第三話 閉鎖地下世界

 ナツリとレインが研究棟を出て次に足を運んだのは、基地内の数多くある建物の中でもひときわ目立つように高々と佇む白亜の司令本部管制塔だ。ちょうど昼下がりの炎天下ということもあり、平らに舗装されたコンクリートの敷地内のそこかしこからはすでに熱々の鉄板のように揺らめく陽炎かげろうを立ち昇らせていた。


 管制塔のエントランスをくぐって建物の中に入り、二人は足早にエレベーターに乗り込む。


 チーン、という電子レンジのタイマーのような電子音とともにすぐに扉が開き、通路の一番奥にある司令室へ向かう。両開きスライドドアの前までやって来ると、赤外線センサーが反応して自動で扉が左右に移動する。


 司令室の中はほぼ三百六十度全面ガラス張りの広々とした空間で、寂寥せきりょうとした荒野の外の景観を地平線の彼方までしっかりと見通せる構造となっている。部屋の中央正面にはホログラムの大量のモニター画面が隙間なく張り巡らされており、今もその下では数名の管制官たちが忙しなく自分らの職務に当たっている。


 そして、中央の床に固定された良質な黒革張りのレザーチェアの、最も見晴らしの良い特等の司令席に悠然と深くもたれかかりながら、その巨大ホロディスプレイと真摯に向き合い続ける一人の女がいた。


「失礼します! ただいま登営しました!」


 ナツリの快活なその声に反応し、女はくるりと椅子を回転させてこちらに向き直る。


「来たか。待っていたぞ」


 潔く応じたのは、オルティア旧正規軍大将にして現反乱軍総司令官、ルナ=マーシャルだ。


 二年前の世界崩壊アストラル・コラプスの際にナツリを保護した命の恩人であり、彼女の身元引受人として今もずっと傍で支えてくれている里親でもある。今年で三十六歳になるらしいが、実際そんなふうには全然見えない。


 どこか蛇を思わせるような鋭く端整な顔立ちに、金剛石の如き煌めきを帯びた大きな吊り目。繻子しゅすのように滑らかな白銀色の長髪を、黒い軍服の下から今にもはち切れんばかりの豊満な胸の前に流している。粗野な性格の部分を唯一除けば、誰から見ても普通の美女にしか見えないだろう。


 そんな凶暴な彼女に救われた分の代償として、今日もナツリは身を粉にしながら奴隷のように酷くこき使われているわけだが……。


 すると、マーシャルはいつになく神妙な面持ちで早速話を切り出した。


「二人とも、昨日は任務ご苦労だった。急な出動だったにもかかわらず、お前たちの最大限の活躍には心から感謝する。身柄を拘束した盗賊たちについては、これから時間をかけて罪を償ってもらうつもりだ。集落の住民たちがすでに全員殺害されていたことは非常に残念だったが、だからと言って今の我々には一秒たりとも悔やんでいる暇はない。お前たちにはこれから、《閉鎖地下世界アンダーグラウンド》まである調査に向かってもらう」


 普段通り厳めしい口調で淡々と説明しながら、一段と気を引き締めた表情で告げた。


「つい先日、レジスタンスである《ローンウルフ》による不審な動きを嗅ぎ付けた」


「また、ですか……」


 これにはナツリも呆れを通り越して、もはや何も言葉が出てこない。


《ローンウルフ》——文字通り《一匹狼》を意味するそれは、現在の人類三大勢力の一つである《少数派マイノリティ》に属する派閥だ。世界崩壊の際に親や家族をうしなった若者たちで主に構成されており、その元凶であるレイスロイドを利用した戦闘行為を極端に嫌っている。


 世界崩壊アストラル・コラプスによって、人類は瞬く間に三つの勢力に分かれた。


多数派マジョリティ》——機類であるレイスロイドに抗うことをすでに諦め、閉鎖地下世界アンダーグラウンドで未来永劫静かに生きることを決めた者たち。


少数派マイノリティ》——レイスロイドには決して頼らず、人の力だけで機類に反乱を起こそうと決めた者たち。


異端派マーベリック》——レイスロイドに徹底的に頼り、人類と力を合わせて機類に反乱を起こそうと決めた者たち。


 異端派に属するオルティア反乱軍は、ローンウルフとは互いに敵対関係の位置にある。過去に少なからず諍いを起こしており、非常にタチの悪い過激派組織として要注意している。


