第4話 アポカリプスの後に4

「無無明様のその衣服は喪服ですか?」

「否定はしない」

 新たなタバコに火をつけながら無無明は答える。

 煙を吸って吐いた。

 実際のところは別にあるとしても喪服という意識も無いではないのだ。

 本質は違うが他人に主張することでもない。

「ちなみにご職業は何を?」

「探偵業を」

「このアオンでですか?」

 マリアの言葉は当然だ。

 防犯カメラが至る所に設置されており人間に限りなく等しいアーティフィカルインテリジェンスが監視しているのだ。

 上の層に行けばブレインユビキタスネットワークを介したセーフティも存在する。

 だからと言って犯罪者がいなくならないのも人類の業だが、管理社会においては探偵の意義は半減するのもまた事実だった。

「ということはもしかして……」

 遠慮するようなシスターの予想に無無明は「ああ」と淡白に答えた。

「掃き溜めに住んでる」

 アオンにおける五層以下の蔑称だ。

「まぁ零細事務所だがな」

 紫煙を吐きながら苦笑する。

 だがマリアの反応は無無明の予想と違った。

「これも主のお導きですわ」

 ニコリと微笑まれる。

 無言で紫煙を吐く。

「何か依頼か?」

「ええ。その……人探しを……」

「そういうことは上に言え。そっちの方が話は早いぞ」

「それが……その……」

 言いにくそうなシスターマリアの意図を察する無無明。

「五層以下で人探しか?」

「はい。そうです」

「なるほどな」

 納得であった。

 五層以下は警察力が及ばない。

 一般市民も近寄らない。

 当然ながら追剥や凌辱や殺人が横行する所まで足を運ぶ上層の探偵事務所も無い。

 だからこそ無無明のような五層以下の探偵事務所にも需要があるのだ。

「で? 誰を探せって?」

「ラーラと呼ばれる少女です」

 そう言って情報端末を取りだし(シスターマリアはブレインアドミニストレータを埋め込んでいないらしい)少女の立体画像とデータを示した。

「…………」

 無無明は無言だ。

 無論理由はある。

「聞きたいことが二つほどあるんだが……」

「何でしょう?」

「一つ。五層以下にその少女がいるとして、その場合既に死んでいるか死んだ方がマシな境遇だろうことは理解してるか?」

「仮に亡くなっているのなら迷いし魂を主の御許へと送らねばなりません。死んだ方がマシな境遇ならば癒しと慰みを与えねばなりません。無事ならそれが一番良いのですが」

「一つ。この教会は善意の寄付で成り立ってるよな? 先回りして言っとくとうちはちとお高いぞ? こんなことに使っていいのか?」

「この件に神父様は関係ありません。私の一存です。こう見えてそれなりの富は持っているつもりです。依頼料はいくらでも相談させてください」

 どうしたものか、と思案しながらタバコを吸い後頭部を掻く無無明だった。

「駄目でしょうか?」

「とは言わんがな。人一人を探すにはこのアオンは広すぎる。まして防犯カメラの設置されていない五層以下に紛れているならば人海戦術に頼るのが普通だ。俺のような零細探偵を当てにする理由がわからん」

