第二章 危うし! ミスキャプテンノーフューチャー - Whatever you face, No Future.

「乗って」

 旧いアメリカンロードムービーみたいな小粋さで私を招く源子さん。

(でもでも! ――――これは『好機』!)

 【特異点】の為人を知るには、最高のチャンスです。

 さりげない会話から徐々に徐々に、本性を丸裸にしていけば!

(できる! できる桜里子! あなたはやればできる子!)

 このとんでもない美少女さんの尻尾を掴むのよ!

 彼氏の有無からモラリティの拠り所まで、心の奥底へ分け入ってみるの!

(彼女は蝗か? それとも被害妄想のスケープゴートなのか?)

 潜入調査員Rage against the Beautyの腕の見せどころ、や~って参りました!

「し、失礼しまーす……」

 促されるがままリアゲートから乗り込めば、ゆるゆるとワンボックスは県道を山へ登る。

「馬鹿じゃない、あんた?」

「へ?」

 心の防壁を簡単に打ち壊してくる、フランクな物言いで彼女は。

「おろしたての制服で山歩きとか」

 自分では見えない背中やお尻の汚れをパンパンと叩き落としてくれた。

「すいません……」

 粗方ホコリや木屑が落ちると彼女はタオルを持ち出して、

「動かない」

 自分でやりますから、の手を制して額の汗を拭ってくれた。

(あれれ? 意外と良い子なのかも……?)

 なにせ『姫』ですから。光る源氏の処女おとめですから。

 鼻持ちならない選民意識の持ち主として、私みたいな凡人はアウトオブ眼中、そんな態度を採られちゃうことも覚悟してたのに。

 意外と優しい。そして何より……

(綺麗……)

 息のかかる距離で眺める彼女は、嘘みたいな美しさで美意識を曲げてくる。

 こんな子と同級生になるの? 同じ教室で机を並べるの?

 退屈な授業からふと目を逸らせば、この子が座っているの?

(想像できません……)

 この子と私が同じ背景を共有して然るべき、ありふれた凡俗のフレームに収まるとは思えない。

「…………」

 グラビアの美少女ですよ。レンズの向こう側で撮られるべき被写体Girls on Filmです。

「……何?」

 やばいやばい、不躾に凝視してしまった! 我を忘れて見つめてしまってた。

「い、いや、あのその…………素敵な車ですね!」

 つい、口から出任せで誤魔化してしまいました。馬鹿正直に「貴女に見惚れていました」などと言えるはずもなく。

「こういうの興味あるの?」

 無骨な外観からは想像できないほど中身はテクノロジカル。シートが除かれた荷室には、何台ものノートPCとタブがハングマウントされている。

「これで参加者をモニタしてるんですか?」

「そ」

 液晶の地図には無数のビーコンが映し出されてる。それぞれに識別コードが表示されていて、大規模MMOの攻城戦かSLGみたいな雰囲気ですね。

(……てことは、この車は審判車?)

 参加者のスマホにインストールさせたのは安全監視用のモニタソフトかな?

「さすがに、まだ差はついていないですね」

 ビーコン群は縦長だけど、密集してるように見える。

「んや、もうキロ単位で」

「え?」

 男の子たちが山岳縦走へ挑んでから、まだ何時間も経ってないですけど?

「縮尺」

「縮尺ですか?」

 スマホの手書き図と比べながらタッチパネルの「-」の所をピポパ。

「ん?」

 配置されている要素、鉄道路線や河川の位置を対照できる縮尺まで広げてみました…………が、

「やっぱり山田、地図が読めない」

 読むリテラシーが人より劣っている気がします。

 だってタッチパネルの地図、一つの県全体を眺め渡すような縮尺ですよ?

