第二十三話 双璧の門番

 青年と少女を乗せた一台のバイクが、広大な街のメインストリートを吹き抜ける黒風の如く颯爽と疾走する。


 大都市オルティア。今や退廃的な都市は人々が生活していた面影は一切なく、壮麗だったはずの大通りの精緻せいちな石畳や白亜の石造りの民家の軒並みは、どれも目も当てられないほど痛ましく破壊し尽くされた状態で虚しく残っていた。道端には世界崩壊アストラル・コラプスが始まった当時の人間たちの死体が見るも無惨な姿でそこらじゅうに放置されており、生ゴミのような充満した死臭が嫌でも鼻につく。


「酷い……。こんなの……こんなのあんまりです……」


 バイクの後部座席からティアが、目の前に広がる凄惨な光景を見て信じられないように呟く。


 それに対し、無線機からナツリも苦々しげに声を洩らした。


『まさかこんなに街が悪化してたなんて……。二年前よりさらに酷くなってるわ……』


 バイクの運転を丁寧にこなしながら、レインは緩やかに周囲を流れていく通り沿いにちらりと目をやる。


 一年前に山岳の研究所で起動した青年にとっては知るよしもないことだが、かつてはこの街も衰えることを知らない活気を見せていたのだろう。店、という実際初めて目にするあきない用の廃れた建物が数多くいらかを並べており、たくさんの人やレイスロイドたちがここを行き来していたことが容易に窺える。


 だが、今やそれは儚く夢の跡と化し、眼前に広がるのはそこに誰かがいたことも忘れ去られてしまったかのような無人の廃墟のみ。


 二年ぶりに帰ってきた自分の故郷がこんな悲惨な状態に成り果てていれば、当然返ってくるショックも計り知れないだろう。帰るべき場所がない青年にとっては、そんな感傷に浸ることすらできなかったが。


『……ッ! 気をつけて二人とも! 三百メートル先の噴水広場に高エネルギー反応を確認! おそらくまた四機しき天王てんのうよ! しかも今度は未確認の!』


 不意にナツリにそう言われ、レインは前方に鋭く視線を向ける。


 目と鼻の先には、今や形骸化した黒曜石モノリスのセントラルタワーがただのオブジェのように巍然ぎぜんとそびえ立っていた。


 そして、その手前の大きな赤煉瓦広場の中央に佇む美しい彫刻の噴水の上に、人型の小さな敵影を確かに捕捉する。


 これ以上近づくのは危険だとすぐさま判断し、レインは通り沿いの民家の前でバイクを停止させると、ティアに一声かける。


「お前はここで隠れていろ。すぐに終わらせて戻ってくる」


「わ、わかりました! くれぐれも気をつけてください!」


 最後に応援の言葉をかけ、少女は素早くシートから降りる。


 建物の中に駆け込んでいく彼女の背中を見送ってから、レインは広場の手前までバイクを走らせる。荒れた大通りを物の数秒で通過し、その出入り口付近でエンジンを切ると、バイクを停めてここから先は徒歩で慎重に広場の中へと足を踏み入れる。


 赤煉瓦がぎっしりと敷き詰められた広場の中央には、今はすでに稼働停止した白亜の三段噴水のその天辺に優雅に腰掛けながら、本に読みふけっている一人の少女がいた。


 深雪めいた無彩のフード付きのローブを全身にまとい、その下には煌びやかな光沢の白銀のアーマーと純白のオーバーニーソックスを身に着けていた。フードを被った白金色のショートヘアに左眼を隠し、右眼は厳冬の湖水のような紺碧色の虹彩を覗かせている。これまでの四機天王とはまた一味違った、特に異質な雰囲気だ。


