ただ一つ、自分だけのモノ
編む筆
第1話はじまりのおとこ
まず、はじめにある男について説明しよう。
この話をしなければ物語が始まらないし、この物語には欠かせない人物だからである。
その男の名は盛時辰彦(もりとき・たつひこ)
アルディア帝國軍第三師団極東参謀長を務める准将である。彼の経歴で着目する点としては一兵卒から軍歴が始まったということ。アルディア帝國は財閥貴族、もしくは仕官学校を出身でないと士官や将校になどなれるはずもない現実を打ち破った点であろう。さらに言えば弱冠三十という若さで将校まで上り詰めたとする生き伝説。これらの事柄が部下や下級仕官、一般兵士の憧れともなっている。
あと付け加えておくことがある。盛時辰彦の性格についてだ。戦争の天才。悪魔の忘れ形見。キリストの失態。などとセカンドネームがつく彼だが、ぱっと見は平凡に感じるらしい。だが彼をよく知る者はこう言う
「行き過ぎた狂人は凡人に見えることがある」と。
旧東京。練馬区青梅街道を都内に走る車。強風の中、土砂降りの雨を掻き分けるリムジン。その真っ黒なスモークガラスがわずかに開いた。
「タバコを吹かしても構わないだろうか?」
「どうぞ。グランスキー大尉殿。こんな雨降りの中、ご足労かけます。」
セブンスターを内ポケットから出し、百円ライターで火を点ける。肺の隅々まで煙を充満させグランスキーは語り出した。
「日下部少尉。私は大変緊張している。…盛時准将と話すことができるという嬉しい緊張と先日の任務に盛時准将が現れた件からの緊張がある。」
目の前にある座席を凝視しながら話を続けた。
「少尉も知っての通り私は兵器開発を専門とする士官だ。戦争屋と言うよりは武器職人なんだよ。報告によれば最終調整が終わり、あと片付けの最中に盛時准将が慌てて調整現場に観えたことなんだ。私も准将をこの目で見たわけではないからどの程度慌ててたか知らんが、実験体を一人回収したと聞いている。」
「実験体? 差し支えなければ任務内容を教えて下さいますか。」
「あぁ、すまん。べつに秘密にするような任務ではない。正規の手続きだしな。これといって特別なもんじゃない。いつもの新型ライフルの人体実験だ。」
「噂には聞いています。生きた人間を撃つという。新型導入時に必ず行われる最終調整ですね。」
「私を軽蔑するかね。日下部少尉。」
「いえ、的確に殺傷し、味方を守る剣を生成する過程。自分もその剣に守られています。」
日下部は堅信な目を向けた。だがグランスキーはその瞳を見ようとせず話続けた。
「二十名買った。もちろん軍部の手続きだ。軍資金の中から買ったものだ。このご時世だ、人売りも珍しくもない。ただ、極東では人売りまで貧しくない。だからシベリア海経由で旧東京までもってきた。こっからが問題なんだ。私が気にかけている点が二つあるんだ。まずは極東で兵器実験がされるのが今回初めてといくこと。二つ目は…」
グランスキーの声がとまる。車を弾く雨音。まだ午後八時だというのに街は死に絶えているように暗い。こんな雨風では人も歩いておらず、オフィス街は廃墟を匂わせた。
「グランスキー大尉。二つ目とは?」
「実際に使ったのは十四名ほどだった。もう十分データは採取できた。だから残りの六名は楽に射殺するように命じた。私の尉官程度の権限じゃ、残った六人に何もしてやれない。どうせ、奴らは帰る身寄りもない。野足れ死ぬのもわかっている。かといって生かしても反アルカディア勢力になるのも目にみえる。銃殺しかなかったんだ。」
やっと苦悶の表情をみせた。すでにタバコは三本目に突入している。
わずかだが日下部の口元が引きあがる。二分もしないうちに極東本部に到着した。
グランスキーは戦略兵舎の応接室へとつれて行かれた。十五分以上は待たされただろうか。彼は緊張のせいで数時間待たされた感覚を覚えていた。
日下部とは違う少尉が現われ、参謀長室へと案内した。内装も廊下もビジネスマンが通う会社のようなつくりでとても軍内部と思えない違和感をグランスキーは覚えていた。旧ロシア出身であるグランスキーは赤い絨毯に名高い将校の肖像がかざってある軍部こそが幕僚や将校の官邸と認識していたからである。在日して間もない彼には仕方ないことだったのだろう。
「兵器開発極東六課グランスキー大尉入ります。」
やや緊張が隠せない声色で入室する。部屋は十畳ほどで壁は背が高い本棚で埋め尽くされていた。中心に馬鹿でかい机。書類が山積し椅子に誰が座っているか分からないぐらいだった。
