二月の部屋はそんなにきれいじゃない。

池崎心渉って書いていけざきあいる☆

 ねぇ、二人で会うのもマヤに悪いからさ、スカイプにしよ。

 聖奈からの、深夜二時のメールには、そう書いてあった。

『いいよ。私もアカウント作る』

 そっこーで返信した。

 私も最近夜眠れなくてずっと起きてるから、メールが来たらすぐに分かる。

 聖奈と私は、小学校からの友達で、もうじき二十年のつきあいになる。

 お互い、家族のこととか仕事のことで、自分ではいかんともしがたい悩みを抱える年になっていて、寝つきが悪い。中学校から加わったマヤも、それは同じだと思う。よく夜中にLINEしてくる。

病院勤務の聖奈と、派遣社員のマヤと、フリーターで職を転々としている私では、休みがなかなか合わないんだけど、「秋分の日なら」ってことになって、三人で遊ぶ約束をしていた。直前になってマヤが急に出勤しないといけなくなり、二人で遊ぶのもちょっとね、ということで急きょスカイプに変更した。

これまで登録したことはなかったけど、調べてみたら、スカイプはかなり便利そうだ。ノートパソコンならマイクもスピーカーも内蔵だから、両手もあくし、通話料もいらないらしい。おまけに、チャットや画像の送信も同時にできて、ビデオ通話も可能なんだって。すごい。ずいぶん、世の中は変わったもんだ、とばあさんみたいに感心する。

私が中学校のころはまだ携帯も持ってなかったから、家の電話を使ってトイレでこそこそ話していた。親に聞かれたくないような話ばっかりしてたもん。

私は中三の春に転校することになり、二人とは一度離れたんだけど、二人ともずっと連絡をとってきてくれていた。特に聖奈は、毎週電話してくれた。土曜の夜に、必ずかけてきてくれたから、私はトイレにこもって、一時間、長いときは二時間くらい話していた。

将来のこと、学校のこと、親のこと。学生らしい可愛い話もあれば、「オマエたち悪魔だろ」って怖がられてしまいそうなエッグイ話もしていた。おもに、いわゆる「やおい」って言われるようなジャンルの。マヤは違ったけれど、私と聖奈は、腐女子だったから。

小学五年生のときに仲良くなれたのだって、聖奈が私にやおい小説を貸してくれたからだ。それも、ちょっとキスしてるようなカワイイやつじゃなくて、アナルに葡萄酒を注ぎ込んで胃まで逆流させたり、十人くらいでおかしくなるまで輪姦するような、えげつない小説。耽美系の文体で、漢字も難しくてほとんど意味不明だったけど、その作者の作品はどれも魅力的で、ありとあらゆるいやらしいことを、私たちは小学校の昼休みに覚えた。マヤがそういうエッチなのは苦手だから、三人のときは控えているけど、聖奈と二人のときは、とにかく下品な話ばっかりしていた。

あれから二十年近く経って、私たちもそれなりの年になったけれど、お互い、思っていたようなオトナにはなっていない気がする。一応一人暮らしはして自立はしているものの、聖奈も私も結婚はしていなくて、「キャリア」みたいなものもろくにない。子どもの頃見ていた「主婦」とも「キャリアウーマン」とも、「夢を叶えた人たち」とも違う、何も持たずに年だけ重ねた大人の女。私にはセックスだけする男友達がいるけど、バイト仲間が話している「彼氏さん」みたいなものには恵まれなかったし、聖奈は今も処女のままだ。親は年をとっていくし、社会保障なんてとうにボロぞうきんみたいになっているし、これから頼れるものもめざすところもない。子持ちになった人達とは人生が分かれていって、そのうち何を話しても伝わらなくなる。そんな中で、マヤと私と聖奈の三人だけが、昔のままの友情を維持していられるのは、ある意味奇跡みたいにも思えた。

