第2話木漏れ日とゼンマイ時計が示す理由
時間は否応なく流れ、私はこの世界に生き続けていた。
今思うと私の知っている世界は荒れ果てていた。家屋は壊れ、緑色の木々はなぎ倒され、風は煙と常に混じりあい、死臭が立ち込めている世界。物も人も壊れていた大地が私のすべてだったあの頃。そんな記憶があまりにも遠く感じている。
だけど夕方になると記憶が反芻し始め、太陽が沈みきると記憶が近づいてくる。世界で一人になったような不安。同時に反した感情も沸く。このまま闇と同調し消えてしまいそうな楽になる感覚。私は一日のうちに二つの世界を行き来している。
私の故郷はスラノヴォイ山脈の旧ロシアよりの地方だ。故郷といっても最初の記憶で覚えているだけで本当はどこで生まれたかは知らない。物心付いた時には死人をあさる生き方をしていた。奴隷商人に拾われ、数々の土地を渡り、買われ、売られを繰り返した。
最後に買われた先がアルディア帝國だった。もはや値打ちも付かないような状態で私は売られた。完全に使い古されたモノのように。
二十時間あまりをコンテナの中で過ごした。海に出たのはすぐにわかった。波の音。私の他に男女合わせて数十人いたが、私と変わらない年だと思う。コンテナ内は天井にわずかな空気穴がある程度で光はほとんど入らない。微量の明かりの中、誰もが口を開く気力もなく波音と重低音だけを聴き続けた。
次に太陽を見た時は血生臭い風と硝煙独特の臭いだった。
一人、また一人とコンテナから下りていく。半数近く下りただろうか。突然の轟音。鳴り響く雷か。それとも大木が地面に叩きつけられた音か。
追って悲鳴が聞こえる。泣き叫ぶ声は私の想像を刺激する。この轟音と叫び声が導き出す答えは判りきっていた。とたんに足がすくみだす。頭が真っ白になったが轟音が鳴るたびに現実へと戻されていった。
すでに何回の轟音が聞こえたかわからない。耳から入る情報が胃に染み渡った。嘔吐を繰り返す。今まで数多くの痛みを受けてきたが、これほどの精神的な暴力はなかった。
コンテナにいる奴隷は私を入れて五人になっていた。皆、私と同じぐらいの少女である。
一人はうずくまり。もう二人は隅で寄り添い震えあっていた。もう一人は私同様に嘔吐に苦しみながら這いつくばっている。
定期的に鳴り響いていた轟音と泣き叫ぶ悲鳴が聞こえなくなった。軍人の話ごえが微かに聞こえた。あまり聞き取れなかったが終了や完了の言葉を聞き取れた。
数分間した時、中に軍人が入ってきた。頭から首にかけて麻袋を強引に被せる軍人の集団。私の脳裏には過去の記憶が蘇る。以前も何度かあった出来事。目隠しされて乱暴に犯される前兆によく似ていると感じていた。このされ方は嫌いだ。呼吸がしずらくなり、殴られるよりも苦しい。 あぁ、これから、また始まるのか。
両腕を抱えられ、引きずられるように歩く。後方からうめき声が多数する。どうやら私以外の少女も連れて来られているようだ。急に両腕を離され膝から崩れ落ち、四つんばいにさせられた。左隣から他の少女達の荒い呼吸が聞こえる。嗚咽のような声も聞こえる。
この娘達はこんな風に犯されたことがないのか。私はさっきの轟音と生臭さの方が怖かった。でも、もう大丈夫。犯されるだけなら死なないから。
ある意味で安堵していたのだ。だが次なる音を耳にすると想像違いだった事に気付く。
高鳴る銃声。あまりにも軽い音だ。銃声が鳴り止む前に倒れ込む鈍い音。左遠くから順序よく、テンポ良く。二重奏のように謳う。
これは銃殺。
瞬時によぎった割に体は硬直し動かない。すぐとなりで奏でたとき、呆然と真っ暗な視界を眺め泳いでいた。声が聞こえた。はっきりと男の肉声が右から叫び声。いや、怒鳴り声が。
同時に私の意識は遠退く。
がっしりと誰かの腕中に抱き込まれた感覚まではぎりぎりで覚えている。
目が覚めた時は部屋の中だった。本棚で壁が埋め尽くされている部屋は私の知っている世界にはない。一つ一つ回りを確認することにした。まず、私がいるのはソファの上。さわり心地の良い毛布。右側に紙が山積みの大きな机。左側に扉がある。
あたりを見終えたあとに、両腕、両足を指先まで目を移す。大丈夫、壊れてない。痣やみみず腫れは幾つもあるが十分動く。
「起きたか。」
突然の声にびっくりした。跳ねるように声の方へ振り向く。声の主は山積みの机脇から出てきた。見たことのない軍服をまとっている男が近づいてくる。軍服は真っ白なスーツのような感じだったが、襟元はだらしなく正装なのに妙に貧相という印象だ。男は盛時辰彦と名乗った。
私は無言で男を凝視し、警戒を一層に強める。どうせまた、いつものようにされるのはわかっていたからだ。綺麗な服装の奴がすることは決まっている。経験だけが私に知らせる。
しかし、盛時は私に近づいて来ない。なぜだ。
電話が鳴り、ゆっくりと盛時は受話器をとる。あの書類だらけ机の上で電話が存在できるとは思えないが音は鳴る。盛時は紙の山へ姿を消し、受話器をとったようだ。何やら話し声が山越しに聞こえたがよく聞こえない。笑い声が聞こえた気がした。
会話が終わったのか、盛時は私を呼んだ。もし、このまま黙って行かなければ叩かれる。これも経験上のことだ。足をふら付きさせながら書類の山に向かう。山の内部に到達して私は思う。書類のふもとは意外と整頓され、電話、ペン、大きめなマグカップがある程度だった。それでも目の前にそびえ立つ紙の山脈は威圧的だ。盛時は椅子に座るように、そして物音を立てないように隠れるように指示した。もちろん私は従う。従うしか私に選択しはないし、それまでの生き方で選択したことはないからだ。
静かな時間が流れる。話の流れはなんとなくだが理解できた。
ようするに私は生かされたようだ。なぜかは分からないが。
どうして隠れなければいけなかったのか。なぜここに連れてこられたのか。疑問ばかりが頭をよぎるが考えなくていい。今はこの盛時が主人であり、従うのが私の生きる道なのだ。
声が聴こえなくなった。それと同時に盛時がこちらをニヤニヤした顔で見ているのが分かった。
「私の事、モノ扱いしたでしょ。」
以前の私からは想像もできなかった事だ。仮にも主人に対して口答えなんて。
でもそんな事はお構いなしとでもいうように盛時は話を続ける。
「残念ながら君は今モノだ。」
そこからはあまりよく覚えていない。ただ、名前を決めろと言われたのは覚えている。だから自分に名づけた。
『ア―ニャ』
名づけた時、盛時は確かに笑っていた。
「これでモノではなくなったな。アーニャ。ようこそアルディアへ。」
そう言った盛時の顔を私は忘れることはなかった。
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