第5話「予想だにせぬ素質」

 初陣から一週間が過ぎ、桜の花びらは散りきった。

 露出した真紅にも近い雄蕊を隠すように青葉が生い茂ったきた頃、野球部のグラウンドでは今までの実績も忘れるつもりで無心にフリーバッティングに臨む龍太朗たちの姿があった。

 先週の反省会の際、投球面で様々な指導が入った龍太朗であるが、打撃に関してのアドバイスも当人には痛烈なものであった。

 内角、特にインハイのコースが苦手な龍太朗は、やや高めに上げている右足に問題があるのではないかと指導され、り足に近いフォームへと改造する、その途上にあった。

 頭の上下動が大きかったフォームでもあり、バットへのコンタクト率も引きあがるのではという算段からの修正である。ただ、下半身の鍛錬が足りないせいなのか、スイング後のヨレが目立つ結果になり、龍太朗は走り込み、投球練習と合わせて非常に忙しい一週間を過ごすことになった。


「なあ、龍太朗」

 打撃練習から引き上げてきた龍太朗に、順番待ちだった学が近づく。

「最近バックネットの席によく見に来てるみたいだけど、あれ誰?」

 メガネの位置を直した少年が、バックネット席に座った人物に目線をやる。

 野球部のグラウンドは、陸上部やサッカー部が使用している運動場から外れた、一段下がった土地にあり、ベンチの裏にロッカールームやシャワー室などのいわゆるダッグアウトが、ホームベースの真後ろの位置には本部席、その上にはロングベンチを備え、500人程度が着席できる観戦エリアがあるなど、非常に豪勢なものとなっている。

 さすがにグラウンドにまでは金銭が注ぎ切れず、天然芝でも人工芝でもないが、内野には黒土を入れており、練習には好環境だ。それを全くもって持て余している部員の少なさには、龍太朗も「野球人気ってこんな下火になってたんか」と嘆いたほどだ。


 そんなバックネット席の中ほどの段には、肩幅の広い、メガネを掛けた制服姿の男が、右膝に右肘、右手に顎を乗せて、まるで怠惰なプロ野球のスカウトのようにグラウンドを見つめている。

「スカウトか何か?」

「わざわざウチの制服で偽装する変態がおるか。俺らのクラスの竜嶋たつしまっちゅうやつや。堅苦しそうな男やけど、誰かがボケたら手加減なしにツッコんでくる。笑いは分かってる。悪いヤツやないはずや、知らんけど」

 竜嶋慧次朗けいじろうは、翔聖学園のある街の東にある住宅地から、自転車通学している男子生徒だ。

 龍太朗に匹敵するほど背が高く、幾度となく柔道部とラグビー部から入部を乞われた、およそ帰宅部のイメージとは程遠い肩幅の広さと、30代半ばにすら見えるビール腹紛いのウエストとメガネ姿は、授業開始のチャイムが鳴る前に教室へ戻った彼の前で、教師と見間違えた女子生徒が座席へと駆けたこともあるほどだ。

 先週中ごろにレクリエーション合宿を終えた翔聖学園の1回生たちは、クラスメイトともようやく緊張の糸がほどけてきた感があったが、それ以上に鮮烈であったのは、4組の中でも抜きん出てツッコミの才能があることを示した、メガネの大男の存在である。慧次朗と同部屋になった男子からしてみれば、これほどに印象に刻まれる少年も存在しなかった。

「行事になると燃える」というのは慧次朗の言葉であるが、休み時間等々で話しかけられると、ひょうきん者にも似た早いレスポンスから繰り出されるトークが持ち味である。しかし、校則や時間には滅法厳しく、ぶっきらぼうな発言も目立つなど、性格のONとOFFが激しいようであった。