スカイプのややこしい説明は流し読みしてアカウントを完成させ、私は聖奈からかかってくるのを待つ。学生の頃、電話機の前でじっと待っていたのと同じように。

ププププププ。

スカイプのコール音は静かだった。ボタンを押せば、すぐ声が聞こえる。

「もしもし?」

私の知っている聖奈より少し声が高い。

「聴こえるよ」

「よかったぁ」

こうやって連絡をとるのは三か月ぶりだ。

前は、携帯同士で会話した。

三か月あいたのはお互い忙しかったからで、マヤと私がメールしても、聖奈からはなかなか返事が来なかった。

「最近、仕事忙しかったの?」

 病院で介護士をしている聖奈は、いつもたいへんなんだろうけど。

「うん、まあね」

 言葉を濁すから、何かあったんだってことはすぐ分かった。

「実はさ、お母さん入院してさ」

 まだ検査とかあるから、詳しいことはこれからだけどね、と聖奈はからっとした声で言った。昔から、そうだ。聖奈は泣かない。不安そうな声も出さない。中学に入ってすぐお父さんが亡くなったときもそうだった。「今まで幸せだったから、いいよ」と言っていた。私が見ていないときには泣いているのかもしれないけど、私の前ではいつも落ち着いていた。同い年なのに、ずっと大人に見えた。やおい小説の作家に憧れて、「小説家になるの!」とだいそれた夢を見ていた私の横で、聖奈は、「食いっぱぐれない資格をとるわ」と現実的に勉強していた。

 結果、私は大学を卒業してすぐに、あまり知られていない小さな賞を受賞して小説家になった。本を二冊刊行したけど、ほぼまったくと言っていいほど売れず、編集者ともめて終わりになった。今はもう、小説を書く気力もあまりない。かといって、正社員になる努力をするにももう遅い。結婚する気もないし、あとは消化試合みたいなものだと思っているから、興味の湧いたことをちょこちょこやって時間をつぶしている。音楽とか、漫画を描くとか。ダメなフリーターの見本みたいな生き方だ。数年前はまだ何かできると上を向いていたけど、可愛がってくれた祖父が亡くなり、実家の両親も老いていくのに、恩返しらしいこともできず、このごろ、「自分の人生は失敗だった」という現実をつきつけらているように感じて、うつむいてばかりいる。

「最近何か、楽しいことあった?」

 話題を変えようとする聖奈に訊かれて、私は黙り込む。

 最近かぁ。

 デパートの短期バイトでお菓子売り場に行ったら、いっしょに入った女子大生と見比べられて、「この子が売ったほうがおいしそうに見える」とか「おばさんが来るとがっかりする」とか、店のひとにボロクソ言われたな。特にミスもしなかったし、給料はアルバイトにしては悪くなかったけど、ひたすら消耗した二週間だった。「おばさん」ったって、一応二十代だし、三十四歳のそのひとよりは若かったんだけど。「あー、そういうもんなんだ」と思うと勤労意欲がめりめりと減退した。

「そうだなぁ」

 楽しいこと、楽しいことねぇ。

「末端小説家の会」の仲間と飲み会に行った。

 楽しく、はなかったんだけど。

「末端小説家の会」は、私みたいにデビューしてすぐ放流されたり、シリーズの一巻で打ち切りになったりするような不遇な小説家が、ツイッターを通じて集まってできた会だ。売れない作家の集団なんて負のオーラが漂っていそうだけど、中心メンバーが私以外朗らかな人ばかりなので、テンションは高い。

 今回、再デビューをめざしているという萌さんが、作品を持ってきていた。意見をもらって、改稿したいんだって。すごい向上心だな、と思う。私は、改稿がとにかく苦手で、直す前にべつのを書いてしまう。せっかく意見をもらったのに悪いなと思うし、「素直じゃない、可愛くない」と思われてるんだろうなと勝手に思い込んでいる。

 ――どうでしょう。

 長い髪をバレッタできれいにまとめた萌さんが訊いた。

 私は何も言えなかった。自分からは遠い世界の話で、コメントしづらかったのだ。萌さんの作品は、セックス依存症みたいな、男がいないと生きていけない淫乱な中年女性の話だった。性描写がリアルで、音まで聞こえてきそうだった。テレフォンセックスの場面がクライマックスにあって、不倫関係の男性と電話しながらオナニーに耽るヒロイン。そこに妻が帰ってきて放火。ヒロインはそれに気づいたのに、自慰を止められず、そのまま……というラストシーン。

 いや、実にすばらしい。と、みんな絶賛した。女ノサガガヨク描ケテイル。自慰トイウ大胆ナ選択ガスバラシイ。女性ニトッテノ最大ノ羞恥ヲ捨テタ意欲作ダ。今年ノ芥川賞、マチガイナイヨ。サカミネサンモ、コンナ話書イタラ? 中学生ノ話バッカリジャナクテ。

 はい、と私は素直に言えなかった。

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