第十八話 狂科学者
ティアたちは元来た道を通り、ちゃんと迷わず当初の帰宅時間通りにセントラルタワーの敷地内まで戻ってきた。
まずラピスが外から自室の窓を開き、こっそり隙間から中を覗く。見た限り室内には誰もおらず、幸いまだ研究員たちは自分たちが外出していたことに気づいていないようだ。
今のうちに、三人とも窓から部屋の中に素早く入り込む。
靴底にこびりついた砂を外にはたき落とし、ティアとオルミアはひとまず何事もなく自分たちの住処に帰ってきたところでホッと一安心する。
傍らの青年に改めて面と向き合い、ティアは深々と頭を下げた。
『ラピスさん、今日は一日ありがとうございました。おかげさまで無事外の世界を見ることができて良かったです。ほんの少しの時間でしたけど、どれも初めてのことばかりでとても貴重な経験ができました。今日過ごした外での楽しい時間は、不自由な私にとって何物にも代えがたい最高の誕生日プレゼントになりました。その……もしもまた外を出歩ける機会があるのなら、その時はもっと色んな場所に行ってみたいです』
外出する前と比べてすっかり心が満たされた顔で、彼女は一切屈託のない笑みを浮かべる。
眩いばかりの少女から視線を外し、ラピスは珍しく少し頬が緩む。
『ふっ、それは良かったな』
二人が
『おーい二人とも、今から風呂に行かないか? 全身砂埃で気持ち悪くて、すぐにでも身体を洗いたいんだが……』
そう言われて、ティアは思わず自分の身体を見下ろす。
出かける前まで汚れ一つなかった純白のワンピースが、薄く砂埃にすっかり汚れていた。
ということで、ティアとオルミアは着替えの用意を終えた後、ラピスも連れて急遽施設内の大浴場に足を運ぶことにした。セントラルタワーの研究員たちが毎晩のように寝泊まりすることも多く、関係者であれば浴場への入場は基本自由となっている。ちなみにティアとオルミアはちゃんと毎日入浴しているが、ラピスに関しては未だに風呂に入っているところを一度も見たことがない。なので、少女たちはたまに彼の身体を濡れ雑巾で無理やり綺麗にしてやるのだが。
冷たく金属の光が照り返す鏡面加工された通路を渡り、三人はまるで迷路のように入り組んだ建物内を慣れた足取りで歩いていく。
不意に、廊下の奥から一人の男が悠々とした歩調でこちらに近づいてくる。
『——おお、こんなところにいたのかー!』
思わず不快な気分になりそうな高調子で声をかけてきたのは、ここセントラルタワー研究所の副所長であるウェルダー=クロースだった。
まだ三十代という年齢の割に酷く痩せこけた顔、切れ長に吊り上がった三白眼に冷たい印象を覚える銀縁メガネをかけ、服装は清潔感の欠片もない黄ばんだ白衣を着ていた。
所長であるローエンに次ぐレイスロイド研究開発チームのナンバー2の存在であり、マザーオベリスクによる全ての第一世代レイスロイドの一括制御を考案したのも他でもない彼である。百年に一人の逸材と
『いやあ、どこを捜しても全然見つからないからずっと心配していたんだよー。部屋を見に行ってもいないし、幼い君たちのことだからまたかくれんぼでもしているのかと思っていたんだが……。一体今までどこにいたんだい? ——まさかとは思うが……誰の許可もなく外に出ていたわけじゃないよね?』
全身の肌が
それに対し、ラピスだけはその冷淡な表情を一切変えないまま終始無言を貫く。
彼らの薄い反応に、クロースはつまらなそうに鼻を鳴らす。
『ふん、まあ君たちの今日の移動ログを調べればすぐに判ることなんだが……。そんなことはどうでもいい。私が今もっとも興味深いのは天使アンゲルスと悪魔ディアボロス、レイスロイドの感情制御プログラムである君たち姉妹の存在だ。私と同じ世紀の天才科学者ローエン=ライト博士が一から造り上げたその機体、一体どういう造りになっているのかちょっと見せてもらっても——』
