第十一節 泥臭奇術



 既に、遥か遠くのように思える過去の記憶。

 まだ自分が生まれ育った地にて、様々な文献を読み漁り、その中に見つけた『マジシャン』という存在に憧れた頃の記憶だ。

 差別を徹底的に排除した、人種の区切り無く誰もが自由を謳歌する国――自由政府。そこに生まれた少年は、明日もきっと手品のことを考えるのだと思っていた。

 しかしそれは誤りで、青年となっていた少年は半年ほど、手品のことなんて考えることのできない生活を送ることになった。否、それはもはや生活とは呼べぬもの。

 苦痛に満ちた半年であった。自我すら危うい日々の中、青年の心が壊れずに済んだのは奇跡に近い。

 ……いいや、壊れているのかもしれない。ただそれを、自覚出来ていないだけで。

 壊れているのならそれでもいい。生きている。青年は今でも、生きているのだから。

 こうして手品のことを考え、誰かに披露できる喜びを覚えたのだから。

 青年はもう、無敵に相違ない。


 ◆


「仕置、と言ったか……たかが吸血鬼風情が」

 激昂しかけた紅緒であったが、アスヴィのその言葉を聞き落ち着きを取り戻した。あまりにも場違いな言葉ゆえだろう。口元には嘲笑が浮かんでいる。

「おや、この世界における吸血鬼とは、そら恐ろしいものだと思っていたのだが……私の認識が違っていたのかね?」

「我は霊山一個が有する霊力そのものなるぞ。たかが最強を語る妖怪が一種、赤子の手を捻るも同義よ。……そもそも、貴殿が吸血鬼かどうかも怪しくなってきたな? 答えよ、貴殿は何者だ?」

「……アスヴィ・アスヴィーユ。吸血鬼であり、しがないマジシャンだ」

「なるほど、それが貴殿の答えか――ならば、逝ね」

 小さくだが確かに紅緒は言った。この世界の主である紅緒の言葉だ、何気ない一言がどんな影響を及ぼすかわかったものではない。

「安心するが良い。言葉ひとつで貴殿らを殺すことなどできやせん。我ができるのは精々、この世界の防衛機構を叩き起こす程度よな。……さて、アスヴィとやら。仕置と言ったか? できるものならばしてみせるが良い」

 言って、世界に異変が起きる。

 今この場にある紅桜山はそのままに、その頂きにある桜がぐにゃりと姿を変え、黒い泥となった。うずくまる子猫――キリエさえも飲み込まんと、山の傾斜をズルリと流れ行く。

「ッ、子猫ちゃ――」

「黙っとれ」

 鋭く、短い叱咤。

「ソレは単なる記憶。かの狐の中にあるべき魂ではありゃせん。……そら、立つぞ。貴殿らを潰さんとす、我が力の具現がな」

 ズルリ、ズルリ、ズルリ。泥は形を成し、その質量は段々と膨らんでいく。

 あっという間に、元の桜の木ほどの大きさになったその巨体は、竜の首を模していた。それだけではない、その首の数は――八つ。

「貴殿らは、八岐大蛇ヤマタノオロチを知っているか?」

 その名前ならば、ノエもアスヴィも知っている。眼前にそびえ立つ巨体のように、首が八つある巨大な竜蛇のことだ。確か伝承では、スサノオという男の奇策によって敗れたはず。

 まさか、眼前にあるコレが、八岐大蛇だとでも?

「ここは我が城。いいや、我そのものだ。紛い物ではあるが、この程度、不思議でもなんでもなかろ?」

 童女らしく可愛げに首をかしげる紅緒であったが、その背後に立つ八つ首の竜の威圧感が相殺してしまう。

 こんな状況にありながらもアスヴィは――、

「……ふむ、仕置をしてみせろ、か。これを見ると、強がりで言っているのではない、ということがひしひしと感じられてしまって……」

「どうした? 気でも萎えたか」

「いいや、むしろ、久々に燃えている」

 口元にニヤリを笑みをたたえ、

「観衆が不可能と断じている事象を、可能にしてみせる。それこそがマジシャンというものだよ」

「……ふ、ほざけ。さあ、八岐大蛇よ。彼奴を潰してしまえ。なぁに、この世界で潰されようと、死ぬことはない。死ぬほど痛くはあろうがな?」

 ゴァッッッ!!!!

