第十九話 崩壊の警鐘

 機暦二二五一年 七月七日



 この日も一日特にやることがなく、ティアとオルミアはいつものようにそれぞれ白と黒のワンピース姿に着替えて、四六時中自室のベッドの上で白黒ゲームをして遊んでいた。


 終盤にもかかわらず盤面はすでにほぼ黒だけに染まっており、オルミアはとどめの一撃に自分の黒石を容赦なく打ち込む。盤の隅のほうに残っていた白石を余さずひっくり返され、完全に黒一色に塗り潰される。


『よーし、また私の勝ちだ』


『むー……どうして最後に毎回逆転されちゃうんですか』


『ははは、お前はいつも序盤で石を返しすぎだ』


 全然納得できずに唇を尖らせる妹に、オルミアは愉快そうに明るく笑う。


 すると、ティアはふと虚空にぼんやりと視線を向ける。


『もうここで皆と生活を始めてから、かれこれ五年が経つんですね……。楽しい時間が過ぎるのがこんなにも早いなんて、正直思ってもみなかったです』


 どこか遠い過去を思い返すように呟く。


 それに対し、オルミアも同様に回想にふける。


 この五年間で色々なことがあった。ローエンの紹介でティアとラピスたちとの共同生活が始まり、最初は本当にこの連中と一緒に上手くやっていけるのかと不安になった頃もあった。姉妹ではもちろんのこと、ラピスやローエンともたわいのない喧嘩をしたこともたくさんあった。ティアと計画して施設の研究員たちに子供のような悪戯をしたこともあった。セントラルタワーから無断で外出していたことがクロース博士に露見し、ローエンに散々叱られたこともあった。


 それでも彼の付き添いを条件に、月に一度の外出はすごく楽しみだった。


 ティアとオルミア、ラピスとローエンのいつもの四人で、オルティアの街を一時間という限られた時間で毎月散策した。本屋や雑貨店、市場や教会など行ったことのない定番スポットを手当たり次第にとにかく歩き回り、今では街の全ての店の場所と名前も完全に把握しているほどだ。さすがにオルティアの外まではティアとオルミアの身の安全上出ることはできないが、今の自分たちにとっては外を歩かせてもらえるだけでも充分すぎるほどに幸せだった。


『そうだな……。決して楽しいことばかりじゃなかったが、確かにここでの生活は私の大事な宝だ』


 オルミアも小さく首肯する。


 こうやってただ遊ぶだけの代わり映えしない毎日がほどんどだけど、自分にとってはここで過ごした時間がすでに財産のようなものだった。


 たとえレイスロイド感情制御プログラムとしての自分たちの存在がいつか不要になり、今の役目を終える時が必然的に来ようとも、ティアとラピス、ローエンと自分を合わせた四人家族でずっといつまでも一緒に暮らしたい。それさえできれば、他にはもう何もいらない。たったそれだけで、今は心からたされていたのだった。


 懐かしく遠くに向けていた意識を戻し、オルミアは急に張り切った声で言った。


『よし、それじゃもうひと勝負行くか!』


『えー、じゃあ次はちゃんと一からルール教えてください』


『わかったわかった』


 盤上の自分の石を手許に戻し、二人はその中央に手早く石を並べ直す。


 すぐに準備が整ったところで、再びゲームを開始しようとした——その時だった。


 不意に、セントラルタワーのシステムの異常をしらせるけたたましい警報音アラートが施設内全体に木霊こだまする。


『な、なんだ!?』


 オルミアは思わず動揺して声を上擦らせる。


『——緊急事態発生エマージェンシー、緊急事態発生。何者かによるレイスロイド中枢管理システムへの不正アクセスを確認。至急関係者は中央制御室の原因究明を急いでください。繰り返します、何者かによる——』


 直後、隣のベッドの上に横たわっていたラピスが、弾かれたように素早く飛び起きる。


『急いで原因の確認に向かう! お前たちも一緒に来てくれ!』


『は、はい!』


『わ、わかった!』


 三人は慌てて通路に飛び出すと、すぐさま中央制御室のほうへと直行する。


 甲高い警報音が流れ続ける長々とした廊下をひと息に駆け抜け、迷わず中央制御室に辿り着く。


 自動スライドドアが左右に移動して中に躍り込むと、そこには本来は青く透き通った巨大な四角柱の水晶石——レイスロイドたちの要石とも言うべき存在の《マザーオベリスク》が部屋の中央で厳然と佇んでおり、今はシステムの異常を報せる不気味な赤色光を発していた。


