第3話 アポカリプスの後に3

 アオンは円柱状をしているのは既に記述した。

 下の一層から上の五十層まであり、一層から二十五層までは海中に沈んでおり、二十六層から五十層までは海上を飛び出している。

 必然階下になればなるほど太陽の影響を受けないのだが第一種永久機関によって無尽蔵のエネルギーを約束されている都市国家であるが故に明かりに不自由は無い。

 人間の鏖殺をもくろむ唯一神の使徒たる聖人も大地からエネルギーを供給している必然……太平洋に浮かぶアオンには手が出せない。

 アオン……アーク・オブ・ノア……ノアの方舟は人類の平和と安寧を保証するものである。

 しかして人間たちは聖人からの殺戮から逃れたとみると横柄に振る舞う。

 それは人類の業かもしれなかったし、唯一神が旧人類を殲滅するに足る理由かもしれなかった。

 何のことかといえば必要悪の存在である。

 五十層あるアオンの四十八層以上はアオンのまつりごとを一手に引き受ける決定機関が占有している。

 決定機関は政治を行い階下の層に対して影響力を持つ。

 その実態はようとして知られていない。

 本当に統治者が支配しているのかさえ定かではない。

 真実を知るには四十八層以上に上る必要があるがそれを為しえる俗人は今のところ存在していなかった。

 無無明は言った。

「馬鹿と権力者は高い所が好きだ」

 と。

 それが当てはまるかは後の議論として……そう言う無無明の言葉にも理屈はある。

 アオンの治安は上へ行くほど良くなり下へ行くほど悪くなる。

 なんとも虚しいことだが一つの真理でもあった。

 特に最下位層の一層から五層までは無法地帯と化している。

 警察の介入も無ければ防犯カメラも設置されていない。

 文字通り無法地帯だ。

 そしてギリギリ無法地帯の五層に無無明探偵事務所はあるのだ。

 故にイリーガルな依頼が時折舞い込んでくるし、暴力に対処する術を無無明もカオスも持っているのだった。

 麻薬。

 凌辱。

 殺人。

 そんなことが平然と行われている一層から五層に対して政を取り仕切っている決定機関は今のところ何も言ってはこない。

 必要悪の必然を理解しているからである。

 社会に馴染めない犯罪者の種は個人にとっての風邪と同じく根絶することが不可能な代物だ。

 故に一層から五層を開放してスラム街を形成しているのである。

 アオンにおいて決定機関の命令は絶対だが、あえて決定機関はスラム街を無視してのけている……というのがアオンに住む者たちの予想だった。

 かといって何も対策をしていないというわけでもない。

 五十の層からなるアオンはその構造上、下部から順にパージすることが出来るようになっている。

 つまりスラム街が手に負えなくなった場合に備えて切り離しの手段を持っているのだ。

 切り離された層は海底へと沈む以上の運命は無く、それ故にスラム街は決定機関の逆鱗にだけは触れないように自粛している面もあるのだった。

 閑話休題。

「もう行くんすか?」

 カオスが金髪を指で弄りながら碧眼につまらなさを乗せて言った。

「指定時間は二十二時っすよね? それまでイチャイチャしたいっすよ」

 本音だった。

 カオスは心底無無明に惚れており、それ故に依頼が無ければ淫行にふけることを望んでいる。

 しかして、

「久しぶりに上に行くんだ。姉さんに挨拶しないとな」

 無無明は苦笑した。

「…………」

 それだけでカオスは言葉を失った。

 無無明をジト目で睨む。

「なんだよ? 言いたいことがあるなら言えばいい」

「シスコン」

「胸が痛いなぁ」

 言うほど罪悪感を無無明が覚えているわけでもないのだが。

「無無明の浮気者」

 拗ねたらしい。

 そんなカオスの言。

「知ったこっちゃない」

 と無無明の黒い瞳は語っていた。

