第十三節 オープニング・パレード 二





 少年は妖怪というものに憧れを抱いていた。

 自分には使えない力を使い、他の誰とも違う容姿を持ち――そんな非日常的な存在に、憧れていた。

 そう、非日常だ。

 彼らの存在は決して隣にあるものではなく、いわばテレビの中のヒーロー、空想上の存在。

 そう思っていたから。

 珠都この街を訪れた時、一瞬の空白の後に覚えた感情は『驚嘆』であった。

 いる、いるではないか。そこかしこに、夢見た存在が。

 そうやってはしゃいだのももはや懐かしい。

 成長した少年は今、新区長の就任パレードの人集りの中にいた。

 いつか、世界中で人と妖怪との線引が消え、『非日常』が『日常』となる世界を夢見て。

 そんな世界に最も近いであろう街で暮らせていることを幸運に思いつつ。

 近くまでやってきた区長が、参列客と順に握手を交わしていく、その列にどうにか割り込み、手を伸ばして。

 掴まれたその手がすごく大きく、頼もしいことを実感し。

 この区長についていこうと、そう決意した。


 ◆


「――嘘でしょ」

 部屋に浅沼を招き入れたアコが聞いたのは、到底信じられないような話だった。

 しかし、

「やっぱり、馬鹿げた話だと思いますかねえ?」

 そんな話をしておきながら、ケロっとしている浅沼の問いに首を振った。

「馬鹿げてる……馬鹿げてるけど、信じられない、なんて言えないわ」

 実際に、兄が変貌する瞬間を見た。その原因が、浅沼が語った内容だと言うならば納得できる。

 つまりだ、アコが余計なことをせずとも、いずれ兄は死に至っていたということ。

「まー少なくとも、『失敗作』としての烙印を押されていたお兄さんは、まず助からなかったと思うっスよ」

「……そうだとして、じゃあなんでおにいちゃんは――兄は、生きて帰って来たの? 聞いた通りなら、兄は『失敗作』と断じられた時点で処分されてもおかしくないでしょう」

 処分。実の兄に対しそんな言葉を使うことに酷い嫌悪を覚えながら、嗚咽を押さえ込みながら、事実を明らかにさせようとする。

「詳しいことはなんとも。噂によれば、化け物が暴れまわったとかなんとか。まあ、全体を通して信憑性のある話では無いっス。どう解釈するかは、アコさん自身にお任せということで」

 それだけ言うと、浅沼は立ち上がり部屋を去ろうと玄関へ向かう。

「あ、そうだ。お兄さんのために、って渡したクスリ、まだ余ってたりします?」

「――――」

 チラと机の引き出しを見る。

 苦しむ兄を、あまりにも見ていられなくて。アコは頼ってはいけない人物に頼ってしまった。

 それがこの男、浅沼鯨とアコの関係。その関係を象徴するのが『クスリ』である、

「要らないなら捨てちゃってください。普通に家庭ごみで問題ないんで。それじゃ本当にさようなら」

 バタン。閉じられるドア。アコは何を言ってやることもできなかった。

 兄の命は元から残り僅かであった。――それに追い打ちをかけたのが『クスリ』なのか、それとも延命させていたのが『クスリ』なのか。どちらにせよ、兄の身体にとって毒だったのは間違いない。

 後悔はとうにした。涙も散々枯れ尽くした。

 それでも願わずにはいられない。

 もしも、違う結果があったなら。どうか神様。一晩でいい。

 そんな夢を、見せてください。


 ◆


『――これからも、より良い街を目指して。人間と妖怪とが共存できる、そんな世界を目指して。決して理想ユメでは終わらせないと、ここに誓いましょう。私の名は飛騨光実。人妖特区第一番、「珠都」の区長でございます』


 パレードも大詰め。ラストのスピーチをそう締めくくり、ここにパレードは閉幕する。リムジンで去りゆく区長を見送りつつ、参列客が徐々に解散していく。

 まるで、全ての花火が打ち上がった夏祭りの終わりのように。熱覚めやらぬ様子で帰路に着く。

 少年もまたその一人だ。

 その後少年は家に着き、家族と今日のパレードの話で盛り上がる。

 少し遅くなったが昼食を終え、部屋で余韻に浸りながら――、


 ぐぅぅうううううううう。


 自身の腹の音を聞いた。

 あれ、おかしいな。さっき食べたばかりなのに。

 少年は成長期だ。どんどん食べて、どんどん成長する。それが仕事のようなものである。きっと昼食の量が足りなかったのだ。今度からはご飯を多めにしてもらおう、なんて考えつつ、ひとまずは目前の空腹をどうにかしよう。

 そうして一階に降り、キッチンに向かった少年は、インスタントラーメンを作っている母を目撃した。

 あら、やっぱりお昼足りなかった?