 これは広げすぎてます、常識的に考えて。どう考えても。

「読めてるじゃない」

「は?」

 部長さんの指が、私のスマホとパネルを行ったり来たりして、対照要素の正解を指摘する。

「てことはてことは?」

 スマホの手書き図に記されたゴールは軽~く一山越えた辺りに記されていますけど、

「ここ」

 壁掛け液晶の広域地方図で源子さんは指し示した――とんでもない場所を。

「ちょ、ちょっと待って下さい! そこまで何キロあるんですか?」

 そこって他県ですよ? 日本でも屈指の脊梁山脈を越えた先ですけど?

「百五十キロほど?」

「は?」

「百五十キロ。地図上の直線距離で」

「は?」

 なななな何言ってんだ、この人?

「……ひゃくごじゅっきろ?」

 そんなの無理に決まってるじゃないですか!

 今は金曜の放課後で、来週も月曜朝から普通に授業です。

 ゴール地点から帰宅する手間を考えても、リミットは丸二日しかありません!

 タイト過ぎる!

 事前に周知されてたのなら、間違いなくスタート前に断念者が続出です!

「こんな手書きの簡略化されまくった地図とか! 戦国時代じゃあるまいし!」

 スマホへ配信された図には情報が欠落しすぎです! あまりにあまりなご無体な!

「そう、戦国!」

 なのに源子さん、

「日本史上に燦然と輝く伝説の行軍よ!」

 目をキラキラ輝かせながら仰る。

「一日に七十キロとも九十キロとも語り伝えられる電撃移動……道幅二間の街道を都合二万の軍勢が昼夜問わずに走り切った!」

 ウットリするような美声で武勇伝を語りなさる。歴史バラエティのナレーションみたいに。

「一方、栄養状態の観点で言えば戦国の雑兵を大幅に上回る現代人よ?」

「熟せぬはずもなし!」

 運転席からも源子さんへ肯定的な言葉が飛んで来る。金髪将軍が車を運転してるの?

 荷室からはカーテンで仕切られていて運転席は見えないけど……外人さんだから国際免許とか所持してるんでしょうか? 私たちの年齢でも取れるやつ。

「その上、重い具足も武具も持たなくていい。履いている靴は草履とは比べ物にならない!」

「雲泥の差!」

 それはそぅ……いえいえいえいえいえ!

 危うく納得しそうになりましたけど……ちょっと待って下さい!

(おかしいです! 常識的に考えて!)

 実際に可能かどうかはさておき、ロクなインフォメーションも与えないまま、そんな無茶苦茶をやらせること自体おかしいです!

「神君伊賀越えなら、三日間で二百キロよ!」

「さっすがー東照大権現!」

「神君!」「伊賀越え!」「神君!」「伊賀越え!」「神君!」「伊賀越え!」

 古のバンカラ応援団みたい仁王立ちした源子さん、左拳を脇腹に当て、右拳を上下に振りながらシュプレヒコール。運転席の金髪将軍ちゃんと掛け合いながら。

(マトモじゃない!)

 本気で言ってるとしたらヤバい域です、いやマジでマジで大マジで。

 この子、八甲田山死の行軍を招いた無能軍部の生まれ変わりじゃないですか?

 勝ってくるぞと勇ましく、元気ハツラツオロナミンC!

 ファイト一発、根性があれば、二十四時間戦えますか?

 そういう目ですよ!

 瞳に一点の曇りもないですもん!

 自分が信じる想いをそのまま言葉にしてる、そういう人の目です!

 邪念がないんですよ! 悪い意味で!

(これマズい!)

 貞操観念がどうとか言ってる場合じゃないです!

 SEX PISTOLSもSEX MACHINEGUNSも裸足で逃げ出す危険人物ではないですか、この子?

(逃げよう!)

 即刻傍を離れよう!

 あくまで私は内偵です。身の危険を感じたら、逃げるが吉!

 迂闊に巻き込まれちゃいけないって本能が叫びたがってるんだ!

「あのぅ、突然で申し訳ないんですが山田リタイアさせて……ひょぉわぁぁぁぁぁぁ!」

 なのにイキナリGが話の腰を折ってくる!