 そんな少年は今、ぼんやりとした表情で、面倒くさそうにバックスクリーン方向を見つめている。

「誘ってみたほうがいいんじゃない? ただでさえ9人しかいないし」

「興味は示してくれてるってことではあるけど、どないしたもんかのぉ。野次馬根性だけってのは堪忍してほしいけどな……」

 慧次朗は終業時間になると、真っ直ぐさっさと帰宅しているのはよく聞く話であった。帰宅部であるのは間違いない。ただしこの数日、野球部のグラウンドを眺める姿を眼にしている部員たちが、何らかの期待を持つのは当然の帰結であった。




「なあなあ竜嶋」

 翌日の4限目の授業終わり、昼休みが始まってすぐに龍太朗は、自席の左列後方3つ目に座っているメガネの男の方まで近付く。

「……、なんや」

 慧次朗は声のほうに一瞬目線を送り、現代社会の資料集を机にしまい、面倒そうに返答する。

「お前って、野球好きか?」

 龍太朗に問われたメガネの少年は龍太朗に一度目をあわせ、窓の外に視線を移し背もたれに体をもたげ、腕を組む。

「見てばっかやなぁ。プロ野球の球場行った事全くないレベルやけど。それとゲームは長らく」

「なるほど、好きなんは好きなんやな」

 ルールは理解しているとの担保ができた龍太朗は、単刀直入に切り込んだ。

「なあ、うち入らへんか」

 何を言われているのかよく分からなかった慧次朗は、険しい顔を真顔に移し「どこの話や」と当然のように聞く。

「うちってったらそりゃ俺らの野球部や」

「無茶言うな」

 指紋の溝ほどの暇すらないままに、目を見開いて誘いを叩き切った慧次朗に、誘い主が食い下がる。

「何でそんなレスポンスで拒否するんや」

「あったし前やろ! 水にナトリウムぶっこむぐらい危険や。俺の下手さ甘ぁ見てるな? ちびるで」

 随分と鮮烈且つクドいツッコミだなという思いは塞ぎこむとして、龍太朗は切羽詰った状況を語ろうとする。

「下手でもバッタでもええ。誰か来てくれな、こっちも首が回らんねん」

「ふんなん言われたってこっちの都合もあるがな」

「さっさと帰ってなんかしてるようには思えんがなぁ。暇してるなら来てぇや」

「ほんなん、言われてもなぁ」

 渋い顔をしながらやめておけと咎める慧次朗だが、その表情には迷いに似た思いも滲んでいた。

「龍太朗、何やってんの?」

 授業という名の昼寝タイムを終えた勝輝が、ノソノソと即席の議場に現れ、乱暴なまでの横槍を投げ入れる。

「竜嶋誘ってるんやけどなぁ」

「やめとけやめとけ、俺は力なれんぞ」

 誘われたがたが手首をブラブラ横に振り、無茶はさせないほうがいいと槍使いを諭す。龍太朗から後方支援を乞われたと勝手に考えた勝輝は、慧次朗の背後に回って肩にザッと手を回す。

「竜嶋さんよぉ」

 脊髄を突き抜けて心臓でも掴まれた様に驚いた慧次朗に、勝輝は顔を近づけて呪文を唱えた。

「野球部入りなって。すぐにでもレギュラーだぜ? モテるぞぉ~」

「お前さんそれだけで野球やってそうな口やな」

 言い切る前に突っ込んだ慧次朗。勝輝は目を輝かせ、満面の笑みを浮かべつつ盛大に首を縦に振ってみせる。

「頷くなや! いきなりビビるわ、それでええんか、現金なやっちゃな~!」

 早口且つ大声で勢いよくツッコミきった慧次朗に、龍太朗は前屈みになりながら爆笑し、勝輝も腹を抱えて笑いながら尻餅を付いた。

「お前らこんなんでそないわろうてたら漫才見たら窒息死やぞ! レベルひっくいわ~」

 マシンガンのようなツッコミを成立させ、一先ずは二人を退却させた慧次朗だが、退散させた当の本人は、どうしたものかと大きなため息をついて腕を組んだ。






「あっ、こりゃまた越える!」

 放課後の部活時間。打撃投手として龍太朗が投げた球が、学のスイングによって一塁側のネットを大きく越えていってしまった。困ったものだと、マウンド上で少年は帽子の上から頭をかく。