「少女を……ラーラを救いたい……それだけでは動機にならないでしょうか?」

「とは言わんがな」

 紫煙を吐く。

 人が良いのか別口の理由があるのか。

 そんな計算を無無明は脳内のそろばんで弾いた。

「どうか」

 と無無明に手を合わせて祈るマリア。

「……頭を上げてくれ。落ち着かん」

「ということは依頼を受けてくれるんですか?」

「探すだけ探してみよう。少女のデータをこっちの端末に送ってくれ」

「ありがとうございます。この縁を主と無無明様に感謝です」

 そしてマリアは情報を無無明に送る。

 少女の情報を立体映像で見る無無明。

 ラーラという名前。

 生年月日から身体特徴まで。

 髪は茶色くロングストレート。

 年相応の外見をしているが顔立ち整った美少女だった。

 そして最後のそれが問題だった。

 美少女。

 つまり下卑た人間にとっては格好の獲物だ。

 信仰心皆無の無無明であっても行方不明の少女に対して十字を切りたいくらいだった。

「五層以下にいるというのは確かなのか?」

「わかりません。が、六層以上にいるのならそれ相応の対処が為されているはずかと」

「だぁな」

 納得だった。

 タバコを吸って吐く。

「それで依頼料の件なんですが……」

「成功報酬にしといてやるよ」

「いいんですか?」

 キョトンとするマリア。

「情報収集費と探索費と人件費を踏まえた上で算出するからどうせ成功報酬以外に請求しようがない。五千ドルくらいは必要最低限いるが大丈夫か」

「大丈夫です」

 しかと頷かれる。

「ラーラをよろしくお願いします」

「それは俺じゃなく神に祈っておいてくれ」

 くつくつと笑ってタバコを吸う無無明だった。


    *


 同日二十二時。

 辺りもすっかり暗くなった……というより正確には暗くさせられた時間に無無明は辺鄙なバーに顔を出した。

 カウンターの席に着く。

 既にメールの主は来ていた。

 待ち合わせ時間ピッタリに来た無無明に苦笑したほどだ。

 無無明の座ったカウンター席の左隣の席である。

 巌のような……という表現が良く似合う男だった。

 一回りから二回りほど無無明より大きい。

 日本人ではない。

 男は既にブランデーを嗜んでいるのだった。

 挨拶は不要。

 それは無無明もそうであったし待ち合わせの人間もそうであったのだ。

「マスター。いつもの」

 よどみなく無無明は注文する。

 しばし沈黙とジャズ音楽が場を支配する。

 それからウィスキーとチェイサーとたこわさが無無明に振る舞われた。

 ウィスキーを飲みチェイサーで口直し……それからたこわさの触感を楽しむ。

「よくもまぁわさびなんて食べられますね。どうにも和のマスタードは……」

「それは《からし》も含まれてるのか?」

「ツーンってきませんか?」

「それがいいんだろ」

 ウィスキーを嗜む。

 チェイサーで薄める。

「ところで特務士官殿?」

「何でしょうか?」

「前々から思っていたんだが……」

「遠慮はいりませんよ」

「お前らって誰と戦争するつもりなんだ?」

「…………」

 返ってきたのは無言だった。

 特務士官は思案している。

 沈思黙考。

「意地悪な質問だ」

 無無明もそう理解している。

 しかして無無明たちの住む最終人類都市アオン……ノアの方舟は人類唯一の安住の地だ。

 五十層からなる超巨大な建築物であり五億人の人間がそれぞれの階層に住んでいる。

 地上……陸地は唯一神の具現化した聖人の住処となり新人類である聖人が陸で暮らし、旧人類である人間が海で暮らす。

 そういう不文律が出来上がっている。

 なおかつ聖人に火器兵器の類は通じない。

 つまりアオンの軍隊および軍事力はレコンキスタには全くなりえないのだ。

 となればアオンの軍事力は同じ人間にしか向けられず、そして同じ人間はアオンにしかいないことになる。

 アオンの住人を殺すための暴力装置。黄昏を迎えた人類にしてみれば悪夢に相違ないだろう。

 対する特務士官の答えは順当だった。

「警察に出来ない汚れ仕事をするためです」

「…………」

「少なくとも自分はそのために軍属に甘んじています」

「アルベルトほどの技術があれば軍にいなくとも悠々自適に生活できるだろ?」

 特務士官……アルベルトはぶれなかった。

「自分は秩序を何より重んじます。そのための手段にならば喜んでなりましょう」

「なら五層以下に軍事力を派遣して秩序を保てよ」

「無理です」

 わかっていながら無無明は問うた。

「なにゆえ?」

「社会において必要悪は必然です。ムッソリーニの存在がそれを証明している」

「それはわからんでもないが……」

「である以上悪を管理するために最下層を開放するというのは最善手です。自分が懸念するのは必要悪の集合体が五層まで浸食されていることについてです。望むのならば一層に集中……できなければ三層までを掃き溜めにしてほしいのが自分の本音であります」

