第二十一話 少女の意志

「——これが、あの日起きた事件の全ての真相です」


 遥か遠い過去のような記憶の海を延々と遡りながら、ティアはこれまで一切世に出ることのなかったあらゆる真実を打ち明けた。


「……あの時、ラピスさんとセントラルタワーの研究員さんたちが自分を護ってくれたからこそ、私はレインさんと初めて出逢ったあの洞窟まで逃げ切ることができました。マザーオベリスクのエンブリオとも言える天使アンゲルスと悪魔ディアボロスの象徴である私とオルミア姉妹は、《善心ヴァーチュ》と《悪心ヴァイス》——人間特有のその二つの概念を世界中の第一世代レイスロイドたちにそれぞれ振り分けることで、彼らの制御を安定しておこなっていました。しかし、クロース博士の独断によるマザーオベリスクの一方的な操作によって、私は善心制御ヴァーチュ・コントロールプログラムとしての権限を完全に失い、結果的にオルミアを、全ての第一世代レイスロイドたちを暴走させることになってしまいました……」


 自分の犯した罪への責任と罪悪感を強く感じながら、彼女はくらく沈痛な面持ちになる。


「同じレイスロイドにもかかわらずあの時ラピスさんだけ暴走しなかった理由——それはおそらく、彼がレインさんと同じ第二世代レイスロイドだったからでしょう。当時まだ世間に普及していなかった個別感情制御プログラムによって理性が制御されていたのなら、オルミアの悪心制御の影響も当然受けないはずです。私自身に関してはあくまで善心制御を司る存在プログラムだったので、彼女の干渉を受けずに無事だったんだと思います」


 すると、ティアは決然たる意志を湛えた瞳ではっきりと告げた。


「オルミアはクロース博士が密かに造り上げた四機しき天王てんのうたちを自分の配下として扱い、世界から人類を一人残らず根絶やしにした後、自分たち機類だけの身勝手な世界を創り上げようとしています。私が彼女の妹である以上、何がなんでももう一度セントラルタワーに戻らなければなりません。——今度こそオルミアを、この手で止めるためにも」


    ∞


 翌朝、完全に記憶を取り戻したティアの口から、テントの中でナツリとセッカにこれまでの事情を一から説明した。


 全ての話を聞き終えた時には、少女たちはしばらく放心したように驚きを隠せなかった。


「まさか、あの日にそんなことがあったなんて……」


「ああ……未だに少し信じられないくらいだ……」


 小さい顎に手を当てながら、ナツリは何もかも得心がいったように呟く。


「第一世代レイスロイドの感情制御プログラムを司る善悪二つの存在、それらがまさかティアちゃんとオルミアちゃんだったなんて……。ティアちゃんの電子頭脳サイバーブレインを解析した時に見つかった重要プログラムの正体は、他でもない善心制御プログラムのことだったのね。どうりで発信機なんか付いてたわけだわ。しかもお父さんが製作しただけあって全ての造りがすごいだけじゃなく、レインと機構がどことなく似ているわけだわ」


 すぐに気持ちを切り替え、彼女は神妙な面持ちで言った。


「とりあえずエリアルに急いで戻って、このことをマーシャルさんに伝えましょ。貴重な情報源だわ」


 たった一日という束の間の休息を終えたレインたち四人は、昼前にはエリアルのベースキャンプに無事帰還した。


 テントの中にしつらえた即席の管制室で、スレッドも加えてからトラビナ西部第一基地の司令室にいるマーシャルと連絡を取り、ナツリは今回の一件を包み隠さず報告した。クロース博士が悪心制御ヴァイス・コントロールプログラムであるオルミアを意図的に暴走させ、さらにこれまでずっと正体不明の高性能レイスロイドだった四機天王たちを密かに製作していたこともあり、さすがの鬼畜上司もこれには驚きを隠せないようだった。