 バックネットを越えることが無いよう、打席を囲うように設置されるネットは1セットしかなく、それから外れれば天空に打つような状況である。ピッチングマシンがあるなど、他の部活に比べればかなり恵まれているとはいえ、人数の少なさという事実は、日に日に存在感を増していた。

「取りに行ってくるよ」

 柔軟をしながら打撃練習の順番を待っていた進一郎が、率先して一塁側ベンチからそそくさと出て行った。グラウンドから出ると、アスファルトの上で白球が最後のバウンドを終えたところのようである。


 その折、ボールに近い位置まで、ちょうど慧次朗がグラウンドを見にやって来ていた。4月も折り返した頃、日差しがやや強さを増してきた頃合い。ブレザーを小脇に抱えての登場である。

「ボールこっちに渡して」と進一郎が言い切る前に、少年はアスファルトに転がっている硬球に視線を落とし、近付いて拾い上げる。何度か右手一本でお手玉をするように、白球を振り上げる。ふと、彼は支柱に張られた、緑の網目の先端のほうを見上げる。


 そして、左肩に掛けていた鞄と小脇のブレザーをアスファルトに下ろして何をするかと思えば、2,3歩リズミカルに後退りすると、およそ素人とは思えない整ったフォームで、白球を思い切り投げ上げた。

「ちょ、ちょっと!」

 思い切り上へと投げ上げられた球は、高く張られたネットの上を目指して舞い上がっていく。だが、頂上の僅か下でネットに跳ね返り、獲物を見つけた隼の如く急降下して返ってきた。

「あ゛あ゛あ゛! チクショー!」


 高くバウンドしたボールを捕ろうとするが、キャッチングが下手なのか、二度三度右手でファンブルする。拾い直すともう一度空を見上げ、軽くジャンプしてから送球体勢に入り、「でりゃあ!」と叫びながら白球を放った。

 進一郎が見上げたボールは、15メートルはあるだろうネット上端のワイヤを、今度は高跳び選手のように華麗にかわし、グリーンメッシュの向こう側へと降りていく。


「おおっ」、と小さく感嘆した進一郎は、心に決めたように慧次朗に近づいていき、メガネの少年が「どないした」と言い切らないうちに彼の右腕を引いて駆け出した。


「おいおい何処のとんびがこんな卵産んだんだよ」

「鳶がこんな赤い紐縫いこめると思ってんのか」

 空から降ってきた硬球をヘルメットの上からまともに食らってしまったにもかかわらず、盛大にボケをかましたつもりの勝輝は、後方から右肩をペシリと桜に叩かれる。そんなベンチそばを突っ切るように、メガネの大男を連れた進一郎がグラウンドに戻ってきた。