 まず動いたのは両端の四つの首だった。それぞれ左右、あるいは上からアスヴィに襲いかかる。大きな口を開き、されど互いを喰らい合わぬギリギリを縫って、竜に比べれば遥かにちっぽけな矮躯を潰す。

 ゴリッ、ぶちゅ。

 肉が擦り切れ、骨が砕ける音が響いた。

 なんだ、あっけない。あまりにもアッサリとした終わりに、紅緒は目を閉じかける――が、

「ひとつ、仕置の前に話をしようか。なに、説教ではない。とある男の昔話さ」

 その声は、竜が潰したはずの男のものだった。

「な、」

「その男はマジシャンに強い憧れを持っていた。不可能を可能にしてみせる。その上で、観衆を笑顔にする。最初は男も笑顔にさせられる側の人間ヽヽだった」

「位置を見誤ったか……? もう一度だ、潰せッ!!」

 さらに増える首の数。次いで襲いかかるは六つの首だ。

 またも響く、たしかに身体が潰れる音。いくら吸血鬼を名乗っていようと、ただでは済むまい。

 しかし、

「そう、しかし。男はマジシャンに憧れ、その道に進み、ある程度の技量を身に着けはしたのだが……悲しいかな。どう足掻いても、一流にはなれなんだ。圧倒的に、才能が無かったらしい」

「この……ッ!」

 次第に苦しげな声を漏らす紅緒。なぜだ、何度潰しても、その声が止むことはなく。追い詰めているのはこちらのはずなのに、まるでこちらが追い詰められているかのような……。紅緒はそんな弱気な考えを打ち消すかのように、竜に指示を出す。

「殺せ……殺せェ!! 我が願いを邪魔しようとするこの男を!」

「そんな才能の無かった男の人生に、転機が訪れた。ああ、転機と言っても、良い方のではなく、悪い方のだ。何の変哲もない日に、男は捕らえられ、とある研究の実験台にされ――」

「手だ、脚だ、胴だ、首だ、頭だ……喰らえ、引き千切れ、どう足掻いても殺したという証明を、我が眼に映せ!!」


「――やれやれ、人の話はちゃんと聞くものだ」


 ブチィッッッ!!

 今度こそ、完全に。

 紅緒はその目で確かに、アスヴィの四肢が喰い千切られる様を見た。

 砂煙に隠れるでもなく、竜の首に隠れるでもなく。しかと、その眼に男の死を映した。

 ああ、ようやく終わった。最期の最期まで余裕を崩さなかった男であったが、これで邪魔者はいなくなった。実際に死んだわけではないが、この世界を閉じるまでは死んだも同然。

 後は、そこでただじっと闘いを見ていた女の自由を奪えばいいだけで……いい、だけ、で。


「――人は夢を見る。しかし、マジシャンは夢を見てはいけない」


 ……ああ、またしても、

 その声は聞こえてしまった。


「なぜなら、マジシャンとは人に夢を、笑顔を与える者だからだ。夢を与えるにはより己の現実を知らねばならず、笑顔を与えるにはより他者の現実を知らねばならない。ゆえに、私は、私が死んだヽヽヽヽヽという現実と向き合う。安心すると良い、お客様。あなたは確かに、この私を殺したのです」

「ならば……ならばなぜ、貴殿は今も、生きて言を話しているというのか!!」

「それは、」

 紅緒は見た。男が裂かれる瞬間を。

 紅緒は見た。……裂かれたはずの男が、何もない虚空より再びその姿を現したのを。



「私の命は、私一人のモノではないからです」



 ◆


「それは、人間より吸血鬼を生み出す実験だったそうだ」

 詳しいことは、被検体であったアスヴィにはわからない。しかし、穏やかなモノで無かったことは、その身で体感している。

 幾つものクスリを投与された。あるいはそれは血だったのかもしれない。吸血鬼の、血。

 意識が朦朧とし、自我すらままならぬ半年であった。廃人も同然だったかもしれない。過程ではどうであれ、結果としてアスヴィは人間を辞めることとなった。

 皮肉なものだ。人間を辞めてようやく、アスヴィはマジシャンとしてマトモな技量を手に入れることになったのだから。

 そうして人間を辞めたアスヴィには、帰る場所なんて、どこにも無かった。

「実年齢は二十八、しかしどうだろう? この老いた姿を見て、そんな言葉が信じられるだろうか? 妄言と捉えられて当然。加えて、私がアスヴィであることなど、故郷の誰もが信じまい。故に私は故郷である自由政府を去り、遠方へとひたすらに旅を重ねた。この街は、その末に流れ着いたに過ぎない。加えて言おう、――私は、故郷に帰ることを諦めていない」

