第十二話 二人の静夜

 地平線の彼方に人知れず落ちた西日が、世界の裏側に完全に隠れた頃。


 エリアルの中心部に設営されたベースキャンプの灯りと喧噪から少し離れた、ビル廃墟前のさびれた幹線道路。本来ならここは街灯やビルの人工光によって夜でも否応なく明るいはずだが、今となっては見る影もなく瓦礫と静寂だけがこの場を重く支配している。


 荒れた車道の路肩に忘れられたように敷かれた縁石の上で両膝を抱えたまま、セッカはずっと一人忍び泣きしていた。


 数時間前に自らが起こした滑稽とも言うべき愚かな行動を、彼女はひたすらに悔やみ続けていた。


 自分が、仲間たちを犬死にさせたようなものだ。あの時反乱軍の基地で皆を助けた後、レイスロイドと戦うなどとムキになって言い出さず、素直に世界の地の果てまで逃げればよかったのだ。なのに独りよがりな行動で仲間たちを無理に扇動し、結果的に四機しき天王てんのうとの力量の差もまるで解らず無策な突貫をおこなってしまった。今回の戦いに於いてあまりに馬鹿げたその行為は、これ以上にないほどの度しがたい罪深さだった。


 仲間たちは己の死を予感した瞬間、一体どんな気持ちで逝ったのだろうか。絶望の表情で死んでいく彼らの無惨な場面が、脳裏で何度も鮮明にフラッシュバックされる。怒り、哀しみ、やるせない感情が身体の底で沸々と渦巻き、全身を引き裂くような自責の念にさいなまれる。


 もういっそのこと、誰もいないどこかで野垂れ死にしてしまおうか。そうすれば、この呪縛のような激しい苦痛からも解放されるだろうし、もしかしたら死んでいった仲間たちも皆赦してくれるだろうか。そうだ、心優しい皆ならきっと赦してくれるはず。


 今、そっちに逝くから——。


 苦悩に苦悩を重ねた末に、セッカはさっと腕で涙を拭うと、ようやく意を決して立ち上がろうとした。


 しかし、周囲から完全に意識を隔絶していたせいで、背後から静かに近づいてくるその跫音きょうおんに気づくのが遅れた。


「——ここにいたのね」


 突然降ってきたどこか聞き覚えのあるほがらかな声に、セッカは未だ脱力感の残った首をもたげる。


 そこには反乱軍指定の黒い軍服に身を包んだ、自分より少し幼い赤髪の少女が柔和な微笑を浮かべて一人佇んでいた。


「君は……誰だ?」


 思わぬ返しだったのか、少女はあっ、とうっかりしていた様子でポンと手を叩く。


「そういえば、セッカさんとはまだ初対面だったわね。——私はナツリ=ライト。さっきの四機天王ガンドロスとの戦いで、レインとあなたたちレジスタンスに指示を出していた軍のオペレーターよ」


「君が……」


 これには思わず意表を突かれて、セッカは茫然と声を洩らす。


 まだこんな年端もいかない子が、あの青いレイスロイドの指示だけでなく自分たちに協力するよう必死に説得していたのか。とても可愛らしい顔をしているが、少女の紅い瞳からは確かに何かの強い意志を感じる。想像していた人物と全く異なる容姿に、未だに状況がよく飲み込めずにわかに信じられなかった。


「隣、座ってもいいかしら?」


「あ、ああ……」


 今はとても話せるような気分ではなかったが、セッカは自然とその口が動いていた。


 ナツリは、彼女の傍らの縁石にそっと腰掛ける。


「今夜は星が綺麗ね……」


 ふとそう言われて、セッカはおもむろに天を仰ぐ。


 すっかり塞ぎ込んでいたせいで全然気づかなかったが、天上には全てを呑み込むような底無しの虚無の中に、幻想的にちりばめられた星々の大海が壮大に広がっていた。


 確かにその美しい光景は、昔自分が当たり前のように観てきたものよりも一段と綺麗だった。理由は明白で、世界崩壊アストラル・コラプスが始まってから自分たち一般人のほとんどは反乱軍によって閉鎖地下世界アンダーグラウンドに強制的に隔離されてしまったので、実際この眼でちゃんと星を観たのは実に二年ぶりだったからだ。