 今も無心で本をっており、少女がこちらに気づいている様子はない。このまま広場を通り過ぎてしまうのもアリかと考えたが、ふと奴はちらりと視線を向けてきた。


「あれ……いつの間に来てたの……?」


 どうやら本当に気づいていなかったらしい。


 パタン、と本を閉じ、少女はそれを噴水の上に置くや否や、ローブの裾を翻して軽やかに地面に飛び降りてくる。


「本当に生きてた……。青のレイスロイド……」


 どこか驚きを含んだ無機質な声音で呟き、彼女はさらに言葉を重ねる。


「私は四機天王の一人、エステア……。ここセントラルタワーの門番を任されている孤高の戦士……」


 そう軽く自己紹介を済ませた途端、エステアは一変して静かなる殺意を身にまとう。


「二年前に死んだはずのあなたがどうして生きてるのか知らないけど、ここまで来たのなら全力で殺す……。それが、戦うことだけを課せられた《ひょう》としての私の使命……」


 どうやらティアの話していた通り、オルミアたちの間ではラピスたちはやはり死亡扱いということになっていたようだ。無論、解っていたことだが友好的な解決は到底見込めそうになく、レインは左腰にいた鞘から剣を引き抜くと、柄の電源を入れて力強く両手で構える。


 すると、エステアはおもむろに左手を掲げる。


「それじゃあ、後は好きにしていいよ……。——おいで、クルーエル……」


 パチン、と甲高く指を鳴らす。


 その瞬間、広場全体に真綿で首を締められるような重苦しい沈黙が降りる。


 何かの合図だったのか、特に何も起きる様子はない。たまたま通りすがった乾いた風が虚しく広場を駆け抜け、このまま何事もなく不発かと思われた——その時だった。


 不意に、正体不明の巨大な影が高速で頭上を横切る。


 レインは思わず天を振り仰ぐ。幅一メートルほどの白銀色の鋼鉄装甲をいくつも連結させた横長の機体が上下に激しくうねりながら、まだ朝を迎えて間もない晴朗な空を自由に泳ぎ回っていた。


 敢えて何かの生物に喩えるなら、そう——龍だ。


 体長は実におよそ三十メートル以上にも及び、もし神話上に龍が実在したのなら実際こんなふうに宙を駆け巡っていたのだろうか。


『なっ……何よあれ!? あの馬鹿でかい龍もレイスロイドだっていうの!?』


 さしものナツリも思わず度肝を抜かれたように、無線機に仰天の声を響かせる。


 のらりくらりと上空を浮遊していた龍は突然大きく口を開くと、上下に並んだ鋭い牙を剥き出しにし、そのまま垂直降下でこちらに勢いよく襲いかかってくる。


「チッ……!」


 咄嗟に両足のブースターを起動させ、レインは素早く後方に飛び退く。


 猛然と突っ込んできた龍は数秒前まで彼がいた空間を容赦なく噛み砕くと、地面に衝突する寸前で鋭く直角に滑空し、再度上昇する。


 どうにか粉砕されることなく上空へと逃れたレインは、エステアがいた場所に素早く視線を走らせるが、すでに奴の姿はない。


『——レインさん、龍の上です!!』


 不意に、こちらの戦闘を民家から窺っていたのであろうティアが、無線機から透かさず指示してくる。


 レインは反射的に龍のほうに視線を向けると、いつの間にかその背中の上にエステアが立ち乗りするように器用に佇んでいた。


 龍はぐるりと大きく宙を旋回し、仮借など一切ない勢いで再びこちらに突っ込んでくる。


 今度はぎりぎりまで奴の攻撃を引き付けてから、レインは闘牛士さながらしなやかに身を翻し、相手の突進を鮮やかにいなす。龍の機体が特急列車のように勢いよく横切った瞬間、荒れ狂う風圧が青年の全身に激しく押し寄せる。


 だが、レインは決して吹き飛ばされることなく高速で横に一回転し、奴の比較的無防備な装甲の側面を叩きつけるほどの勢いで剣で斬りつける。


 ガァン!! という鈍い金属音と大量の火花。硬質な手応えが腕から全身を通して満遍なく伝わり、想像以上の硬さに呆気なく剣が弾かれてしまう。レインはその強烈な反動で身体が後ろへと飛ばされるが、両足のブースターで上手く体勢を立て直し、どうにか空中に留まる。


