Beat It!! - 5


「ハァ……ハァハァ……ハァハァ……」

 心臓が張り裂けそうになるくらい、走った。

 ヘロヘロのマラソンランナーみたい、歩道脇のベンチへ崩れ落ちる。

 乙女には最低限の走力さえあればいい。でないと追いかけてくる王子様に迷惑を掛けちゃうから。ラブチャンスの基本は『隙』です。概して腰の重い恋愛イベント氏、彼を嗾けるにはミエミエの隙を誘い水にしないと、なかなか上手くいかないのです。

 女は隙を作れ!

「撒いたみたいね」

 って耳にタコができるくらい吹き込まれたのに! 恋愛ラボでは。

「マスクあっちぃー」

 悪い例が!

 被りっぱなしのマスクを脱いで、額に引っ掛けた悠弐子さん……もう息が戻ってます!

 障害物競走も真っ青な路地裏迷路を突っ走ってきたのに、なにその心肺能力?

 しかも、明らかに足手まといの私をサポートしながら、被り物までしながらなのに!

 こんな人は赤点です。恋愛ラボの女子力検定では最低点確実の振舞いです。

「…………」

 なのになのに……

(綺麗……)

 駅前通りと国道が交わる交差点、行き交う人波から離れ街路樹の下。

 都会の星座を背に立つ彼女は、さながら人に非ず。闇とネオンの狭間に浮かぶセルロイドドール。

「ふんふん……」

 行き交うライトを流星のサドルにして出鱈目のメロディ。

 即身仏ならぬ即身ミュージッククリップです、彩波悠弐子。作為的なフィルターなんて不要。ただカメラを回すだけでいい。それだけで得も言われぬ叙情性がフィルムへと焼き付けられる。

 人差し指と親指で作るカメラフレームでも――涙が。震える心が涙腺を刺激する。

(こ、こんな子が私の同級生……?)

 三年間、一緒に青春の一頁を綴る同級生? まさかまさかまさか。

「しゃらららら……」

 恋愛ラボの子たちは必死に探してた。自分が最も映える角度を、何時間も鏡を眺めながら。

 でも彼女には関係ない。

 自然体で鼻歌奏でる悠弐子さん、どの角度から眺めても『絵になる』んです。必殺の男殺しアングルなど必要ありません。横顔正面斜め四十五度、俯瞰でもあおりでも引きでも接写でも、コンデジや携帯でもプロ仕様の高級機でも――――敢然と「 美 」を返す。

 それ以外の答えがご所望ならば他を当たってくれる? とでも言わんばかりに。

「あはは」

 即席のカメラマンとして七転八倒する私を、笑いながら目で追う悠弐子さん。なんて力の抜けた笑顔でしょう……ついさっきまで百人単位の観衆を呑み込んでシャウトしていた子とは思えません。

(こんな笑い方もできるんだ……)

 凛々しく、勇ましく、気高く強く。

 常に何かと抗っている、内なる衝動に突き動かされて奮い立つ戦士の顔ばかり見てた気がします。

 悠弐子さん、あなたは一体何と戦ってるんですか?

 そんなに生き急ぐ必要があるんですか?

 知りたい。彩波悠弐子あなたを知りたい。

 誰もが羨む容姿で生まれながら、どうしてあなたは荒野を行くのですか?

 女子高生のクイーンズロードが手ぐすね引いて待っているのに。お付きの爺やが数十人体制で、レッドカーペットを敷いてます。あなたが歩くべき花道を。

 なのに貴女は……

(むー!)

 意地になって変な角度で撮ろうとしても、彼女は取り繕うこともなく。

 全方位型の美少女シェイプで応えるのです。

(ひとつくらいは!)

 有ったってもおかしくないですよね? 人間なんですから!

 と思ってしまうのはグリコの僻みだと分かっています。

 通常移動がチョコレートな人、彼ら彼女らが存在することは理解しています、頭では。

 でも悔しいじゃないですか!

 せめて何か「これはないわ……」と万人が認めるような欠陥とかないと! 有って欲しい!

 だから、ムキになっても見つけたくなるのも人情………………はっ!

 ズルッッ!

 ナイスアングル探しの罠!

 歩道の柵に座って上半身を思い切り傾けていたところに、

「ぬほ!」

 ズルッ!

 コートのお尻が滑って、バランスを失う! 身の丈に合ってないメンズコートの罠!

