始動

 機暦二二五一年 七月十四日



 僅か十一の年にして両親をうしなったナツリは、現在のオルティア反乱軍の総司令官であるルナ=マーシャルに身元引受人として引き取られた。


『――今日からここが、お前の職場だ』


 男勝りな口調でそう言われて、早朝からトラビナ西部第一基地の管制塔内でマーシャルに紹介されたのは、無機質なコンソールだらけの窮屈な部屋だった。


『……なんですか、このゴミ屋敷は?』


 秀麗な眉根をハの字に寄せて、ナツリは辛辣な口調で苦言を呈する。


 何だか部屋全体すごく埃っぽいし、床には足の踏み場もないほど大量のコードが散乱しているし、あまつさえ風と光を取り込む窓一つすらない。どうして自分がこんな居心地の最悪な環境で働かなければならないのか。それに、別にコンピューター関連の仕事なんか何の興味もないのに。


 そもそも世界崩壊アストラル・コラプスが始まってからまだ一週間しか経っておらず、未だに今の現実が受け入れられなかった。あれからローエンと別れた後、ナツリとマーシャルはオルティアから車で丸一日かけてどうにかこのトラビナ西部第一基地まで命からがら逃げてきたのだった。


 世界的なレイスロイドの大暴走によってオルティアに限らず、すでに他の各都市でも大半の人間が逃げ切れずに一方的に虐殺されたという。今は軍が用意した基地近くの難民キャンプ場に生存者たちを一時的に避難させているらしいが、そんな危険な状態をいつまでも続けるわけにもいかず現在避難用シェルターを急造中だとのこと。


 そして、肝心の父親も一向に自分の前に姿を見せていない。


 まだ生きているのか、すでに死んでいるのか、それすら知ることをこの非情な世界は許してくれない。たった一日で全てを喪った十一才のナツリにとって、今の現実はあまりに過酷なものだった。


 そんな絶望と嫌悪感をあらわにしている少女を見て、マーシャルは気楽な態度で彼女の肩にポンと手を置く。


『まあそう嫌な顔をするな。お前があの天才科学者ローエン=ライトの娘なら、あいつに近づけるように少しでも努力してみたらどうだ? それからでも辞めるのは遅くないだろう?』


 なんだか丸め込まれているような気がしなくもない適当な口調だったが、確かに今の自分にはここでまともに出来る仕事は何もない。タダ飯を食って惨めに生かされているだけで、ゴミ屑同然の自分に何も生きている価値はない。けれど、もしかしたらこんな自分にも皆のために何かできることがあるかもしれない。


 悩みに悩んだ末、ナツリは無言で小さく頷いた。


 が、さすがにこんな汚い職場では仕事する気すら起きないので、とりあえず部屋の掃除から始めたのだった。


 ナツリに与えられた仕事は、主にレイスロイドの開発と研究、分析といったところだ。幼少期に父からレイスロイドの機構や動作の仕組みなどを教えてもらったこともあり、メカトロニクスに関する基本的な知識はすでに身に付いていた。


 しかし自分がレイスロイドの研究を行えば、お前はまたあの日と同じ過ちを繰り返すのか、と人々は恨み憎み、どこまでも蔑むだろう。


 けれど、正直悔しかった。世界中の人間たちから、まるで父の存在自体をそのまま否定されたようで。


 天才科学者だった父を超えることは、凡庸な自分には難しいかもしれない。途中で何もかもいやになって、全部投げ出してしまうかもしれない。それでもそんな自分の道をまっすぐに信じ続けた彼に少しでも近づけるようにと、ナツリはレイスロイドの研究を一から始めたのだった。


 彼女はレイスロイド研究者としての頭角をみるみる現していき、今や基地一番の最年少研究者および所長として研究開発チームの同僚たちからも全幅の信頼を置かれる立場となっていた。