『——なるほど、お前たちの事情はよくわかった』


 管制室の奥の巨大液晶スクリーンに映ったマーシャルは、いつもの司令席に悠然と腰掛けながら納得した様子で頷く。


 そして、画面越しに銀髪の少女に改めて向き直った。


『ティア、と言ったな。お前のことはすでにナツリから詳しく聞いている。だがそれなら尚更、お前を戦場に同行させることは許可できん』


 辛辣に即答で一蹴する。


「ど、どうしてですか!?」


『単純なことだ。剣一本すらまともに振るえないひよっこのお前を、これまでで最も危険な最前線に出すことなど軍の最高責任者として当然できん。お前が第一世代レイスロイドの善心制御プログラムという極めて重要な立場なら尚更のことだ。それと、この際だからはっきり忠告しておいてやるが、お前の独りよがりな行動は他の兵たちのただの足手まといになるだけだ』


 もっともな彼女の厳しい正論に、ティアは咄嗟にぐうの音も出ない。


 不意に、隣のナツリが気になったように少女に素朴な疑問を投げかける。


「ねえ、ずっと考えてたんだけど、ティアちゃんが第一世代レイスロイドの善心制御プログラムなら、今のレイスロイドたちの暴走状態を元に戻すことはできないかしら?」


 その問いに対し、ティアは顔を曇らせて真っ先に否定した。


「すみません……。今の私には、そんな大層な権限はもうないんです……。オルミアの独断によって全ての第一世代レイスロイドたちが悪心制御されてしまった以上、私はただの一端のレイスロイドなんです……」


 一瞬射し込みかけた一条ひとすじの光明がすぐに消え、テント内にたちまち重苦しい空気が流れる。


 しかし、マーシャルは幾多の困難を乗り越えてきた前向きな口調で言った。


『無い物ねだりしても仕方がない。今はどうにかして別の方法を模索するべきだ。それから……』


 ふと、彼女は亜麻色のポニーテールの少女にちらりと視線を向ける。


『お前がローンウルフの現リーダー、セッカだな。ナツリから一応話は聞いている。前回の戦いで無念なことに、お前の仲間たちの大半が亡くなってしまったのは非常に残念だった。基地の留置場を脱走した挙げ句、倉庫から軍需品を勝手に持ち出したお前たちを止められなかったのは、無論こちらの落ち度でもある。今後二度とこのようなことが起こらぬよう、これから軍のほうで徹底的に監視させてもらうつもりだ。それと、今回の件に関するお前たちの処罰についてだが……』


 すると、マーシャルはいつもの彼女らしからぬことを口にした。


『今回は全て不問﹅﹅とする。だが勘違いするな。この決定は私が望んだことではなく、あくまでナツリ﹅﹅﹅の意思を尊重した結果だ。感謝するならせいぜいそいつに言うんだな』


 その真実を今ようやく知ったセッカは、隣の赤髪の少女をおそるおそる見やる。


 たちまち泣き出しそうに顔をくしゃりと歪め、彼女に小さく頭を下げた。


「ナツリ……ありがと……」


「ううん、別にいいの。これは私が勝手に頼んだことだから」


 一切不満を表情に出さず、ナツリはまるで仏のように柔和に微笑む。


 そんな彼女たちのやり取りを傍らで見ていたスレッドは、後頭部で手を組みながらすっかりいじけた様子で唇を尖らせる。


「あーあ、いつの間に皆そんなに仲良くなったんだか。俺も美少女たちと一緒に楽しいキャンプをとことん満喫したかったぜ」


 自分だけ任務で同行できなかったことを未だに根に持った口調で、青年は未練がましく愚痴を洩らす。


 そんな彼の文句に耳も貸さず華麗に聞き流し、マーシャルは毅然とした態度を崩さぬまま淡々と話を続ける。


『さて……お前たちローンウルフの今後についてだが、彼らの体調が回復するまでの間はしばらくエリアルに残ってもらう。復調次第、閉鎖地下世界アンダーグラウンドに全員戻ってもらうつもりだ』


 するとその言葉に対し、セッカは到底納得いかないように堪らず反発した。


「ちょ、ちょっと待ってくれ! 確かにまだ他の仲間は万全に戦える状態じゃないが……少なくとも私は戦える!」


 興奮した少女の勇ましい叫び声が、テント内に大きく響き渡る。


 しかし、マーシャルは鬼の如き険しい表情で重々しく告げた。


『お前のその馬鹿げた気概だけは認めてやる。だが、私はあくまで軍人だ。軍人である以上、私には民たちを護る責務がある。お前のようなただの民間人を、はいどうぞ、と戦場に連れていくわけにはいかん』