書類が積もる机の前に腰の低い机。そしてソファが二つ。その一つに盛時が座っていた。
「やぁ、雨の中ご足労かけたね。」
ソファから立ち上がり吸い掛けのタバコを灰皿に置いた。
「もったいないお言葉です。」
声を張ったグランスキーが部屋をわずかだが目だけで一周した。盛時はほんのわずかな瞳の動きを見過ごしはしなかった。
「部屋には私と君以外、人はいない。入ってくれ。」
「失礼します。」
またもや大きく声を張り上げた。
「本当のところは私が出向かなければいけないんだが、観ての通り書類が片付かなくて。」
「とんでもございません。准将に会うことが出来て光栄であります」
凛とした姿勢を崩さずグランスキーは答える。
「まぁまぁ、そんな堅くならないで座っておくれ。」
うやうやしく答え、行儀良く腰掛ける。ついで盛時も座った。
「さて、話が長くなるも短くなるも大尉しだいだが、一服したまえ。私は吸うぞ。」
「あの…お話の本題を聞いてもいいでしょうか?」
弱弱しく控えめな姿勢で尋ねてきた。
「なに。件についてはそこまで詰め寄った話ではないよ。二日前にあった兵器実験のことだ。私が実験体を一人回収したのは報告されているだろう。まさにその実験体のことなんだよ。」
ゴクリと生唾を誰にもわからないように飲んだ。盛時がさらに切り出すのをじっと待つ。
「その回収した少女をくれないか?」
「え? その実験体でありますか。」
拍子抜けしたグランスキーとは裏腹に盛時は漂々とした顔つきで続けた。
「大尉の任務で使用した道具だと思えば、私は兵器開発部隊の備品を横取りした形になっている。おまけにその備品は軍事資金で購入されたとなれば君は横流しのようにも見える。そこで是非とも廃棄処分したことにして、廃棄品を私に譲渡して欲しい。もちろん譲渡先は私の直轄の部隊に。」
グランスキーの顔が一段と間抜けになった。今の今までの緊張がほぐれたのがバレバレな表情は盛時を笑わせた。
「グランスキー大尉。私が人道的に責めるとでも思ったか。そんな良心の呵責なんぞありはしないよ。」
笑いをこらえずゲラゲラと新しいタバコに火を点ける。
「た、たしかに准将の言った通りですが、そこまで笑われる顔をしてましたか。」
どうやらずいぶんと安堵したらしい素振りをみせた。一言断ってから彼もタバコに火を点けた。
「すまんすまん。私がそんな真面目人間と思われているのが可笑しくて。決して大尉のせいではない。」
「本当ですか? すぐに人をからかうとの噂は信憑味が出てきましたよ?」
「何を言っている。私は大真面目だ。譲渡してくれるんだろ?」
ニヤニヤしている盛時から大真面目という台詞とは程遠い。
「はい、もちろんお安い御用です。」
ニコニコ笑うグランスキーと今度は逆に盛時はシャンとした顔つきで言った。
「ありがとう。感謝する。」
「いえいえ、第三師団の兵装も我ら六課の新型ライフル実装を願います。」
「な~に、六課の兵装はいつも優秀だ。すぐに導入されるよ。私なんかが持ち上げる必要がないさ。」
遠い目をしながら咥えタバコ。そのまま両腕をのばし伸びをする様はとても将校なんかには見えない。良くて曹長クラスの品位だ。
「さて、私の用件は済んだが。他に何かあるかい?」
「御座いません。盛時准将とお話できて光栄の極みであります」
背筋を伸ばし、しっかりと言葉した。
「了解。さて私はまた書類との戦いだ。」
「はっ、では失礼します」
グランスキーは部屋を後にした。扉が閉まるのを確認した盛時は書類の積もった机に向かう。書類の束に肘を付き椅子を覗き見ると年端もいかない少女が座っていた。間違いなくグランスキーは少女に気付いていない。少女は不安な瞳を押し殺し盛時を睨んでいる。
「私のこと、モノ扱いしたでしょ。」
「残念ながら君は今モノだ。」
盛時は笑顔を作ってみせたが少女はさらに不機嫌な顔をした。
「私をどうするの。」
「どうもしないよ。あぁ、嘘。何もしないことはないか。とりあえずこの書類にサインしてくれ。そうすれば君はアルディア帝國の人間だ。」
机の引き出しから取り出した用紙には「入国及び移住手続書」と書かれている。
少女は用紙を見つめ小声で呟くように口をきった。
「…名前なんてないよ。…字も書けない…」
「わかった。そうだな。好きな名前をつけるがいいさ。何にするかい。」
