第六話 侵入者

 機暦二二五三年 七月二十七日



 荒廃した視界に映り込む辺り一帯、殺風景な景色が際限なく広がっている。まだ朝を迎える前の仄暗い荒野は、深夜の不気味さと静けさを惜しむことなくありのままに湛えていた。


 その広大な薄闇の中に溶け込むように様々な建造物が並ぶ、トラビナ西部第一基地。本来なら今頃反乱軍の哨兵が基地の周囲を忙しなく巡回しているはずだが、今日は兵の大半が戦線に出払っているせいか人影一つ見当たらない。


 基地の外周部から西に百メートルほど離れた荒野の小さな岩陰から、その物寂しい風景を双眼鏡で覗き込む一人の少女がいた。


 年の頃はまだ十代半ばといったところか。艶のない亜麻色の長髪をポニーテールにして後ろで束ね、少し大人びた端整な顔立ちにくろのうのような大きな瞳、全身の肌はこんがりと程よい具合に焼けた小麦色をしている。服装は薄汚れた黒のタンクトップとベージュのショートパンツを身に着けており、その境目には女とは思えぬほどよく鍛え上げられた腹筋を美しく露出している。


 基地に潜入するなら今しかないだろう。


 岩陰から勢いよく飛び出し、基地の外周を取り囲む金網フェンスに素早く駆け寄ると、少女は閉鎖地下世界アンダーグラウンドから携行してきた建材切断用のポータブルカッターの電源を入れる。


 ウィイイン、と甲高い駆動音を撒き散らしながら高速回転する円盤の刃を、頑丈な網に当てて手際よく切断していく。


 五分もかからず人がぎりぎり通れるだけの小さなあなを空けると、少女は金属バットほどの細身の鉄パイプだけを片手に、颯爽と敷地内に潜入する。


 真っ先に目指したのは、基地の西メインゲートにある警衛所だ。


 隣接する建物の陰から陰へと滑るように伝いながら、手薄な敷地内を忍びの如く疾走する。


 幸い誰とも出くわすことなく西の警衛所に辿り着くと、その裏手に素早く回り込む。開けっ放しにされたままの後ろの出入り口から、手鏡でこっそりと中を覗く。


 果たして、黒い軍服を着た受付の男が、こちらに背を向けた状態でぐったりと椅子に寄りかかっていた。しかも幸運なことに熟睡中なのか、いびきのような低音が周期的に耳に届いてくる。


 この絶好の機会を逃すはずもなく、少女は男の背後にゆっくりと忍び寄る。両手で鉄パイプを高々と振り上げると、少しためらい気味に彼の後頭部を殴りつける。


 すると、男は死んだようにどさりと床に倒れ、完全に意識を失う。


 僅かな罪悪感にさいなまれながらも彼が着ていた軍服を拝借し、少女は素早くそれに着替える。さらに近くに立てかけてあった小銃を手にし、ついでにデスクの上のレターケースの中から白い用紙も一枚頂く。


 すぐに警衛所を後にして次に向かったのは、事前に目を付けておいた近くの白亜の四角い建物だ。おそらく、軍に連行された仲間の皆はあの中に収監されている可能性が高い。


 早鐘のように心臓を激しく打ち鳴らしながら、基地内に舗装された構内道路を全速力で駆け抜ける。


 どうにか目的の建物の正面玄関前までやって来ると、中に見張りがいないことを確認し、少女は出入り口のガラス扉を開けて堂々と忍び込む。


 簡易照明は点いているが見張り一人おらず、案の定ここももぬけの殻だ。


 誰もいないのなら遠慮なく土足で踏み込ませてもらうことにし、建物内の奥へと続く細長い廊下を突っ走る。曲がり角に差しかかるたびに通路の先を手鏡で逐一確認し、細心の注意を払いながら慎重かつ大胆にどんどん進んでいく。


 ある程度建物の中心部にまで入り込んだところで、道標のように続いていた照明が途中で消える。


 しかし、ここまで潜り込めればもはや侵入は成功したようなもので、少女は臆することなくさらに通路を突き進む。


 薄闇に満たされた廊下をひたすら走り続ければ、やがて突き当たりの角の先から仄かな灯りが漏れているのが見えてくる。


 少女はあくまで警戒心を緩めることなく曲がり角のほうに近づくと、微かな人の気配に気づく。再び手鏡。


 そこには電気スタンドだけ置かれたデスクの前に座った、中年ほどの男が一人いた。夜通し仕事をしていたせいか、見るからに眠そうに大きく欠伸あくびをしている。加えて通路の奥には無数の牢屋が存在し、ここに仲間たちが囚われていると見てまず間違いなさそうだ。


 一見した限り、この場にいる看守は一人のみ。相手が単独ならこれまた好都合なことはない。


 両手で抱えた小銃を背後に隠して近寄りながら、少女は堂々と男に声をかける。


「長時間の勤務お疲れ様です。今日は早めに切り上げていい、と上官が仰っていたので、見張りの交代で来ました」


「……ん? 私はそんな話、一切聞いていないが?」


 訝しげな顔でそう聞き返され、少女は先ほど警衛所から取ってきた一枚の用紙をデスクの上に差し出す。


 男はそれを手に取り、ざっと中身に目を通す。


「なんだこれは? ただの面会証じゃないか」


 次の瞬間、少女は小銃の銃床ストック部分で彼の頭部を思いきり殴り付ける。


 看守がデスクの上にぐったり倒れると、彼の懐に仕舞っていた真鍮しんちゅう製の鍵束を手早く抜き取る。


 仲間たちが監禁されている牢屋の格子扉に急いで駆け寄り、少女は鍵穴に片っ端から鍵を差し込みながら、ひとつひとつ合わないものを順番に確認していく。


「ん……? ——せ、セッカ!? どうしてここに!?」


 その騒々しい金属音にようやく気づいたのか、檻の中の小汚いベッドでぐっすり寝ていた《ローンウルフ》のリーダー——カインが、度肝を抜かれたように勢いよく起き上がる。


 そんな予想通りの反応を返してくれた彼に対し、少女は思わず笑いをこぼしてからかうように言った。


「ふふっ、どうしても何もまんまと軍に捕まった間抜けなお前たちを助けに来たからに決まってるだろう? いつものように閉鎖地下世界アンダーグラウンドの隠し通路を抜け出てここまで来たんだ」


 歯切れのいい音とともにすぐに鍵が回ると、牢獄の扉を勢いよく開放する。


 爆睡していた他の仲間たちも全員叩き起こし、彼らを拘束する牢屋も全て開錠した。


 セッカは檻の外に集まった一同をぐるりと見渡すと、神妙な面持ちで話を切り出した。


「皆、早速だが聞いてくれ。今日は軍の奴ら、深夜に戦線のほうに向かったせいかほとんど基地から出払ってる。——正直、計画﹅﹅を実行するなら今しかないと思う」


 頼もしい仲間のその提案に、カインは力強く首肯した。


「ああ! 今こそ俺たちの力を奴らに見せつけてやろうぜ!」


 おー!! と青年たちのときの声が、狭い留置場に荒々しく響き渡ったのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る