 色々と経験してきた今だからこそ言えることで、自分はレイスロイドの研究を、父がしていたこの仕事を心から尊敬している。


 軍の仕事にもすっかり慣れて、あの史上最悪の一日からちょうど一年が経ったある日。


 突然マーシャルに仕事の休憩中に呼び出されたナツリは、管制塔内の一角にある喫煙室にいた。


『――受け取れ』


 ぶっきらぼうにそう言って、目の前のベンチに腰掛けたマーシャルは何かの紙を乱暴に投げ飛ばしてくる。


 棒立ちしていたナツリは、慌ててそれを両手で掴む。


『こ、これは……?』


 彼女がいきなり寄越してきたのは、一通の白い封筒だ。


 あくまで軍人のくせに平然と軍用煙草を吸いながら、マーシャルは心なしか呆れたように肩をすくめる。


『一年前の世界崩壊アストラル・コラプスの日、お前の父親ローエン=ライトが別れ際に遺したものだ。お前が十二の年になった際、その手紙を直接本人に渡してくれ、とあの時に頼まれてな。まったく……あいつは死んでもとんだ迷惑な奴だよ。私に自分の娘を押しつけるどころか、そんなボロい紙切れを一年後に渡せ、だなんて厚かましく言ってくるんだからさ』


 口に咥えた煙草の紫煙をくゆらせ、彼女はすーっと細く白い息を吐き出す。


 マーシャルが言うには、何でも父とはナツリが産まれる前からの古い付き合いだったらしい。一体どういう接点で知り合ったのかは判らないが、今でこそ平気な顔をしている彼女もきっと当時は相当心に深い傷を負ったに違いない。


 すると打って変わり、マーシャルは急に神妙な面持ちになる。


『すでに封筒の中身は確認させてもらった。中に書かれたもの﹅﹅をどう使おうがお前の勝手だが、一つだけ条件がある。もしこれが今の衰退した反乱軍に光明をもたらすなら、人類の即戦力として強制的に協力してもらう。――約束は果たしたぞ』


 そう言い残し、スタンド灰皿に煙草を捨てて足早に喫煙室から出ていく。


 凛々しい彼女の背中を静かに見送り、ナツリは封筒の中身を早速確認する。


 出てきたのは、一通の手紙とどこかの場所を記した地図、それに銀色の薄いカードキーだ。


 当時の緊迫した状況を如実に物語るように金釘流かなくぎりゅうのような粗い字で書き綴られた手紙に、ナツリはじっくり目を通す。


『……どうやらマーシャルの奴は、ちゃんと無事約束を守ってくれたらしい。一体何から伝えればいいかわからないが、そうだな……。ひとまず十二歳の誕生日おめでとう、ナツリ。残念なことに、お前がこの手紙を読んでいるということは、おそらく私はすでにこの世には存在しないのだろう。もう少し我が子の成長を見守ってやりたかったが、それも叶いそうにないらしい』


 聞こえないはずの父の懐かしい肉声が脳内で明瞭に再生され、少女の真紅の瞳にうっすらと涙が浮かぶ。


 それでも万感の荒波に押し流されないようにと、ナツリは必死に最後まで手紙を読み進める。


『私にはもう時間がない。レイスロイドをこの世に生み出したのが自分である以上、私には最後まで彼らを止める責任がある。もしもの時のために、私の個人研究所から南に進んだところにある山岳地帯に秘密の研究施設を造っておいた。仮にお前がこんな腐ってしまった世界でも誰かを助けたいと思ったのなら、私が造り上げたレイスロイドの最高傑作――《レイン》をお前にやろう。これがあの日、お前の誕生日を祝うことができなかった私からのせめてものプレゼントだ』


 正真正銘父の筆跡に、彼女の瞳からついに一筋の涙が流れ落ちる。


 しかも一番驚いたのは、今日までマーシャルが父との約束を決して破らなかったことだ。もしかしたらこのレインというレイスロイドの力が今の人類の切り札になり得たかもしれないのに、彼女はこの一年間ずっとひたすらに待ち続けてくれていたのだ。今は亡き親友との約束を、ただ一心に守るためだけに。