 そう照れる母は、少年の分も用意した。しばらくして、どうやら父もお腹が空いたようで、結局三人で食べることになった。

 して、食べ終わって。

 …………。

 不思議な感覚だった。満腹だ。どうあってもこれ以上は食べられない――はずなのに。

 少年の腹は、空腹を訴えている。

 じっとしていられなくなった少年は、再度一階に降り、信じられない光景を目にする。

 あら、やっぱりまだ足りなかった?

 既視感のあるセリフを聞きながら、その光景に見入る。

 母が、冷蔵庫の中にあった生肉を、そのまま、文字通りそのまま口の中に放り込んでいたのである。

 そんな母を押しのけるように父も割り込み、卵をそのまま口に流し込み、玉ねぎにむしゃりとかぶりつく。

 おかしい、何か変だ。

 何してるのお母さん、お父さん。こわい、こわいよ。

 ほら、お腹空いたでしょ? 食べていいのよ。

 そうやって差し出される生の豚肉。それを見ていると空腹が刺激され、我慢ができなくなる。

 気づけば少年はその肉に手を伸ばし、かぶりついていた。

 そこから先の記憶は、少年には無い。


 ◆


「なあ、アスヴィよ」

「ん? なんだい?」

 いつかのように、紅緒はアスヴィにずるずると引きずられていた。

「この道は酷く見覚えがあるのだが。もしやまたあの定食屋に向かってはおらぬか?」

「ははは、キミも覚えたか。なら一人で来れるだろう。キリエくんに用がある時は来てみるといい」

「やはりか!! 貴殿はそんなに我のことが嫌いか!?」

「キミこそ、そんなに彼女ノエのことが嫌いか?」

「好き嫌いの問題ではない! 根本的に相容れないのだ、あの女とは! 不気味でおぞましい。腹の底に抱えた化け物が、我と致命的に相性が悪い!!」

 そんな紅緒の言い分に、なるほどなあ、とアスヴィはひとり納得する。

 確かにノエは、その内に何かを飼っている。紅緒はそれを化け物と称するが、アスヴィはそんな化け物と対話した。

 ゲームをしましょう、なんて誘い、今なおそのゲームは続いている。

 内容は、かの化け物の正体。その名を当てよ、というもの。

「……ふん。積極的にあの女に関わろうとする貴殿の気が知れぬ」

「化け物という点においては、私も大差無いからね」

「どうだか。アレに比べれば、貴殿の方がよっぽどマトモに思える。……いいや、今のは失言であった。許せ」

「ふむ。マトモと言ってもらえるのは素直に嬉しいのだが」

 それはさて置き、

「前回は彼女の食事に在りつけなかったから、今日こそはご馳走になろうじゃないか」

「嫌だ。我は行かぬ。まだそこらをひとりで散策している方が――」

「大通りはパレードのせいで人がごった返している。そんな街をひとりで歩くのは嫌だ、と駄々をこねついて来たくせに、行き先を知ると手のひらを返して私に迷惑をかけているのはどこの誰だったかなぁ」

「迷惑だと思うとるなら離せ!? わざわざ連れて行く理由もないであろうに! 相当趣味が悪いぞ!?」

「ははは」

 そうこうしている内に、目的の店が見えてきた――のだが。

 なぜだろう。人集りが見える。

 店主のノエや居候のキリエの話では、この店は立地に恵まれず、昼間は特にガラガラらしい。しかしどうだろう。傍目から見れば、行列ができるほどに繁盛しているように見える。

 店の入口まで行き、中を覗くと――、


「――い、いいいらっしゃいませぇー! 三名様ですかどうぞこちらへぇええええ!!」

「はいお待ちどう様! 親子丼四人前一丁!!」


 考えてみればわかること。明らかに混み過ぎているこの様子で、店員は二人。うちひとりは料理を作っていて、もうひとりは注文を受け。明らかに人数が足りない。

 で、

「あ、ノエさん! ノエさーん!! 人手になりそうなのが二人来た!!」

「よっしゃキリエちゃん、捕まえな! アタシが許す!!」

 狙いはアスヴィと紅緒に定められている。

「え」

 間抜けな声を発したのはアスヴィか、紅緒か。キリエに一瞬にして捕らえられた二人は、店の奥に連れ込まれた。


 数分後、店には老年の店員と、やけに小さな店員が追加されることとなった。




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