第九節 追想
知らず、足は急いでしまう。
こんな時の気分を何と言うのか……確証はない、ただの思い過ごしであればそれに越したことはない。されど気になってしまう。そんな焦燥。
「ストーブを消したかどうかが気になっている……そんな感じではないかね?」
「ああッ! それ、それだ!」
隣に並走する老紳士――実年齢は二八歳らしい――アスヴィ。今なお必死こいて走るノエを嘲笑うかのように、涼し気な顔でついてくる。
吸血鬼と言ったか。遠い話にしか聞いたことのなかった妖怪だが、こうして実物を見てみると、なるほど、こんな化け物が戦争時代に暴れ回っていたと考えると、この国が形を保っているのが不思議に思えてくる。
「それでは、話をまとめようか」
ぜは、ぜはと息を切らすノエを他所に、何かを話す余裕まであるとなるといよいよ反則だと叫びたくなる。
「キミが思い過ごしであれば、と感じている、不可解な枕の妖力――それが何か関係あるのでは、と、こうしてキミの家に向かっている。はて、もしもそれが思い過ごしではなく、本当に関係しているとなれば……どうやって解決するのだろうか?」
「わか、らん!」
「ふむ」
ノエが記憶しているのは、焦りで忘れてしまうほどに微弱な妖力だ。そんな小さな力で子猫を昏睡状態にできるとは到底考えられない。だからこそ、思い過ごしだ、と考えているのだ。
しかし、もしも関係しているのだとしたら。
わかるわけがない。実際に見てみないと――。
そうしてようやく大通りに出る頃には、日もすっかり落ちて真っ暗になっていた。
「この道、曲がって……『呑んだくれ通り』に入って」
「ああ、了か、」
――草原が広がっていた。
「……は?」
見慣れたはずの石畳――は無く。
そろそろ開店準備に忙しくなってくる店の数々――も無く。
『呑んだくれ通り』とされる、ちょっとした宴会通り――そんなものは、眼前に広がっては居ない。
代わりにあるのは、広々とした草原。遠目に村が見えることを考えると、丘、高台だろうか。
そもそも、先程まで暗かった視界がかなり明るくなっている。まるで昼にでもなったかのような……否、まるで、ではなく、本当に昼なのだ。
だって、空を見上げれば眩く照る太陽がある。
「ど、どうなって……」
「ほぉ……どうやら、キミの考えは当たってしまったらしいな」
つまり、
「枕に宿っていた微弱な妖力とやらが原因。そう考えて良いのではないかな?」
「……いや、まだそうと決まったわけじゃない」
状況と問題を即座に結び付けるのが正解とは限らない。これだけの幻視、あるいは世界の塗り替えを起こすほどの力だ。何か別の力がはたらいていると考えるのが自然だろう。
「――はは、ははは! キリエ、競争しよう! 頂上の桜の木まで!」
「!!」
ふと、声が聞こえた。ノエとアスヴィが立つ丘に、一人の少女と一匹の狐がいたのだ。
二人は元気に駆けずり回り、あっという間に見えなくなってしまった。
走っていった先、山の頂上に見えるのは大きな桜の木。どうやら、あそこを目指しているらしい。
いいや、それ以前に、今の少女は。
「子猫、ちゃん?」
「髪色は違うが……」
そう、アスヴィの言うとおり、髪色こそ銀ではなく黒。しかしその容姿は、ここしばらくですっかり見慣れてしまった、子猫とそっくりなのだ。
「……追いかけてみよう」
「そうか……ならば私も付き合おう」
「別に帰って良いんだよ? そもそも、なんで付いてきてるのかが疑問なんだけどねえ」
「つれないことを言わないでくれたまえよ。……私には、彼との約束があるのだよ。それをすっぽかされたままではいられない。つまり、怒っているのさ。『約束も守れないようではロクな大人にならないぞ』と説教のひとつでもかましてやらねば気がすまない」
「子猫ちゃんに変なことしたらぶっ飛ばすぞ」
「ハハハ! 親バカここに極まれ――あ、
コントのようなやり取りを続けつつ、ようやく頂上に辿り着く。そこには既に、子猫に似た少女と狐がいて、桜の木の根本に寄りかかって座っていた。
「はー、今日も空は青いごたぁ。……ねえキリエ、こんな日は空を飛びたいと思わない?」
少女に話しかけられた狐――キリエは、まるで人間であるかのような仕草で『何言ってんだ?』と言わんばかりの態度を取る。少女はそんなキリエの様子に頬をひくつかせ、
「キリエってば浪漫も何もあったもんじゃない。もっとこう、ドーンと大きな夢をさぁ、きりえに語ってくれよ!」
狐であるキリエにはどうにも難しそうな話だ。しかし、こうして見ると、少女とキリエの間には会話が為されているように見える。あるいはそう見えるだけの話術を、あの少女が有しているのか。
「……ま、こんな夢を語れるってことはさ、まだまだ平和ってこと。そう、きりえはそれを言いたかったのだ」
そうしてまたごろんと寝転がる少女。キリエは、今度は呆れ顔ではなく、なんとも優しげな表情で隣に並ぶ。
「……狐なのに、随分と表情豊かだな。私でもあの狐の言わんとすることが、なんとなくわかる」
アスヴィの呟きに内心で同意する。きっと、長い時間を人間と過ごして来たのだろう。そしてその人間とは、恐らくあの少女。
しばらくは二人の温かな時間が続いていた。――しかし、
暗転。
「……?」