 マーシャルは少し深刻な表情で話を続ける。


「最近レジスタンスの連中は闇商人ルートを通じ、武器や防具などの軍需品をどこからか密輸入している疑いがある。この件について、お前たちには至急閉鎖地下世界まで出向いて調査してきてもらいたい。もし連中が無駄に抵抗するようであれば、殺さない程度に即制圧してくれて構わん」


 すると、これまで沈黙を保っていたレインがようやく口を開いた。


「ちょっと待て。そんなに危険な仕事なら、全く戦えないこいつをわざわざ現地に連れていく必要はないだろう。この程度の任務は俺一人で充分だ」


 自分の上司にも辛辣な口調で遠慮なく口出しし、傍らの少女をちらりと一瞥いちべつする。


 それに対し、はあ……とマーシャルは相変わらずお堅い青年の態度に深く嘆息した。


「仮に一人で向かった、としてだ。レイスロイドであるお前がレジスタンスの連中をきちんと説得できるのか?」


「…………」


「まあ、まず無理だろう。その憎いレイスロイドに自分たちの大切なものを奪われてできた集団なんだからな。ということで今回は、連中と一番年の近いナツリを交渉人として選ばせてもらった。年長者の我々がとやかく言ったところでどうせ奴ら、耳も傾けないだろうからな」


 すると、なぜかナツリは嬉しそうに満面の笑みで青年の肩にポンと手を置く。


「ふふ、心配してくれるのは嬉しいけど、これは私たちの問題でもあるわ。彼らの説得は私に任せてちょうだい。でも、何かあったらその時は助けてよね」


「……誰もお前の心配なんかしていない」


 可愛げもなくそう言って、レインは冷たくそっぽを向く。


 二人はマーシャルから受け取った闇を掻き集めたような漆黒のフード付きの外套をまとい、足早に管制塔を出る。


 兵舎バラックの隣の駐車場に停めていた青と黒塗りの愛用クルーザーの後部座席にナツリを乗せると、レインも素早くシートに跨がる。キーを回してエンジンを荒く吹かし、アクセルペダルを踏み込んで勢いよくバイクを発進させる。


 西メインゲートの警衛所から基地を飛び出すと、二人はすぐ近辺に広がる森林地帯へと向かう。


 荒涼とした大地を颯爽と駆け抜け、数分ほどで大きな原生林の深緑群が見えてくる。


 レインはバイクの探知レーダーで周辺にレイスロイドの反応がないことを念入りに確認してからそこに進入し、さらに奥へと走行を続ける。密生した木立の間を縫うように巧みな運転捌きで進んでいくと、左右の木々が途切れようとしたところで前方に天をかんばかりに切り立った大きな岩壁が見えてくる。


 そこに深々と埋め込まれるような形で、直径十メートルほどの巨大シェルターの丸い金属扉が存在していた。


 日々侵攻する機類によって為す術もなく追い込まれた、人類最後の領土——《閉鎖地下世界アンダーグラウンド》だ。


 レインは素早くブレーキをかけてバイクを停止させると、まずナツリを後部座席から降ろす。それから近くで繁茂した草薮くさやぶの中にクルーザーを隠し、念のためしっかりと施錠しておく。


 ナツリとレインは森の中から堂々と姿を現すと、シェルターの両脇に如何にも暇そうに控えていた、反乱軍指定の黒い野戦服を着た二人の歩哨ほしょうに歩み寄る。


 目深に被っていた外套のフードをさっと取り、ナツリは彼らに軍の身分証明書を呈示する。


「急遽任務でここの調査に来たわ。早速通してちょうだい」


 無愛想な口調で話を切り出すと、思わず子供が泣き出しそうな強面で一人の男がこちらにずかずかと詰め寄ってくる。


「あぁん? なんだ、いつもの生意気なガキかよ……。相変わらずその減らず口は健在だな、ったく……。さっさと通りやがれ」


 酷くがっかりした様子で肩を落とし、唇を尖らせて不満を洩らす。


「——ちょっと待ってくれ」


 不意に、もう一人の歩哨の男が透かさず話に割り込んでくる。


「一応念のため、そっちの奴のフードの下も見せてもらおうか。万が一ということもあるんでな」


 意地の悪い口調でそう言って、今も不気味にフードを被ったままのレインに懐疑の目を向ける。


 レイスロイド、という言葉を聞いて好意を抱く人間は、余程物好きでもない限りやはり軍人の中でもあまりいないのは事実だ。それ故、なるべく彼の正体を明かさずに面倒事は避けたかったのだが。