 ナツリはどこか嬉しそうにくすりと笑いをこぼす。


「今の仕事をやっていて良かったと思うのは、こういった限りある瞬間に巡り合えた時かしら。あの閉鎖地下世界じゃまず観られない景色だもの」


 今の自分の心情を見透かしたような言葉に対し、セッカはふと気になった疑問を彼女に投げかけた。


「……どうして君は、そんな若さで軍の仕事に就いたんだ?」


 すると心なしか、ナツリは諦観の色を滲ませた自虐的な笑みを口許に浮かべる。


「私の場合、幼い頃に病気でお母さんを亡くして、お父さんとは世界崩壊の時に生き別れちゃってね……。現在の反乱軍総司令官であるマーシャルさんに身元引受人として引き取られた後、すぐにレイスロイド研究開発の仕事に就いたの。皮肉なことに、私はレイスロイドをこの世に生み出した研究者——あのローエン=ライトの娘でね……」


「……!」


 セッカはさすがに虚を衝かれたように、愕然と大きく眼を見開く。


 その著名人の名前は、世事に疎い自分でも当然知っている。ローエン=ライトといえば世界でも言わずと知れた人工知能研究の天才科学者スペシャリストであり、レイスロイド研究開発の第一人者パイオニアでもある。その彼の娘ということは、きっと彼女も過去に理不尽な理由で少なからず辛酸をめてきたに違いない。


 セッカも同様にくらく顔をかげらせると、悄然しょうぜんとした声音で胸のうちを打ち明けた。


「私も二年前の世界崩壊の時に、暴走したレイスロイドたちに襲われて両親をうしなったんだ……。私だけは運良く逃げ延びられたが、家族を奪われた憎しみだけはどうしても消えなくてな……。……そんな時だった。閉鎖地下世界で同じ境遇の人間が集まってできたローンウルフのリーダー、カインと出逢ったんだ」


 腸が煮えくり返るような怒りを滲ませた口調で、彼女はこれまで内心に溜め込んでいた負の感情をさらけ出した。


「正直、私はレイスロイドがずっと憎くて憎くてしょうがなかった……。私の故郷を、友達を、そして家族を、奴らはたった一日で何もかも身勝手に奪い去っていったんだからな……。リーダーも他の仲間も皆、たくさん殺されてしまった……。……でも同時に、今日でレイスロイドに対する価値観は確かに変わった」


 自分でも信じられないようにそう呟き、セッカは少し悔しげに言葉を紡ぐ。


「あのレインというレイスロイドは、自分の身を挺してまで私たちのことを必死に助けてくれた……。きっと彼だって、今までずっと辛い経験をしてきたはずなのに……。あの時自分たちを救ってくれた真面目な彼の気持ちを、私たちはまた一方的な理由で踏みにじってしまった……」


 実際それは本当のことだったのだろう、ナツリはほんの少しだけ顔を曇らせる。


「そうね。確かに彼は、これまで出会ってきた人たちに少なからず心ない言葉を浴びせられてきたわ。でもそれは、結果的にレイスロイドが原因で招いてしまったということもちゃんと理解してる。今はまだ難しいかもしれないけど、私は人間とレイスロイドがまたいつか一緒に暮らせる日が来るって信じてる」


「…………」


 それには何も言葉を返せず、セッカはしばらく黙り込む。


 そんなことは正直、綺麗事であり絵空事だと思った。たとえこの長い戦争が明日呆気なく終わりを迎えようとも、人々の心に積もりつもった憎悪は一生消えることはないだろう。自分とて決して例外ではない。ともすれば、また同じ悲劇と過ちが繰り返されるかもしれない。


 でも、この子なら……。


「……だったら約束してくれ」


 もう一人の心の自分と激しく葛藤しながら、セッカは真摯な眼差しで目の前の少女に本心を伝えた。


「あんな恐ろしいことが二度と起きないように、君が必ず人間とレイスロイドの未来を変えてくれ」


 彼女の口から出てきた意外な言葉に、ナツリは多少の驚きを見せたものの、すぐに力強く頷いた。


「ええ。約束するわ」


 屈託のない笑顔で応え、元気良くすっくと立ち上がる。


「さて、今夜はもう夕食にしましょ。セッカもお腹ぺこぺこでしょ?」


 そう訊かれて、少女は思わず自分の肉付きの薄い腹を見下ろす。


 そういえば朝から何も食べていなかったことを今更ながら思い出し、腹の虫が急に食い物を寄越せと訴えかけてくる。


 それを聞いたナツリはくすりと笑いをこぼし、こちらに優しく手を差し出してくる。


「今頃皆、あなたのことを心配してきっと待ってるはずだわ。早く戻りましょ」


 その言葉に対し、セッカも素直に小さく頷くと、身を委ねるままに彼女の手を取り立ち上がる。


 二人はすっかり仲睦なかむつまじく肩を並べながら、温かな灯りの集まる方へと静かに足を向けたのだった。



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