猫焼きの祭
花木くくる
猫焼きの祭
炎に色を灯す鉱物に
猫をゆっくり漬けてやる
猫が炎と踊れるように
「どこに火を点せばいい」
わたしが触ると決まって爪を立てた
猫はおなかを見せてにゃおと鳴いた
わたしはマッチを擦って、火を
火を
ふふふ、ははは
炎のなかで、猫は笑った
燃えるその時だけ猫は笑う
猫が笑うから、わたしも笑った
ふふふ、ははは
橙、赤色、黄色の炎と
猫は空気に溶けていった
猫焼きをするために街に出た。材料を買うのだ。
今晩家で猫を焼くには、足りない鉱物を補充しなければならない。
午後四時にK駅で路線バスから降り、中央街のアカシア通りにある猫焼きの専門店に足を運んだ。年代物の木のドアに手をかけ緑青の吹いたドアベルを鳴らして店の中に入ると、いつものように老店主が暗い店奥から出てきて出迎えてくれた。老店主はとても感じのよい人で、店の中はいつ来ても埃ひとつなく清潔だった。わたしはこの店と老店主をとても気に入っていた。
「いらっしゃいまし。今日はどういったご用件で」
「今晩、猫焼きをしようと思うのです」
「そういえば、そろそろ焼きごろになりますな」
「ところが鉱物をいくつか切らしてしまいました。ナトリュウムとストロンチュウムを一ビンずつ、あとカルシュウムを二ビン貰えますか」
老店主はカウンターの後ろの棚からビンを三つ取り出し、そこでふと、寂しげな顔を見せた。
「お代は、けっこうです」
「どうしてですか」
「店を閉めるのです。閉店セール、というわけですな。店の品物はみんな廃棄することになりました。このごろは猫焼き用の品物など、どこも欲しがらんのです。うちに買いに来てくれるのも、もうお客さん位のものですよ。借金を返すために、店と土地は売ることになりました。品物は好きなだけ、持って帰ってくれてかまわんです。その方が、捨てるよりはずっといいでしょう」
「そんな、この店がなくなってしまうなんて……店主さんはこれからどうなさるのですか。」
「息子のところへ行きます」
そう言ったあと、老店主は悲痛な顔をして、彼の店を買うという連中が店の跡地に猫吸い場を作る計画を立てているということを教えてくれた。
そのこと聞いたわたしは、自分の頭に血がぐいぐいと昇っていくのを感じた。
「ね、猫吸い場ですって?そんなものがどうして……。猫吸いなんて罪深いことをするのは、娼婦共かごろつき連中だけですよ。まともな人間ならそんなことはしないでしょう。いつからアカシア通りは、そんな連中が集まるようになったのですか」
老店主は苦々しげに答えた。
「猫吸いがそういった連中だけの嗜みだったのは昔の話ですわい。あなたもそれはよく判っておられるでしょう。今は学生たちやサラリーマン、果ては中流の奥様がたまで、みんな猫吸いをやりますよ。猫吸いをすると日々の疲れが取れると、巷じゃ言うようですな。もっとも、大半は単に楽しみのためだけに猫を吸っておるでしょうが……」
「楽しみのために猫を吸うなんて、そんな……彼らだって、自分が吸った後にその猫がどうなるかを見ているはずでしょう。それなのに平気でいられるなんて、どうかしています。」
「ええ、まったくですな。猫というのは焼いてやるのが本当です。そうやってずうっと、わしらと猫は暮らしてきたのですから。そうでなきゃ、おかしいですわい……だけど猫吸いをする連中は、猫のことを毛ほども考えちゃおらんのです。そんな連中に吸われる猫たちのことが、わしは不憫で、不憫で……」
老店主はそこまで言うと声を詰まらせ、体を震わせながら、声を押し殺して泣きはじめた。彼は猫たちを愛しており、猫焼きを愛している。この感じのいい猫焼きの店は彼の人生そのものなのだ。それが今、永久に失われようとしている。どうすれば彼を慰めることができるのか。どんな言葉を掛ければ彼の苦しみを和らげることができるのか。それはわたしにはどうやってもわからないことで、わたしは途方に暮れることしかできなかった。
老店主から鉱物を受け取ったわたしは、暗い気持ちでその店を後にした。
時刻はもう夕方になっていた。
「ああ、本当にかわいそうな人だ。そして、かわいそうな猫たちだ。炎になれずに萎びてしまうなんて。何か月かすればこの場所では、何千匹もの猫が吸われてしまうのだ、ああ、なんてことだ……」
そうやって独り言を口の中で繰り返しながら下を向いて歩きつづけ、わたしはアカシア通りを抜けた。そして駅のほうへ向かうニレノキ通りにさしかかったとき、あの、例の匂いが鼻を突いた。ハッとして顔をあげると、すぐそこに猫吸い場の看板がある。夕闇のなかでギラギラと光りながら、それは道行く人々を吸い寄せていた。
わたしは益々憂鬱な気持ちになり、その匂いと光から逃れるようにして、路地裏へと早足に駆け込んだ。猫吸い場の裏の路地は薄暗く、わたしはどうしようかと思案した後、躓かないように気を付けながらとにかく駅に向かう方向へと足を進めた。生ごみの袋やエアコンの室外機を避けながらしばらく歩いたところ、ビルの谷間にある開けた場所に出た。辺りには、例の匂いが濃く満ちていた。
そこは、近隣のビルのゴミ捨て場だった。
そしてわたしはそれを見た。うずたかく積まれた、何百匹もの猫たちの残骸を。
それは、猫たちの吸い殻だった。猫たちは吸われた為に萎びてしまい、毛が抜けて乾いた体は黒くなってぼろぼろに崩れていた。それでもまだ幾匹かの猫は生きていてにゃあにゃあとは言っていたけれども、その声もやはり萎びていたから、普通の猫の声とは全然違っていた。
そのかわいそうな猫たちの声を聞いていると、ガタガタと体じゅうが震えて無性に吐き気がしてきて、わたしは耳を塞いでその場にうずくまり何度も吐いた。胃の中身が空っぽになってそれでも地面に吐いたから、最後には黄緑色の胃液しか出てこなかった。わたしは泣き出した。こんな非道いもの、見たくなかった。絶対に、絶対に、嫌だった。私は叫び声をあげながらポケットからマッチを取り出し、萎びてカラカラになって、それでもにゃあにゃあと鳴きつづけている猫の吸い殻たちのために、その小さな炎を投げてやった。猫たちは乾いてミイラのようになっていたから、炎は瞬く間に広がって彼らを山吹色の舌で包み込んだ。わたしは持っていた鉱物を、猫たちを焼く炎へと次々に加えていった。初めは黄色。その次は赤。そして橙、緑、紫、紅と、炎には次々に新たな色が加わっていった。猫たちの萎びた鳴き声は、いつのまにか、炎のなかで、楽しそうな笑い声に変わっていた。
ふふふ、ははは
猫たちのすべては、毛も目玉も爪も肉球も今、炎と一緒に大気のなかへと溶けていった。
わたしは立ち上がってそれを胸いっぱいに吸い込むと、彼らと一緒にひとしきり笑って、それから、安心して家路についた。
猫焼きの祭 花木くくる @kukuru_hanaki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます