第十七話 外の世界

 機暦二二四七年 四月一日



 セントラルタワーでの共同生活が始まってからちょうど一年。


 嬉しいことなのかはたまた悲しいことなのか、ここでの退屈な暮らしにもすっかり慣れてしまい、今日も朝から寝室の二段ベッドの二階の上で、ティアとオルミアはそれぞれ白と黒のパジャマ姿で仲良くトランプゲームに興じていた。


 両者ともに真剣な表情でじっと向かい合ったまま、見えない火花を激しく散らして睨み合いを続ける。


 すると、ティアの目つきが急に鋭く変わる。


 直後、二枚の手札のうちの一枚の当たりカードを彼女に迷わず引かれ、オルミアは最後に手許に残ったジョーカーを乱暴に放り投げる。


『あーあ、また負けた。これで二十三勝二十七敗。このババ抜きとかいうゲーム、二人だけで遊ぶとどちらかの手札にジョーカーがあることが最初から判るから、あんまり面白くないな』


 すっかり嫌気が差したように辛辣に愚痴をこぼす。


 昨夜ローエンに軽く教えてもらったのだが、最後の一人にジョーカーが残るというルール上、三人で遊んだ時のようにそれほど盛り上がらない。相手の手札を取って自分の手札を揃える、という一連の流れを繰り返すだけの至極単調なゲームなので当然すぐに飽きてくる。ことになぜか、勝った当人も先ほどから全然嬉しそうな顔をしない。


 ずっと気分が沈んでいる妹に、オルミアは不思議そうに小首を傾げる。


『どうしたんだ? さっきからそんなに浮かない顔して?』


『……楽しくないです』


『え?』


 思わず耳を疑うような彼女の言葉に、オルミアは反射的に聞き返す。


 するとティアはやけに珍しく、いや人生で初めて自分の不満を洩らした。


『こんな狭い場所にずっといても、ちっとも楽しくないです……』


 それに対し、オルミアはさすがに驚いたように目を見張る。


 これまで他人への反論はあれど、自分の不満は一切口に出すことはなかった彼女が、初めて子供のように我がままを口にしたのだ。そういった我欲の類いを表に出すことすらなかったので全然判らなかったが、今の生活には相当こたえるものがあったらしい。


 姉の少女は、少々困惑した顔でさとすように言った。


『楽しくないって……それが私たちの仕事だろう? そりゃ毎日こんな同じところに引きこもってたら、さすがに飽きてくるのもわかるが……』


 そこまで口にし、オルミアはようやく彼女の言葉の意味を察したようにいた。


『おいお前……まさか今になって、《外の世界》に出たくなったんじゃないだろうな?』


『…………』


 それには何も言葉を返さず、ティアはくらく顔をうつむける。


 一目瞭然の判りやすい彼女の反応に、オルミアは心底呆れた顔で嘆息した。


『はあ……。お前だって、本当はとっくに全部わかってるんだろう? どうして自分たち姉妹だけ、ここまで厳しく外出禁止にされてるのか。私たちレイスロイド感情制御プログラムがセントラルタワーから離れるとマザーオベリスクとの通信状態が極度に不安定になってしまうから、などと以前ローエンが適当なことを抜かしてたが、それだけの些細な理由ならこいつ﹅﹅﹅が常に私たちを見張っておく必要はないだろう』


 憎たらしげにそう言って、下の隣のシングルベッドで今も仰向けに横たわっているラピスをキッと見やる。


 おそらく起きているはずだが、当の本人は目を閉じたまま何も応えない。


 もっともなオルミアの疑問に対し、ティアは力のない声で一言呟いた。


『……外の世界が危険﹅﹅だから、ですよね』


 外界に出る以上、何かしらの想定外の危険性が常に付きまとう。普通ならさすがに過保護かもしれないが、レイスロイドの重要プログラムである自分たちの安全を最優先すればここから出さないことがやはり一番正解かもしれない。それぐらい、今の自分たち姉妹は世間にとって必要不可欠な存在なのだから。


 どちらか一方でも欠ければ、それは他のレイスロイドたちに多大な影響を及ぼす——。


 そんな取り返しのつかない最悪な事態を考えれば、まだ自分たちを施設内で自由に歩かせてくれるだけでもローエンは良心的かもしれない。むしろ親馬鹿とすら言えるだろう。


 でも……。


『でも……やっぱり私、ここにずっと閉じこもって自分の大切な一生を終えるなんて、そんなの絶対嫌です……。他のレイスロイドたちみたいに、一度ぐらい自分も外の世界を歩いてみたいです……』


 ティアは、これまで胸のうちに溜め込んでいた本音をありのままに吐露する。


『この世界の子供たちは年に一度、誕生日という自分が産まれた日を記念にご両親さんから好きなプレゼントを貰えると風の便りで聞きました。——だったら私、今日誕生日の自分へのプレゼントとして外に出てみたいです!』


