第八節 キリエ
キィインッ!!!!
響く甲高い音。異変を察知した周囲の子連れは、そそくさとその場を立ち去っていった。
抜き身の短刀をだらりと提げ、ノエは『敵』を正面に据える。
この短刀は錆びている――条約に違反しない為の措置だが、正直そんなもの、意味はない。
ただ、錆びているのならば。コレクションだなんだと言い張れるから。しかし妖怪にとっては、錆びた金属であっても切れ味に影響がない。
ゆえに、その一撃は必殺のはずだった。錆びた短刀は確かにその胴体を掻っ捌いたはずだ。なのに老人は平然とその場に立っている。
不意を突いたのだ。それでも防がれた。
「ふむ……いっそ輝かしいな、その妖気は。三つに分かれているのは、何かを示唆しているのかな?」
「答える義理はない。……それより教えろ。アンタ、何者だい?」
「ハハハッ! 私の問いには答えず、されど応答を求めるかッ! ……ぬぉ!?」
一歩。踏み込まれた右足は生い茂る草を撫ぜ、短刀をその腹へと届かせる。しかし老人の動きは、老人のそれとは思えぬほどに素早く無駄がない。最小距離での移動で避け、涼しい顔で立っている。
「良いから答えろ。でないと、」
「抑えきれない、か?」
「――――」
男はシルクハットを抑えつつ、モノクルの奥にある瞳でノエを眇める。
「背後に浮かんでいるのは、何かの石……おそらくは欠片だろう。そしてその原石の名は……『殺生石』」
何も答えずにいると、それを肯定と受け取ったのか。口元をニヤリと歪め、さらに続ける。
「であれば、燃える妖気は三尾を模しているのかな? ふむ。伝承に存在する殺生石は、各地に三つ――数と一致する。三つあれば正しい姿を取り、キミは全力を発揮できるはずだ。しかしそれをしない、できない。なぜなら、その殺生石に宿るのは」
「……答えろよ。アンタ、子猫ちゃんに何をした?」
「おっと、質問が変わっているね。焦っているのが筒抜けだ。人を騙す、あるいは何かを隠す時には、もっと余裕を持たねばならない。……まあ、それはそれとして。そろそろイジワルをするのもやめておこうか。ほどほどにしないと、私の命も危うそうだ」
男はシルクハットを右手に。左手には日傘を模したステッキを掲げ、告げる。
「私の名はアスヴィ。アスヴィ・アスヴィーユだ。出身は自由政府、好きな食べ物はパエリア、嫌いな食べ物はナス。そして歳は二八――加えて、」
その左手が閃く。気づいた時には、頬に焼けたような感触。
「っ!?」
何かがその左手から放たれた。視線を戻せば、そこには男の姿は無く。
「――吸血鬼とされている」
声は背後から聞こえた。手には、どこから取り出したのか錆びた短剣がある。その刃先を見れば、赤い何かが付着している。
なるほど、今放たれたのはこの錆びた短剣か。その刃先に付いているのは、今しがたノエの頬を割いていった際に付いた、血だ。
「隠し刀……
「狡いとか言わないで欲しいなあ……マジシャンやってて一番聞きたくないセリフだよそれ」
途端に覇気が消え、おどけてみせる。が、刃先に付いた血を舐め取る仕草は狂気を孕んでいた。
「……ん? 歳は……」
ふと、先程の自己紹介で気になった箇所を口にする。
「二八?」
いいや、有り得ない。目の前にある人物は、どう見たって老齢だ。そんな若々しくあるはずが――、
「ああ、なるほど。嘘か」
「本当なんだけどなぁああああ!? だから歳とか言いたくなかったんだ! いつも勢いで言っちゃうけど!!」
自業自得ではないか。そう突っ込みたくなるのを抑え、萎えかけた殺意を再度握る。