 ガンドロスの時ほどの防護力ではないが、これでは埒が明かない。


『レイン、今は龍を操ってるエステアを優先して叩きましょ!』


「ああ!!」


 ナツリの指示通り、レインは本体である少女に狙いを定める。


 ブースターの火力を存分に爆発させて飛燕ひえんの如く水平飛行し、龍が再度旋回してくる前にこちらから急接近する。


 凄まじい加速によって瞬く間に奴の尻尾の後方まで追いつくと、そこからさらに上空に向かって飛翔。龍から十メートルほど離れた高度に到達したところでブースターの電源を切り、後は重力に身を委ねるままに自由落下し、レインは高速旋回してきた奴の頭に飛び移ることを試みる。


 こちらの意図をすぐに察したように、龍に乗ったエステアも右腰の細長い鞘から素早く左手で抜剣する。ずるりと滑り出てきたのは、どちらかと言うと斬るというよりは突くことだけに特化したような、機械仕掛けの銀の細剣レイピアだ。


 途端、奴の剣が燐光めいた青白い熱を帯びる。


 エステアは両手で剣を水平に構え、レインが頭上から勢いよく振り下ろした剣を軽々と受け止める。


 しかし、青年はそのまま龍の背中に豪快に着地すると、その余勢を殺すことなく奴に向かって猛然と剣を振るい続ける。エステアは防御に徹するだけで一方的に後方へと追いやられていくが、こちらの攻撃を恐ろしいほど正確に次々と捌いてくる。慎重に相手の出方を窺っているのか、何故かまるで反撃してくる様子はない。


 いや、違う。そもそも奴は最初からやる気などないのだ。あたかも今の命懸けの戦いの中で気楽に遊んでいるかのように。


 こちらの攻撃をことごとく防がれてしまい、レインはどうしても決定的な一撃を決めきれずに攻めあぐねてしまう。内心に徐々に焦りが募り、息もつかせぬ猛撃に次第に粗が見え始める。


 その結果、繊細さに欠けた荒技を積み重ねたが故に必然的にもたらされた、致命的な剣の大振り——。


 瞬間、エステアの顔つきが百八十度鋭いものに豹変する。


 こちらの無駄な攻撃を決して見逃さず、最小限の動きで青年の剣を弾き返すと、奴は透かさずカウンターの超高速の一突きを繰り出してくる。


 ——速いッ!!


 瞬間的にまずいと感じたレインは、無意識のうちに《高速演算能力ハイパーオペレーション》を起動させていた。


 刹那、世界が息を止めたように思考が百倍まで加速する。


 この能力は本来の一秒を百秒間にまで引き延ばし体感させるはずだが、それにもかかわらずエステアの剣の切っ先はおよそ二秒の速度——実際秒速約三十メートル——で一気に顔に迫ってくる。


 剣で弾いていては到底間に合わない。たったコンマ一秒で瞬時にそう判断し、レインは顔を僅かに横移動させる。完全に避け切ることができず、奴の剣が顔の右装甲を鋭くかすめる。


 シュー、という頬の辺りが微かに溶ける音。


 レインは即座に剣を振り上げ奴の剣を強く弾き返すと、両者一度大きく距離を取る。


 己の一撃を凌がれたことが余程衝撃だったのか、エステアはさすがに驚きを隠せない様子で呟いた。


「予想外……。今のは確実に当たったと思ったのに……。一体どういう原理か知らないけど、私の動きにまともに付いてこられる存在は初めて見た……。これなら少しは楽しめそう……」


 微かに嬉しそうな笑みを口許に滲ませ、今度は向こうから速攻を仕掛けてくる。


 今の一戦を交えてようやく奴の闘志に火が付いたのか、エステアは風を細切れにするような怒濤の突き攻撃を浴びせてくる。剣の切っ先が霞むほどの速度で次々と繰り出され、青い冷光の軌跡を薄く描いて無数の残像が生じる。対するレインも洗練された剣捌きでエステアの攻撃を辛うじて凌ぎ続けるが、先ほどまでの戦いがまるで噓だったかのように奴の動きが格段に良くなっている。


