第3話

 バレンタイン。日本では女性が男性にチョコレートを送る日。欧米では恋人や家族、友人にお菓子や花束などを送る。私の職場でも女性社員が男性社員にチョコレートを送っている。私は職場の同僚や上司にお菓子をあげている。今日は我が家でお菓子作りをする日。

「私も良いんですか?」

「大丈夫よ」

 後輩が私に聞く。そう、後輩もお菓子作りに参加している。私が彼女と一緒にしたいという思いで後輩を呼んだ。後輩もお菓子を職場に配る関係もあるので、私の誘いに乗ってくれた。娘も後輩とお菓子を作れることに喜んでいる。

「わぁーい、さっちゃんとおかしづくり♪」

「今日もよろしくね♪」

 後輩は身体を屈めて、笑顔で言った。昔は私が夫と娘にお菓子を振る舞っていたが、今は娘と後輩も居る。今回は食べる楽しさ以外に作る楽しさがある。

「今日は何を作るのですか、先輩?」

「今回はチョコブラウニーを作るわ」

「でも、良いんですか。私、料理は不器用ですよ」

「簡単なレシピで作るから大丈夫よ。この私を信じなさい!まずは、チョコを溶かしましょう」

「そうですね。先輩に従えば、上手く行きますからね」

 後輩と娘は私の指示通りにそれぞれ耐熱容器に入ったミルクチョコとストロベリーチョコを湯煎で溶かした。そうしている間、私はこの後の工程で使う生地づくりに取り掛かった。後輩の姿を見て、私は幸せを感じた。『一緒にキッチンに立っている』という幸せの時間であり、かけがえの時間である。

 ある事がふと思い出した。一年前の忘年会の時に私は幼い子を持つ社員として、参加を迷っていた。入社からお世話になっていた上司などが参加するため、職業上顔を出さないといけない。娘を預けられる手段がない私にとって悩みであった。後輩はその悩みを解決してくれた。幹事に掛け合ってくれて、子どもの参加を承諾してもらい、周囲には『可愛いマスコットキャラが来る』という事を広めて、娘を連れていく私の抵抗を軽減してくれた。当日は温かく迎えてくれて、社員や上司が子どもを可愛がってくれて、とても嬉しく楽しかった。それ以来、私の娘は職場のマスコットキャラとして可愛がられ、仕事上の負担も配慮してくれるようになった。これも後輩のおかげである。思い出に浸っている内に、後輩と娘はチョコを溶かし終え、私も生地に必要な材料を混ぜ終えた。後輩と娘は型にバターを塗り、自身らが溶かしたチョコを流し、ならした。次に私は彼女らが流した型に生地を入れ、アーモンドダイスを乗せた。そして、私と後輩はオーブンに型を入れ、焼き上げを開始した。私と後輩は落ち着き、娘は焼きあがるのを待ち遠しそうにワクワクしながら見ている。

「いや~、先輩のおかげですよ」

「あなたも上手じゃない。これで私が居なくても、大丈夫ね」

「いや、そんな事ないですよ。仕事でも先輩が居てくれるから、私はできるようになったんです」

 その一言に私は心がドキドキした。いつも後輩はそのような事を言うから、ずるい。



 二〇分が経ち、私と後輩はオーブンから型を取り出し、生地を型から外して冷ました。粗熱が取れ、粉砂糖を振りかけ、適当な大きさに切り、チョコブラウニーが完成した。後輩と娘と一緒にお茶を飲みながら、作ったチョコブラウニーを食べた。それから、楽しい団欒をして、夕方になった。後輩は帰り支度を始めた。私は彼女にリボンでラッピングされた箱を渡した。後輩はとても嬉しそうに箱を受け取った。

「あと、バレンタインだから、これをあなたにあげるわ。中身は空けてのお楽しみよ」

「良いんですか。嬉しいです。では」

「また、職場で会いましょう」

「じゃあね」

 娘と一緒に後輩を見送った。後輩にあげた箱の中には文字が彫られたチョコが五個入っている。文字は『R』・『O』・『M』・『A』・『E』。私の口では言えない後輩への気持ち。いつか、この言葉の本当の意味が伝わりますように。



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 なぜ、私はあの人を好きになったんだろう。この問いに対する答えは未だに見つかっていない。あの人と私の関係の始まりは新人研修の時。あの人が私の新人研修を担当してくれた。その時は私より先に働いている先輩という認識であった。よって、先輩と後輩という結論に至る。しかし、この結論がある時、大きく変化した。ある日、先輩が数日の間不在になった時があった。上司が言うには身内で不幸があったようだ。『身内という大事な人が無くなり内心悲しいことだろう。先輩が不在の間は私が頑張って、先輩が復帰しても仕事ができるようにしよう』という気持ちで私は頑張り、その通りに先輩は何一つ支障なく復帰できた。これで大丈夫だろうと思った。先輩が復帰した日の昼休み、私はお手洗いに行き、入口を開けようとした時、中から女性の泣き声が聞こえた。それは静かで一つ一つの声が重い。私はそっと扉を少し開き中を見た。そう、先輩が泣いていた。私は静かに扉を閉めた。『先輩が泣いている』。この言葉が心に突き刺さり、それほど、愛していたのだと察した。その後、先輩はいつもと変わらない様子で午後も業務をこなしていた。

 私は帰宅しても、あの時の先輩の姿が気になり、悲しい気持ちでいた。今まで、一回もみんなの前で笑顔でいる先輩が泣いている。他人ごとなのに、なぜか自分のことのように悲しい。だから、私は『先輩には笑顔でいてほしい』という思いからあの人の支えになることにした。

 次の日から仕事やプライベートなどで自身から企画して、お出かけやプレゼントをしたりなど先輩を元気づけようと動いた。ただ、あの人には子どもがいる。悩みを相談してくれたり、子どもの面倒を見てほしいなど、少しずつ頼られるようになった。それ以降、先輩は笑顔でい続けた。

 これで自身の目的は達成できたと思った時、心の中にモヤモヤしたものが残っていた。先輩やお子さんとの楽しい時間を思い出すたびに、そんな気持ちになる。最初は何なのか分からなかったが、しばらくして、それが『恋』だと気づいた。先輩が他の人と話していると嫉妬したり、『もっと一緒に居たい』・『もっと話したい』という気持ちに襲われる。もうこれ以上、『心の中に秘めることは限界だ』と思い、一思いに先輩に告白した。結果は保留ということになった。理由は先輩が自身の気持ちを確認したいからである。『もうダメだ』と思ったが、数日後に改めて、先輩から『よろしくお願いね。まずはお互いをより知ってからね』と返事が来た。それからは、先輩の家に何度かお邪魔したりと少しずつ家族の一員のように受け入れられるようになった。今日のお菓子作りもその一つ。

 この幸せな一時が続きますように。

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