世界崩壊

 機暦きれき二二五二年 七月七日



 この痩せきった不毛の地は、無限にも等しい量の水を欲している。


 真っ先にそんな印象を抱くような、見渡す限りどこまでも荒廃した大地。干からびた木や草、朽ちた岩や瓦礫だけが所在なげにそこらじゅうに転がっており、周辺に街や建造物などの視界を遮るものは一切見当たらない。まるで湿気の感じられない乾いた風が飄々ひょうひょうと吹きすさび、時折遠方で荒れ狂う砂塵が派手に巻き上がる。遥か地平線の彼方では、琥珀色の夕陽がすでに世界に影を落とそうと刻々と沈みつつあった。


 あたかも世界の終焉が訪れる前触れのような荒み切った眺望——いや、その表現は相応しくなかったと訂正しよう。実際にもう迎えたのだ。


 一年前のあの日、《機類きるい》が突如起こした未曾有みぞうの大暴動によって——。


 茫漠たる世界の果てまで一直線に延々と続く、今はもう使われなくなってしまった永久高速道路エターナル・ハイウェイ。そこかしこにひび割れ陥没したアスファルト舗装の広い幹線道路を、白地に赤い染め抜きのフルフェイスヘルメットをかぶった黒軍服の少女が乾いた風に真紅の長髪をなびかせながら、同じく紅白基調の意匠の派手なオフロードバイクで颯爽と走行していた。


 不意に、バイクのハンドルに取り付けられたカーナビから抑揚の乏しい合成音声が流れてくる。


『前方およそ百メートル先、赤い道路標識を右方向です』


 感情の欠片もないナビゲーターにそう指示され、少女はちらりと端末装置を確認する。


 鮮やかな光学スクリーン上には、道路から外れてずっと南下した赤いポイントまで青いラインが続いており、どうやら目的地はそこにあるらしい。無惨に半ばからへし折れた道路標識がすぐに見えてきたところで、少女は車体にハンドルを切らせて大きく右に曲がると、道路を外れて吹きさらしの荒野に躍り出る。


 途端、地面に転がった小石や瓦礫を思いきり踏み付け、バイクが飛び跳ねるようにがたがた揺れる。どうにか横転しないように巧みな運転捌きで車体を制御しながら、少女は荒れ果てた道なき道を難なく駆けていく。


 トラビナ西部第一基地を出発してからおよそ二時間が経過したところで、ようやく前方正面に白い小さな建造物が目に入り込んでくる。おそらく、あれが父の使用していた研究所ラボラトリーだ。


 さびれて佇むドーム型の建物の前までやって来ると、右手のレバーのフロントブレーキをかけてバイクを停める。


「やっと見つけた……」


 どこか感慨深げに無意識に呟く。


 バイクのミラーにヘルメットとゴーグルをかけ、少女はラボの出入り口の赤錆びたタラップを上る。


 乱暴に蝶番ちょうつがいごと壊された玄関の扉は開けっ放しのまま虚しく放置されており、中は泥棒に荒らされたかのように何かの研究資料や文献が床中に散乱していた。


 とりあえず部屋に誰もいないことを確認し、土足のまま室内に踏み込む。今や人が生活していたような面影は微塵もなく、乱雑と空虚だけがこの場に忘れ去られたように寂しく取り残されていた。何か貴重品はないか、少女は部屋中の棚や物入れなどを念入りに物色する。


 ふと、割れた窓際のデスクの上に置かれた、一枚のひび割れの写真立てに目が留まる。そこには実家の一戸建てを背景に少女の父と母、そしてその間に挟まれる形で幼い頃の自分——ナツリ=ライトが晴れるような笑顔で一緒に写っていた。


 しかし、今の彼女はその眩い面影もなく凄愴な面持ちでデスクの前に歩み寄ると、そっと写真を手に取る。


 一年前のあの史上最悪の一日から、世界の秒針はずっと止まったままだ。


    ∞


 機暦二二五一年 七月七日



 機暦——。今やそう呼ばれるほどに爛熟らんじゅくし切った世界は、どこもかしこも多様な精密機械で溢れ返っていた。


 世界の外側から飛来したとされる希少鉱物ゼノライトの歴史的な発見により、ありとあらゆる産業は加速度的に高度な発展を遂げ、人々は日常生活に於いて大抵のことには困らなくなった。