 速さだけではない。一体この小さな身体のどこに秘めていたのかというほどの凄まじい機械出力マシンパワーだ。こちらは《高速演算能力》を使用しているにもかかわらず、エステアは生身の力だけで互角以上の死闘を演じてくる。足の先から指の一本まで神経パルスを全身に行き渡らせるように、レインも一切無駄のない動きでとにかく剣を走らせ続ける。


 荒れ狂う大気の中での剃刀かみそりの刃を渡るような綱渡りタイトロープさながらの龍の細い背の上で、両者一進一退の攻防が激しく繰り広げられる。


 しかし、やはりエステアの猛攻の前になかなか反撃の隙を見出せず、レインは次第に後ろへと押され始める。


 次の瞬間、ずるりと右足を滑らせ、龍の背中からうっかり足を踏み外す。


「しまっ……!」


 たちまち加速するような落下感を覚えた時には、レインはひとたまりもなく空中に放り出されていた。


 咄嗟にブースターを起動しようと判断するが、その時には龍から飛び降りていたエステアがすでに彼の頭を右手でしっかりと掴んでいた。


「これで終わり……」


《フローズン・インパクト》——そう冷たく囁いた瞬間、青年の身体を侵食するように頭から氷の殻が瞬時に纏わり付いていく。


「ぐぁあああああああ……ッ!」


 苦悶の呻き声を撒き散らしながら、レインは一切抵抗する暇もなく全身を氷漬けにされてしまう。


 エステアに思いきり顔を鷲掴みにされたまま直後、彼は地上に向かって背中から猛烈な勢いで地面に叩き付けられる。四方八方に土煙と衝撃波を激しく巻き起こし、大通りの地面にクレーターのような大きな穴を穿うがつ。


 完全に凍結されて動かなくなった青年の頭から乱暴に手を引き剥がすと、エステアはつまらなそうに吐き捨てた。


「やっぱり弱い……。あの人﹅﹅﹅に一度敗れたあなたの実力じゃ所詮この程度……。どうしてガンドロスがられたのか知らないけど、こんなんじゃ私の脅威にも成り得ない……」


 はっきりそう告げると、容赦なくとどめを刺そうとおもむろに剣を持ち上げる。



「——ま、待ってください!!」



 不意に、耳慣れた少女の声が近くから聞こえたかと思うと、いつの間にか目の前にいたのはティアの姿だった。


 エステアはぴたりと剣を止め、反射的に後ろを振り返る。


「天使……?」


 予想外の人物の登場に、胡乱うろんげに秀麗な眉をひそめる。


 少女が今行なおうとしていることに対し、ティアは到底理解できないようにかぶりを振った。


「どうして……どうしてこんな酷いことをするんですか!? そうやってまた誰かを一方的に傷つけて……。何も人間とレイスロイドが醜く殺し合う必要なんてないじゃないですか!! エステアさんだって本当はオルミアに操られているだけで、それが本来のあなたの意思なんですか!?」


 最後の言葉にぴくりと反応したエステアは、思わず聞き捨てならなかったように反論した。


「違う……。これは、私たちの神の意思が生み出した結果……。神の決定が絶対である以上、この世界にもう人間は必要ない……」


「そんなの……そんなのただの操り人形じゃないですか!! レイスロイドならもっと自分の意思をしっかり持ってください!!」


 どうにかして奴を改心させようと、ティアは必死の説得を続ける。


 しかし、堅氷のような彼女の心にはまるで響かなかったように、エステアは確固たる意志を湛えた瞳で答えた。


「神の意思は私の意思そのもの……。神がそれを望むなら、私はその命令にただ従うのみ……。もうじき人類が絶滅することも、このレイスロイドが死ぬ運命も決して覆ることはない……。あなたたちの最後の希望はここで呆気なく潰える……。二年前にあの人に殺されたはずのあなたまでどうして生きているのか知らないけど、こいつを始末した後にすぐに洗いざらい吐いてもらう……」


