セックスがすべてみたいなヒロインの気持ちは分からなかった。私には、女のサガの話は書けない。編集者ともめたのだって、それが原因だった。彼はとにかく、未婚で子どももいない私に、「母性愛」の話を書かせたがった。孤独な女性が子どもを産んで変わり、母乳育児を推奨する保健師として奮闘する話とか。母親になって強くなった女性が、危機的状況から我が子を救い出すとか。わざわざ話まで考えてくれていた。私にはどうしても無理だった。説明するのも面倒なくらい、なんていうか無理だった。

 小説家でいるのも、けっこうきつい。

 書きたいものだけ書くなんていうのはわがままだと分かっているけど、賛同できないことを言葉にするのは、自分を殺害する作業だ。生きたくて小説を書きはじめたのに、死なないと認められないんだって、やっと分かった。女がセックスを大胆に描くと「衝撃的!」とかオナニーシーンこそ捨て身の美学だとか、もうそういうのいいよ。十年以上前からずっとやってるの知ってるもん。で、しまいには「美人作家○○のリアルな性描写……」。

 私はときどき、自分の夢が何だったか忘れる。

「そういやさ、私今度、即売会出るよ」

 沈黙の後、やっと楽しいことを思い出したから、言ってみた。

「どこの?」

「香川。クリスマスだよ、しかも。何やってんだって感じでしょ」

「いいじゃん。おもしろいよ。私も実は今、原稿やってるんだ」

 聖奈の声が弾む。

 久しぶりだね。私たちは、高校のときに一度、いっしょに漫画を描いてコピー機で印刷して同人誌即売会に出たんだけど、全然売れなかった。でも、夢中になって何か作ったのは本当に楽しかったよね。

 あれから十数年、もうそんなことは長い間してなかったけど、最近すっごく久しぶりに、おもしろい漫画に出会ったから。

「元ネタ何?」

「音楽漫画。音楽っていうか、『夢を見ることの悲哀』みたいな」

 ネットで検索して、画像送信で貼りつける。

「IN A REAL? あーちょっと前、イナリイナリ言われてた奴?」

「そーそー。知ってる? 実写化して話題になったよね。神社の息子が、生き別れの親父の借金のカタにヤクザな事務所に売られて、ビジュアル系バンドとしてデビューするの。本人は実はブッサイクなんだけど、化粧したらすごいイケメンになるってやつ」

 主人公の否梨くんの画像もいっしょに送る。作者がギャグ漫画家なので、絵は決してキラキラ系ではない。

「あー……高音が出ない主人公をピラニアの川に突き落とすなど、プロデューサーはかなり非情。ライブがいまいちだと否梨をくすぐり倒す。主人公はくすぐりに弱くて、笑いすぎてけいれんし白目を剥いているときに、新曲のフレーズを思いつくのがデフォ。……どういう漫画なのこれ」

 ウィキペディアを見ているらしい聖奈が笑っている。

 話しながらすぐに調べられるから、スカイプは便利だ。

「相手誰よー。この鬼畜な感じのプロデューサー?」

 同人誌を作る、ということはイコール「自分で話をねつ造したいくらい、いいカップリングに巡り合いました」ということだ。

「ううん。一話からずっとストーカーしてくるファンのコ。一回イナくんの家に侵入して下着盗んで行こうとしてたら、『これも持ってけ』って、イナくんが粗大ごみとかいらないものどんどん押し付けるんだよね。それ持って帰ってだいじに飾ってるのよ。その話でこいつに決めた。名前、大介」

「ほぉー……あ、けっこー可愛い。知佐、小説書くんだよね?」

「違う。漫画。道具引っ張り出してきて描いてるよ、アナログで」

「えー、意外」

 自分でもそう思う。はっきり言って、絵は苦手だし。でも、ちょっと小説から離れたかった。漫画家には今からなれないし、どんなに一生懸命描いたってしょせん他人のキャラを借りてるだけだから何にもならないんだけど、これ以上張り詰めているのはもう無理だった。一度ぜんぶ、空気を抜いてしまいたい。

「聖奈は?」

「私? 私は『ナックル』。古いでしょ、もう流行ってないけどね」

 筋肉フェチなところがある聖奈は、昭和の劇画タッチな格闘漫画にはまっている。やおい的な意味で。ライバル同士のキャラを掛け算して、十八禁小説を書いているのだそうだ。

「ある意味すごいよね、私たちこういうとこだけ二十年くらい前から全然変わってないもんね」

「うん。まさかまた即売会出る日が来るとは思わなかったわ」

「『ナックル』好きっていうとさ、うれしそうに話しかけてくる男のヒトとかいたけどさ、まさか腐女子ですとは言えないじゃん。普通にうなずくけど、やっぱり知佐に話してるときがいちばん楽しい」

 処女です三十前です少年漫画のキャラでやおい妄想してます、なんて恐ろしくて言えないと聖奈は言う。

「私も。否梨くんがオタと遊園地デートしてる漫画描くために某夢の国のパンフ取ってきたとか言えないわ」

 こういうイタイ趣味は、年を重ねるほど重い荷物になっていく。

 少年アイドルの追っかけですとか、コスプレとかゴスロリとか、「いいかげん卒業しろよ」という白眼視との闘いだ。やおいみたいに性的な要素が絡むと、なおさら。分からない人には本当に理解できないらしいから、説明すればするほど相手の誤解が深まっていく。なら最初から、黙って隠しておいたほうが賢い。

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