 そして、その柱の根元の小さなコンソールの前には信じがたいことに、副所長クロース博士の姿があった。


『おい、一体何をしている!?』


 ラピスが奴の背中に向かって鋭く呼びかける。


 その荒い声にぴくりと反応し、クロースは奇妙な動きで首を曲げると、おもむろに後ろを振り返る。


『んー? 誰かと思えば、まさかの天使アンゲルスと悪魔ディアボロス、それにこれまで散々私をコケにしてくれた低能兵器くんじゃないかー!! 実にいいところに来たよ!! ちょうど君たちを待っていたんだ!!』


 どこか狂気的な態度でそう言いながら、妙に芝居がかった素振りで両手を広げる。


 ラピスは透かさず左腰のホルスターから拳銃を抜き、奴に銃口を突き付けて命令する。


『それ以上動くな!! おとなしく両手を上げて床に膝をつけ!!』


 すると、なぜかクロースは湧き上がる興奮を抑え切れないように失笑した。


『クックック……ハッハッハ————ッ!! すでに手遅れなのだよ!! 世界変革の全ての準備は完全に整った!! 君たちはそこでじっと指を咥えて見ているがいい!!』


 訳の解らぬことを言い放ち、眼前にそびえ立つマザーオベリスクに改めて向き直る。


『さあ、新しい時代の幕開けだああああああああ————ッ!!』


 狂乱し切った奇声で甲高く絶叫しながら、クロースはコンソールのエンターキーを思いきり指で叩く。



 機暦二二五一年七月七日、午後五時五十一分四十七秒。


 世界が地獄へと変貌を遂げたのは、まさにこの瞬間だった。



『——うわあああああああッ!!』



 突然、隣でオルミアが脳に電撃でも走ったかのように両手で頭を押さえ付け、激しく身体を仰け反らせながら苦悶の叫びを上げる。


『お、お姉ちゃん!?』


 それを見たティアが、思わず面食らったように声を上げる。


『——悪心制御ヴァイス・コントロールプログラムの異常を検知。著しい悪心数値の上昇を確認——60……70……80パーセント……。——全レイスロイド、完全制御不能。感情制御比率、善心数値0パーセント/悪心数値100パーセント』


 水晶柱マザーオベリスクが抑揚に欠けた合成音声で、無慈悲なアナウンスを淡々と繰り返し続ける。


 その時、施設全体に鳴り続ける警報音を聞きつけた研究員たちが、一足遅れて制御室に一斉になだれ込んでくる。


『い、一体何が起きている!?』


 目の前で繰り広げられているただならぬ事態に、研究員の一人が酷く動揺を抑えきれない様子で声を上げる。


 すると、激しく悲鳴を上げ続けていたオルミアが、にわかに黙り込む。


『お、お姉ちゃん……?』


 ティアが心配そうに横から彼女の顔を覗き込む。


 クックック……と突然小刻みに肩で不気味にわらいながら、オルミアは部屋の中央に向かってのろのろと歩き始める。


『そうか……そういうことか。我らが偉大なるよ』


 唐突に意味不明なことを呟き、彼女は目の前で神々しく燐光を発している氷塊ひょうかいの如き水晶柱を見上げると、仰々しく両手を広げた。


『これからの未来の覇権を握るのはもはや愚鈍な人類ではなく、我々高尚な機類だけで新たな世界の創造を始めようというのだな。クックック……いいだろう。その提案に乗ってやる。——さあ目覚めよ、我が僕たちよ』


 そう告げた直後、部屋の奥にある両開きのスライドドアが、突然けたたましい爆発とともに枠組みごと派手に吹き飛ぶ。


 濛々もうもうと湧き立つ爆煙の中に複数の黒いシルエットがじんわりと浮かび上がり、何者かたちが次々と部屋に侵入してくる。たちまち悪い視界が晴れてくると、突如目の前に出現したのはどれも初めて目にする四体のレイスロイドの姿だった。


 一体は、全高五メートルにも迫ろうかというもはや人の形を留めていない泥人形ゴーレムめいた黒鉄の巨大な機体。一体は、二枚の大きな虹色の翼を背に生やした、人型の紅色装甲の機体。一体は、純白のローブのフードを頭に被った謎の少女。


