第8話「引きも返さぬもののふの」

 ホームへと視線を移した龍太朗は、テニスウェアの対戦相手を出来る限り観察する。


 右打席で素振りを始めた恩堂は、頭の上にトップを作り、オープンスタンスからやや高く足を上げ、鋭いレベルスイングを見せた。細身ではあるものの、その高身長からして、巧打者タイプの助っ人外国人のような雰囲気を醸す。

「おい、審判どうすんだ」

「心配すんな。うちのキャッチャーは誰よりも冷淡やからキッチリ判定するわ」

「浜風、その言い方はやめろ」

 手刀で詫びだけ返すと、苛立ちを隠しきれない打席の少年へ向け、余裕を持ってワインドアップを始める。

 フォーム改造の途上、練習試合もしばらく無い中でどこまでやれるかの力試しと、身体の運び方を意識しての投球である。


 有無も言わせぬインハイへの直球。

 弘大は無慈悲にもボールを取ったが、自信の裏返しか、はたまた強がりなのか。恩堂は全く動じず見送る。

 コントロールさせてのインハイを見送られ、ほうと感嘆した龍太朗は返球後すぐの投球に入る。

 真ん中低めの直球は、恩堂のバットを下に見つつミットに収まる。ミススイングに大きく舌を鳴らしたテニスウェアの少年は、己とマウンドの男への苛立ちに、心の制御が利かぬ様子でグラウンドを蹴る。

 三球目を高めの釣り球で狙い通り空振りに切り、次に自信を持って投げたのは、透から伝授されたばかりの高速スライダー。外に逃げる球で一気に決めにかかる。

 グラブの中で網目を手繰り、先日の感覚を脳裏に引っ提げて放った球は、今まで以上の感触でホームまで向かい、打者の手前で一気に左へ進路を折る。


 恩堂の体は泳がなかった。それどころか、バットは僅かに動いただけで、完全に見切った様子で見送られる。決まったとしたり顔だった龍太朗は、その状況に思わず目を見開く。

 厳しい表情へと移った彼の顔に、派手な物言いをした恩堂の勝利がまさか実現してしまわないか。ベンチの美里の胸は不安で早鐘を打っている。

 睨みをバッターから龍太朗へ移す弘大も、対戦相手のただならぬ雰囲気に改めてミットを打ち鳴らし、気合いも入れ直す。

 弘大のサインを見た龍太朗は、それにすぐには応じられなかった。マウンドからの読みでは、恩堂の待ち球がそれだと言っている。

 最初は首を振ったが、弘大は改めてそのサインを出し直す。龍太朗は頷いたのち、コースの選択で長いサイン交換を終え、ふうと息を吐きつつゆったりと両腕を上げていく。

 インコース僅かに中寄りへ向かう球に、恩堂はニヤリとスイングを始める。


 そしてバットは、ボールの放物線を下に見ながら空を切った。弘大は既に慣れた体勢でワンバウンドしたフォークボールをしっかり受け止めている。

 読みは合っていた。コースも狙っていた。ただしボールは想定以上の沈みを見せた。恩堂の眉間に彫刻刀で殴りつけたような皺が刻まれる。

「さあ2打席目や。歯応えあるで、この勝負」

 龍太朗としては賞賛を込めての言葉であるが、暗喩が通用しないのだろう、恩堂の表情は更に険しくなる。


 プレートの土を払い、うっすらとかいた額の汗を拭った少年は、一呼吸置いてから頷く。その初球だった。

 僅かに力みの入った球は、鋭いスライダー変化をやや高めへの進路に移す。その変化に見事に対応させたレベルスイングは、右中間へのライナーとして白球を跳ね返す。

 いくら韋駄天の透であっても、ライトよりの打球にはさすがに追いつけない。センター寄りに陣取っていた慧次朗が真新しいスパイクで土煙を上げながら決死に落下点へと向かう。

 猛然と外野を駆ける彼であるが、白球は必死に伸ばしたグラブの縁にぶち当たった後、彼の頭部にそのまま直撃。慧次朗はあまりの痛さに、右手で頭を抱えながらダイブするように倒れ込む。そして白球は駆けて来た透を飛び越えて、グラウンドに着地する。

「うわ、いってぇー!!」

 見ているだけでその痛みが伝わった龍太朗は、顔を歪ませて悲鳴を上げる。

 恩堂はといえば、この状況は勝ったのかどうなのか、一塁を回った辺りで目線をマウンドに移す。


「1対1か。ヤやのう、ああまで綺麗に返されたら」

 その言葉を聞き、恩堂は当然だという堂々とした立ち振る舞いを、目を泳がせつつ取り繕っている。

 お見事、という感心の眼差しで応じた龍太朗は改めて確信を持った。迷いなく振り切った鋭いレベルスイング、高めの浮いた球とて、それを確実に捉えた対応力、選球眼。

 この男は、間違いなく野球経験者である。あるいはこの少年、かなりの強者(つわもの)かもしれない。

 マウンド上の少年の心に、盛大に薪が焼(く)べられた。もう一度必ず打ち取る。そして意地でもあの少年を野球部に引き入れると。


「大丈夫、かな…」

 簡単に右方向へ持っていかれた龍太朗の投球に不安を隠せない美里だが、親友の言葉に一つ溜息を吐いて、清香は彼女の両肩に手を乗せる。

「信用してあげへんの? 龍ちゃんのこと」

 左に目をやった美里は清香に微笑み直し、首を横に振った。


 3打席目。もう遠慮は無用だと、龍太朗の目付きも厳しくなる。最初のサインで頷いた彼は、右腕を思い切り振るう。


 ほぼド真ん中、絶好球のコースである。その球筋を呆然と眺めるしかなかった恩堂の耳に、ミットの捕球音が鋭く刺さる。

 速い。明らかに速い。

 マスクで抑えつけられた弘大の額から汗が湧く。ボールがボールであれば仕留められていただろう。しかし、たった今ズンとミットに収まった白球は、一体誰が打てるものか、そう誇りたくなるほどに龍太朗の剛球は素晴らしいものだった。