今のが嘘であるならば、ノエに対し本当のことを言う気がないということだ。つまり、後ろめたい何かがあるということで。
「殺す」
「相変わらず、彼のこととなると見境無いな……よし、では今のが本当だという証拠を見せよう」
短剣をステッキの中にしまい――そこに隠してあったのか――それをクルクルと回し。シルクハットを被り直し、アスヴィは高らかに声を上げる。
「さあ、お立ち会い! 此度の観客はただ一人、日も暮れ始め、恐らくはただ一度切りとなるショーを開幕しよう! 題目はッ……特になし。うん、だってこれ、種も仕掛けも特に無い、ましてやマジックでもない、単にありのままを見せびらかすだけだからなぁ」
クルクル、クルクル。回るステッキはその速度を増し、ついには音を立て始めた。ブンブン、ブンブン。――コツ。
ステッキの回転はいつしか止まり、地に打ち付けられる。
して、眼前に現れたのは。
「ふぅ、この姿は色々と、肩が凝る」
「な……」
先程の老齢はどこに消えたのか。夕日に照らされる男は、たしかに二〇代後半の、キザな男であった。いや、それ以上に若々しい、いっそ少年と言ってしまっても構わないほどに瑞々しい顔をしている。
艷やかな茶髪は整髪剤で固めているのか、後方へと流され形を保っている。口元に髭はなく、体格も老人の姿に比べれば幾分かしっかりとしていた。
「さあ、どうだろうか。信じてくれたかな、私が実は老人ではなく、ピチピチの二八歳、結婚相手募集中の青年であることが――」
ぼふんっ。そんなコミカルな音を立て煙が舞う。それが晴れ、ケホケホと咳込みながら現れたのは先程の老人であった。
「ああ、以前より持続しなくなっているな……やはり諦めるしかないのか」
「げ、幻術の類……?」
「キミは人の話をまったく信じないなぁ!! 今見せたのは、正真正銘、私の真の姿だ。……実年齢以上に見た目が老いているのは自覚しているとも。されど、それにも理由があってだね――」
「……それはもうどうでもいい。とりあえずそういうことにしておくから、」
「そういうことってキミね」
「アンタ、子猫ちゃんのこと……子猫ちゃんには、特に何もしていないのかい?」
これまでのやり取りで、ひとつわかったことがあるとすれば。
このアスヴィという男は、まあ悪い奴ではないのだろうな、ということ。何か悪事を働くには悪意が足りぬ。人を騙すのであれば、あまりにもその気が無さ過ぎる。
……ならば、そうであるならば。
「なら、あの子はどうして目を覚まさない――ッ!?」
「……ふむ、やはり、あの少年に何かがあったのか。キミがこうして私に殺意満々で向かって来た以上、そうではないかと思っていたが。まず、問いのひとつに答えよう。彼からは少量の血液を貰っただけだ。本人の了承を取らなかったことは謝ろう。しかし、それだけだ。彼の命に支障は無い……と、最初から言っていたのだがね。キミはもう少し、冷静になるべきだ。ひとまずそのおっかない殺生石をしまってはくれないか」
まるで叱るかのような口調。それに少しばかりイラっとするが、たしかにこれ以上この石を使っていると理性が吹き飛びそうなのは事実だ。大人しく石からの妖力の供給を絶ち、背に浮かべた三つの尾が消える。
「ふう、怖かった。さて、次に、彼が目を覚まさない理由だが……こればかりは流石にわからない。――嘘じゃないぞ!? だからいちいち刃物をチラつかせないでくれないかッ!」
何はともあれ――振り出し、振り出しに戻ってしまった。
アスヴィが原因ではないのなら、何が原因なのか。異変が起こったとすれば、昨日から今朝にかけて。その間に何があった?
