第2話 アポカリプスの後に2

 ともあれブレインユビキタスネットワークに接続できない以上、物理的にネットワークを介するのが常だ。

 カオスは大手興信所に暗号データとしての書類を送り、それから無無明に言葉をかけた。

「にゃはは。これで一つの家庭崩壊?」

「さぁてなぁ」

 カオスの淹れたコーヒーを飲みながら無無明は他人事と切り捨てた。

 無論のこと他人事には違いないのだが。

「今更離縁するのは奥様にとっても不利益だとは思うがな」

「にゃはは。だね」

 一つ頷いて、

「そう言えば無無明は結婚しないの?」

 短絡的に問うカオス。

「…………」

 無無明はジト目になる。

 コーヒーを飲み干して二本目のタバコに火をつけると紫煙を吐いて嫌味を言う。

「お前がそれを問うのか」

 と。

「にゃはは」

 とカオスは照れ笑い。

 状況を存分に理解している笑みだった。

「まったくお前は」

「にゃはは」

 言葉を超えて理解し合う。

 そう云う意味ではベストの塩梅だろう。

 それから無無明とカオスの二人はだらだらと過ごした。

 もとよりアオンの五層以下は防犯カメラもついておらず警察機構が介入することもない。

 実質的に無法地帯だ。

 パージのリスクと天秤にかけても無無明やカオスには居心地がいいのは言うまでもない。

 ただ客は来ない。

 それ故に経済状況はかつかつだ。

 零細探偵事務所の所以だ。

 無無明たちが特別というわけではなく他の興信所も大手でない限り似たようなものではあったが。

「…………」

 無無明はタバコを吸うと紫煙を吐き出す。

「暇っすね」

「それは言わない約束だぜ」

 実質暇であった。

 基本的にアオン五層の無無明探偵事務所に来る依頼は大手興信所のピンハネされた依頼の引継ぎかイリーガルな依頼のどちらかである。

 どちらかといえば後者が収入源になっているが、その分危険は大きい。

 無無明とカオスの二人でなければ太平洋に死体を浮かべる羽目になっているはずなのは二人そろってよく知っている。

「仕事がねーな」

「収入がスズメの涙っすからね」

 現実だった。

「タバコ……止めたらどうっすか? それだけで経済的負担は減るっすよ」

「ううむ」

 真剣に悩むあたりタバコの中毒性と経済状況の天秤の重さが見て取れた。

「しかしてハードボイルドにタバコは必需品だしな」

「誰が決めた法律か」

 などとカオスは問わなかった。

 無益な問いだからだ。

「中央さん何か言ってきてないか?」

「にゃはは。何もないっすよ」

「さいか」

 実質家計は火の車。

 本気で転職を考え始めた無無明がフーッと紫煙を吐く。

 その煙は揺れて中空へと虚しく消える。

 何の暗示かは言わずともわかる。

 当然無無明も……そしてカオスも理解していた。

「まぁ餓死はしないから大丈夫じゃないっすか?」

 メイドのカオスが気楽に言った。

 享受できる言葉ではなかったが確かに最低限の生命だけは保障されている。

 だからといってそれに甘んじる無無明でもなかったが。

「……なんだかなぁ」

 タバコを吸って紫煙を吐き、世の無常を実感する他やることがない無無明であった。