 一息に言ってブランデーをあおる。

「決定機関は何も言わないのか?」

 ウィスキーを飲みながら無無明。

「不干渉を貫いていますね」

 やや不快な表情を見せるアルベルト。

 それが本音を語っていた。

 だが口にしたのは全く別の言葉だった。

「自分は命令に従うのみです」

 調和を重んじるアルベルトらしい言い草だった。

「ということは」

 チェイサーを飲みながら無無明が言う。

「上からの指令か?」

「いえ、ごく個人的なことなのですが……」

「経費で落とせるのかソレは?」

「大丈夫です」

 真偽はともかくアルベルトは頷いた。

「上の許可はとっています」

 この場合の上は軍の上層部ではなく決定機関の事だろうことは無無明にもわかった。

 決定機関。

 ノアの方舟の絶対命令権限を持つ統括機関。

 そで定められた提案がアオンでのルールであり常識でもあるのだった。

 実態は不明だ。

 アオンの四十八層から五十層を支配し、アオン全体を統括しているということ以外にわかる情報は無い。

 それが個人によるものなのか……三百人委員会のように複数人によるものなのか……あるいはアーティフィカルインテリジェンスが支配しているのか……知る者は下層にはいない。

 探偵である無無明でさえ実態を知ることは無い。

「で?」

「とは?」

「何の用だ?」

 たこわさを口に含む無無明。

 コリコリとタコの触感を楽しむ。

「先生は……」

 アルベルトの言う先生とは無無明の事である。

「エンジェルダストという麻薬を知っていますか?」

「知らんな」

 遠慮もへったくれもない無無明。

 事実知らないのだから他の言い様も無いのだが。

「で、その麻薬がどうした?」

「最近出回っているらしくて特に五層以下にて浸食しているようです」

「ふーん」

 ウィスキーを飲む無無明。

 無無明の心中を言えば、

「だからどうした」

 である。

 掃き溜めと呼ばれるアオンの五層以下……スラム街はその手の話題には事欠かない。

 別段特筆するべきことでもないのだ。

「先生にはそのエンジェルダストの真相を探ってもらいたいのです」

「どこまで?」

「出来る範囲で」

 よどみないアルベルト。

「何かまずいのか?」

「自分が調べた限りにおいては」

「…………」

 たこわさコリコリ。

「たかが麻薬だろ?」

 楽観論の無無明に、

「そうとも言えません」

 アルベルトは否定した。

「六層以上にも頒布され始めています。しかも無銭で」

「金をとらないってことか?」

「そう言いました」

「ボランティア?」

「不適切ですがそうですね」

「タダで麻薬が手に入るってことか」

「然りです」

「中毒者から金をとったりは……」

「していないそうです。自分が知る限りにおいては」

「麻薬を無料で頒布してるってか。それでビジネスになるのか?」

「で、ある以上……先生にはエンジェルダストについて調べてもらえればと」

「エンジェルダスト……天使の塵……か」

「受けてもらえますか?」

「まぁそろそろ台所事情もかつかつだしな」

 苦笑してウィスキーを飲む。

「報酬は先払いだぞ」

「安心してください。心得ております」

 アルベルトは頷くと情報端末から大金を無無明の口座に振り込んだ。

「おお……」

 呻く無無明。

「こんなにもらっていいのか?」

「必要経費です」

 そっけないアルベルトだった。

「なんだかなぁ」

 言葉にはせずそう思う無無明。

 教会で受けた美少女ラーラの探索。

 そして今依頼を受けたエンジェルダストと呼ばれる麻薬の真相追及。

 それが何を意味するのか。

 現時点の無無明には知りようもなかった。

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