「おかえりしんちゃん、って誰連れてきたん」

「龍太朗、見つけたよ入部候補者!」

 桜の驚きをそばに置き、跳ね喜ぶように進一郎は戻ってきた。

「待った待った! 誰もまだ入るとは言うとらん!」

 時代劇の主演役者が声を張り上げるように明確な否定の意思を見せる慧次朗の方へ、またニタニタとチャラ男が寄ってくる。

「おっ、勧誘に釣られてとうとう来たなタッツーさんよ」

「お前の言葉に釣られたわけでは断じて、無いっ!」

 最後の一言をチャージしてから放った慧次朗に威圧感を覚えた勝輝が僅かに後退りする。

「えっ、てことは今の球、竜嶋くんが投げてたの?」

「それがどないした。ボール重た過ぎて肩ギンギン痛なってるけどな」

 透の驚きを茶化しとでも受け止めたように、悪態を吐くような表情で慧次朗は右肩を回し始める。

「中にいる人間が危ないからあまり褒められたことではないが、なかなかやるな。竜嶋君」

 清香のキャッチボールに付き合っていた深堀は、メガネの少年への戒めとともに、僅かばかりの敬意を表した。

「すいません。急にそういう衝動が……」

 頭を掻きながら申し訳なさそうにする慧次朗の中に、罪悪感が芽生えていると察知した龍太朗は間髪入れずに唆す。

「竜嶋、なら罪滅ぼしとしてちょっと見してくれんか?」

「なにをや」

「もちろん野球の実力や」

 やっぱりその話になるのかと、ギョロリと目を天に向けたかと思えば、慧次朗はわざとらしく大きな息を吐き出す。

「話聞いたけどなぁ、え? 140投げるピッチャーがいて、プロ野球選手の息子が韋駄天で、男勝りの女子が選手で入ってるって聞いて、俺みたいな人間が必要な場面があるんかってところやねんけど? ん?」

 警察官に詰め寄るチンピラよろしく、威圧感溢れる問答を投げかけた慧次朗だが、龍太朗は現実を見せ付ける。

「人数がおらんのに不要やなんて言うてられるか。一人でも多いほうがええ」

「じゃあ一つ聞かしてくれ。浜風、お前は俺をどんな選手になれると踏んどる?」

 どこぞの寿司屋チェーンの社長よろしく、両手を広げて尋ねたメガネの少年に対し、キャプテンの推測は極めてシンプルだった。

「長距離砲や。これしかないな」

「足は?」

「そこそこでも十分や。あの肩があれば重宝するで」

 もっと真面目に考えたらどうなんだと、不愉快さを筆で荒々しく書き散らすような表情で、慧次朗は自らを扱き下ろす。

「悪いけど、バッティングセンター行ってもろくに当たらへんレベルなんですが? 50メートル7秒9の鈍足ですが?」

 学や進一郎、透へと目線が移るが、慧次朗のその目には恨みなのか怒りなのか、名状しがたい感情が渦巻いている。

「そもそもソフトボールやってたときはエラーしまくりでアホほどドヤされてましたが? こんな独活うどの大木、誰が要る?」

 ゆったりとした高校生活をさせてくれと言わんばかりに語気の強い物言いであったが、他人に迷惑を掛けさせたくないという想いが、彼の表情を歪ませていた。

「なにぃな、ソフト経験者なん? それ先に言うてえや」

 発言の深刻さはいざ知らず、桜は出てきたキーワードに笑顔を見せるも、慧次朗の表情はほとんど変わらない。慧次朗から思わずため息が漏れる。

「地域の集まりでやるヤツやから対外試合は無いぞ」

「ポジションは?」

 無能だと言い張っているのにまだ聞くのかと、学の言葉に対して、既に逃げる幸せ自体を失った空溜息がまた出る。

「色々やったな。キャッチャー、ファースト、セカンド、サード、んで外野全部。ろくにゴロなんて取れんかったけど。メインはサードか……、ライトかな」

 龍太朗は興味深く頷くと、ベンチ横のケースに置いてあった自分のバットを取ってくると、制服の少年に差し出す。

「ま、能弁垂れんのはその辺にしてもらおうか。見せてえな、やってたんなら。ああだこうだは今は言わんし」

 言いくるめられている自覚はないが、そうまで迫られるなら仕方がない。手練てだれ共に言われるだけ言われて堂々と追放されようという魂胆で、慧次朗はネイビーブルーの金属バットを握る。


「あんまり期待するなよ。おっも!」

 浮かない顔で渡されたバットは、運動不足のメタボ腹に釣り合わない、やや細めの右腕にズシリと来るものだった。今までテレビで見ていた高校球児は、いつもこんな重さのものを猛然とフルスイングしているのかと瞬時に感心する。

 ブレザーを龍太朗に預けた慧次朗は黒土のグラウンドへと進み、ある程度のスペースを確保すると、右手の小指をグリップエンドに掛けて構えに入る。

「おぉ、左か」

 小さく驚いた龍太朗の感嘆を一切気に留めず、革靴のまま地均しをして構える。右膝が腰の高さに来るまで上がると、左の脇が随分と開いた、トップの高いフォームからかなりの大回りでバットが振り抜かれる。