「何か、変わったことはなかったのかね?」
「そんなのがあれば見落とすはずが……」
――嫌に、気になることがあった。
目を覚まさない子猫を揺すっていた時だ。やたらと視界にチラつくものがあった。……枕。枕だ。
子猫が使っていた枕は、ノエがふざけてプレゼントした『YES/NO』枕である。して、子猫はいつもNOの方を上にして寝ていた。
それが今朝は、YESになっていたのだ。平常時のノエであれば、それを見ればふざけて布団に潜り込んでいただろうが、それどころではなかったため意識から外れていた。
……外れていた、はずなのだ。
なのになぜこんなにも気にかかる? 後になってどうして。
「――妖力の残滓」
ああ、そうか。
あの枕から、普段は感じない妖力の残り香を感じたのだ。
◆
火だ。火が見える。ついに戦が始まったのだ。
山の麓。将軍の城が立つ国。あそこで切枝が戦っている。
キリエにはどうすることもできない。だって、ただの狐なのだ。
何の力もない……ただの狐なのだ。
せめて、切枝の迷惑にならないところに身を潜めよう。そして戦が終わった時にひょっこりと顔を出して、また二人で……いいや、一人と一匹で、山の頂上に据える大きな桜の木を見上げながら、笑おう。
そして、切枝がいる国に背を向け――、
「ああ、なんだ? 狐か……」
ざく、と。何かが、切枝との密会の場に足を踏み入れた。
ぞわり。全身を走る悪寒が警鐘を鳴らしている。
格好は平民と変わらない。質素なものだ。切枝の国の村民だと言われればそれで納得してしまいそうなほどに、酷く没個性。
しかし、しかししかし。脚が震えるのを止められない。
「おぉー、やっておりますねえ。いや、結構結構。ここからであれば、両軍全滅を狙える――」
その一言が決定打だった。
この男は只者ではない。あろうことか、この戦場を根本から吹き飛ばそうとしている。横槍? 否、これでは槍どころの騒ぎではない。
いつか切枝が言っていた。どこか遠い地では、大砲なる武装が存在するのだとか。しかしそれはとても大きく、威力はあれど利便性には欠ける。
見れば男はそんなものを手にしている様子はない。なのにそんな大層なことを宣ったのだ。術が、あるのだろうか。
だとすれば……だとすればッ!!
「っ、痛ったぁ!?」
キリエは男の腕に噛みつき、歯を立てる。男は振りほどこうとするが、あまりに強く噛み付いたものだから苦戦していた。
「痛てえ、痛てえ……ってんだクソが!!」
腕ごと木に叩きつけられ、放り投げられる。
「っ」
「あーあー、滅多に流さない血が流れてんじゃないですか。何すんだこの、獣の分際で。ああ、ああ、くそったれの畜生の分際で。……頭に来た」
またぞわり、と。男から感じるのは恐怖。
「餓えろ」
かざされた手のひらが、キリエを飲み 込ん で 、
「――いやぁああああああああああああ!!!!」
ぶしゅ。ぶ、しゃあああああああああ!!!!
手のひらがあった場所で鮮血が舞う。切られた? 誰に? ――否、その声は、既に知っている。
「……こんなところで、何をしている?」
キリエを背に、戦装束で凛と立つ。その少女の名は綾辻切枝。
苛烈。背を見ただけでわかる。発せられる覇気は常人のソレとは一線を画している。それだけの死線を潜り抜けてきたのだろう。齢一三にして数々の戦果を上げているのだから、それも当然であろうか。
「キリエ、早く逃げろ。この山のどこかじゃ駄目だ。もっと、もっと遠く。どこかへ」
切枝は小声で告げる。どうしてここに、だとか、遠くってどこへ、とか。聞きたいことは山ほどあったけれど、きっとそれは聞き返してはいけない。せっかく切枝が逃げる隙を作り出してくれたのだ。無駄にするわけにはいかない。
無駄に……無駄に、するわけには。
「……そう、いい子だ」
キリエは、切枝に背を向け走り出す。山の奥へ、ずっとずっと、奥へ向けて。
その脚を踏み出した。
そこから先がどうなったのかは知らない。ずっと逃げて逃げて、どこかの崖で滑り落ち、以降、ずっと長い時を眠って過ごしたのだ。
切枝はこの山ではないどこかへと言ったけれど、それすら果たせず、ああ、死ぬんだろうなと思っていた。思っていたのに。
キリエは目覚めた。して、重い脚を引きずり、どうにかして、『いつもの場所』へと辿り着き目にした光景は。
「……どこだよ、ここ」
見知った国の姿ではなく、見たことのない、辺鄙な街であった。
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