ふと気づけば、山の頂上にいたはずのノエとアスヴィは、再び最初に立っていた丘へと引き戻されていた。加えて、明るかった空は黒く染まっている。
否、明るいには明るいのだが……それは、火が立ち上っていることによる明かり。
「これは……戦?」
遠目に見えた街が燃えている。バチバチと上がる火は戦乱のものか。今の一瞬で何があったのか、それを理解するより以前に、新たな動きがあった。
「ああ、なんだ? 狐か……」
ざく、と。何かが、この場に足を踏み入れた。
男は馴染みのない格好をしていた。やたらと古臭い衣装――昔の農民をイメージすれば相違ない姿の男は、丘から村を見下ろし、
「おぉー、やっておりますねえ。いや、結構結構。ここからであれば、両軍全滅を狙える――」
瞬間であった。
先の男のセリフから、この場に狐が、キリエがいることには気づいていた。そのキリエが、男の腕に噛み付いたのである。
「っ、痛ったぁ!?」
噛み付いたキリエを振りほどこうと、男は腕を振り回す。しかしキリエの根性も大したもので、なかなか離れようとはしなかった。だが、
「痛てえ、痛てえ……ってんだクソが!!」
腕ごと木に叩きつけられ、放り投げられる。きゃうん、と小さな声と共にキリエは地面に落ちた。
「……なんと酷いことか」
アスヴィは言うが、決して目を逸らさない。ノエもまた、この光景に目を奪われていた。
助けた方が良いのだろうか。しかし、彼らにはどうにもノエたちの姿が見えていないようなのだ。まるで、映画の焼き直しでもあるかのように、ノエたちを観客として場面は移りゆく。
「あーあー、滅多に流さない血が流れてんじゃないですか。何すんだこの、獣の分際で。ああ、ああ、くそったれの畜生の分際で。……頭に来た」
苛立ちを隠さず男は愚痴をこぼす。その手がキリエに向けられ、直後。
何か、言いようのない不安に駆り立てられる。
「餓えろ」
かざされた手から溢れる妖力。それがキリエを呑もうとし――、
「――はぁああああああああああああ!!!!」
声が、した。
ぶしゅ。ぶ、しゃあああああああああ!!!!
男の腕は一刀両断。何かしら行動を起こそうとしていたらしい男の力は一瞬で霧散し、うめき声をあげる。
「……こんなところで、何をしている?」
キリエを背にして立つのは、先の光景でキリエと共にいた少女だった。しかしその姿から感じる気迫は、とても同一人物のものとは思えない。
手に持つ刀は血を帯びている。
少女の頬には血が跳ねている。
纏う戦装束はところどころが焼け落ちている。
「キリエ、早く逃げろ。この山のどこかじゃ駄目だ。もっと、もっと遠く。どこかへ」
少女が言えば、一瞬動きを止めるもすぐに硬直を解き、一目散に駆け出した。その様子を見て、少女は「……そう、いい子だ」と呟き、恐ろしく優しげな表情で見送る。
して、キリエが去り。
「……はぁ、どうしてこうも邪魔ばかり入るんですかね。というかあなた、ここにいてはいけないはずでしょう。先程の問い、そっくりそのまま返しましょう。どうしてここにいるんです?」
「本陣には信頼できる忠臣を置いてきた。なに、私に次ぐ実力者だ。そう後れを取ることもあるまい。それよりも……だ」
少女は刀を構え、
「貴様、何者だ? 国に攻め入った異形とも違った雰囲気を感じるが。切ったらしっかりと死ぬんだろうな?」
「は、ははははは! 面白いことを言いますね。切ったら死ぬ。当たり前でしょう。ああ、しかし、そうですか。あなたの国に攻め入ったのは
「僵尸……? それが我が国を侵す、外道の名か――ッ!!」
一閃、振り抜かれた刀剣は刀身、その長さを無視した斬撃を見舞いする。飛来する太刀に男は目を見開き、その右腕を、今度こそ完全に切り落とされた。
「ッ、……話の最中に斬りつけるとか、非常識の塊か? あ? っつーか太刀が飛ぶとか意味わかんねえぞ。ああ、痛え、痛ぇ……」
途端、男の口調は急変。先程までの、形だけは丁寧だったソレは粗野なモノに。しかしそれもまた一瞬。
「……ふぅ。そろそろお喋りもおしまいにしましょうか。私にもやらねばならぬことがあるので」
「やらねばならないだと? そんなに血を流して、まだ何かを為そうと言うのか……?」
「元々それをしにここに来たんだっつーの。というか、こんなに血を流しているのはあなたのせいなんですけどね。どうです? こちらとしても、不意打ちなんて勘弁願いたいもので。正々堂々、一騎打ちで決着つけましょうよ。なんだか面倒になってきました」
「正々堂々、か。とても信じられる言葉ではないが……良いだろう。この私に、一騎打ちを望むのならば。――受けて立つ」
ぞわり。少女が纏う気迫が、また一段と鋭くなり、研ぎ澄まされていく。
それに応じて、少女の持つ刀も呼応するかのように唸りを上げる。
「ああ、ひとつ、聞くのを忘れてました。……どうしてここに私がいること、わかったんですか?」
「貴様がいるなどとは思わなかったさ。私は、友の窮地に駆けつけただけでな」
「では、そのご友人の危機はどのようにして?」
「――ただの、勘だ」
問答はそこまで。二者の間に風が吹き、どちらからともなく名乗りを上げる。
「北見ノ国、
「嗤おう、奪おう、司るは三大が一角。我が名は――」
木の葉が、
「――ひだる
落ちた。
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