 Gって言っても黒光りする方じゃなくて加速度です!

「ひっ! ひぃぃぃぃぃぃぃぃ! うえぇぇぇぇぇぇぇ!」

 右へ左へ急旋回! 遠心力が足を刈る!

 あーれー。

 哀れなる山田桜里子、ニュートンの林檎となって内装へ実を撒き散らします。シートベルトしましょう死にたくなかったらシートベルト。アイザック・ニュートンさんとの約束です。

「ふがっ!」

 重い頭蓋骨は慣性に抗えず、モノコックフレームで西瓜割することに!


 …………ならなかった。

(柔らかい?)

 よろけて後頭部からガツーン! と金属製の四角い物体、小型冷蔵庫でしょうか? そこへヒットするかと覚悟したのに……

「……!!」

 何故かレカロの高級シートよりも心地いいホールド感で収まった。

「は!?」

 車の側壁と小型冷蔵庫の間。硬い直角の隙間のはずが……緩衝材を背に感じる。すっぽりお尻を包み込んでくる柔らかさ。上半身もクッション性抜群の支持突起が左右の肩甲骨に当たってくる。

(……ん? んんんんんん?)

 ほどなく時間差で漂ってくる匂い――女の子の香り。

 振り向こうとすると頬に感触が。食べられない餡饅みたいなゴワゴワ感。

(ハウジングのカバー?……てことは…………美女の腕の中!?)

 私と彼女、存在感は月とスッポンでも体型は一致するっぽい。一応、同い年の同級生ですから。人間椅子というか二人羽織というか、そんな体勢がピッタリとハマる。あたかもアフリカ大陸と南米大陸みたいな相思相愛。

「……山田桜里子」

「すいません、すぐに退き……」

 ぎゅう。

 慌てて立ち上がろうとしたのに、お腹に回された手が逃してくれない。

「山田桜里子」

 だめ……耳元で囁かれると、呂律も思考も回らなくなる!

 最低の体位です! この子と会話するには最低の!

「あなたが運命の子」

「は?」

 何を仰る源子さん?

 私は入部希望者を装って、部長さんの身辺調査を目論んだ間者みたいなもんですが?

 秘密の内偵調査隊員ですよ? Rage against the Beautyですが?

 それのどこにデスティニーが存在すると?

「ここ」

 お腹に回された手が……拘束具から蛇になる!

 強張る制服の生地を撫で回すみたいに、さすさすさすさす弄ってくる!

「……は? …………は? は????」

 頭が真っ白です。思考は飛びまくり。

 だってだって意味が分からないじゃないですか!

 どうして私、美少女に背後を盗られた上に身体を弄られてるんです?

 運命の子、だから?

 私は運命なんて一片も感じません。だって今日始めて会話を交わした同士ですよ?

 いったい何が分かるってんです?

 気心の知れた仲になるには悪戯に時を重ねて過ごしたりしないとダメですよ。ありふれた日々の素晴らしさに気づくまではあああああああああああああああああああああああ!

「ひぃぃぃぃぃ!」

 メデューサシートの官能も一発で吹っ飛ぶ無重力感!

 タイヤ片側二本の荷重が! ゼロになってません? 浮いてませんか?

 内臓が口から飛び出そうな無理矢理ジェットコースター!

 峠のコーナーを限界まで攻める狂気の走り! 荷室へも嫌ってほど伝わってきます!

(ヤバイヤバイヤバイヤバイ!)

 いくら座り心地が極上の美少女レカロといえど、こんな車からは一刻も早く逃げるに限る。やるべきことを済ませて即座に下車せねば!

「部長さん!」

(えとえとえーと、なんだっけ? 何訊くんだっけ?)

 思い出せ思い出すの桜里子! ローレライ嬢に呑まれてはダメよ!