 そして、中でもひときわ強烈な異彩を放つ一体は、不気味な鉄仮面を顔に被り、背中に漆黒のマントをまとった大男。


 その迫力溢れる光景を見たクロースは、歓喜に充ちた表情で両手を大きく広げた。


『おお、全員無事に上手く起動したかー! 我ながら実に素晴らしい出来映えだ! ガンドロス、オズ、エステア、ラスカー、四体の至高の戦士たちよ! 数多あるレイスロイドの中でも特別高性能な君たちには、私を守護する絶対的な存在として名誉ある称号——《四機しき天王てんのう》の名を与えようじゃないか! さあ、記念すべき最初の命令だ! ——そこのレイスロイドと研究員どもを全員殺したまえ!』


 しれっととんでもないことを口走り、色めき立つ研究員たちのほうを鋭く指差す。


 その言葉に対し、ラピスも内心激しく動揺していた。


 つまりあの異様なレイスロイドたちを造り上げた張本人は、他でもないクロース博士ということなのか。ざっと両眼の《スフィア・ホークアイ》で解析したところ、どの機体も高性能の新炉心ネオリアクター電子頭脳サイバーブレインと凄まじい高エネルギーを有しており、奴らが最新鋭のレイスロイドであることはもはや明らかだ。特に真ん中の鉄仮面の大男——奴からはどこか恐ろしいほどに、途轍もなく嫌なオーラがひしひしと感じられる。


 全身の肌を針で突き刺すような殺伐とした沈黙が、空間全体にたちまち満ちみちる。


 しかし、四体のレイスロイドは微動だにせずその場に凝然と立ち尽くしたまま、さして何も行動を起こそうとはしない。


 彼らの命令無視に対し、クロースは心底不愉快そうに眉をひそめる。


『……何をぼさっとしている? さっさと奴らを殺したまえ!!』


『——クックック……』


 不意に、オルミアが喉の奥から不気味に嗤いを洩らす。


『そうだな。言うまでもなくこの世に人間は一切必要ないが、そこにいる私の出来損ないの片割れは最も不要な存在だ。——さあ、我が僕たちよ。この場にいる全員一人残らず皆殺しにしろ﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅


 彼女まで本当にどうかしてしまったようにそう告げ、四体のレイスロイドたちに直接命令を下す。


『——引き受けた。我らが神の代弁者よ』


 突然、鉄仮面のレイスロイドがくぐもった声を発し、落ちくぼんだ暗い眼窩がんかの奥に血塗れたような真朱しんしゅ色の眼光を鋭く閃かせる。


 奴は音もなく一歩前に出てくると、なぜかクロースに向けてすっと左掌をかざす。


 一体何をするつもりなのか、とラピスがそんな思考を脳裏によぎらせた時だった。


 不意に、クロースがきつく両手で頭を押さえて悶え始める。


『うおおお……!? な、なぜだ……なぜ主である私を攻撃する、ラスカー……!?』


 到底理解できないように激しく呻きながら、奴は迫り上がった三白眼を真っ赤に血走らせ、止めどなく血涙を流し続ける。


 その問い掛けに対し、鉄仮面のレイスロイドは酷く馬鹿馬鹿しげに答えた。


『天才であるお前らしからぬ愚問だな、クロース。——俺の主は最初からお前ではなく、だからだ』


 すると、奴がかざしていた掌をおもむろに握り締めた次の瞬間——。


『うううう……ああああああああぁぁぁぁぁ————ッ!!』


 ついに天高く絶叫したクロースに全員の視線が集まった直後、まるで生々しい石榴ざくろが弾け飛ぶかのように奴の頭部が突然爆散する。


『見るなッ!!』


 ラピスは咄嗟にティアの両眼を手で覆う。


 そこらの床と壁一面に大量の鮮血が派手に飛び散り、クロースの肉体が首だけをうしなった無惨なしかばねと成り果てて倒れる。


 突如起きた不可思議な現象に、この場にいる誰もが全身を駆け抜ける戦慄を禁じ得ない。


『どうして……』


 くらく顔を伏せたティアが、どこか悲憤に震えるような声で呟くと、そのまま感情を爆発させて叫んだ。


『どうしてこんな酷いことをしたんですか、お姉ちゃん!?』


『やめろティア!!』


 ラピスが鋭く叫び、横から彼女を手で制する。


『あいつはもうお前の知っているオルミアじゃない!! クロースに何かされてまともな判断ができていない!!』


 しかし、その言葉にさして意に介した様子もなく、オルミアはあざけるような口調で言った。


『まともな判断できていない、か。それは日頃のお前たちのことじゃないのか? 人間はただ己の利権と欲望のために、幾度となく違う人種同士で醜い戦争を繰り返してきた。外に広がるあの無辺の荒野が、何よりもお前たちの滑稽さを雄弁に物語っているではないか。そんなお前たち愚鈍な人類はここで完全に淘汰され、これから我々高尚な機類が世界の舵を取る。もはや言葉による解決は一切不要だ。——さあ、始めろ』


