

 提案は簡潔を極めた。

 到底受け入れられるものでもなかったが。

「無い袖は振れない」

 現時点では正確ではないが元より零細探偵事務所の所長である。

 万年金欠は無無明の宿業とも言えた。

「ついでに言えばこのレザーコートは形見であり俺のレゾンデートルでもある。他人にくれてやるわけにはいかない」

 どこまでも恐れ入らない無無明相手に男たちはさらに表情を歪める。

「死にたいのか?」

「とは言わんがな」

 そこで会話が終わった。

 無無明がアクションを起こしたのだ。

 銃の引き金が引かれれば面倒なことになる。

 ならば先手を打つのは必然と言えた。

 そして無無明はかつあげしようとした男たちの視界から消え失せた。

「っ!」

 絶句する男たち。

 別に無無明は透明になったわけではない。

 男たちの目や脳に干渉して認識を阻害したわけでもなく瞬間移動でもない。

 が、瞬間移動はあながち的外れとも言えなかった。

 無論のこと光速を超えたワープをしたわけではない。

 ただ身体能力の許す限りにおいて最速で跳躍しただけだ。

 上方に跳ぶことで男たちの視界から消え去った……というのが単純な事実であった。

 ただしその結果は常識外れだ。

 走り高跳びでも棒高跳びでもなく、何の補助や予備動作も無く、瞬間的に跳びあがった無無明の高度は五メートル。

 身体能力が完全に人間の埒外である。

「…………」

 それを誇るでもなく無無明は半回転。

 上下逆さまになる。

 無無明の視界の天と地が逆転し、俯瞰として地面に足を付けている男四人を捉えた。

 同時に懐から銃を取り出す。

 フルオートの拳銃……名をトレミー。

 プトレマイオス社の最新型の拳銃に付けられた名だった。

 ハンドガンであると同時に量子指向性アクチュエータでもあり、量子を弾丸に変えて装填するため事実上の弾切れが存在しない規格外のソレだ。

 判断から行動は一瞬だ。

 本当に目標に向かってポイントしたのかさえ疑わしいクイックドロウ。

 発射された弾丸は四つ。

 信じがたいことにそれらは正確に男四人の頭部を貫き死に至らしめた。

「…………」

 それについて何の感慨も湧かず無無明はさらに半回転。

 上下の感覚を正常に戻すとタンと地上に着地した。

 無無明を中心に東西南北に四つの死体。

「やれやれ……」

 無無明は事態が悪化したのを認めざるを得なかった。

 ポケットから煙草を取りだし火をつける。

 紫煙を吸って吐いて、

「どうしたものかね?」

 ゆらゆら揺れる煙を見つめながら自問する。

 アオンの層には層ごとのルールがある。

 そして事実はどうあれ裕福に見える無無明がチンピラの目にとまったのは必然で、そのカツアゲを持って一層を取り仕切る犯罪組織への上納金となるのはこれもまた必然だ。

 要するに一層の経済に少ないながら打撃を与えたことになる。

 殺される気は無無明には毛頭ないが面倒事が増えると言う意味では歓迎すべき事柄とも言えない。

「拙速を尊ぶか」

 フーッとタバコの煙を吐きながら憂慮する無無明。

「……っ!」

 その後頭部めがけて弾丸が襲った。

 完全な奇襲。

 無無明のトレミーによって銃殺された四人の男たちの動向を見守っていたチンピラが……報復か義務か……無無明に明確な殺意を持って拳銃を向けて引き金を引いたのだ。

 無無明は自身を狙う第三者の存在を熱感知で把握していた。

 しかし甘く見ていたことも事実だった。

 これだけ鮮やかに威力を示せば尻込みするだろうという無無明の算段は外れ、結果として後頭部に銃弾を受ける羽目になったのだった。

 結果、

「痛えなぁ……」

 無無明は銃弾を受けた後頭部をガシガシと掻くのだった。