 霞一中 恋愛ラボの思いを託された潜入捜査員 Rage against the Beautyが訊くべきは、

 【靡いてくる殿方に対し、御石の鉢や蓬莱の玉火鼠等を求めるつもりはあるか】です!

「あ、あなた本物のかぐや姫ですか?」

 ピタリ。

「…………」

 急停止。必要以上にギュギュッとホールドして私の身体のそこらかしこらを触りまくってた手が。

(……これは!)

 大きなヘッドホンが邪魔して振り向けない体勢でも、気配は悟れます。

 キョトンとされてます、こいつは何を言ってるんだい? って訝しく思われてます! 絶対!

(えええと、もっと噛み砕いて要点を伝えなきゃ! 具体的に理路整然と!)

 落ち着け落ち着くのよ桜里子Rage against the Beauty

 訊くべきところを、誤解のない言葉選びで尋ねるんです!

(要点……要点……)

「ようて…………ひぃぃぃぃいぃぃぃぃぃ!」

 まとまるものもまとまらない! こんなんで落ち着いて思考などできるか!

 右へ左へ前へ後ろへ断続的に体を持ってかれそうになる状況ですよ?

 その度に、ギュッて抱きしめられる。後ろから極上の人間椅子ちゃんに。安心感と官能性がタッグを組んで刺激してくる丹前感覚☆Dreamer。

(だがしかぁーし!)

 刺激も緩む。その一瞬!

 峠にはつきものの、Rのキツいヘアピンカーブ。ただでさえ鈍重な大型ワンボックスですから、相当減速しないと物理的に曲がれません。

 これが私の生きる道!

 美少女レカロとの接地感が弱まる隙を最大限利用して答えを導くの、Rage against the Beauty!

(精神一到何事か成らざらん!)

 えとえとえと…………まず彼女はかぐや姫ではありません。

 だってかぐや姫は結局誰を娶ることなく、帝の思慕すら袖にして月へ帰ったじゃないですか。

 むしろ誰彼構わず手を出しまくったのは光源氏の方です。

 ならば、

「あ、あなたは光る源氏の処女おとめなんですか?」

 ピタリ。

 再び止まる、手。

 要領を得ない子に捉えどころのない質問された時の反応ですよ、これ!

 きっと私の背景は「?」の文字で埋め尽くされてるはずです。人間椅子ちゃんの疑問で。

「…………」

 何を訊いてるんだ私は? 自分で自分が嫌になる取り留めのなさ!

(落ち着け! 落ち着くのよ、桜里子!)

 前後左右に振り回されて、グチャグチャになってる思考を再構築するの!

(えーとえーと、つまり私が言いたいのは……えーとえとえと……)

 男の子たちを手玉に取って霞城中央を己の神聖モテモテ王国にしようとか、そういう野心を抱いているのか? 恋愛ヒエラルキーの頂点に君臨して、放蕩の限りを尽くすつもりか? 他の女子のなんて知ったこっちゃない、自分だけがめくるめくロマンティックラブ女子高生ライフを満喫できればいいと考えているのか?

 それですそういうことですよ。それを簡潔に訊けばいい。

(でも待って下さい?)

 それでも男の子が姫とのカップリングを願ったら、女の子はどうしようもなくない?

 こんなにも綺麗な子ですよ? 同性であっても息を呑んで凝視しちゃうような。

 そもそも自由恋愛を縛るなんて、それこそが悪じゃないですか?

【霞一中 恋愛ラボ 恋の掟 第九条 恋愛とは何事にも縛られないから素敵なの】

 中学の放課後、ラボメンみんなで唱和したフレーズが頭をよぎる。

「えーとえーとえとえと……ひぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 容赦なく思考ストリームを寸断してくる限界バトル! Don't miss it!

 ここで意識が途切れたら、楽ですよね。

 そしたらこんな無理矢理コースターは夢の中です。青い顔で目覚めることになったとしても。

(だめ!)