 一方的にそう言い捨てると、四体のレイスロイドに無慈悲に命令を下す。


 すると、ラスカーが豪然たる歩調でさらに一歩大きく前に出てくる。


『あの餓鬼は俺がる。それ以外の人間どもはお前たちにくれてやる』


 他の四機天王たちに冷然と指示し、紅い炯眼けいがんでラピスたちを射貫くようにひたと見据える。


『てぃ、ティアを護れ!!』


 奴が指しているのが少女のことだと解り、研究員たちが素早く盾になるように彼女の前に横一列に並ぶ。


 全員一斉に懐から自衛用のレーザー拳銃を取り出すと、ラスカーに向かって不恰好に両手で構える。


 すると、ラピスが乱暴にティアの腕を掴む。


『俺と一緒に来いッ!!』


 荒々しくそう叫ぶと、今のうちに彼女を連れてすぐさま中央制御室を後にする。


 直後、けたたましい銃声と研究員たちの甲高い悲鳴が無情にも背中に届いてくる。


 どうしようもない不安と焦燥に駆られながら、ラピスは頭の片隅である人物のことをひたすら考えていた。


 ——くそッ、こんな時にローエンは何をやっているんだ!


 二人は施設内の長い通路を駆け抜け、ひとまずセントラルタワーから脱出する。


 エントランスから勢いよく外に飛び出すと、すぐ正面の噴水広場と市街地のメインストリートは人々の悲鳴や絶叫によって大混乱に包まれていた。


 その原因は至極明白で、どのレイスロイドたちもなぜか皆一様に気が狂ったようにそこらじゅうで暴れ回っており、手当たり次第に人間たちを一方的に襲っていたからだ。最悪なことに彼らが手をかけたのか、至るところに倒れている人々の真下の地面は真新しく黒く濡れ、残念ながらすでに息絶えている者もいる。


 しかし、今は他人を助けている余裕など一切なく、ラピスとティアは構わず広場を横切ろうとする。


『……テンシ? オマエ、ニガサナイ……!』


 するとどういうことか、付近の人間たちを執拗に刃物で追い回していたレイスロイドたちが、急にこちらに目を付けたように一斉に襲いかかってくる。


『くそッ……!』


 ラピスは仕方なく左腰の三角鞘から愛剣——《ラズライトセイバー》を即座に走らせる。


 紫電二閃。軽い抜き打ちで決して致命傷にならない程度に、彼は左右から斬りかかってきたレイスロイドたちを器用に撫で斬りにする。


 身体の切り口から青い電流を大量に迸らせ、ばたばたと地面に倒れて呆気なく斬り伏せられていく彼らに目もくれず、二人はとにかく必死の遁走を続ける。


 いま目の前で起きている惨状を到底受け入れられないように、ティアは激しく呻いた。


『一体どうしてこんなことに……!』


『おそらくクロースの奴がマザーオベリスクを操作して、オルミアの悪心数値を急激に上昇させたんだ! 本来ならそうならないようにお前が善心制御するところだが、奴が何かしら設定変更したせいかそれができなくなっている!』


 彼らしからぬ切迫した声で言いながら、ラピスは前方に立ち塞がるレイスロイドたちを淡々と剣で斬り捨てる。


『全ての第一世代レイスロイドたちの悪心を制御するオルミアの悪心数値が平常時より引き上げられている以上、今の奴らが暴走していても何も不思議じゃない! ティアだけ暴走を起こしていないのは、おそらくお前自身が善心制御を司るプログラムだからだろう! 俺自身に関しては幸い第二世代レイスロイドの個別感情制御プログラムのおかげで、どうにかオルミアの影響下から外れているんだ!』


 まくし立てるようにそう叫び、今一度この数分間で起きた状況を冷静に整理する。


 突如クロースがレイスロイド中枢管理システムであるマザーオベリスクを操作し、悪心制御ヴァイス・コントロールプログラムであるオルミアの悪心数値を上昇。その結果、オルティアの街全体——いや、おそらく全世界の第一世代レイスロイドたちが今頃暴走状態に陥り、現在の収拾のつかない事態に至っているはずだ。