 きっと父も内心すごく不安だったのだろう。レイスロイドに心を深く傷つけられたまだ幼いナツリに、同じ存在であるレイスロイドを安易に譲り渡すということが。


 涙腺から生ぬるい水がせきを切ったように滴り、幾重にも手紙に染み込んでいく。自分の上司が捨てていった吸い殻の残り香だけが、唯一少女を慰めるように喫煙室にひっそりと漂っていたのだった。


    ∞


 数時間前のマーシャルとのやり取りを遠い過去のことのように思い返しながら、ナツリは形見の写真をウエストポーチに仕舞い、足早に父の研究所を立ち去る。


 外に停めていた愛用のオフロードバイクに再び跨がり、次は南に連なる広大な山岳地帯を目指す。カーナビに読み込んだ父の地図だけを頼りに、濃い日陰に覆われた薄暗い峡谷の奥へとどんどん入り込んでいく。


 横転や落石などに充分注意しながら数分ほどで目標地点の山岳の入り口までやって来ると、ここでバイクとは一時お別れし、この先は徒歩で上を目指す。


 急峻な荒れた斜面を一歩ずつ踏み締め、ナツリはゆっくりと着実に山道を進んでいく。普段から部屋にこもって仕事をすることが多いせいか、想像していた以上に身体が重い。すぐに口が開いて息が上がり、まるで足に鉛でも付いたかのように容赦なく疲労が溜まってくる。加えて今の時期が初夏ということもあり、全身の汗腺から噴き出す滝のような汗が一向に止まらない。日没の時刻まですでに一時間もないので、もう少しペースを上げなければ。


 ナツリは決して慣れない足で険しい山道を歩き続ける。


 すると少女の目の前に、更なる過酷な光景が立ちはだかる。


「げえっ……ここも渡るの……?」


 そこにはもはや山道とは呼ぶには程遠い大人ひとり分の道幅しかなく、気づけばすでに崖の高さは数十メートルほどにまで達していた。


 ここから落ちたらまず助からないだろう。


 思わず足がすくみそうになりながらも、ナツリは慎重に一歩ずつ前に進もうとした時だった。


「――きゃっ!?」


 突然踏み込んだ右足の地面が沼のように深く沈んだかと思うと、次の瞬間、崖側に身体がぐらりと傾いてしまう。


 ――まずいッ!!


 ナツリは咄嗟に伸ばした左手で、傍らの岩壁をがっしと掴む。


 辛うじて左足で地面に踏ん張り、危うく落下という最悪の事態は免れる。崩れた岩壁の大きな破片がそのまま下に落ちていったが、いつまで経ってもその反響音が返ってくることはなかった。


 早鐘のように動悸が激しくなったまま、少女は足が脱力したようにその場にへたり込む。


「もう! よりにもよってなんでこんな危険な場所なのよ!」


 研究所を建造した今は亡き本人に、堪らず文句をぶつける。


 それでもなけなしの気力を振り絞って立ち上がり、ナツリはどうにか歩行を再開する。腕時計の端末のデジタルマップだけを頼りに、横長く連なる巨大な断崖絶壁を慎重に伝いながら歩き続けること、およそ三十分。


 前方左手の岩壁に、ぽっかりと大きな穴が空いているのが見えてくる。


 曲がりなりにも命を落とすことなく岩壁の裏側まで辿り着くと、ナツリはこっそり洞窟の中を覗き込む。


「こんなところに……」


 そこには、明らかに人工的に造られたであろう高さ二メートル、横幅三メートルほどの金属製の四角い大きな扉があった。


 改めて洞窟の入り口を見回すと、もし誰かに山岳の下から見られようともこの外部構造なら外の岩壁によって洞窟が死角に入り込んでおり、こんな危地まで足を運ぶような相当な物好きでもない限り絶対に気づかれることはないだろう。


 とりあえずナツリは扉の前に静かに歩み寄る。


 すぐ脇にはカードリーダーのような古びた端末装置が据えられており、そういえば、とあることを思い出す。


 詰襟の懐から白い封筒を取り出し、中に入っていた銀色のカードキーを引き抜く。それをカードリーダーに滑らかにスライドさせると、予想通り次に指紋と網膜認証を要求される。