 さらに当時はまだ珍しい学問分野だった知識工学の人工知能AIの研究に日夜励んでいた、世界でも一握りの天才科学者ローエン=ライト。彼によって人類の長年の目標でもあった《AIの自我の確立》に遂に成功し、これまで机上の空論でしかなかった自我を宿した人型機械——《人種に似たようなもの》、という意味の込められた《機類レイスロイド》が満を持して開発された。人々の生活を豊かに向上させる機類は瞬く間に世界に普及し、もはや外を歩けばどこにでも見かけるような身近な存在となり、とうとう人類と共存するまでの夢の社会となった。


 ここ大都市オルティアは、数多ある都市の中でも科学技術の最先端を行く街だ。華やかな市街を中心に周辺一帯に銀灰色の工業地帯コンビナートが長々と連なり、その外周部を取り巻く寂寞せきばくとした荒野が果てしない広がりを見せている。


 ローエンの娘である当時まだ十一歳のナツリは、都心の高級住宅街にいらかを並べる民家の中の一軒に住んでいた。


 物心ついた頃に母が難病で他界し、今は父と二人だけでこの一戸建てで一緒に暮らしている。二階の自室の窓際の勉強机で行儀よく椅子に腰掛けながら、今日も彼女は学校で出された課題を黙々とこなしていた。


 勉強は、別に嫌いじゃない。身に付けた知識は日常生活にちゃんと役立つし、自分がこれまで知り得ることのなかった情報を学べる絶好の機会だからだ。その強い学習意欲のおかげもあってか、小学校のテストの成績はいつも学年トップの座を独占させてもらっている。


『ふう……』


 一つ課題を終えたところで一旦手を止め、ふとナツリは窓の外に目を遣る。


 茜色の夕映えの美しい白亜の石造建築群の街並みが隙間なく広がっており、紅と菫の二色の混沌とした曇天がどこか不気味さを表すように燃え上がっている。毎日のように見慣れた景色だが、今日のような素晴らしい眺めはなかなかお目にかかれることはない。


 数分ほどつい見とれてしまい、気づけば部屋の壁時計はもうすぐ午後六時に差し掛かろうしていた。今日は珍しく父が早く仕事から帰ってくる予定なので、夕飯前にはちゃんと全部宿題を片づけておかなければ。


 そう、なぜならこの日は、今年で十一歳を迎えるナツリの誕生日だからだ。


 こんな寂しい家庭でも、自分のことをちゃんと祝ってくれる人が身近にいる。時折お母さんのことを思い出すとどうしようもなく胸が切なくなるけど、今はお父さんが傍にいてくれるだけでこれ以上にない幸せだった。


 もう一踏ん張りだと気合を入れ直し、ナツリは再び勉強に手をつけようとする。


 だが、世界が勢力均衡を保っていたのは、まさにこの瞬間までだった。


 突然、異常をしらせる甲高い警報音アラートが、都市全体にけたたましく鳴り渡る。


『……ッ!?』


 何事かと、ナツリは椅子を蹴倒しそうな勢いで立ち上がり、慌てて窓の外を覗き込む。


 街の中央に大きく佇む縦長の黒曜石モノリスのようなセントラルタワーからは、いくつも大量の黒煙が立ち上っていた。


 あそこはお父さんの働いている職場の研究所だ。一体何が起こっているのか、ナツリは総毛立つほどの嫌な予感が全身を駆け抜けた時だった。


 不意に外から、絹を裂くような女性の鋭い悲鳴が聞こえてくる。


 家のすぐ前の大通りにおそるおそる視線を向けると、そこには一体のレイスロイドが今にも倒れそうなおぼつかない足取りでふらふらと歩いていた。全身のほとんどを群青色の薄い装甲に覆い、顔や腕などの人工皮膚は人間と同じ肌色をしている。


 そして彼の向かう先には、地面に尻餅をついた一人の若い女性が不恰好に倒れていた。よく目を凝らすと、彼女のお腹はぽっこりと丸く膨れ上がっており、見る限りどうやら妊婦のようだ。