「――――」

「キミと同じだよ、紅緒。キミに還るべき場所があるように、私にも帰らなくてはならない場所がある。この旅は、いつか『人間アスヴィ』として家に帰るためのものだ。だから、こんなところで足止めされるわけにはいかない。そんな事情もあって、キミのワガママは少々目に余る」

「……だから、なんだと言うのだ。今の話と、貴殿が死んでいないことに何の関係がある」

「おっと、そうだった。見た目だけではなく、中身も老いてしまったかね。ふむ……普通、マジシャンは手品のタネを明かしたりはしないのだが……今回は特別だ。ご覧に入れようか」

 そして、その両手を掲げ、

「これが、私のとっておきの手品――その全貌だ」

 ズァッ!!

 現れたのは……影だ。幾つもの影だ。アスヴィの形をした、肉ある影だ。

Magie Gory復愁鬼……今キミが見ている影は、分身ではなく、身代わりではなく、偽物ではない。本物だ。全てが本物の私だ。……より正確に言うと、私の中にある生命いのちを核とする、もう一人の私だ。これらは、私が有する生命が尽きるまで消えることはない」

 やがて、それらは再び姿を消し、

「キミが今まで殺していたのは、間違いなく私だ。その言葉の意味がわかったかね?」

「……解せぬ。それらの生命はどうやって手に入れた? 一個の人間が有していいモノではない。その業の深さを、貴殿は理解しているのか?」

「――無論。……はは、キミには感謝しなければいけないな」

「……感謝?」

「こんな私のことを、未だに人間扱いしていることに」

「――――」

 呆気に取られる、とは、こういった時に使うのだろう。そんな表情で固まる紅緒。

 その背後の竜は、既に崩れ始めていた。

「ふ、ふふ……なんとも、理解し難い人間がいるものだ。……やめだ。貴殿の相手をしていてはキリが無い。我は霊山一個の霊力そのものとはいえ、限度が無いわけでもない。このまま相手をしていては、この世界を維持するだけの力を残せはしまい」

「では諦めてくれる、と?」

「ああ、そう言った。……もちろん、故郷に還ることを諦めたわけではない。ただ、なるほど、我と似た境遇の者が、本物に相違ないこの紅桜山を偽物と称し、ソレに縋ることを良しとしないのであれば、それはその通りなのだろうな」

「わかってくれたのなら何よりだ。仕置する手間も省け――、」

「――などと言うと思うてか?」

 紅緒の顔から笑みが消え、その背後から、崩れかけていたはずの八岐大蛇、その紛い物がアスヴィに襲いかかろうとして、



「そろそろ、いい加減にしようじゃないか」



 その首が、叩き切られた。

「――――、」

「……な」

「ずっと何も言わずに見てたけどさ、仲間はずれ感すごいし、でも手ぇ出せそうな雰囲気じゃないしで待ってたんだけど。ようやく終わるって思ったらなに、まだ足掻くつもり? 悪足掻きなら無理無駄無意味で誰の得にもなんないから、な?」

 切ったのはこれまで沈黙を守っていた女。

 その手に一振りの、刀身の錆びた短刀を握り、

 そして、その背後に――、


 ゆらりと燃える、三つの尾を浮かべたノエであった。


 ◆


「――、この、やかましい雰囲気は、」

「起きたぁああああああああああ子猫ちゃんが起きたぁあああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」