 ここの研究所の関係者ではないのでさすがにどうしたものかと一瞬考えたが、一応試しに専用の読み取り機で指紋と網膜スキャンをおこなってみる。


 果たして、【ロック解除】という無機質な合成音声とともに突然重々しい音を上げながら、ゆっくりと左右に扉が開かれる。


「…………」


 これにはナツリも怪訝気味に眉をひそめる。


 まさか自分の身体の一部が研究所の鍵に化けるとは夢にも思わなかったが、万が一本人以外の人間が訪れた時を考慮して予め対策していたのだろうか。さすがに最重要レイスロイドが保管されていることだけあって、警備システムのほうは誰が来ても万全の状態らしい。


 施設内は完全に真っ暗になっており、奥の様子は全く判らない。


 周りに音が聞こえそうな勢いでごくりと唾を飲み込むと、ナツリは意を決して暗闇の中に足を踏み入れる。


 途端、赤外線センサーが反応したのか、突然通路の天井に取り付けられた蛍光灯が眩く目を覚ます。まるで少女を導くように、長い通路の奥に向かって照明が次々と点灯されていく。


 その人工光に誘われるままにしばらく歩き続けると、すぐに彼女の前に再び無機質な鋼鉄の扉が現れる。傍にはまた端末装置が設けられており、近づくと今度は合成音声に名前の入力を要求される。


 ここでもナツリは慣れた手つきで端末の液晶キーボードに指を走らせ、画面の入力欄に自分の名前を打ち込む。


 するとやはり先ほど同様に、二枚の分厚い扉が耳障りな金属音を上げて左右に開かれる。


 ここも薄闇に満たされており、中の様子はよく判らない。


 ナツリは欠片ほどの勇気を精一杯振り絞ると、暗がりの中に大きく一歩踏み込む。


「うっ……」


 直後、虹彩を射貫くような強烈な光に、思わず目を細める。


 床中には赤青黄色などの太いケーブルが蛇の如く這い回って散乱しており、室内は少し窮屈めに感じる小さなスペースに大量のコンソールが半ば埋まる形で所狭しと並んでいた。


 だが真っ先に目を引いたのは、無数の配線が寄り集まった状態で中央の壁に立て掛けられた大きな棺桶コフィンだ。ハッチが完全に閉じているため、中身がなんなのかほとんど見当がつかない。しかしコフィンの大きさから判断して、父が遺した手紙に書いてあった通りなら……。


 ナツリはおそるおそる棺の前に近づく。コフィンの側面をためつすがめつ調べ、そこに取り付けられた赤い小さなボタンを押す。


 ピー、という甲高い電子音とともにロックが解除され、シュー、という鋭い噴出音を上げてコフィンの隙間から中の冷気が一気に外へ溢れ出す。ゆっくりとハッチが手前に持ち上がると、濃密な白煙の中からようやくその正体を現す。


 なんと綺麗な少女――否、少年だろうか。


 細雪ささめゆきの如くきめ細やかな白皙はくせきの肌に端整な顔立ち、両の瞳は静かに眠るようにその瞼を閉じていた。顔以外の全身は鎧めいた天色の装甲をまとっており、まるでドーベルマンの耳のように頭部の左右から後ろに突出した三角形の二つの触角に、何よりひときわ目を引くのは自然の流水を想起させるライトブルーの長髪。


 あまりの神秘的な美しさに、ナツリは思わず息を呑む。


 今まで数々のレイスロイドたちを実際この目で見てきたが、かつてこれほど精巧な造りのそれは見たことがない。一年前にレイスロイドの研究開発の仕事に就いた、今だからこそ解る。


 父ローエン=ライトは、紛れもない天才科学者の一人であった、と。


 自分と同じほどの大きさの青年の身体を、ナツリはそっと抱き寄せる。途端、彼の身体に残ったささやかな冷たさが、ひんやりと肌に優しく伝わってくる。


 少女は、機械仕掛けの青年の耳許に吐息を当てて囁いた。


「あなたがレインね……。これからよろしく……」


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