 ナツリは露骨に面倒くさそうに嘆息する。


「はあ……とことん疑り深いわね。——しょうがないから、あんたの顔を見せてやりなさい」


 そう許可を与えると、レインは無造作にフードを脱ぎ取り、彼の端整な顔が包み隠さずあらわになる。


 すると、その美しい容姿を見た男たちが、突然訝しげに眉をひそめる。


 一体何を考えたのか、彼らは突拍子もないことを口にした。


「……ん? なんだ、その派手な青い装備は? よく見たらただの可愛い女じゃねぇか」


「ああ……。よかったら今夜、俺たちと一緒に一杯飲みに……」


「…………」


 あからさまに不機嫌な顔をしている青年を見て、ナツリが慌てて口を挟む。


「あははは……この子そういうナンパ行為は苦手だから、潔く諦めることをお勧めするわ。しつこい男は嫌われちゃうわよ?」


「……ケッ、つれねぇ女だな」


 可愛げもなく愚痴をこぼし、男たちはさっさとその場から離れていく。


 ひとまず彼らが諦めてくれたことに、ナツリはホッと胸を撫で下ろす。当の本人に関しては、女と勘違いされて全然納得していないようだったが。


 男の一人が脇に収納したトランシーバーを取り出し、それに荒い声で呼びかけると、シェルターの内側で待機している兵にハッチを操作するよう指示を出す。


 すると直後、軋むような重々しい金属音を大きく響かせながら、巨大シェルターの重厚な鉄扉てっぴが徐々に左右に開いていく。


 たっぷり数十秒ほどかけ、目の前にようやく深淵のような大穴がその姿を現す。


 心許ない蛍光灯の道標だけを頼りに、坑道に似た暗澹あんたんたる一本道が続いている。


 ここが、奈落の底に通ずる唯一の入り口だ。


 ナツリとレインは微塵も臆することなく、慣れた足取りで洞窟の中に入り込んでいく。すぐに背後でシェルターの扉の閉まる音が反響して耳に届いてくると、外からの自然光は完全に遮断される。


 ここから先は、洞窟内の灯りだけを頼りに奥へと進んでいく。


 天然の冷たく湿った空気が広い空間をたっぷり満たしており、外の茹だるような暑さに比べれば快適なほどに涼しい。まともに舗装すらされていない道とも言えぬ道が延々と続くが、数分も歩けば周囲の景色ががらりと一変する。


 突如現れたスラム街のような猥雑な路傍には、誰がどこから運び込んだのかも知れぬ山積したスクラップの住み処が不安定に立ち並んでおり、もはや浮浪者と化した大勢の人々が己の体裁など気にすることなく平然と地面に横たわっている。辺りから漂うえた臭いが否応なく鼻を突き、ここを通る時はどうしても不快な感情が顔に出てしまい、やはり不衛生な環境であることは否めない。


 一体どこの誰が言い出したのかは知らないが、世界の掃き溜め、とは実によく言い表したものだ。


「それにしても、ホントいつ来ても陰気臭い場所ね」


 レインの隣を歩きながら、ナツリが冷淡な口調で毒づく。


 閉鎖地下世界アンダーグラウンドは、迫り来る機類の脅威から身を隠すために急造された人類最後の避難施設だ。二年前に世界崩壊アストラル・コラプスが始まってから僅か半年という極めて短期間で掘削された施設で、洞窟の全長はおよそ一キロメートルの範囲にも及ぶという。人類は地下での生活を強制的に余儀なくされ、事実上の閉鎖的社会へと瞬く間に追い込まれてしまった。一日に一度軍によって地上から水と食料が支給されるが、今でも衣食住すら不安定でままならない状況が続いている。


 さらに歩き続けること五分。


 二人が長いトンネルを抜けた先に待っていたのは、地下に造られたとは思えぬほどの大規模空間だった。


 十メートル以上はあろうかというコンクリート製の巨大な円柱が何本も等間隔に整然と立ち並んでおり、その様はある種の古代神殿のような荘厳な雰囲気を感じさせる。唯一この空間だけは壁や天井に無数に空いた小さなあなから地上の光が射し込んでいるが、それでもこのよどんだ空気を払拭するには到底至らない。閉鎖地下世界は人々の安全確保のために止むを得ず地上から隔離されているが、こんな閉塞感を覚える場所にいつまでも監禁され続ければ嫌でも気が滅入ってしまいそうだ。