 鋭い目つきのまま返球を受けた少年は2球目、外への高速スライダーで空振りを取る。外を払うように振り抜いた恩堂の驚きと悔しさに満ちた表情を気にも止めず、少年はプレートを足で撫でる。彼の心はメラメラと燃えている。


 大きく息を吐いて振りかぶる3球目。これで最後と心に決めていた。サイン交換がサッと終わる。

 アウトローを狙ったストレート。猛然とミットへ向かう白球は、やや中よりへ進路を取った。マズい。龍太朗は歯を食いしばった。待っていたと言わんばかりに踏み込んだ恩堂は、低めを思い切り振り抜く。


 快音の直後にバシリと乾いた音、一塁のそばで土煙が上がる。抜ければ三塁打も容易な凄まじい打球速度であった。

 しかし、本職のサードではない桜が、これにすかさずダイブ。勢いに押され、懸命に伸ばした左腕が外野の方へと持っていかれるが、ボールは離さなかった。

「捕った!」

 倒れ込んだまま左手のミットを掲げて叫ぶ桜に、ベンチの清香は派手にガッツポーズ。龍太朗も冷や汗は吹き飛び、右手をグッと握り締める。

 対する恩堂は悔しさのあまり全力でグラウンドを蹴る。スパイクではないテニスシューズのせいか、あまり砂煙は上がらず、決まり悪さを更に引き立たせてしまっている。


「そない悔しがるわりに野球嫌いなんか。寂しいもんやのう」

 顔が憤怒で真っ赤になった恩堂に、龍太朗は首を傾げつつ呆れる。

「さあ、悪いけど勝負は付いてもうた。あとの判断は自分で決めえ。んで、どないする?」

 相手の最初の威勢のよさを皮肉るように、龍太朗は恩堂へ決断を迫る。

「も、もう一勝負だ。俺が投げる、次はお前が打ってみろ」

「断る」

 狼狽する恩堂の言葉を龍太朗は眉間にしわを寄せ、ぶった切った。

「条件提示は始める前にせえ。自信満々やったんはどこの誰じゃ」

 少年の怒りに似た感情があれよあれよと顔を強張らせ、恩堂は更に慄く。

「ま、返答は待つ。無理強いはしたくないが、どうか来てくれ。頼む」

 たった今激怒していたはずの表情が真剣な眼差しへと忙しく変わり、少年は恩堂へ深く頭を下げた。


「覚えてろ……」

「同じ学校やろ顔見りゃ分かるわ」

 忸怩たる表情で捻り出された恩堂の言葉は、呆れ顔でさらりと発した龍太朗のツッコミに脆くも崩れ去る。

 ベンチへと敗走していくテニスウェアの少年に、グラウンドへ飛び込んだ頃の居丈高な風情は全く感じられない。

「監督、すいませんでした。ああまでせんと帰らんと思って」

 敗退した恩堂がベンチから出るのを確認してからマウンドを降りた龍太朗は、深堀に向かって頭を下げたものの、表情は毅然としたものであった。

「浜風君、いくらなんでもやりすぎだ。と言いたいところだけど、あそこまでっていうのはちょっとね」

 大人としてピシリと言うべき場面なのだろうが、深堀もエースと同じ感情を隠しきれない。

 顔面に打球をぶつけられた慧次朗を気遣いながら、龍太朗は去っていた少年の足跡を眺めていた。



 翌朝、訝しい顔をしながら正門をくぐった龍太朗は、教室棟へ向かう大階段を登り切ったところで、妙なものに出くわした。

 元々は真っ白であっただろうに、所々洗濯しても取れなくなった泥の跡。それがしばらく使われなくなり、完全に沈着して鈍い栗皮色になった腹回りと両膝を残したユニフォーム。

 テニス用ではない、野球用のそれを纏った少年が、教室棟のそばで仁王立ちしている。


「なんで朝一で来ない!」

「誰も明日朝練あるとは言うとらんぞ」


 後頭部を掻きつつ呆れる龍太朗ではあるが、苦々しい表情では隠せていない程度に、当人の意欲は滲(にじ)み出している。

「恩堂、入ってくれるんやな」

「あぁあぁそうだよ、入ればいいんだろ入れば」

 そっぽを向きながら嫌々答えた彼はしばし間をおいて、龍太朗に向き直る。

「お前がどれだけの野郎か、是非とも見せてもらおうか」

「見たいんやったらなんぼでも見たらえぇ。その代わり、全力で協力してくれ」


 睨みつけるような表情から少しだけ口元が緩むと、盛隆はキャプテンから差し出された手に握手で応えたのだった。

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