 気づけば、自分勝手な思いを全て吐き出していた。


 果たしてその話にずっと耳を傾けていたのだろうか、不意にラピスが相も変わらず辛辣な口調で口を開いた。


『……仮にその願いが実現したとしてだ。お前はそれで本当に満足できるのか? また外に出たい、なんてわがままのことを言い出すんじゃないのか?』


『…………』


 思わず痛いところを突かれてしまい、ティアはそれが図星だったように急に黙り込む。


 否定はできなかった。もしこの世界の新たな一面を知ってしまえば、それはまた次の好奇心の芽生えへと絶えずに連鎖してしまうに違いない。未知なる探求に死ぬほど飢えた今の自分がその激しい欲求に抗えないのは、もはやはっきりと目に見えている。どうせ中途半端に物事を知るぐらいなら、やはり何も知らないほうが余程いいのだろうか。


 そこまで考えて半ば諦めかけたその時、ラピスの口から思いがけない言葉が飛び出した。


『毎度毎度、連れていけるわけじゃないぞ』


 思わず顔を上げ、ティアはおそるおそる彼のほうに向き直る。


『外出時間は一時間。その間、俺から絶対に離れないと約束しろ』


『い、いいんですか!?』


 大きく声を上擦らせながら、ベッドの上から危うく落ちそうな勢いで身を乗り出す。


 すると、なぜかオルミアが急におどおどと声を震わせて言った。


『おいおい、お前たち本気か……? もしローエンにバレたら、またこっぴどく叱られるぞ……?』


 それもそのはずで、つい先日ティアとオルミアは自室に入ってきた研究員たちに黒板消し落としという仕様もない悪戯をした結果、ローエンに散々きつい説教を食らったばかりなのだ。そんな小学生でも解るような馬鹿なことをすれば、叱られるのは言うまでもない。


 しかし、ティアはさして恐れをなした様子もなく姉の少女に訊いた。


『そう言うお姉ちゃんは、外に出たいとは思わないんですか?』


『私は別に……』


 どこか未練がましい口調でそう言い、オルミアは唇を尖らせてそっぽを向く。


 自分の本心にどこまでも正直でない彼女に、ティアは心なしか意地の悪い態度で納得した。


『そうですか。それはとても残念です。それじゃ今日は、私とラピスさんだけで外の世界を思いっきり楽しんできますね。お姉ちゃんはせいぜい留守番でもしててください』


 最後ににっこりと憎たらしい笑みを浮かべて、ティアはいそいそと支度を始める。


 普段の彼女らしからぬ塩対応に、オルミアはたちまち我慢ならないように叫んだ。


『あーわかったわかった! 私も一緒に付いていくよ! それでいいんだろう!? こうなったらもう一蓮托生だ!』


 なぜか投げやり気味にそう言って、少女もすぐに外出準備を始める。なんだかんだで結局彼女も本当はすごく行きたかったらしい。


 ティアとオルミアはそれぞれ自分の善悪を象徴する白と黒のワンピースに着替え、ラピスに関しては全身の青い装甲があまりに目立つので外套を纏うことにした。


 数分ほどで全員身支度が整ったところで、早速部屋の窓から外に出ることにする。


 外に誰もいないことを充分に確認してから、三人は窓枠に足をかけて軽快な身のこなしで中庭に躊躇なく飛び出す。施設の関係者たちに決して見つからないよう、慎重な足取りで敷地内をどんどん駆ける。中庭のそこかしこに敷設ふせつされた監視カメラの目を上手く搔い潜り、三人は意外にもあっさりとセントラルタワー前の大きな噴水広場に出る。


『うわあ……!』


 最初に目に飛び込んできた光景に、ティアは感極まったように驚嘆の声を上げる。


 空燃ゆまだら紅霞こうかの下、灼きつく緋色の夕映えに美しく彩られた赤煉瓦広場には、溢れ返らんばかりの人間とレイスロイドたちが一緒くたに往来していた。


『す、すごいです! こんなに大勢の方々が外を出歩いてます!』


『ああ……。本当にみんな自由なんだな……』


 これにはオルミアも、酷く衝撃を受けた様子で小さく声を洩らす。


 世界中の第一世代レイスロイドたちの正式稼働が開始されてから早くも一年近くが経過し、街中を堂々と歩く彼らの姿はすでにこの広い人間社会に違和感なくすっかり溶け込んでいた。ラピスのように全身を色鮮やかな装甲に纏っている者もいれば、ティアやオルミアのようにお洒落に衣服を着こなしている者もいる。皆がみな個性的な恰好をしており、誰一人として余分な存在などいない。


 ローエンたちを筆頭に自分たちも人類と機類の共存するこの世界を築き上げた一員だと思うと、なんだか少し誇らしげな気分になる。


 ひとまず三人はごった返した広場を横切り、そのまま隣接された街の大通りに入る。


 どこまでもまっすぐに石畳の敷かれた市街地の広いメインストリートには、広場と同様に人とレイスロイドたちが引っ切りなしに行き交っていた。皆一様に瀟洒しょうしゃな身なりをしており、セントラルタワーの研究員たちのように見すぼらしい恰好をしている者は一人もいない。