 林立した石柱の下にはどこも黒山の人だかりがぎっしりと取り巻いており、身を寄せ合うようにして皆一緒くたに集まっていた。


 ナツリとレインは、その間を足早に通り過ぎていく。


 大人も子供も皆一様に力なく地面に座り込み、まるで屍のようにぐったりと寝込んでいる。中には水と食料欲しさにか、今となってはなんの役にも立たない硬貨や紙幣、おまけにシケモクまで売りつけようとしている者もいる。


 ここにいる誰もが、先の見えない絶望に打ちひしがれている。


 一日も早くこの辛い状況から彼らを解放してあげたいと心底思うが、現実は思うように明るい方向にはなかなか進展してくれない。せめて今の劣悪な生活環境を少しでも変えていくためにも、自分たち軍は日々改善に努めていかなければならない。


 その悲痛な光景をひとつひとつ見送りながら物思いにふけっていると、ふとナツリはぴたりと足を止める。


 彼女が目を付けたのは、中央の石柱群から少し離れた場所の岩壁にもたれて一人寂しく座り込んでいる、まだ十の年にも満たぬであろう少年だ。全身のあらゆる肉を削ぎ落とされて酷く痩せ細った彼の身体はくっきりと肋骨ろっこつが浮き出ており、見るからに痛々しいものを感じさせる。


 ナツリは少年の前に静かに近寄ると、その場でそっとしゃがむ。


「どうぞ。あんまり美味しくないけど、多少腹は膨れると思うわ」


 優しくそう言って微笑みかけながら、ウエストポーチから取り出した携帯口糧レーションのシリアルバー三本を彼に差し出す。


 この極限状態では食料を分け与えてくれる余裕のある人間など他にいるはずもなくさすがに少し不審がられたが、少年はやがてためらい気味にそれらを受け取る。


 虚ろな瞳にほんの僅かな生気の光を宿し、不思議そうに訊いてきた。


「……いいの?」


「うん。でも皆には内緒よ?」


 可愛らしく唇に指を当てて、ナツリはぱちりと彼にウインクする。


 少年は素直に頷いて立ち上がると、「ありがとう、お姉ちゃん」と屈託のない笑顔で一言言い残し、地下世界の闇の中へと消え去っていった。


 そのやり取りを傍から見守っていたレインは、やれやれといった様子で深く嘆息した。


「まったく……どこまでお人好しなんだお前は。あんな物、一時的な空腹凌ぎにしかならんだろう」


「そうね。これは私の単なる自己満足だけど、あれで今日あの子が少しでも幸せになれるならそれでいいわ」


 清々しくそう納得し、ナツリは歩を再開させる。


 二人は颯爽と大空間を横切り、もう一度大きな洞穴に入る。ナツリの腕時計のデジタルマップを頼りに、仄暗い洞窟の奥へとひたすら進んでいく。


 進むに連れて辺りの人気が次第になくなり、蛍光灯の数も極端に少なくなって光が薄れてくる。実際何度かここの調査で潜り込んだことはあるが、こんなに奥まで来たのは今回が初めてだ。一体自分がどこを歩いているのかも判断がつかないぐらい周囲の闇が濃くなると、ついに人影どころか灯りまで完全になくなってしまう。


 ナツリはポーチからいざという時のための懐中電灯を取り出し、電源を入れて点灯する。暗闇に閉ざされた道を強烈な光の輪が明るく照らし出すと、ここからはさらに慎重に歩を進めていく。


 底知れぬ淵の不気味さに動悸が激しくなりながらも、閉鎖地下世界アンダーグラウンドに潜り始めて約二十分。複雑に入り組んだ隘路あいろを抜けた先に、ようやく一つの突き当たりに出る。