「うぎゃぁー!! やっぱりノエさんだぁああああああ!!」

 九重亭にて。目覚めるなり子猫を抱きしめるノエ、そしてそれから逃れようとする子猫。いつも通りのようで、やけに懐かしさを感じるやり取りにノエはホッとする。

「あー、これだよこれ。子猫ちゃんのこの元気な姿をどれだけ待ち侘びたことか……!」

「いや、ちょ……どれだけって、オレが寝てから一晩しか経ってないよな!?」

「一晩しかヽヽ!? ちょっとそこに座るんだ子猫ちゃん。何があったかを、かいつまんで説明してやるから!」

「座るんだって言いながらオレを抱きしめて離さないのはどこのどいつだぁー!!」



 そして説明を終え、

「……やっぱり一晩しか経ってないよな?」

「そこなの!? 最初に突っ込むのそこか!? いや、一晩っつったって外、見てみなよ。もう暗いんだけど?」

「うわ、オレ、そんな寝てたのか……」

「……子猫ちゃんて、なんかズレてる」

「それノエさんに言われるとは思わなかった」

 とにもかくにも、こうして事態は収拾したのだが、

「オレが起きないってだけで病院に連れ込むのもどうなの?」

「普通だと思う」

「……それもそうか。ノエさんの奇行、なんでもかんでもおかしいって思う癖がついちまった」

 なんてやり取りを挟みつつ、二人が落ち着いたところでノエは切り出した。

「……そんで、その世界で、子猫ちゃんの昔を見たって言ったじゃん?」

「ん? うん、まあ。……オレさ、マジで記憶、曖昧なんだよね。自分の名前を忘れたって言った。家がどこなのかわからないって言った。全部、本当なんだよ。知ってることと言えば、自分が狐の妖怪で、なんか知らないけど、すげえ力を持ってるってことくらい。気づいたら――、」

「気づいたら?」

「……ううん、なんでもない。それで? オレのことで何かわかったりした?」

 その子猫の表情は、まだ何かを隠してるようにも見えた。けれど、だからなんだと言うのだろうか。

 誰だって隠し事のひとつやふたつ、あるに決まっている。当然、ノエだって秘密を抱えているのだから。それを語りたくないと言うのなら、触れるのは得策ではない。

 だが今回、ノエは、不可抗力ではあるが子猫の過去に触れてしまった。もしかしたらそれは、子猫にとって触れられたくないことだったのかもしれない。だからせめて、見たことを包み隠さず、子猫に話さねば。

 それを聞いて子猫が記憶を取り戻すか否か。あるいは、まるで他人の人生を語られているかのように感じるのか。それは子猫次第。

「まずな、子猫ちゃん。……ううん、キミの名前は――、」


 キリエ。


 もう、子猫ちゃんと呼ぶのはやめにしよう。


 ◆


「――さて、今夜の宿はどうしようか」

 とっくに夜も更け、街には飲み会で賑わう人や、夜はこれからだと息巻く人でいっぱいだ。ここに長居するのは少々、気が引ける。

 何より、今は隣に、小さな童女がいるのだから。

「このような時に寝床に惑うとは、貴殿は普段、どんな生活を送っておるのだ……」

「ははは、もちろん、野宿だとも。しかし今日は紅緒ちゃん、キミがいるからね」

「ちゃんなどと呼ぶな、気色悪い」

 アスヴィと紅緒。つい先程まで、実質殺し合っていたというのになぜこうして共にいるのか。それはアスヴィの提案によるものだ。

 事態が収束し、紅緒の世界は閉じた。して、その霊力はキリエへと戻ったのだが、その際に紅緒は弾かれてしまった。

 おそらく、紅緒という『個』としての存在となってしまったからだ、というのは紅緒の見地である。

 その身に残された霊力は、元の一割にも満たぬものではあるが、そこらの妖怪に比べれば驚異的であることに違いはない。十分、一人でも生きていけただろう。

 そこにアスヴィが、

 ――どうだろう、私と共に来ないかい?

 などと手を差し伸べた。

「迷わず私の手を取るなんて、よほど信頼を勝ち得たものだと思ったのだが。存外冷たくてびっくりしているよ」

「それは体温か? それとも態度か? ……貴殿の手を取ったのではない。あの女の手を取らなかっただけのこと」

 紅緒が言う『あの女』とは、もちろんノエのことだ。

「正直、畏れた。単純な霊力だけなら、そうそう負けはしないと思っていたが……いやはや驚いた。あの女、腹の底に何を飼っている?」

 紅緒は畏れたと言うが、それにはアスヴィも同感だ。

 先刻まであたふたと慌てふためく姿を見ていたのだ。それがあの一瞬で、まるでそんな気配を感じさせず、むしろ強気でいられたのはもちろん不思議なのだが。

 そうではなく、その目の奥。

「まるで別人のようだった。すぐに元に戻ったが……あの流れで貴殿の手を取らねば、あの女は我を引き取るなどと言い出しかねん。そんなことになったら、恐ろしくて夜も眠れんわ」