少女はまた盛時を睨む。だが盛時は視線を関係なしに振り切り、電話に手を伸ばした。内線ボタンを受話器の持つ手で弾き、レモネードを二つ要求した。
その間、少女は警戒からか盛時を睨んでいた。受話器を置き、またもや微笑みかけるが少女の顔つきは変わらない。そんな数秒間の間に日下部少尉がレモネードを持って入室してきた。
「少尉。そこに置いてくれ。あと紹介しておきたい人がいる。こっちへ。」
グランスキー中尉も帰った部屋に二つのレモネード。不思議がっている少尉はさらに不思議なことを見ることになった。
「えっと…准将。どうやって連れて来たんですか。」
「挨拶ぐらいしないか日下部少尉。」
レモネードをすすりながら、つまらなそうに書類を流し見る。
「はっ。失礼しました。自分は日下部雅人少尉であります。」
背筋を伸ばし、指先まで張り詰め、やや顎を上げ正確に発音した。
少女は面食らったようにびっくりし、肩をすくませた。
「おいおい、日下部少尉。そんなに脅かすなよ。彼女は軍人じゃない。普通の挨拶で大丈夫だ。それに他の隊がいない場合はもっと気軽でいいんだよ。」
レモネードを少女の手元に置いて盛時は笑いながら言った。
「しかし、それでは規律が乱れます。」
「日下部少尉は着任してまだ一週間ぐらいだもんなぁ。仕方ないか。」
頭をボリボリ掻きながら、また気のない瞳で書類を見つめながら語る。
「大丈夫。名前の後に階級付けとけばタメ語だろうと大丈夫さ。他の隊に聞かれなきゃ。その様子だとエダ中佐にも毎日言われているだろ。」
「はい…。毎日毎日…。会話のたびに。」
「では、一刻も早く直すんだぞ。」
「は、はぁ… それより准将。この方は?」
少女の方に顔を向ける日下部。
「ん~。まぁ今のところは身寄りがない少女だ。名前はまだない。」
「昔の文豪で聞いたことあるフレーズですね…」
冗談なのか本当なのか腑に落ちない様子の少尉。そんな少尉も気に掛けずニタニタしている准将。そんな二人の軍人を呆然と眺める少女。彼女はこう思っていた。
なんてこの世界に合わない人達なんだろう
「ところで少尉。私の思っていた通りグランスキー大尉は根っからの悪党ではなさそうだったな。報告どおり生真面目な開発者だ。六課には悪いが兵器開発向きではないな。」
「そのようです。恐らく自分に打ち明けた話は本音でしょう。大尉は罪の意識を強く感じて生きています。」
日下部は視線を落とし車内のやり取りを思い返しているようだ。
「まぁ、都内をグルグル回った甲斐があったもんだ。あの時、走行時間を考慮して使えた時間は四十分が限界だろう。よく短時間で真意を聞き出した。」
「じ、自分は准将の言ったとおり真摯に話を聞いただけです。」
それは意外といった表情で盛時をおどけ見る。暢気にレモネードを飲み終わる姿をどのように見えているのだろう。
「その真摯な態度が日下部少尉の魅力なわけだ。第六機甲師団から、わざわざスカウトした理由がわかってもらえたかな。」
納得のいかない様子の日下部に盛時は笑いかけた。
もともと彼は戦闘のスペシャリストだ。激戦の中にあった第六機甲師団で左足骨折。本国帰還し回復後は前線に出る予定だった。日下部自身も部隊復帰を望んでいたが盛時准将の目に止まり、回復後は第三師団へ転属。着任後、早々に諜報部へ転属させられていたのだ。
「自分が活躍できる場は戦場にしかないと思っています。だから」
「新しいことにもチャレンジもまた悪いことではありますまい。もう少し私のもとで働いてくれはしないだろうか。」
目を細め、締まった声色で盛時は言う。日下部は慌てて取り繕った。
「いえ、盛時准将のもとを離れたくないわけではありません。ただ、自分は戦闘しかやってこなかった人間。本当に諜報活動ができるか不安で」
「な~に言ってる。十分な仕事こなしたばかりではないか。」
違う書類の束を取り出し、盛時はテンポ良くサインを始めた。
日下部雅人は思う。准将の方が本音を聞きだすのに十分過ぎる才能があるではないかと。
名もなき少女の前で悩みを告白してしまった自分が恥ずかしくなってきた。横目で少女を見ると彼女は不思議そうに盛時准将を見つめていた。その表情は透明な感情むき出しにしている様みえる。随分と綺麗な少女を拾ってきたな。と日下部は思った。
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