 さらに四機天王というクロースの造り上げた四体の高性能レイスロイドの出現、己の悪心に侵されたオルミアの敵対化。クロースは四機天王たちを手駒として使い何かしらの計画を企んでいたようだが、奴らにあっさりと寝返られて結果的に始末された。仮に四機天王たちが第一世代レイスロイドだとして、オルミアに奴らの悪心が操作されていたのならクロースを裏切った行動にも合点がいく。


 そして何より気になったのは、オルミアとラスカーが口々に言っていた《神》という言葉だ。一体それがどういう意味を表すのか、今の情報だけではさすがに答えはわからない。ただ……なんだか物凄く嫌な予感がする。


 不意に、背筋に氷刃ひょうじんでも食い込んだようなおぞましい殺気を感じ、ラピスは反射的に後ろを振り返る。


 いつの間にかあの鉄仮面のレイスロイド——ラスカーが、まるで影が滑るが如き恐るべき疾駆ですぐそこまで迫ってきていた。


『チッ……!』


 左腰のホルスターから即座に拳銃を抜き、ラピスは奴に向かって速攻で牽制射撃を仕掛ける。


 銃口の射線上を一直線に駆け抜け、立て続けに撃ち出された青光線はどれもラスカーの身体を正確に捉えているが、奴は右手に携えた黒い両刃剣を宙に走らせてこちらの攻撃を難なく防いでくる。


 それでも構わず、ラピスは少しでも長く足止めしようとろくに狙いも付けずがむしゃらに引き金トリガーを絞り続ける。


 大通りに漂う生臭い腥風せいふうを全身に浴びながら、二人は脇目も振らずに市街の狂騒の中をとにかく全力疾走する。あれだけ遠くに思えた西の正門が目に見えて大きくなり、ようやく街の端まで命からがら辿り着く。


 それに次いで街中から続々と逃げ出してきた大勢の人々が、蜘蛛の子を散らすように広い荒野へと逃げ去っていく。ラピスたちも急いで巨大な正門をくぐり、ひとまず街の外に出ることに成功する。


 だがそれも、束の間の安堵にすぎなかった。


 すでに彼我ひがとの空いていた距離が絶望的なまでに消滅し、後ろから猛追してきたラスカーについに追い付かれる。


『くそッ……! ——ティア、受け取れ!!』


 これ以上奴の追撃を振り切ることは不可能だと判断し、ラピスは咄嗟に左手の拳銃を彼女に向かって放り投げる。


 さらに素早く身を翻すと、上段から勢いよく剣を振り下ろしてきたラスカーと互いに剣をぶつける。


 瞬間、超高密度に圧縮された凄まじい衝撃波によって周囲の空気が荒れ狂うように乱れる。


 両者一歩も譲らぬ形で、ぎしぎしと鈍い金属音を立てながら激しい鍔迫り合いが生じる。


『それを持ってお前はさっさと逃げろ!! ここは俺が食い止める!!』


『で、でも!!』


 彼を見捨てる提案など到底受け入れられるはずもなく、ティアは必死にどうにか食い下がろうとする。


 ちらりと肩越しに振り返り、ラピスはなおも強く叫んだ。


『お前は生きろ!!』


 決して揺るがぬ意思を秘めたその言葉に、ティアは思わずハッとなる。


 もはや泣き出し寸前の顔で逡巡した末、彼女は地面に落ちた白銀の拳銃を震える手で拾い上げると、決して振り返らずに荒野へと走り去っていく。


 ——それでいい。


 ひっそりと胸中でそう呟き、ラピスは口許に微かな笑みを浮かべる。


 眼前の敵に向き直った時には顔からすっと笑みを消し、相手の剣を力任せに弾き返す。


 こちらの一連のやり取りを傍観していたラスカーは、哀憐と感嘆が入り混じったような口調で厳かに告げた。


『ここで自ら死を選択するとは……いいだろう。その無謀な勇気に応え、俺のツインセイバーの錆にしてくれる』


 禍々しいほどの奴の物凄まじい気迫に、ラピスは本能的に堪らず気圧けおされそうになる。


 だが、ここで絶対に退くわけにはいかない。


 直後、両者同時に地を砕く強烈な踏み込みで飛び出すと、甲高い金属音が再び荒野に鳴り渡ったのだった。

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