 足元がやや覚束ない明らかなドアスイングであるが、「ふぬっ!!」と力を込めたスイングは、周囲の空気を大いに震わせ、轟音を響かせた。肩幅の広い大男がたかだか90センチ足らずの金属棒が起こした遠心力で、あまりにも拙い体幹の弱さを露見させたが、そのスイングの轟音は、歴戦の経験者たちの表情を著しく険しくさせ、彼への注目をさらに集中させた。

「あ゛ぁ! 肩甲骨痛めてまう」

 三度フルスイングした少年は右手一本でスイングを終わらせると、今度はそれを左手に持ち替える。学は同じメガネ男子として、ではなく「まさかそんなことは」という思いで目を見開く。

 そのまさかであった。

 野球はほぼ未経験だと豪語していた少年が、左打ちでのスイングを見せたのち、変わらぬ風切り音を右のスイングでも轟かせてみせたのである。


 左右で三度ずつフルスイングを見せた慧次朗は、フラフラの足と簡単に音を上げた肺に酸素を送り込むためゼエゼエと息を吐きつつ、ベンチの方まで戻ってくる。

「どないや皆の衆。これで分かったやろ、こないな酷い代物しろもんいらんわって」

「いける」

 小さく呟いたのは部員ではなく、鋭い目線で制服の少年を見つめていた深堀であった。

「改善の余地、というより、手直しするべき点はたくさんある。が、あのフルスイングを見せられて、この大きな魚を逃がすわけにはいかないよ」

「魚やのうて、せめて豚やと思うんですけど」

 年上にも物怖じせず冷静にツッコミを決める慧次朗とは対照的に、学は腕を組みつつ、真剣な顔で彼のスイングを見ていた。

「バットが肩から出て大回りしてる。あのドアスイングじゃ大概のボールは当てられない。ただ、修正できたらもうこっちのもんだ。こりゃ重量打線もあり得るね」

 若き伯楽の言葉を聞いて確信の笑みを浮かべたキャプテンは、制服の少年のもとに歩み寄り、ベンチの側を向きながら、彼の広い右肩に左手を添えた。

「なぁ竜嶋。そのスイングは一体どこで培った? 小学校時代のソフトの経験だけじゃこんなスイング普通でけへんで? 一朝一夕の代物しろもんとちゃうんは明らかや。どないや?」

「ここはなんや? 府警の取調室か?」

 アメリカンジョークを涼しく流すようなツッコミに、美雪と清香が思わず笑いをこぼす。

「暇潰しや。ちょっと時間空いたら素振りしてたんや。高々50ぐらいしか振ってへんが、雨の日以外は大概振ってたわ。モノマネ云々は山ほどやってたし。あとはゴルフの打ちっぱなしを親父とたまに」

「色々やっとるやんけ!」

 謎めいたスイングの力強さを証明する数々の事実が浮き彫りになり、龍太朗も笑いを禁じえなくなる。安心の担保を得たキャプテンは、満を持して宣言する。


「よっしゃ決めた! 俺はここにおる竜嶋慧次朗に、この野球部に入部してもらいたい。選手登録は9人だけ。ただでさえ人不足や。素質はあるぞ、どないする? さあ、異議のあるもんは?」

 ここまで来たなら外堀を埋めてしまえと言わんばかりの発言に慧次朗は僅かばかりたじろぐが、既に周囲は乗り気だ。

「異議なし!」

「俺も!」

「これは教えがいがあるかもね」

 進一郎と勝輝は元気よく同意し、学は今後の指導プランを考えながら賛同した。その横で一も大きく頷いている。

「そりゃ1人でも多く来てもらわないと、ねぇ」

「その通りっ」

「十分すぎるかもな、数合わせにしては」

 微笑みを浮かべつつ歓迎する透に同意した清香は、後ろから抱きついてきた桜に驚いたものの、ニカッと白い歯をこぼす。

「マネージャー陣、どや!」

「歓迎するよ、みんなで」

「はい、異論ございません」

「ウェルカムウェルカムッ!!」

 少しだけ季節が戻ったように、爛漫の桜並木の如く笑顔を咲かせた三人の表情からして、受け入れ準備は万端である。


「鬼頭、お前は?」

 素振りをしていたブルペン前から、ベンチの端の辺りまで寄って来て、輪の外野から黙って聞いていた大へと発言権を譲られると、その口から出てきたのは彼の当初の宿命であった。

