・スーパー専務、降臨!

 

 さあ、帰って企画書の清書をしなくちゃ――とショップを出て行こうとした時だった。

 ドアを開けようとしたら、目の前に見覚えのあるスーツを着た凛々しい男性が駆け込んできた。

「朝比奈店長!」

 ええ、専務!? 

 朝は事務所でいつもの普段着姿だった専務が、また見事なモデル男にきらっと変身して現れた。

「え、専務。どうかされたのですか」

「本田さん。秋物の入荷の発注をかけたとき、俺がオーセンティックのカーディガンとセーターをこっそり頼んでおいてといったのを覚えているか」

 うわあ、嫌なこと思いだした。一着20万円もする高級カシミアの商品。値段が値段なので、勝手に発注をしたとなるとカンナ副社長に怒られるのではとびくびくしていたあの商品。でもカンナ副社長も発注をして既にマグノリアのバックヤードに保管していることをわかっているはずなのに、なにも言ってこないからそのままにして、眞子も忘れてしまっていた。

「まさか……。カンナ副社長がいまになって怒っていらっしゃるとか?」

 もう眞子は震え上がっていた。もうおしまいだ。また怒らせて、今度こそ、眞子はいらない――と言われるかも!

「違う。今日、帯広から末永様が札幌まで来ているそうなんだ。ランチを終えたら、マグノリアに来ると連絡があって、俺に会いたい、服を一緒に選んで欲しいとのお申し出なんだ」

 その話を聞いて、眞子はホッとする。よかった。副社長のお怒りじゃなかった。

 だが、それはそれでまた専務にとっては新たなる商機! これは忙しくなる。

「オーセンティックの商品をみたら気に入ってくれると思う。販売会の時は迷われてセーター一枚だけの受注だったんだ。迷われていたカーディガンをすすめてみたいんだ。あれ、どこ」

「こちらです、専務。いまバックヤードから出しますね」

 末永様と聞いただけで、朝比奈店長も表情を引き締め動き出す。

「本田さん。アシストしてくれる。これとこれと、これ。勧めたいから、応接のガラステーブルに全て揃えておいて」

「はい、わかりました。朝比奈店長と代わって探します」

 再度、バックヤードに戻って、慌てている朝比奈店長と交代しようとした。

「きっとすごい売れるわよ。末永様は札幌に出てこられた時に、たくさん買われて帰られる。そのために札幌にわざわざ出てくるほどなのよ。オーセンが売れたら……すごい売り上げになるわよ」

 私もバックアップするから、頑張って――と真剣な目でいわれる。


 眞子も知っている末永様。カンナ副社長がお相手をした時も、50~100万買われたことがある方。

 初老のマダムだが、時々、品の良いお母様とお嬢様を伴ってきて、そこでまた三人分それぞれのお洋服を選ばれるので、100万円になることもあるスーパー顧客様だった。

 最近は、大人の男になった専務がお気に入りのようで、今回も接客のご指名は『慎之介君、お願い』だったそう。

「今日はお嬢様はご一緒ではないけれど、お土産に買って帰られるかもしれないから……。これとこれも、頼む」

 専務がお嬢様用にセレクトしたものは、先ほど眞子が諦めた大人シックでも品格があるパールの黒ワンピース。

 だよね。お嬢様が着られた方が素敵だよね。売れますように!

 専務が大きな勝負に出るこの商機をうまくアシストする。眞子もその構えで、手伝った。

 手伝いながら眞子が思ったのは――。よかった。今朝、専務のスーツを一揃えしておいて。すぐに、きらっと変身することできて、お客様のご要望どおりに動くことができた。

 ――という安堵と。

 企画書の清書が遅れちゃう。

 ――という不安だった。



 慎之介君、おひさしぶり。冬物がたくさん入荷したというお知らせ、ありがとう。

 昼下がり、ついに帯広のマダム末永様がいらっしゃった。


「いらっしゃいませ。末永様。お手紙を見て来てくださって、嬉しいです。お待ちしておりました」

「慎之介君のご挨拶、私も嬉しくて」

 以前はカンナ副社長が担当していたが、近頃は甥の専務に任せるようになっていた。そんなスーパー顧客もいまの専務ならなんのその、と認めてもらえているのだと眞子は思う。

「どうぞ、こちらに」

 スーツ姿でモデル並の男になった専務が優雅にエスコートをする。マダム様も嬉しそうだった。

 眞子も気を引き締める。いまから専務が魔法をかける。そのお手伝いを完璧にこなさねば。先を読んで準備のお手伝いをしなくちゃ……。

 そこから眞子と朝比奈店長はショップフロアではゆったりとしつつ、専務とマダム様の空気を邪魔しないよう控えめにしつつ。でもバックヤードでは大慌ての大戦争になっていた。

 専務が選んだものを勧めている間も、もしかしたら、あれもいるのでは、これもプラスになるのでは――というアイテムはさっとガラステーブルの上に置いておく。

 専務とマダム様、その周りだけは優雅な宮殿のような雰囲気。フィッティングルームからマダム様がお洒落なスタイルで出てくると、専務が恭しい手つきで衿を整えたり、針で袖直し裾直しの寸法を合わせたり。