たちまち欲望に塗れた醜貌へと一変し、ティアの身体に触れようと躊躇なく手を伸ばす。
その瞬間、ラピスが横合いから彼の腕をがっしと掴む。
『やめろ』
静かな怒気を込めた声と目付きで一言忠告し、大の大人も思わず震え上がるような物凄い剣幕でクロースを睨み付ける。
『誰だろうと例外なく、こいつらには一切近づけぬようにとローエンから伝えられている。これ以上お前がこいつらに手を出そうとするなら、こちらもそれ相応の措置を取らせてもらう。それと何度も言っているが、この二人は天使でも悪魔でもない。こいつらの名前は、ティアとオルミアだ』
なんの恐れもなくはっきりと言い捨てる。
チッ、と不快感を更々隠すつもりもなく舌打ちし、クロースは鬱陶しげに青年の手を払いのける。
『おー怖い怖い。たかだか護衛対象を護るためだけに造られた自律兵器の分際で。ライト博士もこんな融通の利かない馬鹿をボディガードに付けるとは、いくらなんでも用心深すぎるんじゃないのかね。まあ君がそこまで私に高圧的なら、こちらもそれ相応の考えがあるのだが……』
どこか含みを持たせた口調でそう言い残し、白衣の裾を翻してその場から足早に去っていった。
ひとまず諦めてくれたクロースの背中を見送り、オルミアが緊張から安堵の表情を見せると、どうしようもないというふうに肩をすくめる。
『まったく……あいつの変態ぶりには毎度のことながら酷く驚かされる。一体普段から何を考えているのやら……』
ティアは自分たちを庇ってくれた青年に改めて向き直り、強い罪悪感に苛まれた顔で謝罪した。
『すみません、ラピスさん……。私たちのせいで迷惑ばかりかけてしまって……』
『別にお前たちは何も気にしなくていい。これが俺に与えられた唯一の仕事だ』
素気なく言って、ラピスは歯牙にもかけず先に歩いていく。
それに対し、ティアは
クロースが口にしていた通り、ラピスは感情制御プログラムであるティアとオルミアの身を保護するために造られたレイスロイドだ。
一年前に初めて青年と会った際、ローエンは彼のことを少女たちの兄やサポーター的存在だとそう告げた。しかし、それはあくまでも単なる名目でしかなく、実際常に武器を装備しているのも今のように彼女たちを第三者の脅威から保護するためだろう。それほどまでに今のティアとオルミアは、研究者たちや世界中の人間たちから見ても非常に重要な存在なのだ。
ラピスは確かに強い。肉体的にも精神的にも、誰にも負けない強さを己の
けれど、そんな青年の淋しい背中を見ていると、時々なぜかきゅっと胸が締め付けられるように痛くなる。まるで最初から自分で見えない壁を隔てて、彼だけ一人孤立しようとしているかのような——。
ただティアとオルミアを保護するためだけにローエンはラピスを造り上げたのか、それとも本当に兄として自分たちの親密な関係も考慮して生み出したのか、実際のところはよく判らない。でもそんなことはもう関係なく、すでに彼は間違いなく自分たち家族の一員だ。その事実だけは、これからも決して変わることはないだろう。四人の絆が、いつまでも固く結ばれている限り——。
ひとまずそう結論づけ、ティアも急いでラピスとオルミアの後を追ったのだった。
翌日、ローエンに研究室に呼び出されたティアたちは、案の定こっぴどく大目玉を食らった。
理由は言うまでもなく、昨日廊下でクロース博士と一悶着あった後、どうやら彼が意趣返しに自分たちが街に繰り出していたことをこっそり告げ口したらしい。やはり鉢合せした時の彼の言動から判断して、最初からすでに知っていたのだろうか。
もう二度と外の世界を目にすることは叶わぬかと思われたが、今回の一件でローエンは自分の同行を条件に、月に一度だけ外出許可を出すことを約束してくれたのだった。
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