「う! うわわわわわわわわわわわわわ!」

 腰が車道側へとオーバー・ザ・トップロープ!

(やば! やばいやばいやばいやばい!)

 慌てて体勢を戻そうとしても、藻掻いた手は空を切る!

「ひょぁぁぁぁぁぁぁ!」

 ビュウン! ビュウンビュゥゥン!

「ひ!」

 わずか数センチ先、脳天の先を掠めていく疾風!

 落ちる! 落ちちゃう! 夜の川へと引き摺り込まれる!

 体重一トン級の獰猛鉄魚が跋扈する幹線道路夜の川へ! ――――落ちる!!!!

「――桜里子!」

 すかさず差し伸べられる手!

 迷わず掴みます! 必死に手繰ります! 私の命綱、蜘蛛の糸を!

 だって彼女の手ですから! 一も二もなく彼女を信じて掴む!

「……!」

 絶体絶命ヒットゾーンから危機一髪――――回避!

 少しでも躊躇ってたら、頭皮から数センチは削られて、持ってかれてたかもしれません!

 河童どころの騒ぎじゃないですよ! 魔宮の伝説のサル……いえもう想像するだに目眩がするので止めときますが。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、は……」

 何度目ですか? これで何度目ですか死にかけたの?

 死はすぐそこに潜んでいる、そんな事実を嫌ってほど突きつけられる日!

 人生は……人の道とはスペランカーです! そうなんですね? 先達たる哲人の皆々様方?

 噛み砕いて言うとそういうことですよねメメントモリ!

「なーにやってんのよ、桜里子?」

 ――勢い余って腕の中。

 釣り上げられた私は彼女の胸で、子供じゃないんだからと背中をはたかれる。

 まるで悪戯っ子を窘めるママみたい。

 素直に謝れば何でも許してくれちゃいそうな、大きな愛。

 母性という女性だけが持てる尊さ、強い気持ち、強い愛。

「ごめんなさい……」

 どうしようもなく照れくさくなって彼女を深く抱く。お互いに顎で肩を愛撫するみたいなハグ。

 だって顔を見せたくないし。

 腑抜けて蕩けて安心しきって。ごく近しい身内にしか見せられないようなだらしない顔をしているはずですから。そんなの恥ずかしすぎます。出会ったばかりの人に見せていい顔じゃないです。

「…………」

 それでも彼女なら。歩道の柵に座り、何も言わず背中を撫で続けてくれる彼女になら。

 ――見せてもいいのかも?

 そんな気はするけど、私にはそこまで勇気を持てない。臆病な兎には。

 探り探り歩を進め、もう大丈夫! な距離まで辿り着けたらネクストステップ。それが友達。女の子と女の子の常識的な付き合い方だと私は思っ……

「…………ん?」

 常識的な……

「…………んん????」

 常識的……

「……あれれっ?」

 常識とは何ぞや?

 と自問自答したくなる光景が、目に飛び込んでくる。突然に。トラブルストーリーは突然に。

 美少女の肩越しに眺める夜の交差点、掲げられた大型ビジョンにはテレビのサイマル放送。

 帯番組のニュースですよ、全国どこでも見ることができる、キー局発信の。

 耳慣れたピアノのインストゥルメンタル、アーティスティックなアニメーション、タイトルロゴ。

 映るもの全てが自宅のテレビで見るものと寸分違わぬ、『いつもの』。

「ひぃッ!」

 ただ一つだけ違う。全然全く以て……違いすぎる!

 だってだってだってだって!


  出 演 者 が !  ――――  ガ イ コ ツ ! ? ! ?


 気味の悪い髑髏がスーツを着て、アンカー席で喋ってる!!!!

 他の出演者と一緒に何食わぬ顔して!!!!

「な、何なの!?」

 思わずサングラスを取り去り、目をしぱしぱさせてみたら、

「……………………あれ?」

 いつもの人ですよ?

 スポーツ実況で頭角を現した元局アナの男性。ファニーな眼鏡に似合わぬ硬い語り口が「無理してますね……」って感じの、あの人です。

「えっ? えっ? ええっ?」

(やっぱり私の見間違いだったんですか?)

 今日一日、負荷のかかりすぎた精神が見せた幻覚?

「ひいっ!」

 慌ててサングラスを掛け直すと……やっぱり見えます!