 この時までナツリは、レイスロイドはあの女の人を親切に助けようとしている、と勝手ながらそう思い込んでいた。


 だが信じられないことに、突然レイスロイドは立ち上がれない女性に向かって手に提げたバールのようなものを、今まさに振り下ろさんとばかりに両手で高々と掲げたのだ。


 すでに絶望に塗り潰された表情で泣き叫びながら、女は体裁など構わず必死に懇願する。


『お願い!! お腹にはまだ赤ちゃんがいるの!! だから命だけは……命だけは助け——』


 しかし、その言葉を最後まで聞き入れることはなく、レイスロイドは無慈悲にも鉄梃かなてこを打ち下ろす。


 女の腹に鈍い音を立てて鋭利な金属の先端が勢いよく突き刺さった瞬間、赤い風船が破裂したかのように大量の鮮血が辺りに激しく飛び散る。


 しかもなんたることかこれだけに飽き足らず、レイスロイドは悲鳴を上げ続ける女性に何度も鉄梃を叩きつける。どう見てもすでにショック死しているにもかかわらず、彼は狂ったようにその常軌を逸した行為をやめようとはしない。


『うそ……』


 眼下で行われている一方的な惨殺に、ナツリは魂を抜かれたように床にがっくりと膝が崩れ落ちる。


 信じられなかった。誰よりも従順なレイスロイドは、人間はおろか他の生物にさえ無闇に殺すような真似など絶対にしないはずなのに。


 人間と同様にレイスロイドにとっても、他者の生命を奪うという行為は何よりも最大の禁忌タブーだ。過去に不運な事故によってレイスロイドが殺人を犯してしまった事例はいくつかあるが、憎悪や怨恨、鬱憤といった負の感情で自発的に誰かを殺害したことは一度たりともない。たとえ無益な殺生でなかろうが、機類の他者への殺傷行為はセントラルタワーのレイスロイド中枢管理システム——通称《マザーオベリスク》によって全て制御されているからだ。


 だが今、知性や理性の欠片すら感じられないレイスロイドが、己の本能の赴くままに完全に暴走している。あれではただの狂った人形ではないか。なぜこれほどまでに恐ろしい事態が起こっているのか、いくら考えても答えに辿り着くはずもない思考を延々と繰り返していた時だった。


『——ナツリ、無事か!?』


 不意に、息急き切った声とともに部屋の扉が勢いよく開け放たれると、白衣を着た黒い短髪の父親——ローエン=ライトが慌てて中に入り込んでくる。


『お父さん……!』


 その姿を見たナツリは息を吹き返したように立ち上がり、真っ先に彼に駆け寄る。


 勢いよく胸に飛び込んできた自分の娘を、ローエンはそっと優しく抱き留める。


『怪我はないか?』


『うん……。それより何が起きてるの……?』


 不安げに訊いた少女の小さな肩にローエンは両手を乗せると、真剣な眼差しで彼女と向き合う。


『いいかナツリ、落ち着いてよく聞け。今この街のレイスロイドたち——いや、全世界のレイスロイドたちは皆、なんらかの原因で暴走を起こしている。ここに長く留まれば、いずれお前の命も危険に晒されることになってしまう。急いでここを離れるんだ。立てるか?』


 こくりと頷き返した娘の華奢きゃしゃな腕を握り、ローエンはすぐに彼女を部屋から連れ出す。


 二人は急いで一階まで階段を駆け下りると、開けっ放しの玄関から一気に外に飛び出る。


 家の前の車道には屋根なしのオリーブドラブのオフロード車がぞんざいに横付けされており、その後部座席の上から黒い軍服を着た銀髪の女がレーザー拳銃を立て続けに発砲し、後ろから追ってくる大量のレイスロイドたちをひたすら牽制しているところだった。