 淡々とそう告げ、冷え冷えとした断頭台の如き刃が再び持ち上げられると、レインの頭部に向かって無造作に振り下ろされる。


「いやああああああああ————ッ!!」


 咄嗟に目をつぶり、ティアは堪らず鋭い悲鳴を上げる。


「——うっ……!?」


 不意にエステアの細剣が、青年の頭部を真っ二つにするその寸前でぴたりと停止する。


 大通りには何も音は響かず、ティアはおそるおそる瞼を持ち上げる。


 なぜか頭の芯がきしむような恰好で、エステアが手で顔を押さえながら低く呻いていた。


 ふとめ付けるように少女のほうに鋭く視線を向け、奴はふらりと身体をよろめかせる。


「……どうしてそんな耳障りな声を出すの……? あなたの叫びを聞いただけで、すごく不快な気分になる……」


 すると、エステアはなぜか標的を変更したように、突然ティアのほうに向かっておぼつかない足取りで歩き始める。


 奴がしようとしていることに対し、ナツリがすぐに気づいた様子で堪らず声を上げる。


『レイン、しっかりして!! ——ティアちゃん、逃げて!!』


 未だに凍り付いたまま微動だにしない青年に、彼女はとにかく必死に呼びかける。


 しかし、彼が目覚める気配は一向になく、エステアは無情にも目の前の少女に着実に近づいていく。


 迫り来る氷刃の如き殺意の塊に、ティアはびくびくとすくむ足で一歩ずつ後ずさる。


「あっ……」


 思わず足がもつれてしまい、地面に強かに尻餅をつく。


 エステアは少女の前に静かに立つと、ようようと左肘を直角に曲げ、顔の右側で水平に剣を構える。


「さようなら……」


 刹那、霞むほどの速度で刀身が振り切られ、瞬きする間もなく彼女の頭部が斬り飛ばされる——そのはずだった。



「——うおおおおおおお……ッ!!」



 突如背後から聞こえてきた雄叫びに、エステアは思わず後ろを振り返る。


 氷像のように凍結して地面に倒れていたレインが咆哮の如き気合を迸らせながら、ぴきぴきと軽い音を立てて彼の全身を縛る氷の膜がちょうど割れ始めていくところだった。たちまち太い亀裂が走り、その下から青い装甲を美しく覗かせると、次の瞬間、全ての氷が勢いよく砕け散る。


 大量の氷片を派手に飛び散らし、氷点下の呪縛からようやく解放された青年は、顔に色濃く疲労を滲ませながら地面に両手で剣を突いてゆっくりと立ち上がる。


「そいつには手を出すな……! お前の相手は俺がしてやる……!」


 威勢よく言い放った彼の言葉に対し、エステアはなおもうんざりげに言い捨てた。


「……そこまで消耗したあなたに、もはや私が手を下すまでもない……。——クルーエル……」


 その命令に従い、上空を当てもなく漂っていた龍が再びこちらに向かって突撃を仕掛けてくる。


 奴はおもむろにたくましい顎門あぎとを開くと、冷気に包まれた青光りのビームを口腔から勢いよく吐き出してくる。


 レインはすぐさまブースターを使用し、もう一度空中へと飛びすさる。


 直後、指向性を帯びた眩い光線が彼の立っていた地面に一直線に走り、触れた端から瞬時に凍結する。


 さらに龍は地表にぶつかる寸前で滑らかな曲線を描き、地面すれすれで宙を駆け抜けると再度急上昇する。


『レイン、奴の大きな眼を狙って! 視界さえ奪えれば後はこっちのもんだわ!』


 ナツリが無線機から大声で指示を飛ばしてくる。


 ああ! とレインは即座にホルスターから拳銃を抜き、龍に向けて光線を立て続けに連射。


 しかし、奴は不規則な動きで滑るように宙を蛇行し、こちらの攻撃を難なく回避してくる。さらに龍は全開で大きな口を広げると、鋭利な牙を剥いてそのまま猪突猛進に突っ込んでくる。


