最終人類都市アオン

揚羽常時

第1話 アポカリプスの後に1

 アオンの五層。

 その一角に存在するとある事務所兼自宅。

「無無明探偵事務所」

 というなんとも不安げな銘打たれた看板を掲げる探偵事務所があった。

 一階が事務所であり二階が生活空間となっている。

 その生活空間の方には一人の青年と一人の少年がいた。

 少年は金髪碧眼の大層な……あるいは絶世の……あるいは不世出の……美少年だ。

「わがためになやめる魂をしづめよと讃美歌うたふ人ありしかな……なぁんてね」

 そんな短歌を唄いながら無無明探偵事務所の二階のキッチンにて二人分の朝食を作っている。

 つまり今は朝である。

 もっともアオンでは太陽の光はあまり役に立たず照明の明暗で昼夜を識別しなければならないのだが……。

 美少年の握るフライパンには目玉焼きが。

 トースターには食パンが。

 二人分の皿には野菜サラダとハムが乗っている。

 その皿に目玉焼きが追加され、トーストが出来上がると、美少年はキッチンからダイニングを通って寝室に顔を出した。

 そこには青年が一人、ベッドで眠りこけていた。

 睡眠にあたって目を閉じているため確認こそできないが黒い瞳を持っている。

 髪も黒く幼顔で、彼が典型的な日本人であることを示していた。

 いびきこそかいていないが睡眠の吐息を静かに発している。

 大人……というには若すぎる青年だ。

 もっともその青年こそ無無明探偵事務所の所長であるため社会人としては十分すぎるレッテルだが。

 そんな青年は全裸だった。

 腰から下は大きいタオルケットで隠してあるため見苦しくはなかったが……鍛えられた腕や胸板は見る人間が見れば感嘆の吐息をつくだろう。

 そしてその「見る人間」に美少年も相当した。

 青年を見て微笑ましげに表情を作るとベッドへ歩み寄りツイーと人差し指で青年の胸板をなぞる。

 マッチョではないにしても荒事に適した青年の体つきを美少年はひどく気に入っているのだ。

 それから一通り青年の体を弄って満足したのか、

無無明むむみょう

 と青年を呼んだ。

 ベッドで寝ている青年……無無明は起きる気配を見せなかった。

 完全に眠りこけている。

 そして名前を呼んだくらいで無無明が起きないことを美少年自身が一番わかっているのである。

「毎度ながらしょうがないっすねぇ」

 寝つきの良い……あるいは寝起きの悪い無無明に向かって嘆息し、美少年は悪戯っぽい光を碧眼に乗せた。

 ポケットからミントの錠剤を取り出すと自身の口に含み、それから、

「ん……っ」

 まったく躊躇なく無無明の唇に唇を重ねた……どころか舌で無無明の口内を凌辱した。

 いわゆる一つのディープキス。

 そしてミントの錠剤は美少年の口内から無無明の口内へと移される。

 結果、

「か……っ! ゲホッゲホッ!」

 強烈なミントの香りが無無明の口内で弾け、覚醒を促した。

 断続的に咳をして、無無明は恨めしげに美少年を見やる。

「カオス……てめっ……」

 金髪碧眼の美少年ことカオスは、

「にゃはは」

 と悪びれることなく笑った。

「起きたでしょ? 無無明」

「そりゃ起きたがな……」

「ならいいっす」

「良くねえよ」

 などと無無明は言わなかった。

 このやりとりは既にルーチンワークの域にまで昇華されている。

 そもそもにして起きない自身が悪いのだからカオスにケチをつけるわけにもいかないのだ。

「で?」

「とは?」

「何で起こした?」

「朝食っす」

「さいか」

 納得すると無無明は起き上がろうと思い、しかして躊躇した。

「どうしたっすか?」

「ちょっと着替えるから部屋出てろ」

「どうせ見慣れてるっすよ?」

「それでもだ」

 有無を言わさず寝室からカオスを追い出して、無無明は部屋着に着替える。

 正確には全裸から服を着たので着用というべきだが。

 黒いシャツに黒いパンツを着用してダイニングに顔を出す無無明。

「二度寝しなかったっすね。偉い偉い」

「えらい目にあわされるからな」

 苦笑するばかりの無無明。

「やっぱり昨夜のが効いてるんすかねぇ」

「いつもより激しかったしな」

 何の話かといえば昨夜の無無明とカオスの情事のことである。

 無無明は黒髪黒眼の中々の美貌を持つ青年。

 カオスに至っては絶世にして不世出の美少年。

 つまり二人とも男なのだ。

 それをわかりきった上での情事。

 カオスはそっちのケがあるが無無明は一般的な恋愛観を持っている。

「抱くなら男性より女性が好ましい」

 とは言うものの……結局のところカオスを抱いているので言い訳の余地は無い。

 カオスを慰み者としている時点でカオスと同罪だ。

 もっとも二人とも、

「性欲がはらせればそれでいい」

 という思考が根幹にあるため救い難いと言えば救い難いのだった。

 無無明に凌辱されてカオスは喜ぶし、カオスを凌辱して無無明は性欲を鎮める。

 そういう意味では持ちつ持たれつの関係というに吝かでもない。

「昨夜の無無明は特に情熱的だったっす」

「色々と鬱憤が溜まっていたしな」

 朝食を始めながら会話を開始する無無明とカオス。

「にゃはは。もう僕の体の虜っすね」