『おいローエン、なに油売ってやがった!! とっとと乗りやがれ!!』


 とても女とは思えない乱暴な口調で怒鳴られながら、ローエンはナツリの小さな身体を持ち上げて車の後部座席に乗せる。


『俺の娘だ。この子を頼む』


 あくまで冷静にそう言って、白衣のポケットに入れていた白い封筒を女に手渡すと、素早く耳打ちする。


『なっ……まさかお前、最初から研究所に戻るつもりだったのか!?』


 虚を衝かれたように愕然とした様子で、彼女は思わず荒く聞き返す。


 ローエンは微かに口のを上げ、心なしか不敵な笑みを浮かべる。


『俺にはまだやり残したことがある。あとは頼んだ、マーシャル』


 いつもの彼らしくないことを告げ、精一杯の勇気を湛えた顔で自分の娘に改めて向き直る。


『ナツリ、お前は必ず生きろ。今日は大事な誕生日だったのに、一緒に祝ってやれなくてごめんな』


 どこか悔やむような声音で最後にそう言い残し、ローエンは街の中央に黒々とそびえ立つセントラルタワーのほうに向かって勢いよく駆け出す。


『お父さん!!』


 ナツリが虚空に手を伸ばして叫んだ直後、彼の周辺の地面が噴き上がるように立て続けに爆発が巻き起こる。


 そのままローエンは、濃密な爆煙の中に一人消えていったのだった。




 結局それを最後に、ローエン=ライトは二度とナツリたちの前に姿を現すことはなかった。


 レイスロイドたちが暴走した原因は、一年経った今でも依然不明のままだ。一説には彼らが水面下で反乱計画を企てており、一斉に反旗を翻したとも言われているが、実際あの狂気の光景を目にしたナツリにはとてもそうは思えなかった。あれは自らの意思で引き起こしたことではなく、まるで何かに取り憑かれたかのような、そんなおぞましい狂乱ぶりだった。


 機類の突如不明の暴走により瞬く間にオルティアの街を支配された民たちは、どこも行き場がなくやむを得ず世界の西の方角を目指した。すでに他の都市でもレイスロイドたちの同様の不具合が確認されており、人々は自分たちの大切な故郷をみすみす捨てて避難を余儀なくされた。当初は民たちも必死にレイスロイドたちに抵抗することを試みたが、奴らの圧倒的な力の前に彼らは為す術もなく蹂躙されていった。


世界崩壊アストラル・コラプス》が始まってから、世界の総人口のおよそ八割が減少したと言われている。


 さらに機類は人類を迫害するだけに留まらず、最悪なことについには世界征服にまで手を付けるようになっていった。機類の侵攻は実に驚異的なもので、人類はたった一年の間に世界の領土の八割以上を喪失し、互いの領土を挟む荒野の最前線は日々後退を強いられている。戦車や銃火器などのありふれた軍事兵器を最大限に駆使しながら、オルティア軍が未だ砲音飛び交う熾烈な火線を辛うじて維持し続けているが、それもいつまで保つか判らない。


 世界崩壊が起きたあの日、謎の戦闘特化型レイスロイド——《四機しき天王てんのう》の突如出現により、人類は剣を振るう余地すら与えてもらえなかった。そもそも奴らさえ現れなければ、本来この戦いはすでに人類側の勝利に終わっていたはずなのだ。


 そうなぜなら機類は、同胞であるレイスロイドを自らの手﹅﹅﹅﹅で造り出すことができない。


 それはこの一年間で、レイスロイドたちの個体数が減少傾向にあるのが何よりの証左となっている。詰まるところ以前と同様に彼らは、《無》から何かを創造するという点に於いては人間より遥かに劣るわけだ。レイスロイドは元々戦闘用に造られた兵器ではないので、四機天王の存在さえなければそのまま個体数は著しく減少を続け、今頃きっと程なく終戦を迎えていたに違いない。


 加えて不可解なことは、なぜ四機天王のようなこれほどの高性能レイスロイドの存在が確認されたのか。おそらく世界崩壊が起こる以前に、何者かがなんらかの目的で予め秘密裏に造り上げていたものだと言われているが、結局のところその理由すら未だに謎に包まれている。


 そして、統治機構としての本来の機能を失ったオルティア政府は完全崩壊し、これにより統制下に置かれていた軍事組織の名称は正規軍から反乱軍へとすぐに改称された。さらに地上での逃げ場を失った人類は機類の脅威から一時的に身を隠すため、軍の命令による民たちの強制労働によって地表の下に最後の領土である《閉鎖地下世界アンダーグラウンド》を急造したのだった。


 だが、自分たちの領土の大半を喪失した人類は、深刻な食料不足によって飢えに酷く苦しめられ、栄養失調や餓死する者が続出した。軍は農地を耕すための集落や植民地コロニーなどの開拓を早急に図ったが、四機天王や他のレイスロイドたちにアンダーグラウンドの位置を特定される危険性があったため、新しい土地を切り開くことなど満足に行えず全ての人間を養うには到底至らなかった。


 機類の無差別な暴走はますます猖獗しょうけつを極め、このまま一方的に奴らの侵攻を許すわけにもいかず、反乱軍はここトラビナ西部第一基地を人類反撃の新たな活動拠点として、オルティア奪還作戦を開始したのだった。


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