「まあ、そう言うだろうなァ」

 ほんの数刻の関係ではあったが、アスヴィにもなんとなく素の彼女の性質は理解できた。

 ……素、というのも、どちらが彼女の素なのかはわからないけれど。

「それも終わった話だ。本格的に、どこに寝泊まりするかを考えないといけない」

 なんて、本通りを外れ路地に入り、裏道から街の外側へと向かって。

 そこで、声を聞いた。


「――だぁクソ!! どこだよここ!? 俺様達はどこに来てんのよ!?」

「珠都、でしょ~? 茶釜チャガマさんってば、ついさっき聞いたばかりの街の名前も忘れちゃったんすか~?」


 若い、二人の男女の声だ。しかし足音はそれより多い。

 やがて道の向こうから、四つの人影が現れた。


「あ、人がいるっすよ人~! ねえねえ茶釜ちゃん、あの人達に聞いてみれば良いんじゃないっすか~!?」

「誰が茶釜ちゃんだ。……あのー、さーせーん。ちと聞きたいんですけど」

「……ああ、なんだろうか。道案内を期待しているのであれば、生憎と私もこの地を訪れたばかりでね。あまり期待はしないで欲しい」

 背格好からして、四人とも十六~十八といったところ。まとっているのはどこぞの学生服か。会話の内容からして、この街の学生ではない。となると、最近話題になっている、飛騨市長の政策である修学旅行で訪れた学生だろうか。

「あ、そうなんか……まあ聞くだけ。役所ってどこにあるか、知りませんかね?」

「役所か……すまない、詳しい場所までは。大通りまで行けば、案内があるはずだが。まあ、こんな時間だ、もう開いてはいないだろうがね」

「大通りか……ここまっすぐ行きゃ出れます?」

「出れるとも」

 なら行ってみるか。なんて言いつつ、その茶釜と呼ばれた男子は礼を告げる。

「あざっす! 行くだけ行ってみますわ」

「役に立てて何よりだ。それじゃあ、私は失礼しよう」

 四人組に背を向け、その場を立ち去る。

 十分な距離が取れたところで、紅緒が小声で語りかけてきた。

「……随分と他人行儀が過ぎないか? 普段の貴殿は、もっと、こう、初対面相手にも振り切れているというか。キリエの内より見た評価だが」

「もう夜も遅い。近所迷惑というものもある。それに、何も常日頃からあんなテンションってわけじゃないからね???」

「…………」

 紅緒のジト目が刺さる。

 ……もちろん、理由はそれだけではない。

 その身に多くの生命を宿すアスヴィならではの勘。彼らが鳴らす警鐘。


 ――天敵だ。


 本能が、そう語っている。

「……この街は居心地が良いと思っていたが、早めに去るべきかもしれないな」


 ◆


「ねえねえ、今のオジサンが連れてた子、すっごく可愛くなかったっすか~?」

 うさ耳の付いたフードの下で、元気な笑顔を浮かべる女子と。

「でも、どこか大人しいというか……うーん、そう、やけに大人びていた。どこか不自然」

 どこか冷めた表情で、淡々と告げる女子と。

「…………」

 何も語らぬが、首を立てに振りコクコクと頷く長髪の男子。

 そして、

「だぁー! お前ら、俺様にばっか任せてないでちゃんと探せよ!? なあ!? 自慢じゃねーけど、俺様ってばほんのちょっとばかし土地勘ない場所苦手なんだかんな!? あのデカブツ倒したからって浮かれてんじゃねーぞ!?」

 前髪をカチューシャで上げ、かけた眼鏡を跳ねさせながら文句を言う男子。

「ほんのちょっと苦手っていうか、完全に方向音痴~」

「キサマ言いやがったな!? その方向音痴に案内させてる脳ミソ足りてねーお気楽能天気お花畑はどこのどいつだ!? ああ、言ってみろやこのド腐れビッチがぁ!?」

「あーッ!! あーしがビッチとか誰情報っすか~! ちゃんとみんなに口止め料払ってるのに、どっから情報漏れたんすか~!!」

「ホントにビッチなのかよッ!! ちょっぴり幻滅だわ!!」

「とかなんとか言ってる間に、大通りは見えたけど」

「…………(コクコク)」



 ……誰に目撃されたわけでもない、小さな狐と、桜と、一人の男の闘いは、こうしてひっそりと幕を下ろす。

 帰りたい、と自らの故郷へ叫んだ声は未だ届かないけれど、いつか届かせてみせる。そのためにも男は生きる。ただひたすらに泥臭く、懸命に。生きることだけに全力を賭す。

 その果てに、失ってしまった時間があると信じて。


 そして、人妖特区第一番、珠都。

 この街に、風雲急を告げる者が、やってくる。

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