「否定はしないが」

 カオスを助手としてから男色の作法を学び進歩してきた無無明である。

「なんなら次からは裸エプロンで起こしてあげよっか」

「男の裸エプロンなんて見て何が楽しいんだ……」

 シャクリとサラダを咀嚼し嚥下して辟易とする無無明。

「僕じゃ駄目っすか?」

「とは言わんがな……」

「むう」

 とカオスが呻く。

 無無明はテキパキと朝食を片付けた。

「ご馳走様」

 と言って一息つくとカオスがコーヒーを差し出してきた。

「相変わらず気が利くな……カオス」

 苦笑いの無無明に、

「にゃはは。大好きな無無明のためっすから」

 カオスがウィンクして食器を片づけ始めた。

 コーヒーに浸ってしばし。

 無無明は寝室に戻ると普段着に着替えるのだった。

 白いシャツに黒いパンツ……そして全身を覆う漆黒のレザーコート。

 黒い瞳と髪とを合せて黒尽めと云った有様だ。

 黒こそ無無明のアイデンティティなのである。

「ありゃ、もう着替えたっすか?」

 後片付けを終えたのだろうカオスが寝室に顔を出して言う。

「着替えくらい自分で出来る」

 無無明の反論はどう考察しても子どもじみていた。

 もっともカオスの意図が別にあることは承知の上でだ。

 カオスは無無明の体を性的にも非性的にもいたく気に入っている。

 一緒に風呂に入るし着替えを手伝おうとするし肉体で奉仕するし無無明の性欲を受け止めもする。

 無無明としては情事以外ではカオスに裸体を晒すのは躊躇いがちなのだが、たまに押し切られたりする。

 そういう関係だ。

「じゃあ僕も着替えるっす」

 皿洗いを終えてエプロンを外すとカオスは着替えのために寝室に引き籠る。

 その間に無無明は階下に降りて無無明探偵事務所を開業させるのだった。

 「クローズド」から「オープン」へ。

 とは云っても玄関の掛札を裏返して事務所に電気をつけただけだが。

 パタパタと足音を立ててカオスが下りてくる。

 美少年は美少女と間違わんばかりの魅力を振りまいていた。

 エプロンドレス……メイド服である。

 カチューシャも忘れていない。

 金髪碧眼のメイドさんがそこにはいた。

 ツッコミ役は生憎不在だ。

 無無明にしても慣れたものだしカオスは当人なのだから自身のメイド姿に疑問を持つはずもない。

 無無明探偵事務所の所長である無無明と助手であるカオス。

 そして二人はのんびりと仕事をするのだった。

「カオス。コーヒー」

「にゃはは。はいっす」

 嬉しげに……実際にカオスは無無明に奉仕するのが喜びなのだが……コーヒーを淹れるカオス。

 よほどコードに反しない限りにおいて量子指向性アクチュエータを使うのは当然であり必然なのだがカオスは手ずからコーヒーを淹れる。

 骨折りにこそ愛情が宿るというわけだ。

 無無明はというといまだ人類の友であるタバコに火をつけて紫煙を吐きながら書類を纏めていた。

 浮気調査の書類である。

 四十の女性が五十の旦那の浮気を疑い依頼したというわけだ。

「今更そんなことを気にする年齢か?」

 と無無明は思うのだが言葉にはしない。

 少なくとも頭の中は青春なのだろうと心に折り合いをつけている。

 無論直接依頼を受けたわけではない。

 アオンの五層は法治外だ。

 まともな依頼人は来ない。

 これは二十六層の大手興信所から経由された依頼である。

 名の際立つ大手興信所が大勢の相談者の依頼を纏めて受けて依頼料をピンハネした後、零細探偵事務所に仕事を回すのだ。

 そしてそんな割に合わない仕事をこなして無無明は生活の糧を得ているのである。

 適当に調査した無無明はその記録をデータに落とす。

「無無明。コーヒーっす」

 カップにコーヒーを注いで所長机に置くカオス。

 無無明はタバコを灰皿に押し付けて火を消すと、コーヒーを一口。

 香りが鼻孔を突き抜け苦みが舌を躍らせる。

「どうっすか?」

「美味い」

「にゃはは。なら良かったっす」

 心底嬉しそうにカオスは喜ぶ。

 コーヒーカップを受け皿に戻すと、

「ん」

 と浮気調査のデータを無無明はカオスに渡す。

 カオスも慣れたもので無無明の全ての意図を汲み取った。

「暗号データで中央さんに送ってくれ」

「あいあいさー」

 そんなやり取り。

 カオスは設えられたコンピュータに向かい、書類データを暗号データに複写してから大手興信所にメールで送る。

 ネットワークが奇形的に発達した現代においてネットの情報は常に誰かに漏れることを意識せねばならない。

 文字情報としてのやり取りなぞ検索をかければ一発でよからぬ輩に狙われる。

 そのために暗号データとして大元に送っているのだ。

 無無明やカオスには縁の無いことだが上層にはブレインユビキタスネットワークさえ普及しているのである。

 治安の悪い五層においては自殺行為だが上層の人間はそんな苦労を知るはずもない。

 治安が良いと云うことは飼い慣らされているということに上層の人間は気づいていないのだ。

 だからといって忠告をする義理など無無明には無いわけだが。

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