 レインは咄嗟に剣を水平に構え、奴の噛み付きを真正面から受け止める。


「……ッ!」


 強烈な衝撃が全身を叩き、堪らず身体が撥ね飛ばされそうになる。


 しかもそこいらの猛獣とは比べ物にならぬほどの桁外れの咬合力だが、幸い頑丈な愛剣は砕けずにその刀身を懸命に保ち続けている。レインもそれにならうようにとにかく歯を食い縛り、龍の顔面に意地でも食らいつく。


 渦巻く乱気流の中、右手だけで必死に剣を押さえながら左手で重々しく拳銃を持ち上げると、剥き出しになった龍の右眼に銃口をする。


「くたばれッ!!」


 そう口汚く言い放つとともに、レインは零距離射程で引き金トリガーを強く絞る。


 甲高い銃声。


「——ギャアアアアアアアッ!!」


 紺碧色の目玉が抉り取られたように木っ端微塵に破壊され、龍はけたたましい悲鳴を上げる。


 激痛に暴れ狂いながらたちまち飛行制御を失った横長の機体は、そのまま近くの市街地の民家群に派手に墜落する。


 直後、暴力的な衝撃音が聴覚センサーに届いてきたと同時に、爆煙めいた土煙と粉塵が豪快に辺り一帯に舞い上がる。


 これ以上龍が飛翔してくる気配はなく、さすがに再起不能に陥ったようだ。


 レインはエステアが佇む市街地の大通りに素早く降り立つと、闘争心を煽り立てるように奴に剣を突き付けた。


「さあ、後はお前だけだ。覚悟しろ」


「……赦さない」


 己の同胞を潰されたことが余程逆鱗に触れたのか、エステアは初めて感情の片鱗を覗かせる。


 淡い青光を宿した剣の切っ先を顔の横で左手だけで水平に構えると、次の瞬間、奴は矢のような速さで一気に前へと飛び出してくる。


 レインは遺憾なく《高速演算能力》を使用し、それに真っ向から応戦する。


 全力で振り抜かれた剣と剣が激しくかち合い、その鋭い交差点で大量の火花と鈍い金属音を派手に撒き散らす。強烈な反動で互いの剣が弾き返されるが、レインはそこで硬直することなく左下段斬り上げでエステアの右脇腹の装甲を透かさず狙う。勢いよく滑り込んでいった刃に鋭敏に反応し、奴はくるりと剣を逆さにして軽々とそれを受け止める。


 すると、青年の剣を思いきり跳ね返し、今度はエステアが待っていましたとばかりにカウンターの高速突きをお見舞いしてくる。


 だが、決して適当に乱発しているわけではなく、一突き一突きが正確にこちらの身体を捉えており、レインは奴の剣尖が届く寸前で次から次へと剣で迎撃する。痛手を被ることを一切度外視した、まさに愚直なまでの猛刺突。


 互いに斬っては突き返してのしのぎを削る攻防を繰り返し、両者一歩も退かぬ形で高速で剣を打ち合う。鳴り止まぬ剣戟けんげきの応酬に、二人の神経伝導速度インパルスが極限まで加速していく。