 そんな簡単に諦めていいの、Rage against the Beauty?

 ここで諦めたら、薔薇色の恋愛理想郷が!

 ノーフューチャー! キャプテンノーフューチャーですよ!

(そんなのダメ!)

 姫と金髪の子を除いた女子全員が蔑ろにされちゃう明日など!

 超恋愛適齢期を暗黒の日々と過ごさざるを得ないとか!

 恋愛ラボの負け組部員と同じです! 構成員の性が偏りまくった男女交際のバミューダトライアングルへと放り込まれたのと変わりません!

 少しでも女子私たちを慮ってくれるなら、そんな酷いことは!

「部長さん!」

 やっぱ訊かなきゃ! 彼女の本音を確認しなきゃ!

 ええとえとえとえと……つまりはそういうことです!

「部長さんは男子が好きですか? それとも女の子が好きですか?」

 ピタリ。

「……………………」

 やっぱり伝わってない? 全然伝わっていないですか?

「あ、あのですね噛み砕いて言うとつまり……ひゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 いきなりタイヤの悲鳴が最大音量!

 勢い、ホールドの緩んだ美少女レカロシートから放り出されてしまい!

「むぎゃっ!」

 背中からソファへとメリ込んでった!

(セーフ!?!?)

 電子機器類や冷蔵庫へ向かって飛ばされなかったのは不幸中の幸いとしても、新雪に埋まったスキーヤーみたい身動きが取れない。だけど考えてみればむしろ、この状況なら安全と言え……

(言えません!)

 だってそんな私へ手を差し伸べるでもなく彼女は、四つん這いで伸し掛かってくるんです!

(こ、この構図は!)

 見たことあります! 図書館で! 絵本の読み聞かせコーナーで!

 棺の白雪姫を見初める王子様の構図じゃないですか!

「!!!!!!!!!!!!」

 近い近い近い! 顔も背けられない間合いでの超接近遭遇。

 ななな何考えてるの、この子????

 読めない測れない感情の温度が掴めない! 美形女子のポーカーフェイスは、日本人の天敵!

 だって何を考えているのかサッパリ分かんないんですよ! 空気が読めないの!

「…………」

 そんなことされたら日本人、酸素の足りない水槽に放り込まれた金魚になる。

 あぱあぱ口を広げ、狼狽え藻掻くしかできなくなる。

 溺死! 溺死します! ディスコミュニケーションの沼で溺れ死ぬ!

「…………」

 そんなお見苦しい小市民の狼狽を満喫した彼女は……ふと緊張を解いて、

「…………女の子」

 とか漏らす。

 鮮やかな生命力バイタリティに濡れた唇が呟くんです、吐息の掛かる距離で。

 もし今、峠の段差をサスペンションが拾ったら、ぷにゅってくっついてしまいそうな至近距離で。

「……なぁーんて答えたら?」

 僅かに口角をあげた彼女は小悪魔の微笑み。意思薄弱な私を深淵へ誘い込む、堕天使の顔。逆光に浮かぶ天使相エンジェリックレイヤー

 ようやく分かりました。

(――――桜里子は馬鹿です)

 天使と人は、つきあえません。ああっ女神さまっと願ったところで、別の生物ですから。

 いくら凡百の男子が切望しても届きはしない。仮に中国大返しの奇跡を再現できても、この子と釣り合うわけがないんです。無理です、そもそも根本的に。

 だからかぐや姫は月へと帰るしかなかった――――だって人とは番になれないから。

(違う……)

 私、重大な勘違いをしていたのかもしれません。

 彼女は敵ではなく、私たちの恋愛道に立ちはだかるラスボスではなく、

(天然記念物ちゃんなのでは?)

 愛でるべき『 宝 』として皆が慈しみ、保護しなくてはならない対象では?

(だって!)

 だってだって綺麗なんですよ!