 銃撃されたことに対して死亡どころか掠り傷一つ負わないと云うのは先の跳躍と合わせて常識の範囲では扱いきれない現象だ。

 無無明を襲った弾丸は無無明の《能力》によって弾かれて跳弾する。

 ただし銃弾そのものは弾いても銃弾の衝撃は殺せず、結論として後頭部を軽く殴られたような感触が無無明を襲ったのだった。

 無無明はまたトレミーを取り出すと、やはりポイントしたとは信じられないクイックドロウでチンピラの太ももを撃ちぬく。

「がっ!」

 大通りのビルの陰から無無明を狙った男は、報復を受けて苦痛を露わにする。

 しかして銃撃や出血を塗りつぶすほどの衝撃で以て無無明を見るのだった。

「魔術師……!」

 チンピラは無無明を魔術師と定義づけた。

「言い方が古いな。昨今は契約者って言うんだぜ?」

 ニヒルに笑って無無明は定義を魔術師から契約者へと変えるのだった。

 が、説明してやる義理も無くトレミーを引き絞ってチンピラの頭部に銃弾を埋め込む。

 死体が一丁出来上がった。

 熱感知でさらに気配を探るが、もう無無明に害的行動を起こそうとする命知らずはいないらしかった。

 どころか超身体能力と銃弾を防ぐ防御力に恐れをなして距離をとる人間がほとんどだ。

 無無明が知りえないことではあったが一層では人の命の値段は軽い。

 それ故に君子危うきに近寄らずが鉄則となっている。

「ま、平和が一番だよな」

 殺人を堂々と公開しておきながら無無明は二本目のタバコに火をつける。

 無無明は契約者である。

 古い言葉を使うなら魔術師と呼ばれる存在だ。

 唯一神の存在が数学的に証明され、人類がそれを観測し「唯一神が存在する世界」と定義したことによってアポカリプスが起き、人類はノアの方舟に逃げ込んだのは歴史上の事実だが、超常存在は唯一神だけではなかった。

 唯一神が定義づけられ観測される前から、一部の伝説に語り告げられる超常存在は個々人の範囲に置いて観測されているのだ。

 それは天使とも悪魔とも妖精とも精霊とも怪物とも妖怪とも神々とも呼ばれる存在である。

 旧教や新教の教徒は唯一神だけが絶対としているが、現実は現実として個人だけが観測し、個人のみに完結する超常存在がいたのは確かである。

 希に芸術の世界で「悪魔と契約して創られた」という表現や揶揄が存在するが、あるいはそれこそ魔術師のわざと言うべきだろう。

 個人が観測するため他者との情報の並列化こそできないが、それでも量子力学的に観測している事実は超常存在を現実に具現化しており、観測者と契約することによって多彩な超常現象を引き起こす。

 無無明の防御能力もその一端だ。

「ドラゴンスケイル」

 無無明はその能力にそんな名前を付けている。

 普段はなりを潜めているが害的現象に対して自動的に働き契約者の身を守る絶対防御。

「竜の鱗」の名が示す通り、あまりに頑丈な自動防御の鱗である。

 当然ながら銃弾程度では歯が立たない。

 欠点と言えば鱗が防ぐのは外傷だけであり、攻撃に対する衝撃までは防ぎきれないことだが、今のところ深刻な事態に陥ったことはない。

 銃撃を受けても「軽く小突かれた」程度の衝撃しか感じないのだ。

 いったいどうすれば無無明を殺せるというのか。

 難問ではあった。

「散ればこそ、いとど桜は、めでたけれ……か」

 くわえたタバコをそのままに紫煙をフーッと吐いて死体を睥睨し、無無明は情報端末を取り出した。

 昨夜便宜を図ってもらったバーのマスターからの情報を目にして人身売買業者の位置情報を掴みそちらに向けて歩き出す。

「面倒だなぁ」

 無無明の愚痴は当然ではあったが、探偵業務を考えれば仕方のない事とも言えた。

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