 あんな凛々しく麗しい男性にこんなにかしづかれたうえに、こんなにお洒落に見えるようなお手伝いをしてくれたら、やっぱり女性はいくつになっても素敵な気持ちになれると思う。

「薄手だけれど、いいわね、これ」

「これからお呼ばれが多い季節でございましょう。暖房が効いた室内はこれぐらいで……」

 薄手のブラウスに、裾捌きが綺麗なワイドパンツ。そして専務がさり気なく……、ついにあの商品を出した。

「こちらのカーディガンをコートの下に着ておけば、寒くても暑くても、脱ぎ着で調節できます」

 オーセンティックの黒いカーディガンを、さらっと当たり前のように羽織らせた。

「あら、軽い。それに暖かくて、手触りもいいわね」

「こちら六月に受注会を行いましたオーセンティックの商品です」

「あのカシミアの販売会の」

「さようでございます。受注後、キャンセルがでていたので、これこそ北国の女性にこれから着て頂けるだろうと取り寄せておいたのです」

 オーセンティックの商品が、現プロパー商品とは格段違うものになることをわかっているマダム様は、値札をみなくても『ふうん』とそれまでとは違う堅い表情になった。

「いまは若い方もカシミアを手軽に着られるようになりましたけれど、こちらの品質の違いは末永様だからこそご存じでいらっしゃいますよね。着ただけで違いもわかりますし、着映えも、ほらこんなに」

 現品のプロパー商品で置いている三万円ほどのカーディガンを片肩に羽織らせた。

 三万円のカーディガンだって横浜ブランドのご自慢の品質ではあるけれど、やはりオーセンティックとなると別格だった。

「そうね。いただくわ、これも」

 難しそうに悩まれていたのに、マダム様は決めるとにっこり優美に微笑まれた。

「ありがとうございます。きっと長く重宝できると思いますよ。私からのおすすめです」

「慎之介君がそういうなら本当ね。あなたがこう着たらいい、こうしたら他のものと合わせられるというアドバイス。いつも役に立っているのよ。ありがとう」

 お客様からの『ありがとう』に、専務がいつものおぼっちゃんの笑顔を素直に見せたので、眞子もお客様にもそんな笑顔が見せられるんだと微笑ましくなってしまった。



 ―◆・◆・◆・◆・◆―



 スーツ姿の専務と一緒に、事務所があるビルへと戻る。

 時間がなくなっちゃったけれど、いまから集中して、明日提出するべき企画書を仕上げなくちゃ。眞子の気持ちはもうそこに向かっていた。

 専務と一緒に『ただいま帰りました』と事務所に挨拶をすると、カンナ副社長がデスクから立ち上がって、こちらにやってくる。

「慎之介! あんた、やったじゃない!! いま朝比奈から報告もらって聞いたよ」

 あの怖い叔母様が、いつにない笑顔で甥っ子を讃えたので、専務は照れくさそうにしている。

「あんたがオーセンティックのキャンセル品を取り寄せた時はぶん殴ってやろうかと思っていたんだけれどね」

 うわ、やっぱり。あの時の発注、副社長は気が付いていて本当は怒っていたんだと、手伝った眞子はゾッとした。

「でもきっと。こうやって売ろうと考えているだろうと思ってさ。でも、これで一点も売れなかったらその時にぶん殴ろうと思ってたんだよ」

「こえーーな。でも。後から欲しいという感触の方がいたからな」

「よくやった! みんな。慎之介が80万売り上げてきたよ!」

 事務所全体に向けて、カンナ副社長が叫んだ。『専務、おめでとう』、『さすがです』、『お疲れ様』、『すごい』という馴染みのスタッフの声があちこちから届く。

「さあ。これから冬商戦本番、プロパのうちにどんどん売っていくよ。ここのスタッフもサポート頼んだよ!」

 『はい、頑張りましょう』と、あちこちらかそんな声が響き、活気づいていく。

 眞子も専務の魔法をそばでみていて、お手伝いが無事にできてほっと一息。そして自分のことのように嬉しい。

「眞子」

 カンナ副社長に呼ばれ、眞子は久しぶりに彼女の顔をまっすぐに見た。

「慎之介のサポート、よくやってくれてるよ。これからも頼んだよ」

 信じられないことが起きる。副社長が、眞子の頭をさらっと撫でてくれたから……。

 怖い彼女のアシスタントをしていた時も、彼女が心から労ってくれた時はこうして母親のように頭を撫でてくれることがあった。年に一度あるかないか。でもそんな時はほんとうに褒めてくれている時の仕草で合図。

 もう、眞子の目から涙が滲みそうになった……。

「はい、副社長。専務のお仕事、これからもサポートしていきます」

「うん」

 それだけいうと、いつもの怖くて硬い表情のまま背を向けて行ってしまった。

「よかったな、本田さん」

 専務も叔母がなにを思って眞子を労ってくれたのかわかっているようだった。

「ありがとうございます、専務。このまま頑張ります」

「うん。じゃ、俺達の仕事場に戻ろうか」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る