 ディティールまで寸分の狂いなく造形された美のダイアグラム。

 それでいて石膏やCGみたいな退屈とも不気味とも無縁の、得も言われぬ有機性を表す。

 ……なんだ? なんだなんだなんだ? この麗しき生き物は?

 現実感の基準点、その置き場所を掴めません。

 やっぱりこの子は竹から生まれたかぐや姫では?

 人非ざる出生と美貌で人心惑わすシンギュラリティクリーチャーでは?

「ひっ!」

 ギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャ!

「ほげぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 絹を引き裂くスキール音を上げながら、傾く車体!

 床だと思っていた場所が床ではなくなり、ソファから「船底」の窪みへと滑落する。

「どんだけ! どんだけー!」

 ドスン!

 揺り返しの復元力で豪快に四股を踏む巨体!

「あ……頭おかしい!」

 ワンボックスですよ? 積載量最優先の商用バンですよ? そんな車でこんな運転????

(無謀過ぎます!)

 峠道でこんな運転していたら、ダイブイントゥ谷底も時間の問題!

 Rage against the Beautyの重大任務とか人とは番えない天然記念物少女とか、もはや何をしに私はここにいるのかも分かんなくなっていますが若い身空で命を散らす羽目になど遭いたくありません!

 女子高生の薔薇色ライフは始まったばかりだってのに!

「運転手さーん!!!! 落として下さいスピード! もっとゆっく……」

 峠の短い直線で一気にダッシュ! ウォークスルーを運転席へ怒鳴りこんだのに……

「えっ?」

(いない!?!?)

 さっき確かに声しましたよね? 金髪の子の声! 運転席から!

 なのにドライバーズシートは蛻の殻で……

(幽霊ドライバー!?)

 あるいはシュワルツネッガーとかスタローンばりのアクションで車から飛び降りた?

「だいじょーぞなー」

 てか、いる!

 崖の上で大旗をブンブン振り回し、参加者を鼓舞していた金髪将軍ちゃん!

 助手席に! ナビシートで豆腐食べてる!

(ど、どういうこと!?)

「はぐっ!」

 事情を尋ねる暇もなく、すぐ襲い掛かってくる次のカーブ!

 タイヤの限界まで攻め込んで旋回する中速コーナー、フロントガラスに映る景色も物凄い勢いで横へスライドしていく!

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

 助手席のヘッドレストにしがみつきながら運転席の方を覗えば、

(回ってる!? ハンドルが! ひとりでに!)

 しかもレーシングドライバーみたいな俊敏な切り返しで微修正を加えながら!

「なんなんですコレ……」

「それよりコレ」

 金髪将軍ちゃん、パイスラッシュしてるシートベルトを引っ張って私へアピール。

 お胸の豊かさ自慢ですか?

 おっぱいは性的訴求材料にはならないんですが? 私も一応女子なので。

「危ないぞな」

「はっ!」

 峠道にしては比較的長めのストレート。豪快に踏まれたアクセルペダルが黒の巨体をトップスピードに乗せる。誰も踏んでませんが。

 だけどそれも刹那、すぐに峠の宿命が待ち構えてる。

「!!!!」

 みるみる迫る法面コンクリート!

 とくれば、フルブレーキングと相場は決まっています! ブレーキローターから真っ赤な火花を飛び散らせながらの急減速!

 曲がれませんから。スピード落とさないと曲がれませんから物理的に!

「ひゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 ドライバーが座ってないのに渾身のブレーキング! サスペンションが底まで沈み込むほどの!

 と、なれば!

 固定措置の採られていないオブジェクトなど風前の灯火。呆気なくコントロールを失います。ジタバタしたって世紀末が来るの!

「う…………ぁ……ぁ………ぁぁぁ……」

 足裏の接地感は敢えなく失われ、慣性の巨人が私を前方へ放り投げる!

(!!!!)

 無慈悲な人間ロケットの一丁上がりです!

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