第一章 善と悪の相剋

第一話 青き鉄

 機暦二二五三年 七月二十五日



 夕闇に包まれた森の中を高速で移動する、一体の機影がいる。


 密生した木々の手頃な枝から枝へと次々に飛び移り、目にも留まらぬ速度で爽快に駆け抜けていく。もうすぐ日没の時刻だが、露草つゆくさ色の機体の主は薄暗い森の中でも落下の危険を一切いとうことはない。玲瓏れいろうたる両の碧眼に搭載された高性能赤外線センサーによって、たとえ濃い夜陰に閉ざされた視界でも鮮明クリアに暗視することができるからだ。


 そしてそれは同時に、遠く離れた基地の管制室で自分を指揮している主にも、現下鮮明な映像データが包み隠さず送られているわけだが。


 不意に、切迫した少女の声が無線通信を介し、青年の耳に大音量で流れ込んでくる。


『——その森を抜けた先に集落があるわ! レイン、急いで!』


「……ああ、わかっている」


 対照的に氷のように冷え切った声で応じ、青年はさらにスピードを上げる。


 目まぐるしい変化で周囲の風景が瞬時に流れていき、一分もかからず広大な森林地帯を一気に突破する。


 幾重にも重なった枝葉の茂りを勢いよく突き破り、レインはくるりと前方に一回転して豪快に着地すると、激しく地面を滑りながら両足で制動をかけて勢いを殺す。


 西方に連なる山脈の遥か彼方には赫々かくかくたる斜陽が静かに沈みつつあり、黒々とそばだつ山々のシルエットの稜線を燃え上がるような朱に染め上げていた。


 そして最悪なことに、すぐ目の前の崖下に広がる集落からはいくつも火の手が上がっていた。


「チッ、遅かったか……!」


 苦々しく歯噛みしながら、レインは微塵も躊躇ためらうことなく断崖絶壁に向かって全力で駆け出す。


 向こう見ずな彼の行動に対し、ナツリがぎょっとしたように慌てて声を上げる。


『ちょ、ちょっとレイン!? そっちは崖でしょ!? 飛ぶならまず——』


 しかし人の忠告に耳も貸さず、青年は思いきり地面を蹴って崖から空中へと飛び出す。


 直後、両足の裏からロケットエンジンのような青炎を爆発的に噴射し、彼の身体がはやぶさの如く水平飛翔する。


 それは、高性能レイスロイドの動力源である新炉心ネオリアクターをフル活用した、高速飛行用の《ブルーフォトン・ブースター》だ。非常に便利な機能だがエネルギーの消費があまりに激しいため、緊急時以外は極力使用を控えるようナツリから予め釘を刺されている。だが今は事態が事態であり、力の出し惜しみなどしている場合ではない。


 左腰にいた鋭利な三角鞘から、レインは素早く剣を引き抜く。


 刃幅約三十センチ、刃渡り一メートルほどの段平めいた機械仕掛けの愛剣——《ラズライトセイバー》が、満を持してその鮮烈な色彩を披露する。あたかも青金石のように淡く透き通った鋭利な刀身が、山嶺さんれいの彼方に沈みゆく落陽の光を浴びて燦然と煌めく。


 するとナツリの怒鳴り声が音割れし、無線機に乱暴に入り込んでくる。


『もう! 万が一ブースターが上手く起動しなかったら、一体どうするつもりだったのよ!』


 文句なら後でいくらでも受け付けるが、今は視界に飛び込んでくる情報で頭が一杯だ。


 地面ぎりぎりでブレーキをかけると、レインは森林に囲まれた集落の入り口の前で軽やかに着地する。


 しかしそこに待っていたのは、もはや直視しがたいほどに酸鼻を極めた光景だった。


『そんな……間に合わなかったの……?』


 今にも消え入りそうなナツリのかすれた声が、絶望とともに耳に流れ込んでくる。


 村中にはすでに大人はおろか子供まで容赦なく手にかけられた状態で倒れており、血河のようなおびただしい血の海がそこかしこに広がっていた。


 今からおよそ十分前、「盗賊たちが襲撃してきたんだ!!」とここの集落に暮らす住人から基地に連絡を受け急いで駆けつけたが、残念なことにもはや現場は惨憺さんたんたる有り様だった。