 そもそもにして無無明にとってカオスと云う存在は探偵の助手であり同時にセフレにすぎない。

 業務と体の関係でしかないのだ。

 そこに救いを求めるのはしょうがないとしても心奪われるほどの思い入れは無無明には無い。

 無無明は所長椅子にかけていた全身を包む漆黒のレザーコートを身に纏い……黒い髪と黒い瞳に黒いコートに黒いパンツという全身漆黒を体現して、

「じゃ、行ってくる。留守番よろしく」

 とカオスに申し付けた。

「むぅ」

 とカオスは呻いた。

 が、一向に気にしない無無明。

 コートの裾を翻して無無明探偵事務所を出るのだった。

 カオスのジト目がそれを見送る。

 ちなみにアオンでは層ごとに一つの大都市として完成している。

 ある種の例外を除いて層の上下を移動しなくともある程度の望むモノは手に入るようになっているし暮らしに不便を覚えることもない。

 アオンの全五十層に五億人の人間。

 単純計算で一層あたり一千万人の人間が住んでいることになる。

 当然層ごとに違いはあるものの秩序を維持できるだけの人間が層ごとに住んでおり、社会を個別に形成しているのだ。

 である以上、層を上下する人間は少ない。

 許可が下りにくいと言うのも理由の一つではあろうが。

 ちなみに無法地帯である一層から五層は無条件で上下できるが、そこから治安の良い六層以上に上るにはいくつかの検査を受けねばならない。

 理由。

 意図。

 条件。

 動機。

 目的。

 そんなものを知られて漸く無法地帯から治安の良い六層以上に這い上がることが出来るのである。

 当然のことだが無無明もその検査からは逃れられない。

 摂理である。

 無法地帯である五層の住人である。

 システムが危機感を覚えても不思議はない。

 そんなわけで無無明は全身をずずいと調べられ、「無害」と判断されてやっとこさ六層に繋がるエレベータに乗るのだった。

 もっともちょくちょく五層と六層を行き交いしているため今更感はあるのだが。

 一瞬にして理由と意図と目的とを察知されて不愉快にならないといえば嘘だが、仕方ないという気持ちもある。

 無法地帯から人間が上ってくれば要らぬ恐怖を与える。そのための検査であり審査であるのだから。

「まぁ別にいいんだが……」

 事情は無無明とてよくわかっている。

 少ない抵抗感はあるが、それ以上に理屈とカラクリを理解してもいるのだった。

 六層まで上ると、まず無無明は電車に乗った。

 層ごとに大都市を形成するアオンの特性上、広い空間を縦横無尽に網羅する交通機関は必然だ。

 運賃はタダで懸垂式のモノレールが六層の上空を走る。

 目的の駅に降りるとまず真っ先に花屋へと向かった。

 時間は既に昼過ぎだが、しかして特務士官との待ち合わせは二十二時……真夜中だ。

 故に無無明は自分の都合を最優先した。

 花屋で白と黄の花を買う。

 それからしばし歩いて旧教の教会へと辿り着いた。

 教会そのものには目的は無い。

 用があるのは教会にある墓である。

 死者の名前が彫られている石墓の前に立ち花を添える。

 タバコをくわえると火をつけてスーッと紫煙を吸う。

 それからフーッと吐いて、

「久しぶりだな姉さん」

 感慨深げに無無明は言った。

「姉さん」

 それこそ無無明の心の根幹をなす存在だ。

 既に亡くなっているがそれでもなお今もって無無明の心を支配する存在だ。

 《魔王》を無無明に引き継がせた当人でさえある。

 とまれ、

「ま、死人に口無し……か」

 無無明は自嘲する。

 花は添えた。

 タバコは吸っている。

 旧教の教会であるが故に線香を立てる必要もない。

「…………」

 無無明は無言でタバコの紫煙を吐いた。

 その瞳の映るのは後悔と懺悔。

 どちらも無意味ではあったが。

「おや、珍しい」

 そんな声がかかった。