 不気味な骸骨が! カタカタと顎を鳴らしながら気味の悪いホネホネロックがビジョンに!

「あれ?」

 でもサングラス外すと普通。

「ひっ!」

 掛けると異常。

「これって……」

 最高に趣味の悪いジョークグッズですか?

 人の生首を骸骨に入れ替える系の? どこで売ってるんです? 王様のアイディア?

(……いやいや待って待って)

 サングラスを掛けたまま、視線を水平に落とす。

「…………」

 交差点を行き交う人、誰一人とて首の挿げ替えなど起きてませんよ?

(……え? これどういう仕組み?)

 特定の人だけに悪戯を施すジョークグッズ……にしては、

(対象がピンポイントすぎませんかね? ドッキリ映像に差し替わる条件が……)

 差し替わる?

 ええ、そうです。アイコラみたいな静止画の挿げ替えなら素人にもできますよ。多少の知識と根気とPHOTOSHOPさえあれば。

 だけどテレビのアナウンサーは、アンカー席を離れてボードの前に立ったり、スポーツコーナーでバットを振ったりしても寸分の狂いもない。

 ハイビジョンのデータをリアルタイムレンダリングしてるの?

 このチープなサングラスで? どこにそんな高性能CPUが埋め込まれているの?

 ペラッペラのセルフレームとプラスチックレンズの安物サングラスですよ?

 高性能半導体やバッテリーに特有の発熱も見受けられない……

 それなのに特定の一人だけを判別して、極めて自然な描画処理。画面のスイッチングにも完璧に追随している。

 やってることは完全に悪巫山戯です。ジョークグッズですよ常識的に考えれば。

(でも……違う……)

 これは単なるジョークグッズなんかじゃない!

 最先端テクノロジーが凝縮された……

「なんだろう????」

 私の知性では対応不可能です。猫に小判豚に真珠類人猿にモノリスです。

「……悠弐子さん!」

 となれば持ち主に訊くのが手っ取り早い。

「なに?」

「つかぬことお訊きしますが、このサングラスは……」

「『ゆにばぁさりぃグラス』のこと?」

 気怠い瞳で私の身体を抱いていた彼女、返事をするのも億劫そうだったのに、

「ナニかおかしなの見えるんですけど……」

 私の質問で急にテンションスイッチが切り替わり、

「見えた? どこにいた? どんな格好して?」

 退廃のアンニュイをかなぐり捨て私の肩を揺さぶる。

「骸骨ですよ! あのビジョンで大写しになってました!」

「ああ、テレビね……」

 気色ばんで食いついてきたのに、一瞬で興味を失ってる……

「いつものことよテレビは」

「……いつものこと?」

 ヤレヤレと溜息吐いちゃって……何を落胆してるのか分かりません????

「いたぞ!」

 しまった!

「ボーカルとマラカスを発見! 駅前通り交差点!」

 チリチリ頭のパーリーピーポーさんたちに見つかっちゃった!

 てか被り物を脱いでたら見つかります! 目立って目立って仕方がない貴女ならば!

「愚図愚図してる場合じゃ! 悠弐子さん!」

 せっかく逃げ果せたと思ったのに! また息が切れるまで猛ダッシュですか?

「大丈夫よ桜里子」

 打ち合わせの合流地点へ辿り着いたスパイみたいな笑みを浮かべ。

 なに? なんなんです? 逃走用ヘリが都会という名のジャングルへ舞い降りてくれるんですか?

「ゆに公ぉぉぉ! 桜里子ぉ!」

 私たちを呼ぶ声! 大通りの向こうから女の子の声が!

「B子ちゃん!」

「はりあぁぁぁぁーっ!」

 Mi-24でもUH-1でもなく黒塗りのワンボックスから身を乗り出して私たちを呼ぶ。

 途中で逸れたB子ちゃんは無事ウイドーメイカー号の回収に成功してました!

「さ、行くよ桜里子!」

 余裕綽々で歩道の柵に立つミスフォトジェニック。私の手を引いたまま、笑顔で告げた。

「え?」

 まさかとは思いますが、もしかしてここを……?

 天下の駅前大通りですよ? ひっきりなしに車通ってますけど? 片側三車線ですが? 向こうの歩道まで何メートルあると思ってんですか?

「ボコボコにされたくなかったら……………………走る《ビートイット》!」

「ひ、ひぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

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