 誰か生き残っている者はいないのか。あまりに絶望的な状況だが、今はまず生存者の確認を急ごうとした時だった。


「——へへっ、今回はなかなかの収穫だったな!」


 不意に、付近にある一軒の家屋から数人の男たちがぞろぞろと姿を現す。


 全員盗賊のような常磐ときわ色のバンダナを頭に巻いて小汚い半袖半ズボンの恰好をしており、奴らの手にはそれぞれ血まみれた肉厚の山刀が握られていた。住人から聞いていた情報通りの軽い身なりだ。


「……お前たちが全部やったのか?」


 沈着だが微かに憤怒を秘めた静かな声音で、レインは奴らにゆっくりと近づきながら問いかける。


 それに男たちは思わず振り向くと、うちの一人がドスの利いた声を上げた。


「……ああン? 誰だテメェ!? そんな派手なダサい恰好しやがって、テメェもコイツらと同じようになりてぇのか!? ブッ殺されたくなけりゃ、さっさと金目のモンか食いモン出しやがれ!!」


 大方予想通りの返答に、レインは自分の脳裏で憤激の糸の切れるような音が聞こえた気がした。


 つまりこいつらは、ただ単に自分らの身勝手な理由で住人たちを一方的に殺害したというわけだ。


 もはや、弁解の余地など一切なかった。


 刹那、地面に食い込むほどの勢いで右足を蹴り、レインは半身沈み込んだ体勢から一気に前へと躍り出る。


 爽やかなスカイブルーの長髪が美しく乱舞し、消えたと見紛うほどの駿足で男の背後に一瞬で回り込むと、奴の首筋を狙って剣の腹を軽く叩きつける。


「——へ?」


 一体何が起きたのかというような、男は到底理解できない顔で突然身体を前のめりにし、どさりと地面に倒れる。


 あまりの一瞬の出来事に、他の仲間たちも皆一様に間抜けヅラで口を開き、驚愕に目を丸くしている。


 その中のリーダー格であろう大柄の男が、いち早く我に返ったように胴間声を上げた。


「な、何しやがったテメェ!?」


 それに対し、レインは物凄い剣幕でぎろりと奴らを睨み付ける。


 偉丈夫はたちまち顔を青ざめさせると、ふと何かを思い出したように上擦った声で青年に指差した。


「そ、その青い装甲に化けモンじみた強さ……まさかテメェ、噂の《あおくろがね》か!?」


 今となっては一体どこの誰がつけたかも知れぬ通り名に酷く飽きあきしながら、レインは凄みのある怒気を孕んだ口調と目つきで言い返した。


「……だったらなんだ?」


 目を合わせただけでころされそうなほどの強烈な威圧感に、男たちは色めき立つように大きく一歩後ずさる。


 それに対し、リーダー格の巨漢が仲間たちに激しく叱咤する。


「ひ、怯むんじゃねぇ!! こんなガラクタ人形なんかより、人間様のほうが格上だってことを思い知らせてやれッ!!」


 怒声を迸らせると同時に、男たちが一斉に襲いかかってくる。


 レインはまず一人目の男が振り下ろしてきた山刀の一振りを軽くいなし、相手の顔に左の鉄拳の強烈な一撃を見舞う。二人、三人目も続けざまに山刀を振りかざしながら殺到してくるが、やはり軽快な身のこなしで敵の攻撃を小気味よく躱すと、一方の鳩尾みぞおちに拳骨、もう一方には顔面に回し蹴りを遠慮なくぶちかます。さらに性懲りもなく無策で突っ込んできた複数の男たちに対し、レインは地面に両手で剣を突き立てると、それを軸に身体をコマの如く横に一回転させ、奴らの頭を立て続けに蹴り飛ばす。


