パーフェクト・レイン

一夢 翔

世界崩壊編

プロローグ

序曲

 異質。現下の場を敢えて一言で表すなら、それだけで事は足りていた。


 心許ない照度の光しか感じられない、薄闇に満たされた神聖なる大空間。おおよそ何もないその無機質な部屋の中央に神々しく佇む、透明なガラス壁に格納された唯一の光源である巨大な四角柱の青水晶だけが、床から天井まで十メートル以上にもかけて月華のような青白い燐光を朧げに発していた。


 その根元の脇の小さな壇上に数分前まで忘れ去られたように放置されていた、艶の美しい黒塗りのグランドピアノ。今はその奏者としてベンチ椅子に腰掛けた濡羽ぬれば色の短髪の少女が、同じく黒レースのワンピース姿で黒白こくびゃくの鍵盤に繊細な五指を走らせていた。


 十七世紀頃のピアノ音楽黎明れいめい期に世界流行した、中間速度ミドルテンポの古典的な曲調。これほど華麗で滑らかな弾奏にもかかわらず、そこはかとなく哀愁を帯びた過激な音色。鍵盤を見るともなしに正確に八十八鍵の音を刻みながら、躍動感に溢れた旋律の糸を紡ぐように奏でていく。


 荘重そうちょうな演奏は一音ごとに苛烈さを増していき、目まぐるしい変化で中盤から終盤へと差しかかろうとした時だった。


 不意に、少女はぴたりと演奏を止める。突然両手で乱暴に鍵盤を押さえつけると、粟立あわだつような不協和音を大きく響かせる。


「哀しい、私は哀しい……」


 くらく悲愴感を漂わせながら、熱に浮かされたようにうわごとを発する。


「なぜ人間はこうまでして、我々《機類きるい》に必死に抗おうとするのか。そんな無駄な時間も努力も世界すらも、もう時期呆気なく終わりを迎えるというのに」


 哀憐の情を滲ませた深縹こきはなだ色の瞳を虚空に移し、少女はただ言葉を紡ぐ。


「我欲のままに利権を奪い合い、常に絶えることのない争いを生み出す。己の幸福だけに飽き足らず、他人の不幸をも平然と喜ぶ。殺生することを可哀想などとほざきながら今日もその生き物を貪り、自分たちの行いを一切恥じることなく奴らは醜く生き長らえている。結局、誰もが他人事なのだ。これほど醜悪な生物は他にいない。しかし——」


 そこで一度言葉を区切ると、大仰な身振りで両手を広げる。


「我々機類が《完全技術的特異点パーフェクト・シンギュラリティ》を迎える時、この世から人間は全て淘汰される」


 そう、人間どもが己の都合のいいように変えられる法も、遵守できない秩序も必要ない。


 ならば——そんな魯鈍ろどんな生物を、我々が一切排除してしまおう。


 少女は、おもむろに視線を持ち上げる。


 正面に高々と塔の如くそびえ立ち、神秘的な青白い励起光を放つ大いなる水晶柱に一度問う。


「そうでしょう——母なる神よ?」



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