 そこまで痛烈にはっきり言い切ると、やはり再び管制室がどんよりとした空気に包まれる。


 だが、ここで息苦しい沈黙を静かに破ったのは、これまで一言も発していなかったレインだった。


「どうせこいつらは止めても言うことを聞かんだろう。だからと言って、監禁したところでまともに命令に従わんもいるだろうしな。勝手に行動されるならいっそのこと、こいつらを一緒に連れていったほうが遥かにマシだと思うが?」


「レインさん……!」


「レイン……!」


 透かさず助け舟を出してくれた青年に、ティアとセッカの顔が一瞬でパッと晴れやかさを取り戻す。


 レインの意図をすぐに察したように、マーシャルは顔を手で押さえて心底呆れた様子で深く嘆息する。


『はあ……。まったく、言うことを聞く気がないのは一体どっちなんだか……。——昨日のうちにオルティアの周辺荒野マージナルエリアの調査が全て終了している。全員これを見てくれ』


 すると、スクリーンの映像がすぐに切り替わり、偵察用ドローンのガンカメラで録画された映像データが鮮明に映し出される。


 遥か上空から視界一杯に表示されたのは、もはや二度と目にすることは叶わぬと思われた大都市オルティアの古い石造建築群の街並みと毎度お馴染みの何の変哲もないその周辺荒野だ。都市周辺の荒野には大量のレイスロイドたちが相変わらず軍隊蟻の如くもぞもぞとうごめいており、さらに随所に設置された重厚な百五十五ミリカノン砲が監視の目を鋭く光らせるように、俯仰ふぎょうと旋回をひたすら繰り返していた。


『見ての通り、昔外からの敵の侵攻を防いでいたオルティアの自動防衛システムが再び稼働している。あれらがある限り、オルティアのどの方角からも街への侵入は非常に困難だろう。電力の供給源であるセントラルタワーのマザーオベリスクによって全てのシステムが制御されている以上、現状外側からの操作は難しい。どうにかあれらの隙間を掻いくぐってオルティアに侵入したいところだが、当然四機天王たちもタダでは許してくれないだろう。おそらくまたあの真紅のレイスロイドが出張ってくる可能性もあり、一筋縄ではいかないはずだ』


 淡々とした上司の説明に対し、スレッドが透かさず頼もしい口調で言った。


「オズとかいう真紅のレイスロイドの相手なら俺に任せてくれ。オルティアから北西の荒野にある特火点トーチカが使えるならいい提案がある。あの放火野郎なら俺の挑発に絶対に乗ってくれるだろうから、そこで今度こそ決着を付けてやるぜ」


 固く拳を握り締め、打倒四機天王に向けて強く意気込む。


 ようやく全員の意見がまとまったところで、マーシャルは一層やる気にみなぎった声で告げた。


『よし、おおかた作戦は決まったな。前回の戦闘経験を活かしてセッカは戦車連隊のサポート役に回ってもらい、スレッドは上手くオズの引き付け役を。その隙にレインは定石通りオートバイでティアを護衛しつつオルティア内部に侵入、そのまま都市中央のセントラルタワーまで直行し、マザーオベリスクの稼働停止を速やかに遂行してくれ。決戦は二日後の早朝。それまでに各自万全の状態で身体を休めておいてくれ。それと最後に、どうしてもいておかなければならないことがある——ティア』


 ふと少女の名前を呼び、軍の総司令官は彼女の瞳を厳しい表情で見据える。


『もしマザーオベリスクが何かしらの原因で停止できない状態であった場合、最悪レインが悪心制御プログラムであるオルミアを破壊しなければならない可能性がある。そうなった際、お前には最後までそれを見届ける覚悟があるか?』


 その問いかけに対し、ティアはすでに決意の光を宿した眼差しで力強く答えた。


「はい。私にはその責任があります」



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