 しかしそこに待っていたのは、レジスタンスたちの根城どころか人っ子一人いない、虚しく不法投棄された大量のゴミの山だけだった。


 不思議そうに小首を傾げ、ナツリは思わず困った顔で唸る。


「うーん……おかしいわね……。地図通りだとルートはここまでなんだけど……」


 腕時計の端末マップにはレジスタンスのアジトまでのルートを示す青いラインの道がしっかりと表示されているが、不可解なことに確かにここで途切れている。


 そういえば、とナツリはマーシャルから伝言を預かっていたことをふと思い出す。


 慣れた手つきで素早く端末を操作し、メールフォルダから一通の手紙を開く。


「なになに……行き詰まったら付近の壁を調べろ、だって」


 とりあえずその通りに岩壁から天井まで懐中電灯でくまなく照らしてみるが、一見特に変わったところは見当たらない。


 本当にここで合っているのだろうか、なんだか急に不安になってくる。


「おい」


 不意に、傍らからレインにつっけんどんな声で言われ、彼は付近の左手岩壁の下側を鋭く指差す。


 ナツリはそこに懐中電灯を向ける。


 暗闇で全く気づかなかったが、よく見るとここの岩壁だけ何やら黒い布で見事にカモフラージュされている。しかもこの位置ならまず正面のゴミ山のほうに目が行ってしまい、普通の人間なら絶対に気づくことはないだろう。


 とりあえず布をめくってみる。


「こんなところに……」


 そこには、大人が腹這いになればぎりぎり通れそうなだけの小さなうろが空いていた。しゃがんで中を覗き込むと、これまた見事に五メートルほど先まで穴が貫通していた。


 一体いつの間にこんなものを造っていたのだろうか。もはや呆れを通り越して感心の言葉しか出てこない。


 先にレインから匍匐前進で穴に入り、続いてナツリもその後を追う。窮屈な抜け穴に上手く身体が引っかからないようにしながら、どんどん奥へと突き進んでいく。レインが通路の出口に誰もいないことを確認し、二人は素早く穴から抜け出る。


 ここの通路だけご丁寧に簡易照明がしっかりとしつらえられており、途中で折れ曲がった道が奥まで続いている。どうやらこの先にレジスタンスのアジトがあると見てまず間違いなさそうだ。


 万が一の時に備えてレインを先頭にし、ナツリは先ほど以上に警戒した足取りで前へと進んでいく。


 すぐに曲がり角に差しかかると、二人はこっそり通路の奥を覗く。


 焦げ茶色の野戦服を着た二人組の男が、奥にある細い通路の手前で仁王像のように厳然と控えているのが見えた。


 間違いなくここ閉鎖地下世界アンダーグラウンドを縄張りにしているレジスタンス——《ローンウルフ》のメンバーだろう。特に武器などは携帯しておらず、あれならレインが一緒にいてくれれば何の心配もなさそうだ。


 二人は一切気後れすることなく、男たちの前に堂々と姿を現す。


 こちらの姿を見て身構えた彼らに近づいたところで、男の一人が透かさず通路の前に立ち塞がる。


「合い言葉は?」


 そう問われることはすでに想定済みだったので、ナツリは被っていたフードを即座に脱ぎ取り、予め用意していた軍の身分証明書を容赦なく突き付ける。


 それを見た男は、驚きのあまりに激しく声を上擦らせる。


「ぐ、軍の連中だと!? なんでテメェらがここに!?」


「あなたたちレジスタンスが妙な動きをしてるってこっちに報告が入ったから、私たちが直接調査しに来たの。とりあえずここを通してもらうわよ」


「お、おい!!」


 男は慌てて手を伸ばし、ナツリを力ずくで制止させようとする。


 しかしその瞬間、レインが素早く彼の腕をがっしと掴む。


「なっ……テメェ何しやがる!!」


 男が青筋を立てて物凄い剣幕を見せるが、青年はフードの下から死神めいた眼をぎろりと覗かせると、彼はたちまち怯んだように黙り込む。


 男を乱暴に突き放し、今のうちに二人はお構いなくずかずかと通路の奥に入り込む。


 すると、何やら男の物騒な声が周囲の岩壁に反響し、奥に行くに連れてどんどん大きく耳に届いてくる。


 丸く切り取られた出口から仄かな灯りが見えてくると、ナツリとレインはひときわ広い空間に出る。


 そこには、統一感のない格好をした比較的どれも若い三十人ほどの青年たちが、殺伐とした雰囲気の中で一緒くたに集まっていた。


 その空間の奥のうずたかく山積みになった小さなコンテナの上で、赤茶けた髪に黒のバンダナを頭に巻き、使い古された茶褐色の野戦服を着崩したリーダーらしき青年が、熱く力説している姿があった。