「くっ……!」


 エステアの鋭く研ぎ澄まされた細剣が、レインの身体中に次々と掠り始める。


 やはり強い。正攻法に剣術だけの勝負なら、間違いなく実力は奴のほうが一枚上手だろう。


 ならば、こちらは奇策を用いて戦うしかない。


 一瞬の鍔迫り合いからエステアの剣を強引に弾き返し、レインは一度大きく距離を取ると、即座にホルスターから拳銃を連射。


 それに対し、奴は右手だけを使って高速後方転回しながら、まるで重力を感じさせない曲芸師さながらの驚異的な身体能力でこちらの光線を次々と回避していく。


 エステアは両足で軽快に着地し、8の字に剣を描いて尚も光線を迎撃する。さらに透かさずしゃがみ、地面に右手を突き立てた次の瞬間——。


 バシャン!! とあたかも間欠泉でも噴き出したかのように、高さ二メートル、横一メートル、厚さ十センチほどの氷壁が瞬時に生成される。


《フロスト・ミュール》——乱れ撃ちされた青年の光線が全て厚い壁に阻まれ、氷の表面が水に溶けて丸くくぼむ。


 これが、《氷鬼》たる所以ゆえんの奴の真骨頂か。


 レインは早々に拳銃をホルスターに収め、氷壁に向かって直接剣で叩き切ろうと前へ躍り出る。突然壁の中心から放射状にひびが走り、木っ端微塵に砕け散ったのはまさにその時だった。


 一瞬で視界全体が、無数の氷片によって鮮やかに埋め尽くされる。


 だが、レインは決して慌てることなく冷静に視線を走らせる。


 ——どこから仕掛けてくる?


 右、左、正面——否、上だ。


 瞬間、ローブの裾を翻して勢いよく跳躍し、エステアが上方から豪快に飛び出してくる。


 天高く両手で剣を掲げると、頭上から高速で振り下ろしてくる。


 レインも同様に両手で剣を水平に構え、辛うじて奴の剣を受け止める。そのままエステアは青年を飛び越えながら空中で前方宙返りし、くるりと軽やかに着地。再度バネのように跳躍して通りの両脇に挟まれた民家の壁を蹴ると、壁から壁へと物凄い勢いで飛び移り、変則的な動きで宙を駆け回る。


 速い。本来なら目で捉えるのがやっとのはずの速度だが、《高速演算能力》を使用しているために奴の動きが手に取るように判る。レインは一手先の未来を読むように、エステアが移動し続ける空中の軌道上に先回りして銃口を向け、そこに光線を撃ち込む。


 今度もエステアは一驚に目を見張るが、なんと奴は咄嗟に右手だけで光線を防ぐ。続けざまに手刀の動作で素早く虚空を払い、掌から生成した長さ十五センチほどの鋭利な氷のとげを十は下らぬ数で勢いよく飛ばしてくる。


 剣で打ち落としていては到底キリがない。瞬時にそう判断し、レインはバックステップでの回避を即座に選択。


 ザザザザザッ、と彼のいた場所にコンマ五秒遅れて篠突しのつ氷柱つららが突き刺さり、危うく蜂の巣にならずに済む。


 しかし、エステアは決して攻撃の手を緩めることはなく、間髪容れずに民家の壁を蹴って側面から捨て身で突っ込んでくる。こちらに向かって鋭く突き出された奴の剣の切っ先が、ついにレインの肩の装甲を正確に捉える。


「ぐっ……!」


 レインは痛みを堪えて無理やり剣で切り返すが、それを嘲笑うかのようにエステアに軽快に跳び退かれてしまう。


 やはり真正面からの勝負では歯が立たない。


 仕方なく一度距離を取り、レインはひとまず奴から離れる。大通りを全力疾走しながら、後ろから猛追してくるエステアにひたすら牽制射撃を浴びせる。


 何か使えるものはないか。とにかくレインは周囲に視線を巡らせる。


 不意に、青年の目がある一点に留まる。咄嗟に目を付けたのは、道端に放置された一台の小型クレーン車だ。あれを利用しない手はない。


 レインはちらりと後ろを振り返る。がむしゃらに撃ち続ける光線を剣で正確に防ぎながらエステアが凄まじい速度で迫ってきており、奴は今、こちらを仕留める一心だけに気を取られている。


 ここで大きく勝負に出るしかない。


 レインは両足のブースターを使用してさらに加速し、韋駄天の如くクレーン車の脇を一気に横切る。それに次いで、エステアも急激に速度を上げてこちらの背中を追ってくる。あたかも甘い蜜に誘われた白い胡蝶のように、目先に張られた蜘蛛の糸の存在など露知らず。