「にゃはは。なんなら僕と昨夜の続きする?」

 艶めかしいカオスの言い分に、

「却下」

 即断する無無明。

 タバコを吸って吐いて、

「今は仕事中だ」

 とは言うものの説得力は皆無だった。

 そも、それを破戒することもあるのだから。

「仕事ないっすよ?」

 無慈悲なカオスの言葉が胸に痛い無無明であった。

「…………」

 しばし思案。

 沈黙を守る。

 反論箇所が無かったせいだ。

 タバコを消費してばかりの無無明に、コーヒーを飲むカオス。

 二人は依頼を受け身で待ちながら無為徒労な時間を過ごす。

 それがある意味での二人の日常だった。

 そして依頼の無いままに午前が終わる。

 メイド服姿のカオスが使用人然として昼食であるタコスを用意して無無明に振る舞う。

 基本的に二人に経済観念は無い。

 自身らが貧民であることに疑いは持っていないが、だかと言って、

「節約せねば」

 という感覚も持ち合わせてはいなかった。

 そもそうでなければ無無明はタバコを節約するだろうしカオスも手ずからのコーヒーを節約するだろう。

 なんと言っても量子指向性アクチュエータがあるのだ。

 必要な分配はなされている。

 アオンに住まう人間としては当然だ。

 が、それに甘んじないのも二人の特性である。

 タコスを食べながら今月の収支を脳内で演算する無無明。

 その所長机に置かれているコンピュータにメールが入る。

「ん?」

 タコスを食べながら無無明はコンピュータを見入る。

「依頼か?」

 そんな疑問を持つのだ。

 そして正解だった。

「特務士官より。二十二時、六層のバーにて待つ」

 簡素なメール。

 わかったのは依頼主の地位と指定時間と大まかな場所だけであった。

「何の依頼か?」

 それはさっぱりわからない。

 しかして無無明はそれが「イリーガルな依頼」だと理解した。

 特に五層である非管理階層にあれば嗅覚は鋭くなるのだ。

 まして相手が、

「特務士官」

 と名乗っている以上、無無明には存分に心当たりがあったのだ。

「誰からっすか?」

「末端からだ」

「にゃはは。っすか」

 納得するカオス。

「この依頼料が入ったら回転寿司でも食べに行こうぜ」

 まだどんな依頼かもわかっていない状況で、しかして無無明は散財の誓いを取り付けた。

「にゃはは」

 カオスも嬉しそうだ。

 そして無無明は改めて依頼主の意図を推測するのだった。


    *


 多少なりとも時間を過去へと遡行することになる。

 人類が遂に万物の理論を解き明かしたことが《コト》の発端だと言われている。

 冤罪かどうかの証明は現在をもっても為されてはいない。

 ともあれ一人の数学者が万物の理論を発展させて宇宙の秘密の一部を解き明かし……そして……《唯一神》の存在を数式に表して証明しおおせた。

 当時の人類にとっては画期的な成果であった。

 信者や教徒は熱狂し、無神論者は「ありえない」と唸るか手の平を返すかの二つに一つ。

 名称の議論はともあれ(神を証明した数学者はあえて名を付けず《唯一神》と云うに留めたという理由もある)神を信じる者は歓喜し、神を信じぬ者は困惑し、人類は唯一神に熱狂した。