「——事もあろうに、近頃軍の連中は自分たちで開発したレイスロイドを存分に活用し、まるで自分たちの手柄のように侵攻してくる機類どもを蹴散らしている!! だが、これは俺たち人類の戦いだ!! あの日全てを奪った機類どもの力なんかに、俺たちローンウルフは決して頼らねぇ!! 自分たちの力だけで明日への勝利を掴むんだ!!」


 おー!! と男たちは一斉に猛獣のようなたけりを上げる。


「——まだそんなくだらないことを言っているのか」


 不意に、レインが平然とした態度で彼らの前に出ていく。


「馬鹿馬鹿しい。そうやっていつまでもくだらない矜持プライドを捨て切れないお前たち人間は、今日までどれだけそのレイスロイドに苦しめられてきた? 結局レイスロイドに頼る以外に対抗手段を見出だせないまま、日に日に奴らに戦線を押される一方だろう」


 思わぬ正論に痛いところを突かれたのか、男たちはたちまち意気消沈したように一斉に沈黙する。


 突如現れた青年に対し、バンダナの男は動揺して堪らず誰何すいかの声を上げた。


「だ、誰だお前は!?」


 鋭くそう問いかけられ、レインは頭を覆っていたフードをさっと取る。


「お前たちにわざわざ名乗る必要はない。敢えて答えるなら、お前たちの間で流行っている《あおくろがね》とでも言っておこうか」


 その姿と名前を瞬時に認識したのか、男は到底理解が追いつかないように叫んだ。


「あ、青き鉄だって!? なんでこんなところにレイスロイドがいるんだ!?」


「——それは私の口から直接説明させてもらうわ」


 すると、ナツリも通路から堂々と姿を現し、透かさず話に割り込んでくる。


「あなたがレジスタンス《ローンウルフ》のリーダー、カインね。初めまして、私はナツリ=ライト。反乱軍のトラビナ西部第一基地でレイスロイドの研究開発をおこなっている人間の一人よ。今日はあなたたちに用があってここに来たの」


 次から次へと予想外の来客の登場に、カインは面食らったように素っ頓狂な声を上げる。


「は、反乱軍!? なんでこの場所がわかったんだ!?」


 それに対し、ナツリは淡々とした口調で説明を続ける。


「先日、あなたたちレジスタンスが最近不審な動きをしている、という情報がここの住人から基地に入ったの。以前から監視対象になっていたあなたたちが今更何を企んでいるのか知らないけど——そのコンテナの中に入っている物次第では、この場にいる全員基地まで連行させてもらうわよ!」


 舌鋒鋭く言い放ち、彼らが今も大事に取り囲んでいる鉄箱の山を指差す。


 これ以上にない決まり手だった。


 軋む音が聞こえてきそうなほどに奥歯を食い縛らせながら、カインはぶるぶると握り拳を震わせる。


「人間のくせに……人間のくせにレイスロイドなんかに依存した、この裏切り者があああああああ————ッ!!」


 激昂のままに絶叫すると同時に、彼は懐に仕舞っていた時代遅れの自動式拳銃オートマチックをナツリに鋭く向けると、素早く撃鉄ハンマーを起こして発砲する。


「……ッ!」


 刹那、レインが高速で鞘走らせた紺碧色の剣が、太刀筋の霞むほどの速度で円弧を描いて閃く。


 少女の眉間に銃弾が届くと思われたその瞬間、それは彼のセイバーの刀身にぶつかって激しく火花を飛び散らし、排出された空薬莢とともに虚しく地面に落ちる。


「なっ……」


 人間では到底真似できない並外れた芸当に、カインの震える手中から黒鉄の塊がカチン、と鈍い音を立てて地面にこぼれ落ちる。


 突然自分に向けて発砲されたナツリは、しかし驚くべきことにその表情一つ変えず、毅然たる色を湛えた瞳で前だけを見据えていた。


「全員、基地まで来てもらうわよ」


 これ以上、レジスタンスたちに無駄な抵抗はなかった。


 三十分後、ナツリが無線機で呼び出した軍の隊員たちに全員連行されると、その場には虚しく静寂だけが残ったのだった。結局コンテナの中身はどれも銃や手榴弾の類いといった一体どこで入手したかも判らぬ危険物ばかりで、これも全て軍がきっちり押収した。




 その一連の騒々しい様子を、少し離れた岩壁の陰でひっそりと窺っていた一人の少女がいた。


「……どうしてこんなところに軍が……?」

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