 今、奴はその真下﹅﹅を通り抜けようと魔の手が潜む陰の中に——

 

 踏み込んだ。網にかかった。


 その機会が訪れる瞬間だけを静かに見計らっていたレインは、後ろに素早く身体を反転させ、エステアの頭上﹅﹅目掛けてすでに拳銃を発射していた。


「一体どこを狙って……」


 エステアは思わず引き寄せられるように、上へと視線を持ち上げる。


 幾本もの鉄パイプの束を吊り上げていたクレーン車のワイヤー﹅﹅﹅﹅に、レインの放った光線が寸分違わず命中していた。


 もはや溶けかけたワイヤーが鉄管の重量に耐え切れなくなったその瞬間——何十トンもの重金属の塊が一斉に少女に襲いかかってくる。


「……ッ!?」


 エステアは反射的に横に跳び退き、素早く回避行動を取る。


 直後、地面に落下した大量の鉄パイプがけたたましい金属音を轟かせるが、辛うじて下敷きにはならずに済む。


 しかし、レインは奴の動きを冷静に読んでいた。


 エステアが回避した先には、なんと驚愕すべきことに青年の姿がすでにあった。


「なっ……!」


 それを見た奴の顔に、これまでで一番の衝撃が走る。


 鉄パイプを回避する瞬間のエステアの足の初動だけをひとえに観察し、レインは奴が逃れようとする方向に先回りしていたのだ。極限の戦闘下で咄嗟に捻り出された、まさに起死回生の逆転の一手。


 己が引き出せる最大限の力を両手に込めて柄を握り、レインは後ろに剣を引いて左下段で構える。


「うおおお……おおおおおおおお————ッ!!」


 右足に全体重を乗せて大きく一歩踏み込むと、腹の底から轟くような裂帛れっぱくの気合を迸らせる。


 地面を荒く削り取りながらバネ仕掛けのように斜め右上へと高速で跳ね上がった剣は、エステアの右脇腹から左肩にかけてのぎゃく袈裟けさで分厚いアーマーの上から奴の身体ごと見事に斬りつける。


「ぐはっ……!」


 苦悶の呻きを洩らし、裂けた傷口から青い電流を断続的に激しく迸らせながら、エステアは数歩だけ足をふらつかせる。


 そのまま背後の建物の壁にもたれかかると、地面にぐったりと座り込む。


「ううっ……!」


 人間で例えるならばすでに致命傷の破損にもかかわらず、エステアは尚も懸命に身体を動かそうとする。


 しかし、レインはすでに決着がついたようにラズライトセイバーの電源を切ると、未だ熱を帯びたそれを清々しい鍔鳴りとともに鞘に収める。


「なぜ、殺さない……? 私はまだ……」


「お前は最初にこう言ったな。——戦うことだけが自分の使命、だと。それができないのなら、俺はお前とこれ以上戦うつもりはない」


 激しく理解に苦しむ少女に、レインは冷然とはっきり言い捨てる。


「そんなの……ずるい……」


 勝負に負けた子供のように口惜しげに呟き、エステアはようやく意識を失う。


 すると、こちらの様子を離れた場所で見守っていたティアが、慌てて駆け寄ってくる。


「レインさん、大丈夫ですか!?」


「ああ。なんとかな」


 青年はあくまで落ち着き払った態度で応える。


 今しがた自分の命を脅かした相手にもかかわらず、ティアは目の前に倒れている少女を心配そうに見やる。


「この子、大丈夫なんでしょうか……?」


『うん。非常用の安全装置セーフティが働いて強制的に電源停止したみたい。幸い肝心の脳と炉心が傷ついてないみたいだから、多分大丈夫だと思うわ。とりあえず今は先を急ぎましょ』


 無線機からナツリにそう言われ、レインとティアは小さく頷きを交わすと、もう目と鼻の先にそびえ立つ黒曜石の塔に堂々と足を向けたのだった。



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