 女性の声である。

 無無明はタバコを吸いながら声のした方へ向く。

 そこには一人のシスターがいた。

 朱い髪に紅い瞳の若い美女だ。

 その着ている服はカソック。

 漆黒のソレだ。

 もっとも漆黒の髪と瞳とコートとパンツの無無明に言われたくはなかろうが。

「黒い人ですね」

 苦笑とともにシスターは言った。

 否定するほどでもないので、

「ああ」

 と無無明は肯定した。

 タバコを吸って紫煙を吐く。

 シスターは苦笑する。

「お名前を教えていただいても宜しいでしょうか?」

「無無明だ」

 無無明に遠慮は無かった。

「そういうお前は何なんだ?」

「この教会でシスターをしているものです」

「五十点だな」

 無無明は決めつけた。

「名前はマリアと申します」

 シスター……マリアはそう自己紹介した。

「この教会の新たな教徒か?」

「誤解を恐れずに言えば」

 マリアは苦笑した。

「仕方なく笑っている」

 そう感じさせる笑みだった。

 無無明はタバコを吸って紫煙を吐きマリアを見据える。

「そう警戒しないでください」

 シスターマリアはそう紡いだ。

 事実がそうなら警戒には値しないのだが……。

 少なくとも姉の墓参りに教会に顔を出していながら無無明はマリアを知らなかった。

 その事実は、つまり別の層からこの教会に最近転属してきたということを認識させる。

 それを感じ取ったせいだろうか。

「私は異端……というより破戒者ですから」

 言い訳じみた言の葉を紡ぐマリア。

 つまり「爪弾きにされた」と言っているのだ。

「…………」

 無無明はタバコを吸って紫煙を吐き、その間に思考を巡らせ警戒を解く。

「で? 何の用だ?」

 本質を切り出す。

 こう言っては何だが無無明は腹の探り合いが得意ではない。

 必要があればそうすることもあるが基本的に、

「邪魔する奴らはぶっ潰す」

 がレゾンデートルだ。

 マリアがそれを知るすべはないが、

「そこに眠っている人はあなたにとって大事な人なんですね」

 それくらいの予想は簡単だった。

 無無明はタバコを吸って吐いて、

「ああ」

 と頷く。

「私が祈りを捧げても?」

「俺に許可を取る必要は無いだろう?」

「では遠慮なく」

 シスターマリアは墓の前にて膝をつき手を合わせて祈りを捧げた。

 しばし沈黙が場を支配した。

 マリアが祈り、無無明はタバコを吸い、天井には無数の電車がレールにぶら下がって縦横無尽に走っている。

「…………」

 紫煙を吐き携帯灰皿に吸殻を捨てる。

 同時にマリアが祈りを終えて立ち上がった。

「何に祈ったんだ?」

「無論、主に」

「さいか」

「天国へと導いてくださることを祈ったつもりでしたが……まずかったですか?」

「天国ね……」

 唯一神の具現化。

 アポカリプスによって滅びた世界。

 白髪白眼の聖人。

 最後の審判。

 唯一神がいるのなら天国の存在もあるかもしれない。

 証明されていないがそう云った信仰は確かに有る。

 中には聖人に殺されることこそ天国に行く方法だと説く破滅主義者もいるほどだ。

 だが唯一神がいるとしても天国なぞと云う存在を死者の意義ごと含めて信じ込めるほど無無明は可愛くなかった。

「仮に天国があったとしても姉さんは弾かれるだろうな……」

 苦笑する。

「まぁ」

 と若干わざとらしくマリアは口元を押さえた。

「何か理由が?」

「不信心者だったからな。唯一神と概念としての神とを同一視しないリアリストだった」

「しかして主は証明されております」

「だな」

 反論の言葉を無無明は飲み込んだ。

 ここで語るべき思想でないことは明白だからだ。

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