 ここで量子力学の基礎たる事象が発現することになる。

 単純だ。

 箱を開けた瞬間、猫の生死が確定する。

 同じように人類が等しく唯一神の証明数式を認め《唯一神を観測》した。

 そして観測された以上「神は存在する」と「神は存在しない」の重ね合わせであった唯一神は「神は存在する」に確定されたのだ。

 唯一神は地球単位で具現化した。

 姿を現した。

 九分九厘の人類にとっては画期的な現象だったろう。

 だが一部の人間にとっては「来たるべき未来」に相違なかった。

 実を言えば超常存在は唯一神に限った話でも無かったからだ。

 悪魔や妖精といった唯一神とは違う超常存在は人類の落とす影に寄り添って個々人の脳の認識によって観測、確定されてごく少数の人間と契約し超常現象を起こしてもいたのだ。

 過去に魔術師と呼ばれた者たち……その実態である。

 だがそれは各々の認識、あるいは意識、あるいはクオリアによって観測され人間との契約によって形を成すためオカルトの域は出なかった。

 しかして唯一神は違った。

 全人類が唯一神を観測したのだ。

 当然ながら個人で観測する他の超常存在とは違い唯一神は全人類に対して影響を及ぼし得るものだった。

 魔術師の観点からすれば「全人類が平等に唯一神と契約した」と云ったところだろうか。

 再度になるが唯一神が人類の前に姿を現したのである。

 救いを求める声があった。

 狂気を持って崇拝する声があった。

 世の不条理をもって弾劾する声があった。

 目と耳を塞ぎ否定する声があった。

 だがそんな人類の声を唯一神はあっさりと無視してのけた。

「愛憎相半ばにする」

 という言葉がある。

 ちょうど神の人類に対する対応がこれに限りなく近かった。

 何かを憎むことが出来ない者は何かを愛することを出来るはずもない。

 当然と言えば当然。

あそれは人間もそうであるし、クオリアを持つ唯一神もそうである。

 ただあくまで限りなく「愛憎相半ばにする」に近いだけであってそれそのものではない。

 唯一神は人類を愛し人類を憎んだが……愛情よりも憎悪の方が少しだけ量として多かった。

 唯一神にとっては些細な不釣り合い……本当にほんの少しだけ「わずらわしい」というだけのことであったが、皮肉なことに全人類にとっては致命的な意味を持つことになる。

 プラスマイナスの収支は愛情より憎悪の方に天秤が傾いた。

 結論としてアポカリプスが起きた。

 唯一神による人類の虐殺が行われたのだ。

 方法は簡単だった。

 神の使者が地上に現れて人類を殺戮していったというだけのことだ。

 現在では《聖人》と呼ばれる新人類が、現在でも《人間》と呼ばれる旧人類たる地球人に対して牙を向いたのである。

 聖人はあらゆる武器火器兵器が通じなかった。

 ついには先進国によるABC兵器が使用され聖人の駆逐が行なわれたが全く意味をなさなかった。

 《ある一部の方法》を除いて聖人を機能停止に追い込む術を人類は持っていなかった。

 対して聖人は《神之御手かみのみて》と呼ばれる直接殺害機能を持ち目に付く人間を殺してまわった。

 阿鼻叫喚が世界を覆った。

 狂信者の中には「聖人に殺されてこそ天国へ行ける」と説く者もいるにはいたが、そんなものは気休めにもならなかった。

 聖人対人類の戦争はワンサイドゲームで聖人に有利であり人間は死者を増やすばかりであった。

 だが新人類たる聖人も完璧ではなかった。

 唯一神は地球という惑星単位で具現化したのだ。

 故に唯一神をガイアと呼ぶ人間もいたがこれはまた別の議論とし、地球に根差した唯一神をバックアップに持つ聖人は大地からエネルギーを供給し不老不死にして無敵の耐性を持ちうるのだった。

 それが唯一神の意図したところかは現在でもわかっていないが文明を滅ぼされた人類は海へと逃げ場を求めた。

 大地からエネルギーを供給している以上、聖人の活動範囲は地上に限られてしまい有視界内の人間しか殺せない神之御手では海に避難した旧人類を殺す術にはなりえなかった。

 故に海に避難した人間たちが海に都市を造るのは半ば必然と言える。

 海中海上都市アオン。

 それが最終人類都市の名称だった。

 都市国家(正確には国連の定義に沿えば国際化領域に属し都市でも国家でもないのだが)アオンが造られた。

 ノアの方舟……アーク・オブ・ノア。

 その頭文字をとり通称をアオンという。

 太平洋に造られた五十層からなる巨大な建築物である。

 アオンはあまりに巨大な円柱型をしており一層から二十五層が海中に……二十六層から五十層が海上に造られている。

 住まう人間は聖人の殺戮から逃れた最後の人類である約五億人。

 その他の人類は例外を除いて聖人に虐殺されていた。

 人類は唯一神の意思によって黄昏を迎えていたが、しかしてアオンに不備は無かった。

 第一種永久機関と量子指向性アクチュエータによって無限のエネルギーと物資の確保は出来ており地球が滅ぶまで半永久的にアオンは稼働し続けることを生き残った五億人の人間は疑っていなかった。

 そして無無明とカオスもそんなアオンという人類最後の方舟の住人なのだった。

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