 夜に向けてほのかに灯り始めた黒い鋳鉄の街灯と定期的に剪定せんていされた綺麗な街路樹の並んだ道の両脇には、見たこともない商店や露店がたくさん軒を連ねていて、賑やかな会話や売り文句が飛び交う通りは衰えを知らない活気に満ち溢れていた。


 街全体に、色がある。その華々しい光景を目にしたティアが、真っ先に抱いた印象だった。これまで見てきた世界とは百八十度違うそれに、彼女のテンションはたちまち最高潮に達する。


『と、とりあえず早速見て回りましょう!』


 湧き上がる興奮を抑えきれないように、ティアは一番乗りで街中へと駆け出す。


 首を巡らせば路傍に建ち並ぶ様々な店に目が留まるが、その中でもまず彼女が目を付けたのは如何にも息が長そうな古びた外装の魚屋だ。店先には鉢巻きをした壮年の店主が威勢のいい声でしきりに客を呼び集めており、見る限り中々繁盛しているようだ。


 ティアも好奇心に駆られて、試しに店を覗いてみる。


 店頭には色取りどりの新鮮な魚たちが、大量に敷き詰められた氷の上に所狭しと並んでいた。ちょうどこれから夕飯の材料の買い出しに来た主婦たちによってふるいにかけられ、各々の家庭で立派に調理されるのだろうか。中でも目の前に横たわっている大振りの赤魚は、ぎゅっと身が締まっていてとても美味しそうだ。


『——お、嬢ちゃん、それに目付けるとはなかなかいいセンスしてるねぇ! どれも今朝近くの湖で捕れた魚だ。どうだい、一匹?』


 店主がニッと白い歯を見せ、弾けるような笑顔で声をかけてくる。


 ティアは細い首を捻って少し考える。やはりこういう時はケチケチするのではなく、気前良くスパッと購入していくのが粋というものだろうか。


 しばし黙考した末に、ティアはなけなしの勇気を振り絞り、手前の大きな赤魚を指差した。


『じゃあ、これください!』


『——おい馬鹿! 私たちは何も食べられないし、そもそもお金がないからそれは買えないだろう!』


 いきなり横から割り込んできたオルミアに鋭く突っ込まれ、ティアは青菜に塩をかけたようにしょんぼりと肩を落とす。


 三人は足早に魚屋を後にし、オルティアの大きな街を色々と見て回った。この世に生み出されてからというもの、今までセントラルタワーの外に一度も出たことがなかった彼らにとって、目に映る光景はどれもすごく新鮮だった。


 とても一時間じゃ都市全体を回りきれず、最後に残った時間でティアたちは街の西の正門へとやって来た。


 麗々れいれいしく精緻な装飾がほどこされた巨大な門をくぐった先には、みやびやかな街並みとは対照的にその末路のような荒廃した大地が果てしなく広がっていた。


 それを目の当たりにしたオルミアが、些か面白味に欠けた様子で愚痴を洩らした。


『ローエンから外の世界の話はよく聞いていたが、本当に何もないんだな。見渡す限り殺風景じゃないか』


 しかし、傍らのティアは強く胸を打たれたように我知らず呟いた。


『でも……すごく綺麗です……』


 夕空の紅と大地の黒に挟まれた地平線の彼方に、琥珀色の落陽が本日最後の力を出し尽くさんとばかりに燦々と輝いている。焼け野の如く赫焉かくえんとして燃え上がる荒野とそこかしこに佇む無数の奇岩の陰影が織り成す陰日向かげひなたのコントラストが、今この瞬間だけあたかも一幅の絵画のような調和を保っており、それは容易く息を呑んでしまうほどに尊く美しかった。


 やはり映像と実物を見るのとでは、実際身体に入り込んでくる情報量が全然違う。沈みゆく斜陽の眩さも耳許を撫でる優しい風音も、どこから運ばれてきたかも知れぬ枯れ草の渋い匂いも全身を包み込む心地良い暖かさも、どれ一つ取ってもあの狭苦しい施設の中では決して体感できなかった感覚だ。


 大自然が生み出した壮観な景色にたちまち心を奪われたように、しばし三人は無言でその場に立ち尽くしていた。


 五分ばかり堪能したところで、ラピスがさっときびすを返す。


『そろそろ戻るぞ。いつまでもここにいれば、じき研究員たちに怪しまれる』


 言うが早いか、先に街のほうへと足早に歩いていく。


『ほら、行くぞ』


 そう一言告げ、オルミアも彼の後に付いていく。


 一旦二人の背中を見送り、ティアは目の前の壮大な見晴らしに改めて視線を戻す。


 正直とても名残惜しいが、ラピスの言う通りずっとここに留まるわけにもいかない。自分たちの立場上、ちゃんと帰るべき場所がある。せめて今日の景色だけは決して忘れぬよう、最後に少女は両手の親指と人差し指で作ったカメラフレームに収めた夕陽をしっかりと目に焼き付ける。


 たっぷり数十秒ほどそれを記憶してから、彼女も急いで二人の後を追ったのだった。



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