 気づけば、結局攻撃を仕掛けてきた男たちは全員呆気なく気絶していた。


 まるで歯が立たない青年の理不尽なまでの強さに、残された盗賊たちは一様に戦慄を禁じ得ない様子で顔面蒼白になる。


 煮え滾るような激憤を湛えた瞳で、レインは奴らに鋭く視線を向ける。


「いいか? ここで俺がお前らを八つ裂きにしないだけ、せいぜい有りがたく思え!!」


 怒髪天を衝かんばかりの彼の鬼の形相に、リーダー格の男がついに堪え兼ねたように叫んだ。


「に、逃げろッ!! 本物の化けモンだッ!!」


 なり振り構わず、盗賊たちは森のほうへ一目散に逃げようとする。


 しかし、レインは再び力強く地面を踏み込むと、決して逃がさんとばかりの猛烈な勢いでことごとく奴らを剣で気絶させていく。


 リーダー格の男は意地でもこちらの追撃を振り切ろうとするが、無情にもあっという間に奴との距離が詰まる。


「ひぃいいっ!!」


 後ろを振り返った男の顔が、塗り潰された絶望と恐怖に大きく歪む。


 レインは奴の首が吹き飛ばない程度に加減し、やはり剣の腹で素早く殴りつける。


 ふらり、と男の巨体が前から豪快に崩れ落ち、あえなく最後の一人も無様に倒れた。


 数分後、駆け付けた軍の護送車によって一網打尽にされた盗賊たちは、全員基地へと運ばれていった。残念ながら村人全員の死亡が確認され、完全に人影が消えた集落には黒く焼け残った民家だけが虚しく佇んでいた。


 今回は空腹に堪え兼ねた盗賊たちが食料を求めて集落を襲ったようだが、間接的とはいえそれは自分たちレイスロイドが結果的に招いたことだと考えると、レインはどうしようもなく胸が痛くなった。せめてもの償いという思いで、一足先に冥府へと旅立った村人たちを弔ってやろうと、青年は彼らの亡き骸を埋葬する作業を残った軍人たちとともに手伝ったのだった。


 集落付近の森で全ての作業を終えた頃には、辺りはすっかり夜の暗幕に閉ざされていた。


『——長時間の任務おつかれさま。今夜はもう遅いけど、くれぐれも気をつけてかえってきてね』


 耳の無線機を通し、ナツリが気遣うように労いの言葉をかけてくる。


 しかし、レインはおぼつかない足取りでふらふらと森の中を歩き始める。


 それを見兼ねたように、ナツリは慌てて呼び止める。


『ちょ、ちょっと一体どこに行くのよ……? そっちは基地と逆方向……』


 彼女の言葉に聞く耳も持たず、レインは未だ成仏し切れない亡霊が彷徨うように、鬱然たる木々の夜陰のほうへとゆっくり吸い込まれていく。


 時折吹き抜ける夜風に森が広くざわめき、何とも知れぬ虫の鳴き声がどこからともなく断続的に聞こえてくる。辺りの地面には大量の草木や灌木かんぼくが埋め尽くさんばかりに鬱蒼と群がっており、木々の下には普段この一帯が日陰だと示すように苔や茸がびっしりと生えている。頭上一杯に覆い被さった樹冠の隙間から澄んだ夜空が今夜も綺麗な顔を覗かせ、無数の小さな光点がちかちかと瞬いていた。


 しばらく重い歩を進めているうちに左右の木立が途切れ、青年の視線の先に月明かりに淡く照らされた小さな洞窟が姿を現す。


 そこの前までやって来ると、中は先が見通せぬほどの濃密な闇に不気味に満たされていた。普通の感覚なら入るのもためらうところだが、レインはまるで物怖じすることなく洞窟の奥へと入り込んでいく。


 少し進んだところですぐに行き止まりの岩壁に突き当たると、そこにもたれかかり荒れた岩肌の上にどさりと座り込む。


「……今夜はもうここで寝る」


『そう……』


 無線機の向こうから重苦しい空気がじかに伝わってくると、ナツリは空元気のような声音で言った。


『それじゃ私も、今日はたっぷり睡眠を取らせてもらうわ。さすがに色々あって疲れちゃった……。索敵サーチング睡眠状態スリープモードだけはくれぐれも忘れないようにね。——おやすみ』


 淡々とそう告げ、ぷつりと通信が切れる。


 レインも右腕の操作パネルで彼女に言い付けられた設定に変更すると、早々に眠りに就いたのだった。



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