「竜嶋、俺はこの1年以内に甲子園に行かなきゃならん。やる気がないなら入ってくるな」

「いやいやいや、そんな言い方ないんちゃうか? ってあの噂ホンマなんか!?」

 慧次朗は半ばノリツッコミの勢いで驚く。

「何のことだ」

「野球部が甲子園最速出場なんて目標ぶち上げよったって聞いて心配してたんや。カルト教団にでも嵌ったんかお前らはって」

 唐突過ぎる言葉に、龍太朗は思わず吹き出しつつ訂正を促す。

「新興宗教に関しては一切なんもないけど、甲子園最速出場目指してんのはホンマや。ちなみに、俺が言い出したことな」

「無茶苦茶やの」

 ぶっきらぼうにツッコミ終えた慧次朗は、ふと周囲を見回す。龍太朗の返しに、大を除いて殆どのメンバーが笑みを浮かべている。それは脅迫観念に駆られた引き攣り気味の代物ではなく、将来への情熱を抱く、血の通った表情たちである。


 メガネの制服少年はふと思った。

 こんな楽しそうな集団、入れるものなら入ってみたい、と。


 慧次朗は、元々“いじめられっ子”だった。ただし、これは当時の本人の考えとしてであり、現在の彼の認識では、幾度となく弄られていたことを「いじめ」と考えていた。

 彼はかつて、身体を触り捲くった相手を一本背負いで机に叩きつけたり、黒板消しを投げつけてきた相手を追い駆けた挙句、相手が閉めたガラス戸に突っ込み、てのひらに7針を縫うほどの切り傷を負うという、感情の発露が極めて激しい、まるで冗談の通じぬ、短気にもほどがある子ども時代を送ってきた。

 大怪我を負って以降、これ以上他人を撥ね付けるのは自分のためにならないと反省し、如何にして周囲に溶け込み、混じろうかと考えた末の結果が、語彙力を全力で駆使したツッコミの技であった。

 やっかみがられかねないリスキーな選択ではあったが、中学3年の終盤には、何とかクラスの輪に入り込める立ち位置にまで、自らを変えることが出来た。

 進むなら、もう進めるだけ進め。彼は、覚悟を決めた。


「やる気があったらええんやな」

 その一言に、周囲の視線が今一度彼に寄り集まる。

「なら売り言葉に買い言葉や。喧嘩する気は毛頭無いが、やれるだけはさしてもらおう。ただし、前提として言わしてくれんか」

 一瞬野球部のメンバーから拍手が上がったが、最後の一言でまたグラウンドを静寂が包む。

「俺は、泣く子も真顔になるぐらい体力が無い。おそらくどう足掻いたってランニングはついていけんやろう。それと、腹筋も腕立て伏せも柔軟もまったくでけんと思うてくれた方がええ。身体は固い、筋肉も無い、スタミナも無い。ただあるのは、腹回りの脂肪だけや」

 ワイシャツの上からペチンと腹を叩いた慧次朗の言葉は、過去の自分に対する強烈な皮肉と憎悪、そして決別の狼煙であった。

「はっきり言おう。負け惜しみと言い訳の前払いや。それでもええ言うなら、俺は入る。野球が好きな事に関しては、誰にも文句言わせんからな! 挑戦や。こうなりゃチャレンジや! 今までやったこと無いようなこと、やったろうやないか!」


 やけくそで言い切って一つ息を吐いた少年に、キャプテンは「よう言うた! よっ、男前!!」と賛辞し、周囲も拍手で勇気を称える。

 これから仲間となるメンバーに深々と頭を下げ、今まで挑戦とは無縁であった一人の少年の、高校野球生活が始まることとなった。


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